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2006年秋 ハンガリーとルーマニア旅行23日間

2006年の旅行の感想とエピソードその20──ブカレスト(2)国民の館以外にも魅力がたくさん!(完)

ブカレストで観光する価値があるのは国民の館くらいだ、という感想をどこかで読みました。
そのときは、そういうものか、と思いました。
しかし、その方はきっと、博物館や教会めぐりにあまり興味がなかったのかもしれませんね。

確かにかつては「東欧のパリ」とまで呼ばれたらしいブカレストは、今や、チャウシェスクの強引な都市計画のせいで、社会主義らしい巨大な、どこかへんてこなビルがでーんと林立しています。

こんなかんじ@
2006megabuilding

これはこれで私は面白かったのですが、しかし、もしあたりが昔の街並みを残していたとしたら、もっともっと魅力ある街だったのでしょう。
であれば、わざわざ見に行く甲斐がもっとあったのでしょうけど、こうなってしまうとねぇ、他に素敵な街は世界にたくさんあるしねぇ。
ということなのでしょう。

しかし、やはりブダペストは、腐っても首都です。いや腐ってないです、言葉のあや@
首都の魅力は、豊富な博物館ではないかと思うのです。少なくとも私にとっては。
それにブダペストの全部がこうなっちゃったわけではありませんしね@

2006年の旅行の最後の目的地のブカレストでは、正味2日、時間をとることができました。
でも、実はこれは、ブカレストは見どころが少ないらしいということで、切り詰めてしまった結果でもあります。
まあ、でも、他の魅力的な街を回っていたのですから、仕方がありません。
正味2日とは、具体的にはブラショフから移動してきた10月27日(金)の午後、28日(土)一日、そして出国日の29日(日)はフライトが夜便だったため、昼過ぎまでは観光をしていられました。
旅程を固めた当初は、ブカレストは2日もあれば十分だと思いました。

しかし、旅程の大半を占めるハンガリーの観光情報をだいたい集め終わったあとに調べてみたら、ブカレストで行きたいところの候補がぞくぞく出てきて、2日ではとても足らないことが分かりました。
その中でも、やはり国民の館見学は筆頭に据えました。
何が何でもここだけは行くぞ───!
と思ったものです。

でも結果は、ここは一回見学して好奇心を満たしてしまえば、それで十分なところでした。
ブカレストで観光した中で、気に入った順位をつけるとしたら、だいぶ下の方にランクされてしまいそうです。
期待が大きかった分、こんなものか、と拍子抜けしました。
なにやらイベントがあって、もともとごく一部でしかない見学コースも、一部見学できなかったせいもあるでしょう。
確かに巨大でした。豪華でした。
独裁者が、貧窮に喘いでいた国民からさらに血と汗を吸い上げて造らせたことを考えると、豪華すぎます。
でも、だだっ広いせいで、豪華さは、私にはいまひとつピンと来づらかったというか。
むしろ外から見ているほうが飽きないかもしれないです。

国民の館前のロータリーから撮った写真
2006casapoporului1

逆光でしたので、こんな工夫をしてみました@

国民の館は、夜も映えます。久しぶりに撮りがいのある夜景でした@
統一広場から正面向き
2006casapoporului2

横向き(地下鉄Izvor駅を出たところにある公園の入口にて)
2006casapoporului3

国民の館は、入場料も高いです。それも、拍子抜けした一因でしょう。
こんなに高かったのに、見せてくれるのはこれだけ?───って思ってしまいましたからね。
もちろん、高いと分かった上で行ったのですが……20レウもしました。これに写真撮影代も払ったのでプラス30レウ。計50レウ。
2006年現在、1レウ=約40円で換算していたので、円換算すると2,000円。
他の博物館が、物価の高いブカレストですら10レウ未満ですよ。
いや首都の博物館だけあって規模も大きく、コレクションも多いですから、これでもおトク!と思えたくらいです。

具体的には……。

・衣装博物館
国民の館の一部を使っていて、入場料は3レウでした。
館員さんには説明してくれる気がムンムンありましたが、あいにくルーマニア語はわからなくて……。
というか、ちょっとだけフランス語で説明してもらったのですが、どこの地方の民族衣装と言われても、地名がピンと来なかった@
(当時はマラムレシュやブコヴィナという地名ですら、ほとんど認識していなかったです。)

・歴史博物館
入場料は無料でした。常設展は閉鎖中でしたが、地下の宝物コレクションのすばらしかったこと!

・ルーマニア国立美術館
ルーマニア美術部門とヨーロッパ美術部門の共通券が8レウでした。
ところがルーマニア美術部門だけだと7レウもします。たとえ大急ぎの素通りに近くても、1レウ余分に払って、レンブラントやエル・グレコやルーベンスなどの絵画を見た方がお得ですね@

・農民博物館
ヘラストラウ公園内にある野外博物館の「農村」博物館ではなく、キセレフ公園内にある「農民」博物館です。
入場料は6レウですが、撮影代はちょっとケタ外れで50レウ。
しかし、ここのコレクションは、フォークロア文化が見たくて東欧旅行にハマっている私にとって、ハイライト中のハイライトといえるところでした。
展示数も多く、また展示方法で賞を取ったくらいの博物館です。
英語版の分厚いカタログを売っていましたが、気に入った展示品に限って写真がなかったりするもの。しかも、そんなに分厚いものは、書棚の肥やしにしかならないのは目に見えています。
だから迷わず50レウ、払いました。そして思いっ切り写真を撮ってきました。56枚撮ってきました。これならポストカードを買うよりもずっと安上がりでしょう。
ただし、よっぽどの博物館でない限り、56種類もポストカードを売ってるなんてことはありませんけど、。
実はこれでも、最後に観光したところだったのでデジカメのメモリが足らず、写真が撮れずにあきらめたものもあるくらいなのです。
この博物館では、特にイコンのコレクションはすばらしかったです。それを写真に収めることができたのですから!
(イコンを信仰対象としてでなく、あくまで美術品の一ジャンルと捉える私は邪道ですので、信者のみなさま、ごめんなさい@)

ルーマニアといえば、ガラス・イコン!
2006bucurestimuzeum1

子供が描いたみたいな可愛いイエス像@
2006bucurestimuzeum2

受胎告知
2006bucurestimuzeum3

イコンが子供のような絵、というよりルネサンス以前の中世の絵のようであるのは、ルーマニア正教を含む東方正教会の伝統では、西欧のいわゆるキリスト教美術のように、制作者である画家の思想や主張が打ち出されていてはいけないという考え方からだそうです。
なので、人間中心のルネサンス以前の中世の絵までに遡るそうなのです。
これは、2000年に初めて正教会圏(ロシア)に旅行する前に読んだ、「イコンのこころ」(高橋保行・著/春秋社)の受け売り~。

豊かな民族衣装……でもマネキンの顔がちょっとコワイですう@
2006bucurestimuzeum4

木製のキッチン用品
2006bucurestimuzeum5

ブカレストの魅力に、たくさんの美しいルーマニア正教会もあるでしょう。
ルーマニア正教会めぐりにすっかり病みつきになった私は、ガイドブックで紹介されていた4つのルーマニア正教会は、しっかり制覇しました……と言いたいところですが、一ヶ所、1度目は時間外で、2度目は結婚式の最中だったので、あいにく見学できませんでした。

・クレツレスク教会
イコンやフレスコ画が見もの!と言われれば、行かないわけにはいきません。
もっとも、ルーマニア正教会は、わざわざガイドブックにそう書かれていなくても、イコンやフレスコ画がすばらしい教会はたくさんありましたけどね。
この教会はちょうど国立美術館の隣、革命広場に面して立つため、国立美術館に行くついでに行けるので場所的にも都合が良かったです。
2006bisericacretulescu1

入口のフレスコ画
2006bisericacretulescu2

残念ながら中は撮影禁止。
でも入口のこのフレスコ画だけでも何枚も写真を撮ってしまいました@

・大主教教会
日経BP社「旅名人ブックス ルーマニア」で紹介されていたため、ぜひ行きたいと思うようになった教会の一つです。
「地球の歩き方」のブカレスト中心地の地図の欄外だったので、行くのは大変かと思ったら、最寄りの地下鉄からそう遠くありませんでした。

2006bisericapatriarhiei

土曜日の昼に行ったのですが、教会に至る、いわゆる参道みたいな道沿いに教会グッズの市がずらっと並んでいました。
それらを眺めながら歩くのも楽しかったです。

参道の教会グッズ市が延々と……。
2006religiousmarket1

聖画のコピーではありません。
祈りを込めて作られたものは、すべて本物のイコンになるのだそうです。
2006religiousmarket2

オモチャじゃありません。
これも、イコンと同等の重みを持つそうです。
2006religiousmarket3

法衣にも、「つるし」があるのですね!
2006religiousmarket4

・スタヴロポレオス教会
かなり古めかしい、味のある教会でした。
建物も入口のフレスコ画も魅力的。中庭も素敵でした。
ちょうどミサの最中でしたが、中を歩き回れない代わりに、ミサの荘厳な雰囲気を堪能してきました。
2006bisericastavropoleos1

2006bisericastavropoleos2

・クルテア・ベケ教会
ブカレスト最古(1559年)で、日経BP社「旅名人ブックス ルーマニア」で写真を見たときに、このレンガ造りの美しさに惚れました@
2006bisericacruteaveche

2度も訪れたのに、2度とも見学しこねた教会はこれです。
といっても、この教会のすぐ近くに、ルーマニアの民芸品のおみやげ屋さんと、Hanul lui Manucという、木造建築が美しいルーマニア料理のレストランがあるんですよね。
だからこそ喜んで2度も足を運んだわけでして@

それからガイドブックで紹介されていなくても、ルーマニア正教会は外れがありません。
少なくとも私にとっては。
オペラ座近くにある新旧2つの教会に、大学広場から統一広場を結ぶバルチェスク通り沿いの3つ、少なくとも計5つも見ごたえがある正教会がありました。
オペラ座近くの新旧教会は、どちらも外観ですが、しっかり写真を撮ってきました。
ガイドブックやルーマニア本ですら、あまり紹介されることがなかろうと思うので(しかも、’06~’07年版の「地球の歩き方」には地図くらいには載っていたのに、’07~’08年版からは消えていました~(泣))、ぜひともここでご紹介しましょう!

新教会
名前はちゃんとあると思うのですが、’06~’07年版の「地球の歩き方」の地図には新教会としか書かれていなくて。
新教会でも、十分、古めかしかったです。
2006bisericanew

旧教会
同じく、名前はちゃんとあると思うのですが、「歩き方」の地図には旧教会としか書かれていなくて。
どうもいまは使われていないように見えました。
2006bisericaold1

しかし、この教会は、入口のところのフレスコ画がすごいんです@
2006bisericaold2

実は2007年の夏にも、ルーマニア旅行に行こうと計画しています。
フライトはブカレスト往復にしたため、ブカレストは再訪します。
フライトのためだけに立ち寄る形にしてブカレストで一切、時間をとらないという選択肢もあったのですが、再訪したいところ、2006年に行きそびれて、今度はぜひ行きたいところなどがあるため、やはりブカレスト観光も予定に入れることにしました。

しかし、2006年に行きそびれたところはともかく、再訪したいところのリストに、国民の館は入りません。
先ほども書いたとおり、ここは1度見学すれば十分!
見学コースが大幅に変わらない限り。
国民の館は現在、国会議事堂としても使われているのですが、ブダペストの国会議事堂は、見学コースが同じでもぜひ再訪したいと思い、実際に2006年の旅行で再訪しました。
ここがブカレストの国民の館との違いですね。
でも、外観の写真はまた撮りたいかも。
あの圧倒感は、ハンパではありませんでした。アメリカ国防総省に次ぐ世界2位の規模というのは、伊達ではありませんでした@

以上でやっと、2006年の旅のエピソードのこのシリーズが終わりました。
はぁーっ、長かったです。
書き終わらせるまでの期間と、、、、分量が。

2006年の旅行の感想とエピソードその20──ブカレスト(1)都会はやっぱり油断ならない!

