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旅先の博物館シリーズ

博物館シリーズその13──クラクフ市歴史博物館のショプカたち

ちょっと季節はずれですが、クリスマスの話題。
クリスマスの飾りというとクリスマスツリーが真っ先に思い浮かびますが、ヨーロッパでは他に、キリスト生誕の場面の人形たちの置き物や、そのジオラマも優勢のようです。

いままでの海外旅行で縁のあったキリスト生誕場面の人形たちは、イタリアの「プレゼピオ(presepio)」、ドイツの「クリッペン(Krippen)」、それからポーランドの「ショプカ(Szopka)」です。
このように各国でそれぞれ呼び名があるようです。

語源は、イタリア語はプレゼピオはラテン語の「飼い葉桶」の意味のpresepiumらしいです。
ドイツ語の場合は、Krippeで辞書を調べると、やはり「飼い葉桶」とありました。
ついでに、託児所もKrippeと呼ぶこともあるようです。赤ちゃんイエスが収められていた場所という連想からでしょうか。

案外、ポーランドのショプカも、実は「飼い葉桶」という意味だったりして。
とすると、キリスト生誕場面のクリスマス飾りのことはヨーロッパ各地で色々呼ばれているでしょうが、単に言語の違いだけで、訳せばどれも、飼い葉桶、飼い葉桶、飼い葉桶、飼い葉桶……だったりして@

最初にキリスト生誕場面の飾りに縁があったのは、1990年代によく旅行したイタリアです。
クリスマス時期ではなくても、教会の秘蔵品が見られる機会は幾度とありました。
また、覚えている限りでは、ナポリの聖エルモ城にあるサン・マルティーモ修道院附属博物館に、すばらしいプレゼピオのコレクションがあります。
天使の人形をワイヤーで宙づりにして、天使が降りてくる様子まで模型化されていました。
照明も、朝焼けから昼間、そして夕方になり、真っ暗な夜……という風に演出がなされていました。

イタリアのプレゼピオは、そんな風に博物館のコレクションでも教会でも、イエスの生誕場面だなぁというのがわかるようなものしかお目にかかりませんでした。
ところが、残りのドイツとポーランド。
私が見たイエス生誕場面のジオラマは、主役は誰?───ってかんじでした(笑)。

ドイツで見たイエス生誕場面のジオラマこと「クリッペン」でとてもよく記憶に残っているのは、ミュンヘンのバイエルン国立博物館のコレクションです。
それはそれは見事な……ドイツらしい中世の町のジオラマなのです。
生き生きとした庶民たちの姿に、陳列された商品まできっちり整ったお店。なつかしのお人形さん遊びがしたくなりました。

そう、ドイツといえば、おもちゃ博物館を回るのがとても楽しかったのですが、ドイツで初めてクリッペンを見たとき、これはドールハウスの街並みバージョンかな、って思ってしまったくらいです。

たぶん、もっと家庭用の規模の小さいものなら、まさしく聖書から連想されるイエス生誕場面───飼い葉桶の中の赤ちゃんイエスに、聖母マリアと大工ヨセフ、なのでしょう。
人形だけでなく背景も加わるのであれば、まずは厩で、そこに馬や牛たちが加わるでしょう。
もうちょっと豪華になると、星に導かれてメシア(救世主)の誕生を知って拝みに来た羊飼いや東方三賢者、ってあたりも加わる、といったところでしょうね。

……なんだか、雛壇を連想してしまいました。
まあちょっと前までその季節でしたからね。
最近は、デパートなどを覗くと、男雛・女雛2人だけのものもよく見かけますが、豪華になっていくと、そこに三人官女に五人囃子……と、段が増えていきますよね。
しかし、日本の雛壇では、さすがに都市のジオラマまでは見たことがありません(笑)。

ドイツのイエス生誕場面は、豪華なものは中世都市のジオラマかと勘違いするようなものを見てきましたが、それでもちゃんと、厩があって、赤ちゃんイエスとマリアとヨセフはいました。
目立つ位置にいるかどうかは、別として……。

ところが、ポーランドで私が見たイエス生誕場面こと「ショプカ」では、イエスたちは、ちっともわかりませんでした!
もうちょっとわかりやすければ、イエス生誕場面の飾りのポーランド版とわかったでしょうに。
後で知って「あれのどこがイエスの生誕場面!?」と驚いたくらいです。