イソップ童話に、「町のねずみ 田舎のねずみ」という話がありますね。
今回の旅行の最後の目的地ブカレストに初めて足を踏み入れた私の心境は、
「おいらは田舎のねずみだぁ」
というものでした。

ルーマニアはヨーロッパの田舎───というステレオタイプが頭にこびりついて離れなかった私です。
ルーマニア第2の都市ブラショフの都会ぶりにも驚いたくらいですから、ブカレストではさらに驚きました。

さすが、メガロマニアといわれたチャウシェスクが強行した都市計画の爪跡が残る首都です。

ブカレストの玄関ともいうべきノルド(北)駅から、町の中心の繁華街のひとつヴィクトリア通り付近にあるホテルまでの移動では、巨大な国民宮殿に高層マンション・ビルの立ち並ぶ大通り、そして車の多さと渋滞とマナーの悪さ(やたらとクラクションを鳴らす! 信号が青になったら先頭車両以外はほぼ必ず鳴らす!)に圧倒されました。

ほんとうは、今まで訪れたルーマニアの町で、ブラショフはもちろんシギショアラも、ヨーロッパの田舎のステレオタイプどころか、まだまだ都会だったらしいのですけれど。
落ち着いてみれば、私の度肝を抜いたブカレストの都会ぶりは、ウィーンやモスクワやマドリードよりすごいか、というと、そうでもなかったのですけれど。

おいらは田舎のねずみだぁ───と思った理由は、いまから思うに、そんな街並みよりは、哀しいことにまず遭遇した都会らしい抜け目のなさや油断のならないところ、つまり、シギショアラやブラショフのようなのんびりした気分でいてはまずい!───と思った不快な出来事がその大半ではないかという気がしてきました。

たとえば、駅に着いて荷物を持って列車からホームに降りたときから始まった、タクシーの客引きのしつこさ。
そしてノルド駅の検札官の女性の、厳しく冷たい態度。
タクシーに乗ろうと駅構内から出て、すぐ目の前のタクシープールの運ちゃんに交渉したのですが、値段が気に入らず、実際に相場はどのくらいだったかしら、と落ち着いて考えるために駅構内に戻ったとたん、「チケット!」と怒鳴られました。
まさかノルド駅って、その構内に入るだけでも入場料をとるとは思いませんでした。
最初っから、まるで駐車違反車の持ち主か、あるいは万引きでも見つけたような態度(被害妄想、入ってます)。
もっとも、あのときは私も、ニセ検札官を疑っていましたから、疑心暗鬼いっぱいで彼女に抗議しちゃいましたけれどね。
あれが職務上、ふつうの態度だと頭では理解できても、何も知らない旅行者としては、一歩足を踏み入れただけで有料になるとはじめから知っていたら、そんな考え無しに出たり入ったりしないのに!───という不満もありましたから、罠にはめられたような気分。
知らなかったから、今、とっとと外に出ますよ───という言い訳は通じそうにありませんでした。
そんなルールを知らない旅行者狙いであれば特に。
でも、言われた金額は観光地のトイレ代程度で、日本でもホームへの入場料は取ることを考えれば妥当と思い、一応、納得して払いました。

それに、ブカレストの第一印象を悪くしたのは、このエピソードよりも、気のいい顔した愛想の良いタクシーの運ちゃんに、思いっきりボラれたことの方でした。

もっとも、このタクシーの件については、私の油断もありました。
ブカレストで注意すべきことは、スリとニセ警官とぼったくりタクシーと野犬。こう肝に銘じていたはずなのですが、さきほどの検札官とのやりとりと、人の多さと、建物の巨大さに圧倒されていた私は、タクシーに乗るときの注意の半分以上がすっぽり頭から抜けてしまっていました。

それでも、タクシーの車体に注意し、正式なタクシーだと確認することは忘れませんでした。
そしてちゃんと乗る前に値段を交渉しました。
でも、メーターどおりだ、と言われただけで、ああ、この運ちゃんは良心的に違いない、と思った私の、とんだ早合点!

その運ちゃんは英語が話せ、ラテン系らしく明るく、調子のいいタイプでした。
どこから来たの?
バカンス、ビジネス?
日本では何をしているの?
何回くらいルーマニアに来たの?
ブカレストは初めて?
ルーマニアは気に入った?
いままでどこを回ったの?
───このくらいの好奇心に満ちた質問に答えるのは、私もやぶさかではありません。
運ちゃんは車が渋滞していてなかなか前へ進まないことに対して、まるで自分の責任のようにしきりに謝りながら、途中でめぼしい建物を見つけると、「あれは○○だよ」とちょっとガイドきどり。
でも、そのくらいなら、よくあることです。

まあ、そのうちにだんだんと、良かったらブカレストの市内観光ガイドをしてあげるよ、とか、一緒に夕食に行かないか、とか、ディスコに行こうよ、とか、ちょっとナンパめいてきてうっとおしくなりましたが、適当にあしらいました。
「僕は英語が話せるから、同じタクシーに乗るのでも、安心できるでしょ」と自己アピールをして、帰国するときに空港まで行くときはぜひ呼んで欲しい、と電話番号を渡されたのですが、たぶん連絡しないだろうなと思いながら、そのメモを受け取りました。

しかし、ホテルに着いたときのタクシー代の、思ったより高いことにびっくり!
最初に別のタクシーで値段交渉したときの、最低限といわれた値段よりもずっと多いです。
あっちのタクシーにすればよかったと思いながら、ちゃんとメーターにもその金額が表示されていたので、これが都会の物価か、とあきらめて支払いました。

後で落ち着いたとき、ふと、ノルド駅からヴィクトリア通りの大学広場に近い界隈に行くのに、なんでチャウシェスクのあの国民の館の周りをぐるっと回る必要があったのかしら、と不審に思いました。
慌てて地図を確認したら───やられました!
思いっきり迂回コースをとられていたではないですか。

運ちゃんに、「あれが国民の館だよ」と言われて、その噂どおりの巨大さに「ほぉぉ」とひたすら感心していた私のマヌケなこと!
どうりで高いタクシー代でした。
結局、最終日にホテルから空港への移動で利用した30分くらいのタクシー代よりも、このときの駅からホテルまで10分程度のタクシー代の方が高くつきました。
ひょっとしたら、メーターにも何か仕掛けがされていたのかもしれません。
たとえば割増料金用の設定にされていたとか。

白タクだけではなく、正規のタクシーでも油断していればボッたくられる───これは、ルーマニアで気をつけなければならない一つでした。少なくともブカレストのような都会では!

このタクシー・エピソードでの私のミス。
・タクシーの運ちゃんにブダペストが初めてであるとバカ正直に話してしまったこと。
・駅からのタクシー代の相場を頭に入れていなかったこと。
・駅からホテルまでのブカレスト市内の経路を把握せず、任せてしまったこと。

でもブカレストで不快な思いをしたのはこのくらいですんだのは幸いでしょう。
しかも、そのことに気付くまでは、運ちゃんのリップサービスで、そこそこいい気分でいられたのですから。

しかし、運ちゃんが残した電話番号と名前のメモは、ホテルにチェックインしたときに、即効でゴミ箱に捨てました。
当然ですね。

そうそう、不快なことといえば、ホテルの予約に手違いがあったことも、ここに挙げなければなりません。
有名なホテル予約サイトから予約し、前払いもすませていました。
ところが予約したホテルのレセプションでは、「この現地手配会社とはトラブルがあったので、先月、契約を打ち切ったから、予約が入るはずがない」と言われてしまいました。
なんですとーっ!

私が予約したのは2ヶ月前。
すでに支払はすませています。
それなのに……。

ただ、この出来事がそう不快な記憶として残っていないのは、この予約の入っていなかったホテルの人も、現地手配会社の日本人スタッフも、それから帰国後に連絡してきたホテル予約サイトも、それなりに丁寧に対応してくれて、まあまあ迅速で、そんなにものすごく待たされたというかんじがしなかったからです(待つしかない、と開き直っていたにせよ)。
ホテルのレセプションの人は、すぐにバウチャーにある連絡先に連絡してくれました。
日本人スタッフは、手違いのことをまず丁寧に謝罪してくれて、原因は後で究明するとして、すぐに代わりのホテルを手配してくれました。
その間、私はレセプションのソファに座ってガイドブックを開き、ホテルにチェックインした後のブカレスト観光の計画を立てながら待ちました。
代わりのホテルは、レセプションの構えからすると、もとのホテルよりビジネスライクでちょっとムードがなかったのですが、同じランクで同じような場所で、もとのホテルから5分とかからず、1泊の値段はもとのホテルより2~3千円高かったところでした。
その差額の追徴はもちろんされず、逆に迷惑料として少しだけ返金もありました。

予約の行き違いの原因については、予約サイトの回答によると、ホテル側のオーバーブッキングとのこと。
でも、ならなぜ昼間には到着した私がはじかれたのか、レセプションに予約の記録がなかったのか、よく分かりませんし、本当の原因は今でも怪しんでいますが、少なくともどちら側も予約の手違いのあった客に対する対応としては、真っ当だったと思います。

なので、こういうのも一つの旅のエピソードとして、ブカレストの第1歩を踏んだときの思い出としては、そう悪い印象を残しませんでした。
やっぱりあのボッたくりタクシーの運ちゃんの調子のよさと、そしてなによりも事前にチェック済みだったのにあっさり引っかかった私のマヌケぶりに比べたらねっ!

というわけで、ブカレストに着いて、「おいらは田舎のねずみ」と圧倒された私ですが、でも根っからの田舎のねずみではないことも、実はすぐに自覚することとなります。
なんだかんだいっても都市生活に慣れた私の正体(!?)は、地方都市くらいならちょうどよいと思っている、中途半端な都会のねずみでした。

つまり、やっぱり都会が提供する利便とエンタテイメントが嬉しいのです。
観光でいうなら、美術館・博物館めぐりに教会めぐりに観劇など。そしてお土産屋めぐりにショッピング。
ブカレストでもしっかりこれらを楽しむことができました。
その最中は、ああ、都会って便利でいいな@───と思うわけです。
ブカレストで目をつけていた博物館は、約2日半の滞在では全て回り切れないくらいでした。

なので、今年2007年もルーマニア旅行を考えていますが、国際空港のあるブカレストに寄ることは必須となります。
ルーマニアの観光地としてはあまり人気のないブカレストですが、私は再訪も結構、楽しみにしています。

次回は、そのブカレストで楽しんできたことをご紹介し、このシリーズ「2006年の旅行の感想とエピソード」の最終回としたいと思います。

2006年の旅行の感想とエピソードその19──ブラショフ(2)ガイドブックに載っていなくても見どころぞろい@

ブラン城に行くことも考えて2泊したブラショフ。
プライベート・ルームのオーナーのドライバーとして車をチャーターした形で出かけたので、残り1日半はたっぷりブラショフ観光にあてることができました。

ブラショフはルーマニア屈指の観光地とはいっても、そこはやはり、観光インフラのもっと整った西欧の観光都市に比べると、ガイドブックの記述量からして、それほど見どころが多いとはいえません。
1日半もあれば、時間が余るだろうと思いました。
その分、あれもこれも……と訪れた観光スポットの数を稼ぐのではなく、せっかくデジカメでほぼ思う存分写真が撮れるのだから、写真撮影散策を兼ねてゆっくり過ごしてもいいかな───なんて。

結論からいうと、ブラショフ観光はこのときの1日半では足りませんでした。
のんびり過ごしたには変わらないので、要するに時間配分がうまくいかなかったというべきでしょう。

ただ、その中でも、スファトルイ(中央)広場にある歴史博物館に行きそびれたのが───帰国後にこうやって旅行記を書いたりなどするためにもう一度ブラショフ観光情報を洗い直すと、なんかとても見応えのある博物館らしいのが今更ながら分かって、博物館好きの私としては、時間がたつにつれてどんどん残念になってきました。
ましてや、その扉のすぐ前に行く機会は何度かあったのですから。

でも、あのときは、歴史博物館の閉館は18時と思ったより遅かったので、先にロープウェイでトゥンパ山へ登ることを選んだのです。

紅葉の美しいトゥンパ山の上から待ちを見下ろす魅力にはあらがえませんでした。
もしかしたら歴史博物館は見逃すかも知れないと思っても。

トゥンパ山はハイキングコースでもあります。
しかし、私はふだんからハイキングをすることにないインドア派の人間。
ロープウェイがなければ、いくら見晴らしが良かろうと紅葉が美しかろうと、登ろうとは思わなかったでしょう。
ただ、ロープウェイというのは、そう頻繁に運行しているとは思えません。山の上に何があるというわけでもないのですから。
また、暗くなる前に余裕を持って最終便が出てしまうでしょう。
行くなら早めに行った方がよく、だからあのときは、歴史博物館は後回しにすることにしたんでした。

というわけで、まずはトゥンパ山からの写真をご紹介しましょう。

2006_brasov_07
上から見たブラショフ旧市街近辺。
ブラショフ市はここに見えているだけではありません。なかなか大きな都市でした。
私がいるのがトゥンパ山なので、向かいの山はポスタグァルル山でしょう。
手前のトゥンパ山の紅葉も魅力的でしょう@

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遙か彼方のトランシルヴアニア山脈も見晴らして
ブラン城は方角的には、たしかこの写真の左上の方向。
もちろん欄外です。

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これは何か分かりますか。
実は前回、トゥンパ山の紅葉が美しいと示すために紹介した写真↓

2006_brasov_02

あのBRASOVという文字の裏側です@

2006_brasov_10
帰りのロープウェイの窓から。
「モーゼの海」状態@ なんちゃって。

ロープウェイの行きは女の子10人近い集団と一緒に乗り合わせたのですが、帰りは私1人でした。
ロープウェイのドライバは、最初、「1人じゃ運行しないんだ」とイジワルを言ったり、切符もぎりのときは、「あなたのために特別に運行するんですよ」と言ったり@
まあ軽い冗談として私も笑ってすませましたけどね。

トゥンパ山に上ったのは15時頃。下りたのは16時です。

では、その前は何をしていたか?

もちろん、スファトルイ広場の観光です。
といっても中に入って見学したところは「黒の教会」くらいですけどね。
あとは広場で写真を撮ったり、おみやげの屋台の品々を見て回ったり、実際に買ったりもしたり。

だけど、時間配分に失敗したと思うのは、午前中は翌日のブカレスト行きの鉄道(インターシティ)の切符の手配でつぶしてしまったからなのです。

切符は当日に買っても良かったのですが、当日の切符販売は1時間前を切ってから。
そしてブラショフ駅は比較的広く、切符売り場とホームに出るフロアは違います。
重いスーツケースをひきずってえっちらおっちら買いに行くことはしたくありませんでした。
実際には、プライベート・ルームのオーナーが駅まで車で送ってくれて、私が正しい列車に乗るまで見送ってくれたので、きっとえっちらおっちら1人でスーツケースをひきずらずとも、手伝ってくれたろうと思います。
でも、早めに予約を確保して、安心したい気持ちもありました。

鉄道の切符の手配のために、まずはレプブリチ通りの旅行会社を回りました。
しかし、なんとルーマニアでは、旅行会社では鉄道の切符の手配をしてくれないのですね。
2軒目で、C.F.R(ルーマニア国鉄)のオフィスに行かなくてはダメだと教えてもらいました。

ブラショフのC.F.Rのオフィスは、「地球の歩き方」の地図の欄外、11月15日大通りを600m行ったところにあるようです。
2軒目の旅行会社のお姉さんは、タクシーで行けば1分とかからず、1ユーロくらい行けると言ってくれました。
そう、確か1ユーロと言っていたと思います。日本のタクシー初乗り料金に比べたらものすごく安い!って思ったことは覚えていますから。
しかし逆に、1分とかからないのなら、地図欄外600mくらい、そんなラクしないで、歩いて行こうと思ってしまいました。
それが運のつき!

たしかに観光で半径600mくらいは軽く歩き回るでしょう。
しかしブラショフのような大きな都市で、とりわけ観光地でもなんでもない郊外600mは、思ったより距離がありました。
600mって、あんなに遠かったですっけ?
私は自分の足を過信していました。
片道30分もかかってしまったとは(泣)。

しかも、ルーマニアの現代都市の一般家屋を横目でみながらの散策は、特に他の国と変わったものを見つけられたわけでもなく、しかも11月15日大通りは排気ガスのくさい車通りの多い道。
時を忘れたような旧市街とのギャップは大きく、往復1時間近くかけて歩いたのも悪くなかったと言い切るにはきついものがあるかも。

でも、転んでもタダではおきなかった私!
いや、別に転んでないし、インターシティの予約はちゃんととれて切符は買えましたけど@
途中でルーマニア正教会を見つけたのです。

2006_brasov_11

一見すると普通の家屋に見えましたが、十字架がやはり目印です。

この教会は、たぶん、ルーマニアの詳しいガイドブックでもわざわざ掲載される教会ではないかもしれません。
旧市街からちょっと離れていますし、だいぶ内装は新しかったです。だからといって由緒や歴史ある教会ではないとはいい切れないのはもちろんです。

しかし、ルーマニアへ来て、ルーマニア正教会の魅力に目覚めた私。観光スポットとして特に取り上げられないものだとしても、逃すのはもったいないです。
旧市街に戻る帰り道に中に入ってみました。

まずは入口の前の木の彫刻
2006_brasov_12

これはルーマニアのあちこちで見かけたのですが、一体何なんでしょうね。
教会以外でも、ブラン城の入口でも見かけましたし、ブラショフの町中でも見かけたので、教会の前だけにあるとは限らないようです。

さて、この教会は、実は2階に入口がありました。ちょっと面白いです。
2006_brasov_13

中を入ってみると……。
2006_brasov_14

奥ではミサの最中でしたので、左の部屋に入ってみました。
わおっ。

2006_brasov_15
なかなか豪華なイコノスタシスと、ぎっしりの壁画@
これだからルーマニア正教会はたまりません!

天井ドーム部分の「荘厳のキリスト」の絵
2006_brasov_16

イコノスタシスの前の聖母子像のある台
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このように、なかなか楽しい時間を過ごすことができたのですが、おかげでスファトルイ広場に戻って、さて本来のブラショフ観光スポットの観光を始めよう、というときには、すでにお昼を過ぎていました。
だから、黒の教会を見学した後、トゥンパ山の方に行ってしまえば、歴史博物館を逃すのも無理なかったのです。

いや、実は、トゥンパ山から下りた後、まだ4時すぎだったので、歴史博物館に駆けつければ、見学できたに違いありません。

実はここでも、私は二者択一の選択をし、歴史博物館の方を切り捨てたのでした。
スケイ地区の聖ニコラエ教会に行くことを選んだのです。

聖ニコラエ教会は、前回紹介したこの写真の教会です。
2006_brasov_03

トゥンパ山の上から見下ろすことができたので、こちらの方がぜひとも行きたくなってしまったのでした。
だってこれもルーマニア正教会ですもの!

それに、中世にドイツ人が入植してきたときに、先住のルーマニア人が追いやられたスケイ地区というのも、歩いてみたかったのです。
そのエリアが必ずしもその当時のままと思っていたわけではありませんが、聖ニコラエ教会に着くまでも、しっかり収穫がありました。

色鮮やかなシナゴーグ。中に入れなかったのが残念!
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かつて先住のルーマニア人がくぐることが許されなかったスケイ門。
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でもこの門よりも可愛いくて撮影意欲が刺激されたのは、お隣のエカテリーナ門の方@
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そしてとある家屋の窓にて。お気に入りの写真です@
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聖ニコラエ教会は、ガイドブックにわざわざ紹介されている教会だけあって、さすがに見応えありました。
年季を感じさせる厳かな雰囲気は、11月15日大通りの教会にはなかったものです。
そして目を奪われるすばらしい壁画やら装飾やらの数々。
教会内部に入る玄関のようなところの、ルーマニアの歴史を描いたと思われる大きな壁画。
撮影禁止だったのが残念!

代わりに、というわけではありませんが、裏手の墓地散策して写真を撮りました。

墓地に至る門。しっかり壁画が施されていて、なかなかカラフルでした@
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墓石に夕日が反射して
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ルーマニアの棺は、なぜフタがないのが多いのでしょう。
蘇った死者が出やすくするため!?
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ちょっと格上というかんじの、VIP墓地!?
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しかし、そもそも、切符を買うために余分に1時間歩いたのと、教会を1つ見学したくらいで、午前中がつぶれてしまうものでしょうか。

まあ、その原因の一つは、はっきりいってあんまり早起きしなかったからですね。
起床は9時15分。
プライベート・ルームでは朝食は出ませんから、レプブリチ通りのミティティ(挽肉料理)の立ち食い屋台ですせようと宿を出たのが10時15分。
ほんと、のんびりしてしまいましたねぇ。

そして実はさらに、中央公園に着く手前で、もう一ヶ所、墓地散策をしているのです。

それは、前日から気になっていた墓地でしたが、どこから入ればよいのか分かりませんでした。
今朝は、もしや、と思って、少しだけ開きかけていた、よそのお宅のガレージのための木戸の中に入ってみたら……その中には何軒かのお宅があって、共有のお庭みたいになっていました。
そこから墓地に入るようになっていたので、完全な私有地ということはないでしょう。

そんなガレージっぽい木戸は、プライベート・ルームのあるデ・ミジュロック通りや、そこから中央公園までのルンガ通りたくさんありましたが、あれは必ずしも一軒のお宅のガレージではなかったようです。
実はプライベート・ルームもそんなかんじだったので、もしかしたらと思い当たったのです。

で、これがその墓地で撮った写真です。
ここにもフタのない棺がずらり……。
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井戸と如雨露
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背景の紅葉が美しいです。なかなかお洒落な写真になったでしょ@
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墓地の手前の共有エリアの花壇に、子猫がいました。
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こんな寄り道もしていたので、屋台で朝食を食べるのも昼近くになってしまいました。
その後、切符の手配をするためにまずレプブリチ通りの旅行会社を2軒周り、それから往復1時間かけてC.F.Rのオフィスに向かったのです。

というわけで、ブラショフ2日目をわざと順不同に書きましたが、この日の行動を素直に順番どおりに挙げると、こうなります。

・中央公園のそばの墓地散策(入口で子ネコを見かけたところ)
・レプブリチ通りの屋台のミティティとパン屋さんの焼きたて朝食&旅行会社2軒をまわる
・11月15日大通りのC.F.Rのオフィスでインターシティの切符を手配
・11月15日大通りのルーマニア正教会
・レプブリチ通りのトルコ・ファーストフードMADOのケーキセットで一休み
・スファトルイ広場と黒の教会見学
・トゥンパ山へロープウェイで&そこからBRASOVの文字の裏まで山歩き
・スケイ地区の聖ニコラエ教会と裏の墓地散策
・スケイ地区からスファトルイ広場へ戻りがてらの街角写真撮影散策
・スファトルイ広場で夕食
・スファトルイ広場付近で夜景撮影

こうして振り返ってみると、帰国後の今は、歴史博物館を逃したのが惜しい惜しいと思っていても、何度も選択肢があって、そのたびに切り捨ててきたんでした。
でも切り捨てざるを得なかったという意味では、1日半でもブラショフ観光には足らなかったと言えます。
実は、ブラショフでは、はじめからあまり行くつもりのなかった要塞博物館というのがあるのですが、要塞跡など、なかなかすばらしくて写真の撮り甲斐のある観光スポットだったことを、後で知りました。