ま、撮った写真をじっくり見てみたら、全体の豪華さにくらべると、むしろ「おまけ?」ってかんじで、それらしきものがチョロっとあったりしましたけれど@

実際に目にしたのは、クラクフの歴史博物館です。
実は、クラクフの歴史博物館のショプカについては、すでにこのブログでご紹介しています。

「旅先でお邪魔した店内シリーズ(8)――クラクフの織物会館」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2005/12/post_da47.html

クラクフでは、毎年12月初旬、歴史博物館主催でショプカ・コンクールがあるようです。
私が見たのは、たぶんその歴代の優勝作品。

ショプカ・コンクールについては───。
「60年以上も続く、クラクフの中世、ルネッサンスやバロック時代の歴史的な建物の模型のコンテスト。クラクフでは13世紀よりクリスマスの時期にこの種の模型を作ることが伝統となっている」
だそうです。
出典はこちらです。ショプカ・コンクールでなく、「最も美しい模型小屋コンテスト」ってありますけど。
http://www.big-tour.com/tour/this/event/pola_event.html

クラクフ歴史博物館のショプカ・コレクションは、チケット売り場のすぐ後ろのスペースに展示されています。
博物館の扉を開けたら、すぐに目に入ります。

歴史博物館もいいかもしれない、と気付いて出かけたのは、クラクフ滞在2日目、ヴィエリチカ岩塩坑から戻ってきて、残りの半日を再び市内観光にあてていたときでした。

しかし、博物館に到着したときには、すでに閉館時間の5時。
「明日また来てください」と言われても、明日はアウシュヴッツ・ツアーを予約しています。その次の日は、朝早くクラクフを去るという日程。
すんごくすんごく面白そうな展示なのに、このまま見ることも叶わず、クラクフを後にしなければならないのか、と、そのときは非常に後ろ髪ひかれる思いで立らざるをえませんでした。

ところが、幸か不幸か、翌日のアウシュヴッツ・ツアーは午後2時頃には終わってしまったので、この博物館を見学する時間がとれました(代わりにビルケナウの見学は物足りなかった!)。

入場料は3.50ズウォティでした。1ズウォティを2005年7月のレートを元に円安めに約40円として換算すると、約140円です。
そして写真代は10ズウォティで、約400円。
安くありません。入場料に比べたら、割高感がひしひしです。

でも、ぜひぜひあの面白い展示の写真を撮りたかったので、写真代も払うのに躊躇しませんでした。
ポストカードより上手な写真が撮れるとは思っていませんでしたし、実際に、現像からあがってきたのを見てがっかりしましたが……しかし、自分のカメラで撮っておけば、こうしてブログで紹介できると思いました。
やっとその目的が果たせます。

ちなみに、その歴史博物館で目を引いた最初に展示が「ショプカ」、つまりイエス生誕場面のクリスマス飾りの置き物だと知ったのは、後日です。
展示作品の前にあるプレートに必ずSzopkaと書かれていて、それからおそらく作者名と年代があったところから、どうやらコンクールの優勝作品ではなかろうか、というのは見当つきました。
しかし、見学中は、Szopkaって、そのコンクールを主催する企業か団体かの名前かとずっと思って見てたんですよ。

ショプカとは何ぞや───クラクフで買った英語のポーランド・ガイドブック(KD Eyewitness Travel Guidesシリーズの「Poland」)や、イラスト満載の会話集「旅の指さし会話帳」の欄外にありました。
列車の待ち時間に、それまでゆっくり読むヒマのなかった会話集をひっくり返したときに気付き、それでやっと謎が解けました。

でも、これから撮ってきた写真をご紹介しますけれど……あのクラクフの歴史博物館のショプカ・コレクションは、むしろ、ファンタジーの世界のお城や教会の模型みたいです。

2005_Krakow_Szopka_Castle1

ステキなお城の模型ですよね。1984年の作品だそうです。
こんな風に煌びやかなものが多かったです。

ああ、でもこれは、よく見ると、イエス生誕場面がありますね。

2005_Krakow_Szopka_Castle1_zoom1

下は、人形が回転して顔見せしていました。
王様が姿を見せたところです@

2005_Krakow_Szopka_Castle1_zoom2

跳ね橋の両サイドには見張りの兵隊さんたちがいます@

次は、ショプカとドラゴンです。2001年の作品。

2005_Krakow_Szopka_Dragon

クラクフには、ドラゴン伝説があります。
そのドラゴン伝説についてもすでにこのブログで説明していますが、もう一回ここにまんま引用してしまいますと……。

昔、ヴァヴェル城に、クラックまたはクラウスという賢い王子様が住んでいたときのことです。そのヴァヴェル城の地下洞窟にはドラゴンが住みついていて、家畜を食糧にし、人々に恐れられていました。そこで王子は、ドラゴン退治のために罠をしかけることにしました。羊の腹に硫黄を詰めて、その羊がドラゴンに食べられるよう、しむけたのです。硫黄のせいで、ドラゴンは喉がカラカラ。ヴィスワ川の水を飲んでも飲んでも喉の渇きは満たされず、とうとうお腹が裂けてしまいましたとさ。

情報源は、日本でもよく手に入りやすい英文ガイドブックLonely Planetです。

詳しくはこちら。
「ショーウィンドウ特集その17──クラクフのギフトショップとヴロツワフのCepelia」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/cat1836109/index.html

このドラゴン伝説があるがゆえに、ドラゴンにショプカを持たせる、というモチーフが出てきたのでしょう。

ズームします。
このドラゴンは、愛嬌があって可愛い顔をしています。

2005_Krakow_Szopka_Dragon_zoom1

首のところだけ切り離してみると、ちょっとカエルっぽいかも(笑)。

ドラゴンが手にしているショプカにフォーカス!

2005_Krakow_Szopka_Dragon_zoom2

これは、どう見ても見あたりませんよねぇ、聖母子たち。

2005_Krakow_Szopka_Dragon_zoom3

こちらは、またしても煌びやかなお城……いや、教会ですね。2000年の作品。

2005_Krakow_Szopka_Church

これもよく見ますと、真ん中のドームの下に、イエス生誕場面があるような……。

2005_Krakow_Szopka_Church_zoom1

青いドレスに赤いマントの聖母マリアがいます。
その後ろにいるのは、きっとヨセフ。
天使たちもいますし、両サイドに見られる冠を被った人たちは、おそらく三賢者です。
三賢者は、よくキリスト教美術では、三人の王様の姿で描かれることがありますから。

その上もズームしてみましょう。

2005_Krakow_Szopka_Church_zoom2

白地に十字の聖職者が見えますね。
両脇の窓ガラスがステキです。一応、ステンドグラスでしょう。

その上もズームしてみましょう。

2005_Krakow_Szopka_Church_zoom3

こちらもステンドグラス窓がステキです。
青地に白い人の姿は、教会のファッサード(表)によく装飾のように設置されている、人物の彫像だと思います。

白い、清楚なお城です。いや、教会かな。1998年の作品。

2005_Krakow_Szopka_Castle2

これもよく見ると、いましたよ、赤ん坊のイエスにマリアたち。

2005_Krakow_Szopka_Castle2_zoom1

ちょっとわかりづらいですが、揺り籠……ならぬ飼い葉桶が見られます。

上へ上へと区切ってズームしていきます。

2005_Krakow_Szopka_Castle2_zoom2

バルコニーにいる人たち。旗を持ったり、星印のなんかを持ったり……。
最初、「4」という符号から、4人の福音書記者かなぁと思ったのですが、違うみたいですね。

2005_Krakow_Szopka_Castle2_zoom3

楽器を持った天使が2人います。

2005_Krakow_Szopka_Castle2_zoom4

おお、ドームが格好いいです@
てっぺんのワシは、ポーランドの国旗にも使われているワシからモデルをとったのかしら。

最後の写真は、実はすでに一度、このブログで、さきほどのショプカの話を紹介したときに紹介済みなのですが───クラクフの織物会館内の土産屋の屋台の中に、ショプカらしき売り物がありましたからね───ここでもう一度、ご紹介したいと思います。