とはいえ、やっぱりなんだかんだと、のんびり有意義な時間を過ごすことはできたといえるでしょう。
人生は、取捨選択の連続です。

次回はやっと最終回のブカレストとなります。
1回ですませるか、2回に分けるかは、私自身にとっても、書き始めてのお楽しみです@

2006年の旅行の感想とエピソードその19──ブラショフ(1)紅葉のブラショフとトランシルヴァニア地方の鉄道の旅

前回のブラン城エピソードの最後で触れましたが、10月下旬のブラショフは、紅葉が本当にすばらしかったです。
ブラショフは、トゥンパ山のふもとにあるということは知っていました。
トゥンパ山も、ケーブルカーでちょいと登って見晴らしを楽しめる程度の、町の観光ハイライトの1つになっていることも知っていました。
ほぼ歩行者天国となっていた目抜き通りのレプブリチ通りをスファトゥルイ(中央)広場めざして歩いていると、あるいはかつてのルーマニア人地区であったスケイ地区へ向かって歩いていると、ひょいと左手を見れば、交差する道の突き当たりが、すぐトゥンパ山でした。
壁のように迫り、立ちはだかっていました。
山頂近くに、BRASOVという白い文字を抱いて。
それが、赤・黄・緑と、とてもカラフルでした。

レプブリチ通りを歩いているときに脇を見ると……。
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ケーブルカーとBRASOVの文字が見えます。

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スケイ地区の聖ニコラエ教会と紅葉のトゥンパ山。

中央公園の緑も、とても爽やかで、木々もカラフルでした。

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秋に旅行した醍醐味ですね。
この年の旅行は、都合で夏から秋にシフトせざるをえなくて、日照時間が短くなり、ひいては観光できる時間が減ることを嘆いていたのですが、紅葉の秋に旅することができて、本当に良かった、と、このときほど思ったことはありませんでした。
さすが、プライベートルームのオーナーが自慢するだけのことはあると思いました。
次の都市ブカレストでは、こんなに紅葉を楽しむことはできませんでした。
積極的に公園に行けば別でしたろうけど。

ブラショフには2泊しました。
シギショアラを8時32分発のインターシティで発ち、10時半にはブラショフに着きました。
切符はシギショアラ駅の窓口で買ったのですが、座席予約必須のインターシティの切符を当日に駅で買う場合は、駅の窓口に限り未だに電話予約システムになっているため、出発1時間前を切らなくては買えません。
(街中のルーマニア鉄道C.F.R.のオフィスや旅行代理店を使えば、もっと前から予約可能です。)
1時間半近く前に駅に着いたとき、そのことは知っていたので、まだ切符は買えないだろうなと思いつつ、窓口に立ちました。
案の定、あと30分たたないと買えない、と言われましたが、まあ10月後半のシーズンオフめの時期ですし、予約がとれないことはなかろう、と、それほどやきもきせずに待つことができました。
切符売り場のすぐ脇にイスがあって、ちょっとした待合室のようになっていたのも幸いでした───扉はないので、ちょいと寒かったですけど。
日記を書いたり持参の資料で観光の予約をしたりしていると、一人旅でもこういう待ち時間はあっという間にすぎてしまいます。
それに切符売り場のお姉さんは、1時間を切って私がもう1度窓口に行く前に、すでに切符を手配していてくれました。
ほら、1時間前になったからといって、急かすようにぴたーっと窓口に行くのもなんだかなぁと思ったので、数分はおいたのです。
なにしろ、行く前にネットのHPやブログやクチコミでチェックした限りでは、ルーマニアはお店の店員や鉄道の窓口などの公務員には、まだまだ社会主義的なところがあるらしいときいていましたからね。資本主義的なサービス、というより、せっかちな日本人に応えるくれる迅速さを当然なものと期待しちゃいかん!と自分に予防線を張っていました。
だから再び窓口に立ったとき、お姉さんがにっこりして、すでに予約がとれて、車両と座席番号が手書きで書かれた切符をハイッと渡してくれたときは、嬉しかったですねぇ。
まあ、他にだぁれもいない早朝の駅でしたので、お姉さんもヒマだったかもしれませんけど@

切符は、なんかものすごーくなつかしい、手書きのボール紙でした。

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なつかしいというか、もう記憶も定かでないごく小さい頃に、こんな切符が使われているのを見たような気がうっすらするというか。
それとも日本ではなく、昔の海外旅行先のどこかで見たのかしら、こういう切符。
検札も小さなパンチで穴を開ける、昔懐かし様式。
あんまり懐かしいものだから、写真を撮ってしまいました。

ちなみにインターシティの中は、次の写真でおわかりのように、ごくごく現代的な、とてもきれいで快適な車両でした。

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ルーマニアの鉄道は、本やブログやクチコミで拾った情報によると、とてもボロくて、ダニが出るので、虫除け必須!
と思っていましたが、2等車であっても座席予約がいるような急行は、とてもきれいな車両でしたね。
予備も含め、120mlくらいのボトルの虫除けを2本も持参して行ったのですが、結局、使いませんでした。
もっとも10月という季節のせいかもしれません。

シギショアラからブラショフへの移動は、トランシルヴァニア地方を突っ走ることになります。
トランシルヴァニア地方といえば、やっぱりすぐに連想してしまうのが、ドラキュラ伝説。
ブラン城は、ドラキュラ小説の舞台のモデルだったとはいえ、その雰囲気はまったくありませんでした。しかし、このときの列車の車窓から見たトランシルヴァニア地方は、これぞドラキュラ映画のオープニングにふさわしい!と思えたシーンが連続していました。
特に、朝もやの中のも、霧深い山岳地帯では、幽玄な雰囲気をたたえた景色をたっぷり楽しむことができました。

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まだ霧深い朝。

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小高い丘には霧がかかっています。

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霧が晴れて、平原へ。

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すっかり明るくなりました。
牛が草を食べています。

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山影が……。

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おおう。

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おおう。

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山岳地帯を抜けて。

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再び明るくなりました。
すばらしい紅葉です。
馬車がパカパカ。

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村はずれの池。

もともとトランシルヴァニア地方は、平原の多いハンガリーと違って、山あり谷ありで、景色はヴァラエティに富んでいたのでしょう。
そこへ、薄暗い朝が明けて、どんどん明るくなる光と天候の変化が加わったのですから。
車窓の外をずっとずっと飽きずに眺めてしまいました。
そして今回は初デジカメ持参の海外旅行で、バスや列車の車窓の写真をたくさん撮ったとはいえ、やはりこのときの約2時間の移動が、一番たくさんシャッターを切ったと思いますし、自分なりにOKの出た写真が一番たくさん残りました。

以上、ブラショフについての今回のエピソード、美しい紅葉に引き続き、観光の話をしようとしたのですが、後半はトランシルヴァニア地方の列車の旅の話になってしまいました。
ブラショフ観光については、次回にしましょう。

ブラショフでは、着いて宿を決めたその足で、昼食もとらずに早速ブラン城へ、プライベートルームのオーナーに連れていってもらってさっさと観光を終わらせたものですから、2泊したうち丸1日半たっぷり、ブラショフ観光に当てることが出来ました。
なので、冒頭で触れた、紅葉の美しいトゥンパ山にも、ケーブルカーを利用して登りました。

2006年の旅行の感想とエピソードその18──ブランのブラン城

ドラキュラ城として知られるルーマニアのブラン城。
今回のハンガリーとルーマニア旅行のうち、ルーマニアについては、いずれ再訪するつもりで、どんなかんじかなぁと小手調べ感覚でした。
だから、ルーマニア観光といえばお約束といえそうな有名なところを予定したのですが。

折しも、この旅行に行く約4ヶ月前の2006年5月下旬、ブラン城は約60年ぶりに、ルーマニア政府から、元の持ち主のハプスブルグ家の末裔に返還された、というニュースがありました。
ブラン城は、共産党に没収された後に荒廃が進んでいたところ、1980年代後半から修復工事が始まり、1956年から博物館として一般公開されたそうです。
ハプスブルグ家の末裔に返還されるとはいえ、今後3年間は、改築など一切加えずに、一般公開される約束だそうです。
3年後の2009年から、この城が一切、一般公開されなくなる───という可能性はなきにしもあらずなので、今のうちに、という気持ちで今回の旅程に加えることに決めました。

そして実際にブラン城に行ってきて、いま、とても後悔しているのは───イリアナ王女の写真の写真を撮ってこなかったことです!

なぜ、あのとき、いいやと思わず、念のために撮っておくことをしなかったのでしょう。
城下に群がるおみやげ屋の中で、ブラン城のパンフレットをあさり、その中にきっとあるに違いない、と思ったからといって、デジカメですもの、メモリを節約したくて写真をダブらせたくないのなら、パンフレットにも写真があると確信できた後で、撮った写真を削除すればすんだことだったのに。

イリアナ王女とは、ハプスブルグ家の王女で、1948年にブラン城が当時の共産党政権に没収されるまでの城の最後の持ち主です。
14世紀に建てられたブラン城は、1920年から1947年まではルーマニア王国の夏の離宮として使われていました。マリー王妃のお気に入りの城だったそうです。
今、見られる城は、ほぼ、そのルーマニア王国の夏の離宮時代当時の姿のようです。
だから、ドラキュラ城というよりも、むしろ、女性が好みそうな可愛い城だということは、行く前から知っていました。
マリー王妃はお気に入りのブラン城を、末の娘であるイリアナ王女に遺しました。

というわけで、坂道を登り、急な石段の先の入口のチケットもぎりのすぐ後で、壁にたくさんの母娘の写真が飾られていましたが、それはきっとマリー王妃とイリアナ王女だろうと見当がつきました。
もっとも、マリー王妃の名前だけは覚えていたのですが、イリアナ王女のことは忘れていたので、写真の母親と娘のどちらがマリー王妃か見当がついたのは、帰国後に、ブラン城を含むトランシルヴァニアの城について書かれたカラーのパンフレット英語版を読んでからでした。
きっと母親の方がマリー王妃で、娘の方がイリアナ王女でしょう。
ルーマニアの民族衣装を身につけた、セピア色の写真の中でほほえむ美しい母娘。
イリアナ王女は、10代後半から20代前半くらいに見えました。
それはもう、とっても可愛らしい人でした。女の私の目から見ても。
ルーマニアの民族衣装も、とってもよく似合っていました。衣装も、どことなくエキゾチックで、すてきでした。
話のタネに、一枚、写真を撮ろうと思いました。
しかし、結局、撮りませんでした。

なぜか?

さきほど書いたとおり、ブラン城のパンフレットを買えば、必ず載っていると思ったのです。
それは、ルーマニア人はブラン城を、ドラキュラ城というより、むしろルーマニア王国の離宮だった、とみているのではないかと思ったからです。
ブラン城は、ルーマニアの中では最も人気の観光地の1つであるにもかかわらず、アクセスが不便なことは、そのせいだろうと思っていました。
ルーマニアといえばドラキュラをすぐ連想するのは、ルーマニアをよく知らない外国人であって、ルーマニアの人はそんなにドラキュラ伝説の国として自国を意識していないでしょう。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」(1897年)がルーマニア語に翻訳されたのは1990年に入ってからだったそうです。
それに、ドラキュラのモデルであるヴラド・ツェペッシュは、ルーマニア人にとっては、オスマントルコの植民地状態だったワラキア公国(現ルーマニア南部)からオスマントルコ兵を退けた英雄なのです。

でも、やっぱり外国人観光客が群がるとなれば、観光客の期待に添った、分かりやすいステレオタイプが優先されるものですね。
城自体は、本物の城は修復して博物館としたものなのでそのようなことはありませんでしたが、おみやげ屋やパンフレットを含むそこの商品は、まずはドラキュラ伝説をきっかけに訪れる観光客向けの商売なのですから。
ブラン城は小高い丘の上にある、いわば山城でしたが、そのふもとの駐車場付近にずらっと並ぶおみやげ屋は、ドラキュラグッズだらけ。
いざ、パンフレットを買おうと本を手にとっても、ぱらぱらと見た限り、ドラキュラ城との関わりばかり全面に出されていました。
ただし、もっとまじめな内容───すなわち、ブラン城はヴラド・ツェペッシュではなく、そのおじいさんのミルチャ公の時代にワラキア公国の支配下に入った城であって、ミルチャ老公は居城としたかもしれませんが、ヴラド・ツェペッシュは住んだことはなかった可能性が高い、というドラキュラ伝説と史実の違いを解くような、きちんとした解説がなされていたようです。

だけどだけど!