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom1

ショプカとライコニック(Lajkonik)です。
入口に一番近いところに展示されていました。

「ライコニック」は、クラクフの春の祭りで、キリスト聖体祭後の第一木曜日に行われるそうです。伝統衣装を来た人々のパレードが行われるようです。
この馬にまたがった赤い服の御仁は、かつてポーランド人と争うことのおおかったタタール人のリーダーのようです。
情報源はLonely Planet。クラクフの章に、ライコニックについての囲み記事があります。

その囲み記事も、気付いたのは後日です。
歴史博物館見学中は……いや、クラクフ滞在中は、ポストカードでこの派手なおじさんの写真を見ても、せいぜい何かのお祭りの扮装だろうなぁ、くらいしかわかりませんでした。
妙にアラブチックというか、ヨーロッパ人らしくないとは思っていましたが、タタール人といえば、トルコ系。まあ、ぎりぎりアラブチック!?

ポーランドやハンガリーといった中欧諸国は、タタール人といい蒙古といいオスマン・トルコといい、東からのアジア系民族進入の防波堤の役割を果たしてきました。
そしてそういった戦いを通じ、あるいは国土の半分以上が占領されたり蹂躙されたりの歴史のせいでしょうね、東欧には西欧にないエキゾチックさがあって、それがいまの私をとても惹きつけています@

写真に戻りますが、さきほどの写真は、実は少しトリミングをしています。
元の写真はこんなかんじです。

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik

ショプカにフォーカス!

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom2

このショプカにも、もしかしたら真ん中の金のドームの下あたりに、聖母子がいらっしゃるのかしら。

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom2a

ううむ。赤いチョッキの髭のおじさんしか、わかりませんねぇ。

今度はライコニックおじさんにフォーカス!

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom3

なんか、目が白目でこわい……。

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom3a

よっく見ると、ちゃんと黒目があるみたいですけど、でも、やっぱ、こわい顔……。

次にライコニックおじさんの足下の紋章にフォーカス!

2005_Krakow_Szopka_Lajkonik_zoom4

枠の文字では「クラクフ市歴史博物館(MUZEUM HISTORYCZNE MIASTA KRAKOWA)」って書かれてありますが、真ん中の紋章は、クラクフの市紋でしょうね。

それにしてもショプカはカラフルですよね。
ご紹介した中には、白いお城もありましたが、どちらかというとキラキラと煌びやかなのが、ポーランド風「イエス生誕場面の模型」なのでしょうか。

ポーランドの教会や宮殿はこんなにカラフルではないです。
どちらかというと、まるでロシアの教会みたいです。

たとえば、2000年度のロシア旅行で撮った写真をお見せしましょう!
サンクト・ペテルブルクのスパース・ナ・クラヴィ教会です@
視覚的予備知識なしに現地で初めてこの教会を目にしたときは、お菓子の家かと思ってしまったものです。

2000_SPeterburg_Church1

テイストは同じですが、もう2つ。
ピョートル大帝の夏の離宮があるペーターゴフ市で見かけた教会です。

2000_Petergof_Church

それから、モスクワの赤の広場にあるワシリー教会です。
これが一番、写りがいいかな。

2000_Moskow_WasiliChurch

この教会は、あまりに美しかったため、その設計者は、時の皇帝で残忍なことで有名なイワン雷帝によって目をくりぬかれた、という伝説があります。他でこれ以上に美しい教会を造らせないためです。
もっともあくまで伝説で、事実ではないみたいですけどね。

ちなみに、クラクフの歴史博物館の展示はショプカだけではないです。もちろん。

逆にショプカは、チケット売り場の後ろの1階のエリアにしかありませんでした。
ショプカが1番の目当てでしたので最初はがっかりしたのですが、ほかにも興味深い展示品がたくさんありました。

たとえば、城壁が残って残っていてバルバカンの回りが堀となっていた頃のクラクフの絵やミニチュア模型、旧市庁舎が今のように塔(時計塔)だけになる前の完全な姿(1820年の都市改造計画で本体は取り壊された。)の絵、歴史画や版画、イラストなどなど。

説明プレートには、英語でも簡単な説明が併記されていたので、絵の説明から、1850年に大火災があって、1813年には大洪水もあったんだなぁとわかりました。1848年のクラクフにおける大蜂起の様子を描いた大きな絵もありました。
1848年といえば、パリの2月革命から始まり、ヨーロッパ中で革命の嵐が吹き荒れた年ですね。
絵は、写真がない当時にとってはドキャメンタリー写真の代わりですよね。