そういった本に、共産党に没収される前の城の最後の持ち主の写真が一枚もないのは、なぜ?
チケットもぎりの入口のところや、中の部屋でも、2人の写真は結構たくさん飾られていたのに。
マリー王妃お気に入りのゴシックな内装の写真があるなら、あれだけたくさん飾られていた王妃と王女の写真だって、パンフレットに一枚くらいあってもいいんじゃない?
ふもとのみやげ屋で売られていたブラン城の本は何種類かありましたが、そのどれにもイリアナ王女の写真はないと分かったときのショックと来たら!
城見学を終えて出てきてしまったので、すでに後の祭り。
城内で一枚くらい、彼女の写真を撮っておくんだった、と何度後悔したことか。

しかし、帰国した後、ネットで調べればいいんだと気付きました。
調べてみると、日本語サイトに限らなければ、結構あるものですね。
中でも写真が見やすいサイトのURL

「ルーマニアのイリアナ王女」フリー百科事典ウィキペデア英語版より
イリアナ王女フォト・インデックス

上記のフォト・インデックスより
ブラン城で見た写真は、たぶんこのあたり。特に最初の写真が撮りたかったのです@
イリアナ王女その1
イリアナ王女その2
イリアナ王女その3
イリアナ王女その4
マリー王妃と

「ルーマニアのマリー王妃」フリー百科事典ウィキペデア英語版より
マリー王妃フォト・インデックス
(これはNextボタンのリンクがちょっとうまく機能していないみたいです。)

上記のフォト・インデックスより
二番目の写真はブラン城でも見た気がします。うっすらと。
ブラン城とマリー王妃
マリー王妃

おかげで記憶が更新されました@
でもやっぱり自分のカメラで撮っておきたかったかも。
買ったパンフレットに写真があれば、それを使って、デジカメのメモリ残量が気にならない帰国後に、写真の写真を撮るつもりでした。

ブラン城は、別にドラキュラのお城と思わなければ、興味深いお城でした。
オレンジの瓦屋根に、真っ白な漆喰とむき出しの木組みがとても素敵です。
とんがり頭の塔が、とても愛らしいです
東欧によくある、さまざまな建築様式が組み合わさった折衷様式とのことですが、自分の撮ってきた写真や、ポストカードや本の城全体の写真を眺めると、折衷様式というより、各時代の建築様式のいいとこ取り、そのまんまくっついただけに見えます。融合も妥協もせず、とにかくそれぞれの様式がそれぞれの方向を向いて自己主張しながら、お尻だけはくっつけといた、というかんじ@

城を見学しながら撮った写真はポストカードや本の写真のような全体像は撮れませんでしたが、次の写真から、いろんなパーツをくっつけた、という様子が分かるでしょうか。

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ブラン城を見上げて。
あたりの紅葉がすてきなので、ファインダーがちょっと主役からずれがち@

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ムーミンのスナフキンみたいなとんがり帽子屋根の塔を中心に。
背景の紅葉の山も、とってもすてき@

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巣箱みたいな煙突に、三角錐の屋根が可愛い鐘楼。

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まさに増改築を繰り返したというかんじ。

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井戸のある中庭。

中は、ゴシック様式のアンティークな家具が残っていて、古風でいい雰囲気で、居心地良さそうな城でした。
アンティークな家具は、マリー王妃の趣味が反映されているそうです。
彼女は、ドイツやイタリア、そしてルーマニアの伝統文化をとても愛していたそうです。

室内の写真はあまりたくさん撮らなかったのですが、たとえばこんなかんじ@

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ベッドルームです。

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背もたれがなんともいえないアンティークなイスに、タイルの美しいストーブ。
奥の戸棚も、思いっきりアンティークです@

ブラン城のふもとは、ちょっとした野外民俗博物館になっていました。様々な地方の建築スタイルで造られた農家が移設されているそうです。
ハンガリーのセンテンドレ野外博物館のように中まで見学できる建物はありませんでしたが、なかなか興味深かったです。
もっとゆっくり歩きたかったですね、車を待たせていなかったら……。

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それにしても、ほんと、背景の山の紅葉が見事です。
埼玉に住んでいる私ですが、これだけ見事な紅葉スポットというと、秘境とまでいかなくても、かなりアクセスに時間のかかるところまで出かけないと見られません。
そりゃ、冬の澄んだ空気のもとでは、ちょっと出かければ秩父山脈が見えるところに住んでいますけど、紅葉してるんじゃないかなぁと思われるときでも、遠くから眺める秩父は青いです。

といわけで、ブラン城も素敵だったけれど、周りの紅葉もステキ!
と感想を述べたら、
「マイ・タウンの方が紅葉はもっときれいだよ」
と言われました。
誰に?
ブラン城まで連れていってくれた、ブラショフのプライベート・ルームのオーナーに。
タダで連れていってもらえたのではなく、オプショナルツアーという形で、ちゃんと別途、お支払いしましたけど、ブラン城へのアクセスは不便だと知っていたので、お金より時間と手間を省くことを優先したんです。
ブラショフから1時間に約1本のバスで30分、というのはいいにしても、そのブラン行きのバス停が、ブラショフの中心地からかなり離れているそうなのです。

ちなみに、オーナーの言う「マイ・タウン」とは、もちろん、ブラショフのことです。
確かに、山のすぐふもとにあるブラショフの町で見る紅葉は、さらに素敵でした。
ブラショフの感想は、次回へ。

2006年の旅行の感想とエピソードその17──シギショアラ(2)てっとり早く、写真で紹介

シギショアラは世界遺産の町です。
となれば、寝台車で到着したときのびっくりエピソードで終わらせて、街の紹介を一切しないのは、片手落ちでしょう@

シギショアラでは、時間を持て余したといえるし、足りなかったとも言えます。
いわゆる世界遺産に登録されている旧市街のど真ん中、城壁内で城山のようになっているところでは、時計塔にも入れず、歴史博物館にも入れず、大聖堂も修復中で入れず、「なによぉ、見るところがないじゃん!」───と、すぐに飽きてしまったのです。

シギショアラでは、そのようなところはあまり当てにしてはいけないのでした。
もちろん、入れたら入れたで、面白くて気に入ったかもしれませんが……。

見るところがないじゃん!───などと、バチ当たりなことを考えたのは、実はそれまでに見ることができたものは、もう私の中で過去にしてしまったからなのです。
シギショアラでは城壁内が一番のハイライトと思っていたので、そこにたどり着くまでに見てきたものを、その段階ではただのプロローグと考えてしまったからいけないのでした。

まず、駅前から城壁に至る住宅街は、それほど古い町並みではありませんでしたが、とても興味をそそりました。
ふつうの住宅地を散策するのも、楽しいものです。それが初めて足を踏み入れた国であるなら、なおさらです。
漆喰がはげたところがある、とか、洗濯物はかなり年季の入ったものがぶら下がってる、とか、庭の花壇はどちらかというと空地に自然に草花が生えたように見える、とか、気取ったところがなく、それでいて見苦しいということは全くなく、のどかでホッとする住宅街でした。

かと思うと、城壁のすぐ周辺は、18世紀かそこらのバロック様式らしいパステルカラーで洒落た化粧漆喰装飾のある家がメインストリート沿いに並んでいました。
夕食を終えてホテルに戻る道すがら、そういう家並みの写真を撮るのに夢中になりました。

そして、何よりも、初めて目にするルーマニア正教会!

それまでのハンガリー旅行の約2週間。
見てきた教会はほとんどカトリック教会や修道院だったため、外観は、もっと西のヨーロッパ諸国でよく見にするタイプのものが多かったです。
でもルーマニアで目にした正教会は、私にとってあまり見慣れない東方教会らしい建物です。

シギショアラで真っ先に目にした2つの教会は、これです。

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もっとも、これは実はルター派の教会のようでした。中は見学できませんでした。
でも、なぜかルーマニアでは、教会のそばにこのように柳のような木が生えているところをしばしば見かけました@

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こちらはルーマニア正教会です。こちらも柳のような木がそばに生えていますね。
それにしても、どうです、この涼しげなお姿!

そして、教会の前にある、墓標のようなもの。

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ほぼ必ず見かけましたね。さきほどのルター派教会にもありました。
たいていこのような美しい木浮彫りのものでした。

そして教会の内部の豪華なこと!

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天井
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東方教会は、カトリックと違った豪華さがありますが、ルーマニアでは、正教会は、訪れてみて外れは絶対にない!と思いました。
20回以上の海外旅行、7割くらいはヨーロッパばかりで、教会巡りを欠かさなかった私にとっても、新鮮なところばかりでした。

壁一面のフレスコ画や、柱などに施された美しい模様。
昔からずっと同じスタイルを守っているため、古めかしく、独特の雰囲気のあるイコン(聖人画)。
すばらしい木彫りの王座や信者席。
ミサのときにアカペラのように節をつけて祈りを捧げる人たちが使う書見台。
そしてハイライトは、やっぱり、イコノスタシスでしょう。信者と司祭のいる場を隔てる、イコンがたくさんの豪華な衝立てです。
(イコノスタシスいう言い方は、むしろロシア語系かな?)

イコノスタシス
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というわけで、旧市街の城壁のあたりにたどり着くまで、来て良かった!と感動していたものなのですが……。
城壁内もそう広くないので、すぐにぐるっと回れてしまいます。
でも、中に入れる観光スポットを探していた私の目に、街並みの美しさはちゃんと写っていなかったみたいです。

気を取り直して、お土産屋さんを冷やかしました。
私がここ数年、東欧旅行に夢中になっている理由の1つに、可愛い民芸品がありますが、ルーマニアも期待以上でした。
手作りのお土産、ハンドペインティングのもの、民族衣装───といった商品を眺めていると、民俗博物館に入っている気になります。
そうそう、シギショアラは、ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペッシュが生まれた場所なので、ドラキュラにちなむ商品もいろいろあって、なかなか楽しかったです。
いかにも観光客狙いのようなものであっても。
民芸品───というか伝統工芸だって、今や、観光客が買うことで生きながらえているところがあるでしょうしね。

そして、シギショアラの名物の1つ、屋根付階段を上って、山上教会を見学し、ついでだから、と裏の墓地を散策し始めたあたりから、こういう街での観光の仕方を思い出しました。

時計台に入れないことがなんだ、博物館に入れないことがなんだ!
時が止まったような古い街並みや墓地散策こそ、この町の魅力じゃなかったか。
だいたい世界遺産に登録されているわけも、観光魅力ではなく、よく保存された古い街並みじゃないか。

そして私がシギショアラに行きたいと思ったのも、「地球の歩き方」の誘い文句に惹かれたせいなのです。
「ルーマニア人が観光客に必ずすすめる町、シギショアラ(中略)。現在も中世の面影を色濃く残した町並みには、観光地化されていない素朴な魅力が残る。」
(「地球の歩き方 ルーマニア・ブルガリア ‘05〜06年版」より)

いうなれば、日本人が外国人観光客にまずすすめる町は、京都とか奈良とか挙げるのと同じなのかしら。
ルーマニアの観光客向けの魅力をまず知るには、てっとり早いのかもね。
そう思ったわけなのです。