また、かつてマーケットで使われていた硬貨や秤と分銅、樽、木おけなども面白かったです。
昔のコスチュームを着たマネキン人形もいましたよ。

クラクフの歴史についてもっと詳しければ、もっと面白かったんでしょうけど、私の感想としてはこのへんが限度でした@
ブログの1回分の長さとしても、いい加減このへんが限度でしょう@

博物館シリーズその12──クラクフのヴィエリチカ岩塩坑(その3:併設の博物館)

ヴィエリチカ岩塩坑について3回にわけて書きましたが、やっと博物館の話題です。

ヴィエリチカ岩塩坑併設の博物館も、岩塩坑同様、専門のガイドと一緒に見学します。
博物館の入場料は、岩塩坑見学の入場料に含まれています。

ただし、博物館見学は、オプショナルです。
時間がなかったり、岩塩坑の見学で疲れてしまって気力がなかったりしたら、割愛することができます。

実は、私も、岩塩坑の見学の後、気力がなくなってしまい、割愛するつもりでした。

岩塩坑の見学は約1時間半かかりました。
ガイドブック等からの情報からすると、これでも短いようなのですが、この間、どこも座るところがなく、ほぼずっと歩き回っているせいか、結構、疲れました。
順路は、上り階段はなく、下りばかりだったのは幸いでしたけれどね。

それに、坑道見学が終わった時点でさっさとクラクフ市内に戻れば、残り半日、市内のまだ見ていないけど興味深い博物館を回る時間がとれます。

坑道見学後、博物館に行かない人は、エレベーターで一気に地上へ出られます。そこで、ヴィエリチカ岩塩坑の見学はおしまい。
ちょっと休んで元気になったから、やっぱり博物館も見学しようかなぁ、と思っても、たぶん後の祭り。
そのまんま外に出てしまうと思います。

ちょっと休むのなら、地下にもカフェがあって、飲み物やサンドイッチ程度の軽食を取ることができます。
お土産屋のスタンドを物色することもね。

坑道見学ですっかり疲れた私は、ひとまずその地下のカフェでココアを飲んで英気を養いました。
というか、そのココア1杯が、その日のお昼です@

疲れ切った上に、真夏とはいえ涼しい地下にずっと潜っていたので、あったか~くて、あっま~いココアは、五臓六腑に染み渡りました。

ちょうど、その時です。
博物館見学の英語によるガイドツアーがもうすぐ始まりますよ~、と放送が流れたのは。

絶妙のタイミングでした。
一息ついて、気力が戻っていました。
こうなれば、どうせなら坑道見学の仕上げに、博物館も見学してから帰ろうではないか、という気になります。
もっとも、根っこのところにあったのは、「チケット代に含まれているのに、見学しないで帰るなんて、もったいない!」というケチ根性でしたけどね@

もし、1人で坑道博物館を回るのだとしたら、おそらく展示物とかの意味がよくわからなくて、きっと私にはあまり楽しめないでしょう。ほぼ素通りで、単にノルマを果たしたような達成感しか得られないだろうことが容易に想像つきます。
しかし、これがガイドの説明付であるなら、話は別です。
そういう博物館の楽しみ方を、また1つ教わることにもなります。

博物館のガイドツアーにかかった時間は、約1時間でした。
しかし、実は英語ツアーに参加したのは2人ぽっちだったので、かなりペースが早かったと思います。標準は1時間半くらいではないかしら。

では、その博物館の展示からの写真をご紹介しましょう。

ちなみに、英語ツアーに参加したもう1人の男性は、一眼レフ・カメラで、私よりももっと熱心にパチパチやっていました。なので遅れがちで、一度など姿が見えなくなったとき、英語ガイドは、「私のツアーの50%が行方不明だ!」と冗談半分に言ったりしてましたっけ@

私はそんなにパチクリやらずに、ちょっと気になったのを2枚ぽっち、撮ったきりです。
展示のうち、塩の結晶のすごさがわかるものを撮りました。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum1

こんな風に、道具が結晶だらけ。どのくらいの時間、放置していたらこうなるのでしょう。

ズームします。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum1_zoom1

梯子というより、荷物運搬用の台かしら。木製ですよ。石器だの金属製だのより、古くないはずです。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum1_zoom2

ほうきが、こんななっちゃって……。
底の地面も、結晶でガチガチです。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum1_zoom3

奥にあった壺みたいなもの。
大きな結晶が張り付いています。現代アート!?

次はガラスケースに展示されていたこちら。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum2

まるで雪祭り──ならぬ結晶祭りかなにかで、はじめから結晶を使って彫刻されでもしたみたいです。

ズームします。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum2_zoom1

これで水を汲んだりしたら、しょっぱくなりそうです。

2005-WieliczkaSaltMine_Muzeum2_zoom2

ファンタジーか何かの登場人物の、きらきらの武器ってかんじ!───でも形がスコップでは、武器としてはあまりかっこよくないですね。

というわけで、博物館めぐりの全般的な感想は、といいますと、やはりガイド付でなければ楽しめなかったと思います。
まあ、写真に撮ったものは、特に説明がなくとも一目瞭然で面白かったですけどね。
道具も、ガイドがひとこと説明してくれたおかげで初めて、何に使うのかわかったのも多かったです。
博物館には、今はもう存在していない坑道内や塩の彫刻のデッサンもありました。
今はないものだ、というのも、ひとこと言ってもらえたおかげでわかりました。

最後に追加情報。
坑道の地下にはサナトリウムもまであります。
ガイドから聞いた話は半ば以上忘れてしまったので買った冊子から補足しますと、地下135mのところにあって、「ヴェッセルの部屋(Jezioro Wessel)」というのだそうです。
塩湖による清浄で体にいい成分が含まれた空気が、気管支・喘息・アレルギー・皮膚病の治療に良いそうです。

サナトリウムの情報は、ヴィエリチカ岩塩坑の公式サイトにもありました。
英語サイトですがこちらを。

http://www.kopalnia.pl/site.php?action=site&id_site=162&id_language=2&site_location=&deparment_change=true&

このサイトは、この記事を書いている2006年3月現在は、腹にボールのようなものを乗せて寝っ転がっている女性たち(男性もいるのかな?)の写真が載っています。まるでラマーズ法か何かを指導している教室みたいに見えます(笑)。

でも動画を見ると、そのボールを使って運動するみたいです。
指導員に合わせて体を動かす子供たちも可愛いし、子供だけに言うとおりに動かず、我関せず、と動き回っている子がいたりするのが、さらに笑みを誘われます。
大人たちも、まるで盆踊りを教わっているみたいに見えるもあって楽しいです@

サナトリウムや岩塩坑については、局地的な浸水のせいで閉鎖の可能性があるようですが、いまのところ、上記のサイトを見る限りでは、2006年度のイベント予定などが掲載されていて(アドレスは下記)、とりあえずは大丈夫そうです。
たぶん、まじで支障をきたすような大規模な浸水でも起きないかぎり。

http://www.kopalnia.pl/site.php?action=site&id_site=236&id_language=2&site_location=&deparment_change=&

また、ヴィエリチカには博物館がほかにも、城のそばにもう1つあるようです。
どちらかというと岩塩坑を中心に発達してきたヴィエリチカ自体の郷土博物館みたいなところのようです。
といっても、私はそちらには行かなかったので、これはあくまでもLonely Planetの記述ぶりからの推測です@

博物館シリーズその11──クラクフのヴィエリチカ岩塩坑(その2:ちょっと珍しいかもしれない写真)

前回は、ヴィエリチカ岩塩坑について自分なりに調べた解説や脱線を含め、自分のカメラで撮った写真の中でも、ネットやガイドブックや書籍でよく見かけそうなものを中心にご紹介しました。

今回ご紹介する分は、どうでしょう。あまり見かけないかもしれませんよ。期間限定のもあります。

まずは、坑道の鼓笛隊です。
そうです、坑道専任ガイドに案内されての坑道見学中、あるエリアでこのような鼓笛隊に迎えられました。

2005-WieliczkaSaltMine_Band

私ら観光客を前にして、マーチのような一説を演奏してくれました。

坑夫たちは、塩の彫像を作るアーティストのほかに、このようにアマチュア音楽家もいたということでしょうか。
あるいは、坑道の歴史ぢょうに別にそのようなものはなく、単に現代の観光地化に伴って、坑夫とは関係ない人々で結成されたバンドかしら。