しかし、この「観光地化されていない素朴な魅力」というのが、ほんとのキーワードだったんですよね。

そう気付くと、あたりを見る目が変わりました。
街並みのどこもかしかも絵になるのに、これでなんで「時間をもて余してしまいそう」と思ったのでしょう。

シギショアラのシンボルの時計塔
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城山の城壁から
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石畳の旧市街
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城山のすぐ下のヘルマン・オベルト広場に面した美しい館
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目のような、屋根裏の明かりとりの窓
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カラフルでお洒落な家が並ぶ1918年12月1日通り
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屋根付き階段
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山上教会裏手の年季の入った墓地
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終わりよければ、全てよし───かな。
何にあこがれてこの町に来たんだっけ、ということを思い出せば、求めたものはちゃんとあったのです。
私はルーマニアの田舎の町では、ルーマニアらしいのんびりした街並みや風景を楽しみたかったはずです。

あ、といっても、シギショアラを含む、今回の旅行で回ったトランシルヴァニア地方は、かつてはハンガリーでした。
ルーマニア領になったのは第一次世界大戦後のことです。
さらに歴史を遡ると、めぼしい町のほとんどは、ドイツ人入植者によって造られたところばかりです。
だから、ルーマニアらしい街並みや風景っていっても───ドイツらしさやハンガリーらしさとチャンポンかもしれません。たとえそうでも、私に見分けがついていたかどうか……。
でもこれからおいおい、ぼんやりながらも、少し分かってくるのではないかと期待しています。
要するに、今年か、あるいは今年でなくても近いうちに、ルーマニアを再訪するつもりからでーす@

2006年の旅行の感想とエピソードその17──シギショアラ(1)寝台車で到着して

ブダペストからの寝台車でルーマニアのシギショアラに着いたときは、まだ星空でした。
それは覚悟の上でした。なにしろ朝の4時半だったのですから。

ハンガリーとルーマニアでは1時間の時差があることは勘定に入れませんでした。
車掌さんが、「もうすぐシギショアラだよ」と起こしにきてくれたとき、私の時計では3時でした。
「車掌さん、起こすの、早いよ。もうちょっと寝かせてくれればいいのに」と内心思いながらも、せっかく起こしてくれたのだから、起きました。
1時間以上もあるから───と、のろのろ身支度していたとき、不意に、ひょっとしたらハンガリーとルーマニアには時差があるのかもしれない!と気付きました。

いやぁ、危なかったです。
だって、起きてすぐに列車を降りられませんもの。
降りる前にトイレくらい行っておきたいし、ざっとですが荷物をまとめる必要があります。
なによりも20kgのスーツケースと5kg以上のタウンバッグのフル装備ですから、寝台車の狭い通路から出口まで移動するのだって一苦労です。

列車がシギショアラに着きました。
扉を開けると、足元は草ぼうぼうです。
あれ?───と思って、反対側の扉を開けると、今度は足元は線路です。
車掌さんがやってきて、「こっちがホームだよ」と教えてくれたところは───やっぱり足元は草ぼうぼうなのです。
「えっ? ここ? シギショアラ?」と確認すると、車掌さんはうんうん、とうなづきます。

ひぇぇぇぇぇっ!
シギショアラの駅って、そんなに田舎だったの!?

ルーマニアって、ヨーロッパの田舎って言われているし、シギショアラはその古い街並みが世界遺産に登録されているとはいえ、ルーマニアでは有数の地方都市のはずです。
なのに、鉄道駅のホームは、草ぼうぼう!

車掌さんに手伝ってもらってホームに降り立ちましたが、呆然。
まるで何もない空地に放り出された気分。
空を見上げて、「ああ、星がとってもきれいに見えるなぁ~」と、しばし現実逃避@

シギショアラには朝の4時半に着く計画を立てていながら、ホテルを予約していきませんでした。
駅前にCHICというNon Stop Hotelがあるとのことだったので、それをあてにしたのです。
場所は「地球の歩き方」の地図にも載っていました。

※情報源「ITISトラベルへようこそ」─「ルーマニア」
宿の情報:シギショハラ

ホームに立ち尽くしていても仕方がありません。
それに、幸い、シギショアラで降りたのは私だけではありませんでした。見ると、1組の親子が、やはりスーツケースを持って先へ進んで行きます。
私も駅を出るために、とりあえず彼らの後をついていきました。

草の上をスーツケースを転がすのは一苦労でしたが、よく見ると、草ぼうぼうなのは、ホームの真ん中だけでした。
はじっこにはちゃんとコンクリートのタイルが敷かれていました。
もっとも、そのタイルもぼこぼこなので、草の上の方がよっぽどスーツケースを転がしやすかったです。

そしてしばらく進むと、ガタガタながらもちゃんと舗装されたところにたどり着きました。
まともなホームだったので、ホッとしました。
どうやら私が乗ってきた車両は、ホームのうーんと端に停車したらしいです。

しかし、覚悟していたとはいえ、シギショアラ駅はとても小さく、最低限のものしかありません。
いや、売店はあるだけマシですね。日本の私の自宅最寄り駅の隣は、ひと昔前は無人だったことを考えると。
でも、もちろん、朝の4時半なので閉まっています。
ホテルを探すために身軽になりたくても、スーツケースを入れられるロッカーなどありません。もちろん、荷物預かり所などないですし、たとえあったとしても時間外でしょう。
控え室は、座るところはありますが、扉がありません。10月下旬の夜明け前、そこでじっとしているのは寒いです。というか、そんな気になれません。
さっさと駅を出て、ホテルで休みましょう。

と思ったら!

なんとHOTEL CHICは改装中だったのです。
ががーん!
中は真っ暗で、人がいる気配がしません。
いや、テレビの音がするので誰かいるようなのですが……扉には鍵がかかっています。
Non Stopホテルだろうに~~なんでレセプションが開いてないわけ?!
ひょっとして、改装ついでに、休業中?!
うろうろと窓や扉のガラスから中を覗いて見たり、戸を叩いたりしてみても反応なし。

あきらめました。
旧市街の中心にあるはずの、三ツ星ホテルにすることにしました。
星明かりを頼りに、「地球の歩き方」の地図を見ながら、石畳の坂道を歩きましょう。
30分もあれば、着くんじゃないかしら。
右も左も分からない初めての町で、真っ暗な中を、スーツケースを持ったフル装備で歩くなんて無謀だ!と思われるかもしれません。
でも、夜中ならともかく、夜明け前。町は寝静まっていて、むしろこの時間帯の方が安全ではないかしら。
などと思いながら、てくてくてくてく。

実は、駅前にはタクシーが数台停車していました。
草ぼうぼうのホームにショックを受けたものの、タクシーがいつも客を待っていたことを考えると、例えば2004年に出かけたチェコの世界遺産の町テルチなどと比べると、観光客にとってずっと便が良かったといえるかもしれません。
運転手さんもいました。集まって、おしゃべりしてましたよ。
視線を感じました。
私を見て、何だろう、と思っていたかもしれませんね。

でも、実は、私は、そのときルーマニアのお金を持っていなかったのです!
ブタペストで寝台車に乗るとき、時間ぎりぎりだったせいで、ルーマニアのお金に換金する時間がなかったのです。
ルーマニアもユーロ加入をめざしているため、ユーロ払いでもOKなのは後で知りましたが、このときの私は、歩くしかない!と思いこんでしまいました。

で、がんばって旧市街までてくてく歩いたか、ですか?

幸い、少し歩き出したところで、件のHOTEL CHICの扉が開いて、「エクスキューズ・ミー?」と呼びかける女の人の声がしたのです。
一瞬、幻聴かと思いましたが……慌ててホテルに戻りました@
そうして予定どおり、駅前の安ホテルCHICに飛び込みで部屋を取ることができたのでした。

もっとも、こういう安ホテルというのは、前払いなんですよね。
私がルーマニアのお金をもっていないせいで、レセプションの人を悩ませました。
米ドルはもっていたのですが、ダメでした。
ユーロを持参することを考えないこともなかったのですが、あまりにユーロ高がひどかったので……。
(旅行計画を立てた2006年7月くらいは1ユーロ=約130円くらいだったのに、10月は約150円……。)
なので、換算レートがまだマシな米ドルを、成田空港で調達しました。
ヘンなところでケチって、バカな私。米ドルは、ほとんど使いませんでした。
結局、パスポートを預け、銀行あるいは両替商が開いてルーマニアのお金を手にしたら払う、ということで、泊めてもらいました。

ハンガリーでは、3つ星レベルのホテルやペンションばかり泊まっていましたから、トイレ・シャワーが別で、部屋には洗面台もなく、暖房もない部屋は久しぶりで、ちょっと引きました。
まあ、でも慣れれば天国。
旧市街までスーツケースを持って歩いたり、駅で夜明かしたりすることに比べたら、ちゃんとベッドで一眠りすることができましたしね。

それにしても、このシギショアラのホテルCHICもそうですが、ルーマニアでは時折、NON STOPというホテルだの店だのを見かけました。
私はこれを、24時間営業かと思ってしまい、日本並みのサービスじゃん!と驚いたものですが……察するに、ラテン系の国らしい長い昼休みがないことをNON STOPといっているのではないかと思いますが、どうでしょう。
ホテルCHICだって、レセプションに人が控えてはいたものの、ちゃんと門限があったわけですし、ブカレストで見かけたNON STOP SHOPも、日曜日は閉まっていました。

2006年の旅行の感想とエピソードその16──ケチケメート(2)なんてったって、素朴派美術館

ブダペストからケチケメートに日帰りした2006年10月22日は、ジェールとショプロンの2泊3日とペーチへの1泊2日旅行、連続2方向の地方旅行から戻ってきた翌日でした。
つまり、5日ぶりのブダペストでした。
ケチケメートに向かうためにホテルから最寄りの駅に歩く道すがら、街路樹がだいぶ黄色くになっていることに気付きました。
私がブダペストにいなかった5日間の間に、ブダペストにもすっかり紅葉が訪れていたようです。
ブダペストに着いたばかりの10月はじめは、まだ紅葉というには木々の葉が緑すぎて、少しがっかりした覚えがあります。
それがいつのまにやら───と、感慨深いものがありました。

そして、ケチケメートに着いた私を真っ先に迎えてくれたのが、黄色く色づいた木々でした。
駅前から観光の中心地に向かうところは、公園の林や並木道など緑が豊かだったのですが、その爽やかさに感動しました。
おりしも、風のある日でした。
黄色い葉は、風が吹くたびに、雪のようにはらはらと舞い降りてきました。
ケチケメートではハンガリアン・アールヌーヴォーな建物の写真を心ゆくまで撮ろうと楽しみにしていたのですが、最初に夢中になったのは、そんな緑の世界の写真を撮ることでした。

特にお気に入りの写真はこれです。
ひとしきり降り注ぐ黄色い木の葉のもとで、携帯に耳を傾ける少女。

2006_kecskemet_01

というわけで、ケチケメートに着いたら真っ先に訪れようと思っていたケチケメート・ギャラリーに行くまでも、そこに着くまでの写真撮影で、思ったより時間を食ってしまいました。
でもそれは、とても楽しい時間でした。
いうなれば、期待以上のオードブル、というところでしょうか。

もちろん、その後のメインディッシュとデザートも、予想以上にすばらしかったこと!