坑道内には、バスケットボールのスタジアムがあったり、そのスタジアムを利用してコンサートが行われたりするのだそうです。もしかしたらここはそのスタジアムだったかもしれません。

と言いつつも、この鼓笛隊のみなさんがいたエリアの様子は、実はよく覚えていません。
場所は、写真を撮った順番から、順路でいくとコペルニクス像やキンガ王女の伝説場面の像の後、キンガ礼拝堂よりは前です。
スタジアムと呼べるほどの空間はなかった気も……。ううーん。

この鼓笛隊は、制服がとても印象的でした。
おじさんの1人にズーム@

2005-WieliczkaSaltMine_Band_zoomJPG

イスの上の帽子にご注目くださいませ。
赤い羽根付のシルクハット。なかなかステキでしょう。

というわけで、坑道内のギフトショップで、この制服を着たマスコットを見つけたので、買ってしまいました。

こちらの写真にいます。

2005-WieliczkaSaltMine_Doll_zoom

人形だけにズーム。

2005-WieliczkaSaltMine_Doll_only

可愛いでしょ@
金ボタンが制服らしさを出していますが、手足がふにゃふにゃの、まるで赤ちゃんのおくるみのような体つき。
そしてとりわけ、タレ眉に浮かんだ、ちょっとヘタレな笑顔。

お値段は15ズウォティ(1ズウォティ=約40円として、約600円)。
でも、買うのにちっとも迷いませんでした@

ちなみに、さきほどの写真は、ポーランド旅程半ばすぎたグダンスクのホテルで、買ったものを陳列して撮った写真の一部です。

元の写真はこちら。

2005-SOUVENIRS_All

せっかくここでこの写真をご紹介したので、写っているものを簡単にご説明しましょう。
まずは左から。

2005-SOUVENIRS_zoom1

右上と下にある白いレースの縁取りのあるやつは、トルンのCepelia(全国チェーンの民芸品専門店)で買った、ハンドメイドの壁かけです。
ポーランドの民芸品の1つではないかと思うのですが……ワルシャワの民俗博物館に展示されているのを見ましたから。
台はステンレスの網で、刺繍がほどこされていたり、切り絵が貼り付けられています。
安くて軽くて可愛らしい図柄だったので、お土産分も含めて、いくつか買ってしまいました。

真ん中は、クラクフの織物会館の外側のギフトショップで買った、ポーランドの伝統的な模様の施された木箱。ちっちゃな鍵つきです。

風車の絵の壁かけの下、マスコットの左隣には、プラハで、店内の写真を撮らせてもらう代わりに買ったマグネットがチラッと見えています。
その詳細は、「旅先の店内シリーズ」のカテゴリーの「旅先でお邪魔した店内シリーズ(12)――プラハのカレル通りで」にて!
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2006/01/12_ebca.html

ちっちゃな麻袋のようなものは、グダンスクの琥珀ジュエリー店で、包み紙としてもらったやつです。袋にまで、ちょこんと琥珀のサービス付です。

2005-SOUVENIRS_zoom2

真ん中は、同じくトルンのCepeliaで買った、民芸品の切り絵の壁掛け。このキノコが、サイコーにキュートです@

左は、プラハ空港の免税店エリアで買った、スワロスキーの店のアクセサリー(指輪)です。
プラハからポーランドのクラクフへフライトしたときです。

スワロスキーはオーストリアに本店を持つクリスタルのお店です。日本にも支店がいくつもあるし、世界中で有名ですよね。
チェコにももちろん、自国のクリスタルの店はありました。なにしろ、ボヘミアン・ガラスのお国ですもの。
プラハ空港の免税店エリアにも、スワロスキーの店のまさしくお隣にあったりしました。

でも、ううーん、アクセサリーやちっちゃな置物に関しては、デザインの洗練さ、おもしろさ、お洒落さでいくと、私の目には、チェコのクリスタルの店のものは少しやぼったく感じられてしまいました。
なので、オーストリアのスワロスキーを買ってしまいました。チェコでわざわざ、スワロスキー!
でも、ホントにデザインが気に入ったんですもの。ちょっとこの写真ではわかりづらいですが。