メインディッシュは、2004年から目をつけていたミュージーアムでしょう。
4つのうち、3つ見学することができました。ケチケメート・ギャラリーと素朴派美術館と玩具博物館&工房です。
残念ながら民衆工芸博物館は、少し遠かったので、そこまで時間の余裕がなさそうで、あきらめました。
あきらめたそのときは、いくら日帰りで再訪とはいえ、もっと早くに来るんだった、とか、葉っぱの写真に夢中になってないで、さっさと観光を始めるんだった、みたいなことをチラッと考えましたけれどね。

この3つのギャラリーの中で、素朴派美術館は特にすばらしかったです。

もちろん、残りの2つも、なかなか良かったです。
装飾宮殿(Cifrapalota)と呼ばれるケチケメート・ギャラリーは、建物も素敵でした。外側はもちろん、内側も、階段の手すりや窓枠など、そこかしこがもろにアールヌーヴォーでした。
室内のハイライトは、クジャクの間でした。壁と天井の境目あたりに、クジャクの装飾が入った広間です。
展示は、絵画あり、遺跡からのケルトチックな金細工あり、歴史転じらしい物品あり、重要そうな文書あり、ひと昔前の市民の生活を示す衣装や道具、陶器など、ヴァラエティに富んでいました。
その全てが気に入ったわけではないですが、おおむね良かったです。
文書や歴史展示のうち、ハンガリー語が分からなければちんぷんかんぷんなところはスルーしましたけどね。

そして玩具博物館&工房も、可愛いものが好きな私にはたまらない博物館でした。
無料だったことと、写真を自由に撮らせてくれたことも、好ポイントです@
一昔前のおもちゃは、日本的な可愛らしいマスコットが見慣れた目にはやや写実的すぎるのもありましたが、おもちゃらしく愛らしいものがたくさんそろっていました。
入口入ってすぐのガラスケースの中には、日本の人形もありました。
そういった、おもちゃ博物館らしいコレクションも、2部屋分くらいでしたが、なかなかのものでした。
そして、奥の円形の吹き抜けのホールは、工房となっていました。
工房といっても、作品を作っている最中ではなく、手作りか、あるいはハンガリーで流行ったか、一時期商品となったとおぼしきおもちゃが展示されていました。
で、それらが、日本的な可愛らしいマスコットに劣らず、ものすごーく可愛かったのです。
たとえば、こういうの@

2006_kecskemet_02

これは、手を突っ込んで動かす人形です。

ケチケメート観光で一番気に入った素朴派美術館も、写真撮影OKでした。
作品はどれもものすごく気に入ったので、写真が撮れたのは、めちゃくちゃラッキーでした。この上ない収穫です。
ポストカードも買いましたけれど、そんなにたくさんないですからね。
小さな美術館でしたけれど、展示の半分くらい、写真を撮ってしまいました@
そしてデジカメの性能のおかげで、買ったポストカードに劣らぬ、きれいな写真が撮れました。

百聞は一見に如かずなので、そのうちのいくつかの写真をご紹介しますが、見てきっと思います、これは日本人にウケる絵だって!
素朴派と呼ばれる絵といえば、西洋絵画史ではアンリ・ルソーがすぐ思い浮かびます。
あるいはグランマ・モーゼスなどどうでしょう。
そういうかんじの作品ぞろいだったのです。

2006_kecskemet_03

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さて、ケチケメート見学でのデザートは、そうすると教会見学かしら。
これぞヨーロッパ旅行の醍醐味!と言いたくなるような、外側から思いもつかないような夢の別世界が中に展開している教会を、ケチケメートでも見学することができました。写真も撮ってしまいました。
でも、これは期待どおりってところです。

あるいは街並みの写真撮影散策かな。
といっても、これも予定のうちでした。
2004年の初ケチケメートのときにも撮れなかったわけではありません。
でも、プスタ・ツアーのついでに訪れたので、ゆっくり心ゆくまで撮るというわけにはいきませんでしたから、今回の旅行ではとても楽しみにしていました。

そんな街並みの写真も紹介しましょう。
装飾宮殿と呼ばれるケチケメート・ギャラリーと白亜のシナゴーグ、それからハンガリアン・アールヌーヴォーの建築家レヒネル・エデンの初期の傑作である、ケチケメート市庁舎です。
2004年にも写真を撮ってこのブログで紹介しているので、比べてみましょ@

「写真による2004年夏の中欧旅行記(ブダペストその8)ケチケメート」

装飾宮殿(2004年撮影)
2004_KecskemetCifrapalota

装飾宮殿(2006年撮影)
2006_kecskemet_08_cifrapalota

シナゴーグ(2004年撮影)
2004_KecskemetSinagoga

シナゴーグ(2006年撮影)
2006_kecskemet_09_synagogue

市庁舎(2004年撮影)
2004_KecskemetCityHall-1

市庁舎(2006年撮影)
2006_kecskemet_10_cityhall

被写体が同じなので、あまり変わりばえしませんね(笑)。
画質の差は、圧縮率の差です。利用可能な要領が途中でぐっと増えたためです。時代を反映していますね。

一方、日曜日で失敗したと思ったのは、市庁舎内部です。
もともと見学可能な曜日も時間も限られているようでしたが、それにしたって、日曜日でなければ、門からしてしっかり閉ざされて、一歩も中に入れないってことはなかったでしょう。
まあ、根性で、門の隙間のガラスから可能な範囲の写真を撮りましたけどね。

2006_kecskemet_11_cityhall

次回から、いよいよルーマニアです。

2006年の旅行の感想とエピソードその16──ケチケメート(1)再訪したかったわけ

ついに年が明けて、2007年となってしまいました。
2006年の旅行は、「今年の旅行」ではなく、「去年の旅行」と言わなくてはならなくなりました。
もっとも、去年のうちに、この「2006年の旅行の感想とエピソード」が終わるとは全く思っていませんでしたけどね。
でも、あと一息です。

年末年始は、フォートラベルのブログの方をせっせと進めていました。ほとんどどこにも行かず。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/

それにしても、去年の海外旅行では初めてデジカメを持参したので、撮ってきた写真も半端ではありません。
同じ20日程度の旅程で、フィルムカメラのときは36枚撮りフィルム10本余りというところでしたが、去年の旅行では一気に2000枚近くに増えました。
そのため、写真中心のフォートラベルでは、旅行記の作成に今まで以上に時間がかかっています。
でもこれが終わらないと、旅行が終わった気がしないので、がんばります@

こちらのブログでは、フォートラベルのブロクより少し先行させるようにしています。
なので、そろそろケチケメートをアップせねばなりません。

ケチケメートは、2006年の旅行で訪れたハンガリー最後の都市です。
行ったのは、ハンガリーを去り、ルーマニアへ向かう前日です。

ケチケメートは、2004年7月の初めてのハンガリーのとき、ブダペストからのプスタ(大草原)ツアーのついでに訪れました。
ただし、ついでといっても、ケチケメートをひと目でもいいから見たいと思っていたので、どうでもよかったわけではありません。
ブダペスト発のプスタ・ツアーの中から、ケチケメート訪問がおまけについているものがあったからこそ、そのツアーに参加することに決めたのです。
でなければ、センテンドレか、ゲデレー宮殿に行ってましたね。

2004年にケチケメートで私が一番楽しみにしていたのは、ハンガリアン・アールヌーヴォーな建物です。
町のあちこちで見られるそうです。
その背景は、2006年の旅行の下調べのために読んだ「ハプスブルグ帝国を旅する」(加賀美雅弘著・講談社現代新書)にありました。
当時、ケチケメートは、周辺の平原で飼育されていた肉牛によって好景気を迎え、肉牛成金が現われたくらいだったそうです。
そして彼らはその財力を、当時の最新モードであるアールヌーヴォー様式の建築を建てることで誇示したそうです。

そんなハンガリアン・アールヌーヴォーの代表作は、町の中心のコシュート広場にある市庁舎です。
ハンガリアン・アールヌーヴォーの建築家レヒネル・エデンの初期の傑作です。かつ、ハンガリーでも最初のアールヌーヴォーの建物だそうです。
2004年のプスタ・ツアーのおまけで見られるケチケメートは限られていますが、予測どおり、コシュート広場には案内してもらえました。
おかげで、念願の市庁舎を見ることができました。
もっとも、私が思い浮かべていたよりは、おとなしいアールヌーヴォーでした。初期なら、そんなものでしょうけどね。
15分ほどあった自由時間は、トイレにもカフェにもいかず、街並みを見て写真を撮ることに費やしました。
市庁舎の次にひと目でも見たかったのは、装飾宮殿(Cifrapalota)と呼ばれるケチケメート・ギャラリーでしたから。
このギャラリーはコシュート広場から少し離れていました。
地図を眺めたときに、自由時間内に行って戻って来れるか心配したものですが、急げば5分とかからないところにありました。
そして、ケチケメート・ギャラリーと道路挟んで隣に建つ、玉ねぎ型の屋根を持つ白亜のシナゴーグも見ることができました。
シナゴーグがあんなアラブチックな素敵な建物とは、行く前には知らなかったのですが、ケチケメートに到着したとき、ツアーバスの車窓から見つけたのです。
そのときは、ぜひ近くで見て写真を撮りたいと思ったのですが、どこの何の建物か分からなかったので、ケチケメート・ギャラリーのすぐそばにあってラッキーでした。

しかし、一口食べてみたら空腹であったことを思い出すがごとく、ひと目見てみたら、もっともっとケチケメートを観光したくなりました。
30分足らずの見学では、足りるはずがありません。
ケチケメート・ギャラリーの中は、もちろん入る時間はありませんでしたし、コシュート広場にある建物も、教会を含め、どれも入ることはできませんでした。
せいぜい写真が撮れたくらいです。それも大急ぎで。

ケチケメートには、ケチケメート・ギャラリーの他にも、興味深いミュージーアムがあります。2004年からチェックしていたミュージーアムは、ケチケメート・ギャラリーの他に3つありました。
民衆工芸博物館、素朴派美術館、そして玩具博物館&工房です。
もちろん、そのどれも2004年には行く時間はありませんでした。

2006年の旅行では、そんなケチケメートを再訪しないわけにはいきませんでした。
というわけで、翌日の夜にはハンガリーを去るという10月22日の日曜日に、ブダペストから日帰りで行きました。
その日にしたのは、月曜日以外の平日のほとんどは、地方への1~2泊旅行にあてていたからです。
なので、ブダペストからの日帰り旅行に当てることができたのは、土日と月曜日くらいでした。でもギャラリーやミュージーアムが目当てなので、それらがお休みの月曜日は問題外です。
というわけで、ケチケメート再訪は10月22日、ハンガリーに来て3回目の日曜日となりました。
ちなみに10月22日は、ジェールとショプロンの2泊3日とペーチへの1泊2日旅行、連続2方向の地方旅行から戻ってきた週末でした。

しかし、美術館をゆっくり見学できたのはいいのですが、日曜日のケチケメートは閑散としていました。
日曜日である他に、シーズンオフにそろそろ入るという10月下旬という時期も関係したかもしれません。
2004年7月に訪れたときには、ちょうどコダーイ・フェスティバルの最中だったせいもあって、とても賑わっていました。
コシュート広場には野外舞台があって、子供たちが民族舞踊や歌を披露していました。
また、コシュート広場から自由広場へは、規模はたいしたことはなかったものの、ずらっと出店が並んでいました。

それに比べると、今回、町中は随分と寂しかったです。
日曜日でお店はみな閉店だったため、お土産屋の1つも寄れず、残念でした。
ただ、夕方の一時、コシュート広場は賑わいました。
母親たちに連れられた子供たちが、記念碑のようなところでわいわい群がって遊んでいましたし、ゆっくりと散歩する熟年の夫婦もいました。教会のミサに行く人々もたくさん集まってきました。どこかの帰りとおぼしきティーンエージャーたちも通り過ぎました。
ただし、その賑わいも、秋の短い陽が沈み、あたりが暗くなり始めると、あっという間になくなってしまいました。

もっとも、私は、外灯がともり始めるたそがれ時は、近郊へのバスのためのバスターミナル付近とか、大通りを歩いていたせいか、あたりがどんどん暗くなっても、家路を急ぐ人々で賑わっていました。
あるいは夕方の買い物客で賑わっていたのかもしれません。近くのスーパーは、日曜日でも開いていたような気もするし……。
大通りも、暗くなっても、ヘッドライトがとぎれることはありませんでした。
眠ったように静かな町かと思っていたケチケメートも、ちゃんと人々の生活の息吹が感じられ、ホッとしたものです。

さて、今回の記事は、年始めのぼやきめいたものと、ケチケメート編のプロローグだけで、それなりの量になってしまいました。
ケチケメート再訪の本格的な感想は、次回にしましょう。

ちなみに、ケチケメートといえば、ハンガリーの偉大な近代作曲家であり、バルトークと一緒にハンガリーの田舎に残る民俗音楽を収集し、ハンガリーで最もポピュラーな音楽教育方法を編み出したコダーイ・ゾルターン(1882~1967)の故郷なので、コダーイ・ファンならぜひ巡礼すべきコダーイ博物館があります。
でも、私はこれをスルーしました。はじめから見学する対象にしませんでした。
私はクラシック音楽は、ピアノも弾くし聴くのも好きなのですが、だからといって、お気に入りの作曲家の博物館というのには、あまり興味がわかないのです。
2005年にワルシャワに行ったときも、ショパン博物館は候補に入れませんでしたし、2003年にザルツブルグに行ったときも、モーツアルトの生家は、時間が中途半端だったのでついでに行ったにすぎませんでした。
というわけで、コダーイ博物館は眼中にありませんでしたので、あしからず。

といっても、この2006年のハンガリー旅行のために、わざわざコダーイのCDを買ってみました。
1~2曲でも知っていた方が、もしかしたら観光を楽しむ足しになるかもしれないと思ったのです。
で、ガランタ舞曲(管弦楽)など、とても気に入りました。
現代音楽の不協和音だらけや変調・変拍子の曲も聞き慣れた今や、コダーイの曲は、私にとって、多少のエキゾチックさはあっても、とても素直に聞ける親しみやすい音楽でした。
この、基本的に親しみやすい中に、ちょっとエキゾチックなメロディや変わった音が混ざっている───というのは、私の好みのツボにはまる音楽みたいです。

2006年の旅行の感想とエピソードその15──ペーチ(2)ジョルナイとその他のペーチの魅力

ペーチの街中でジョルナイを見つけるぞ!と楽しみにするようになったのは、こちらのHPを読んでから決定的になりました。
「ハンガリー良いとこ一度はおいで!」─「各街への行き方・歩き方:ペーチ」

ただし、ペーチの街中で特徴的なタイルの建物を見つけても、それがジョルナイかどうかは自信はもてません。ガイドブックにもそこまで詳しく解説があるわけではないですからね。
それともペーチのタイルなら、もう即、ジョルナイ!と思っていいのかしら。

でもそんな中でも、ジョルナイ独特の釉薬「エオジン」が使われた「ジョルナイの泉」と呼ばれる噴水だけは「地球の歩き方」の地図にも載っているくらいなので、チェックできます。

2006_pecs_03

母子がほほえましいでしょ@
この写真は、どうせ写すなら、誰か通行人と一緒に!と、シャッターチャンスを辛抱して待って撮ったものです。
もっとも、私はベンチに座って休んでいたので、待つのはそう苦ではありませんでした。

ウシの部分にフォーカスした写真も撮りました。ウシでいいのかな。

2006_pecs_04

おお、これが、独特の光沢を持つという、かの「エオジン」か!
って、この実物を見て初めて納得しました。
というのも、それまでのジョルナイに関する下調べはほとんど文字中心でしたから。
初めてジョルナイを意識した2004年7月に見学した応用美術館で企画展「産業と芸術――ジョルナイ150年史 (Industry and Art――150 years of Zsolnay)」のときは、エオジンのことまでは意識していませんでしたし、今回の旅行の下調べでも、ジョルナイのことは本の情報だけで足りて、特にネットで実際の品物を調べたりしませんでしたから。
行く前に写真を見てしまうより、現地で楽しみにしようとも思ってましたっけ。

といっても、下調べとして重視した本「旅名人ブックス ハンガリー“千年王国”への旅」(日経BP社)には、実は、ちゃぁんと写真が載っていました。
実物を見た後で、帰国してもう一度この本をひっくり返して、真っ先に、あれっ!これがそうだったの!と気付いたのです。
なんたって、表紙の次の中表紙のカラー写真が、このウシだったんですもの@

この噴水は、1900年に亡くなったジョルナイ・ヴィルモシュを偲んで造られたそうです。
ジョルナイ・ヴィルモシュは、ジョルナイがパリ万博で金賞を受賞されるような芸術的な作品も造れるようになったときの経営者です。新しい素材の開発と新技術を導入し、陶器の商品化と生産力の向上に努め、家内制手工業だった1868年に工場を正式に会社組織にまで発展させた方だそうです。

それにしても、初めて意識して目にしたエオジンが緑だったので、エオジンって緑のものが主流なのかと思っていました。
なんと、「暁(あかつき)」の意味だったのです。それって、赤じゃん!

ペーチのジョルナイ・ショップでは、緑のエオジンのアクセサリーと置物を買いました。
それらはいずれ、「旅先のおみやげシリーズ」で「ハンガリーで買ったもの」としてご紹介したいと思います。

代わりに、ペーチのジョルナイ・ショップの店内で撮られてもらったお店の商品の写真をご紹介します。
買い物した直後でしたからねぇ、撮ってもいいですか、と頼みやすかったです。
ま、それでもダメな店はダメなのでしょうけれど。

2006_pecs_05

この赤こそが、エオジンなのですね。

おお、そうそう忘れてはいけません。ペーチには、ジョルナイ博物館もあるんですよ~。

ペーチのジョルナイ博物館は、博物館通りの異名をとるカープラタン通りにあり、たしか全部で4室くらいでした。
2004年にブダペストの応用美術館で見た企画展「産業と芸術――ジョルナイ150年史 (Industry and Art――150 years of Zsolnay)」に比べると作品数はずっと少なかったです。
でもパリ万博の出展作品もありましたし、ちゃんと時代の変遷を追って展示されていましたし、ガラスケースには英語で解説もありましたし(全部は読めませんでしたけど)、もちろん、肝心の作品はすばらしいものばかりでした。
見ている間、思わず息をとめてしまったくらい!
特に気に入った作品の前では、つい鼻息を荒らげてしまっていたくらい!
ドイツ語版しかありませんでしたが、カタログを買ってしまいました@
ポストカードでも良かったけれど、カタログの方が作品の写真がたくさん載っていたし、色もまだきれいでしたので。
もちろん、実物にはかないませんけれど。

博物館通りの異名をとるカープラタン通りは、博物館好きの私には垂涎モノです。ほとんどの建物が何かの博物館という、嬉しすぎて、ある意味、恐ろしい通りです(笑)。
ここにジョルナイ博物館をはじめ、ぜひ見に行こうとツバをつけていた博物館・美術館がたくさんありました。
これが、私がペーチを今回の旅程に組み入れた最大の理由です。
ジョルナイももちろんそうですけどねっ!

博物館・美術館の中で一番楽しみにしていたのは、実はジョルナイ博物館ではなく、チョントヴァーリ・コスタ・ティヴァダル(1853~1919)という画家の美術館です。ジョルナイ博物館は2番目。
ハンガリー旅行を下調べしているときにチョントヴァーリもところどころで出てきました。キーワードが、「20世紀初頭のハンガリーでも最もユニークで力強い芸術家」「超現実主義的な大胆な画家」「異端の天才画」。
そして彼の作品の特徴をひとことで言うなら、「地中海を想起させる幻想的ナチュラリズム」だそうです。
やはり百聞は一見にしかずなので、写真をご紹介します。おみやげシリーズ用にとった写真ですが。

2006_pecs_06

題名は「Mostarのローマ橋」1903年作。
写真の絵はテーブルマットですが、実物の絵の大きさは92×182cm。巨大な作品が多かったです。
原色に近いカラフルな風景画ですが、巨大なキャンバスの前に立つと、幻惑されそうなかんじがあるし、どこかこの世にあってこの世にないようなきれいすぎるところが超現実的で、くらくらします。

それから、オプティカル・アートのヴィクトル・ヴァザルリ(1908~1997)。
オプティカル・アート(略してオップ・アート)って何?
と思ったのですが、同じ形を規則的に繰り返すことによってその形が動き出すように見えるという眼の錯覚を利用し、見ている人は絵を見ることによって自分の網膜の運動を見るという絵画です。
代表的な画家として、イギリスのブリジット・ライリーがいます。

どうもヴァザルリの方は生前、デザイナーとしても国際的に活躍されたためか、ハンガリー人なのに、名→姓で紹介されていることが多く、ヴィクトル・ヴァザルリでしっくりします。
一方、チョントヴァーリは、生前はほとんど知られることの無かった孤高の画家です。だからというわけではないですが、チョントヴァーリはハンガリー人らしく、姓→名の順番の方がしっくりします。チョントヴァーリの方が名字です。

ヴァザルリの作品も写真でご紹介しましょう。美術館への門のポスターを撮ったものです。タイトルは「ゼブラ(しまうま)」。

2006_pecs_07

この巧みなデザイン、よりそう母馬と子馬。引き込まれるような縞模様。いつまでも眺めていたい絵でした。

でもぶっちゃけていえば、この2人の画家に強く惹かれて、ペーチにぜひ行こうと決意を固めたのは、フォートラベルのshinesuniさんの旅行記のおかげです。
shinesuniさんのブログ:チョンドヴァーリの名画とオスマントルコ時代の爪跡が共存する町

こちらにコメントを寄せている「まみ」って私のことでーす@
私もこのフォートラベルのトラベラー登録をしていて旅行記を鋭意作成中です。
こちらのブログは写真をアップしやすいんですよね。でもペーチ編はまだなので……。

チョントヴァーリ美術館はカープラタン通りではなく、ヤヌス・パンノニウス通り1番にありましたが、大聖堂にもカープラタン通りからもそう遠くないところです。

チョントヴァーリ、ジョルナイ、そしてヴァザルリというトップ3はペーチで逃さずにすみましたが、他にペーチの博物館・美術館でツバつけておいたのに行けなかったところとして、ネメシュ・エンドレ美術館があります。ネメシュが名字ですので、念のため。
どんな作品を描くのか、具体的に見たことはありませんが、シュールリアリステックな抽象画を描くというので、楽しみにしていたのです。
でも開館時間と合わなかったのかよくわかりませんが、入れませんでした。

代わりに、ハンガリー現代絵画館に入ることができました。ツバつけてた順番としてはネメシュ美術館より下だったけれど、行けそうならぜひ行きたいと思っていた美術館の1つです。ジョルナイ博物館のすぐ隣……というか、同じ敷地内にありました。建物は別です。
この美術館で気に入って、名前を覚えた画家兼彫刻家は、マルティン・フェレンツです。こちらも、マルティンが名字ですので、念のため。
というより、2フロアあったうち、片方がハンガリー現代絵画館で、片方がマルティン・フェレンツ美術館だったみたいです。マルティン・フェレンツの作品が圧倒的に多かったので、いやでも覚えます。
でももちろん、名前を覚えたのは、作品が私の好みだったからです。適度にモチーフの想像がつく、おもしろい抽象派の作品ぞろいでした。

カープラタン通りにあった彫刻は、きっとマルティン・フェレンツの作品ではないかと思います。こういうかんじの絵画、グラフィック、彫刻がハンガリー現代美術館に展示されていましたから。

2006_pecs_08

そういえば、ペーチは世界遺産に登録されているんでした。ただし、ペーチの中でも、大聖堂の近くにある初期キリスト教徒墓地だけです。
これは、大聖堂の入場料に含まれているくせに、私が行ったときは工事中で閉鎖されていました~(泣)。
見学できるようになるのは2007年3月からです。

でも、墓地散策に興味がないとは言わないですが、墓地は墓地。世界遺産に登録されるだけの価値があるものなので一目見たいと思っていましたが、私の関心は大聖堂の方にありました。
ロマネスク様式なのですが、オスマントルコに支配された歴史を彷彿させるような、どこかオリエンタルな雰囲気もある教会でした。壁一面のフレスコ画もすばらしかったです。

ペーチの魅力を、今回は写真をとりまぜてご紹介しましたが、まだまだ魅力はたくさんあってきりがないので、このあたりで終わりにしようと思います。
そういえばペーチのシンボルともいうべき、旧ガーズィ・カスィム・バシャ・モスクのことは思いっきりスルーしてしまいました@
場所柄、行きやすかったので、ペーチで真っ先に見学したところなのですけどね。

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