2005-SOUVENIRS_zoom3

プラハやポーランドのグダンスクで買ったアクセサリーたちです。
ガーネット(赤)はプラハで。琥珀はグダンスクで。
琥珀は、黄色、赤、緑と3色あります。
その色を生かしたデザインがツボです。

日本でもジュエリー店を好んで回る私。
その私から見ると、ポーランドのアクセサリーは洗練されていたり凝っているとは言い難かったですが、求めたのは琥珀のシルバー・アクセサリーです。
シルバーも琥珀も、比較的安いアクセサリー素材なので、たとえばプラチナだのダイヤだのと違って、むしろ素朴っぽいデザインの方が合うかも、って思えました。
それに、中には、文句なしにステキなものもありました@

紫のペンダントは、プラハの市民会館のギフトショップで買った、アールヌーヴォー・チックなデザインのペンダントです。
石は瑪瑙だと思うのですが、これだけ鮮やかな紫となると、たぶん染色されていますね。まあ、瑪瑙は、飾り石にせよアクセサリーにせよ、ほとんどの場合、染色されてしまいますからねぇ。その色の面白さも、デザインの一部ということで。

一番下は、グダンスクの土産屋で買ったマグネットです。ちょっと洒落たデザインが気に入って、お土産分を含めていくつか買い込みました。写真以外にも何枚もあります。

さて、ヴィエリチカに話を戻しましょう。

私がポーランドに行った2005年7月は、愛・地球博の会期中でした。
私は足を運ばなかったのですが、ネットなどで見ると、ポーランド館にはこのヴィエリチカ岩塩坑の展示等があったようですね。

それを記念して、ヴィエリチカ岩塩坑の方でも、愛・地球博の出典記念の日本コーナーが臨時に設けられていました。
坑道見学の最後の方、昔の坑道のスケッチや写真が展示されているコーナーの一角にありました。
こんなかんじ。

2005-WieliczkaSaltMine_JapanCorner

日の丸のデザインで、ひと目で日本がらみのコーナーだとわかりました。

2005-WieliczkaSaltMine_JapanCorner_zoom1

ま、ご覧のように、日の丸の中に鳥居が描かれていたりますけれど。

うーん、どこの鳥居かな。厳島かな。
旅行というと海外ばかりに目が向いて日本国内はほとんど出歩かない私には、日本の歴史史跡とか観光情報には、めっちゃうとかったりします……。

竹のついたてに展示された写真を見てみましょう。

2005-WieliczkaSaltMine_JapanCorner_zoom2

うーん、これも、どこの写真か、全くわからない……。

2005-WieliczkaSaltMine_JapanCorner_zoom3

刀です。本物かな?

ちなみに、坑道見学の英語ツアーは1グループ確か20人くらいで、日本人は私の他にあと1人いました。しかし、この日本コーナーに興味を示したのは、我ら日本人のみでした。
他の国籍の方々は、一顧だにせず。興味なし、っていうのがあからさまでした。
単に日本コーナーっていうわけでなく、愛・地球博という大イベントがらみの展示ですよ。それでも日本人以外は全然興味もたないのか、と思うと、ちょっぴり哀しかったです。

ま、かくいう私も、人のことを言えません。
他国で開催中のイベントがどんなに国際的規模であろうと、興味がなければ気に留めないでしょうから。

坑道ガイドも、ジャパン・コーナーのことをひとこと付け加えてくれたのは、私ら日本人がいたからだったかもしれませんけどね。

坑道見学は所要約2時間半、とLonely Planetやその他の書籍に書かれていましたが、実際には約1時間半でした。
10時30分出発の英語ツアー・グループに加わり(でも前のグループが詰まっていたらしく、実際の出発は10時40分頃)、終了したのが12時10分でした。
繁忙期ゆえに、もしかして少し見学順路を割愛されたかしら?

しかし、見学に1時間半~2時間半かかるところが、ヴィエリチカ岩塩坑全体のたった3%なのです。
うーん、確かにその規模たるや、想像つきませんね!

次回は、併設の博物館で撮った写真をご紹介したいと思います。
やっと、「博物館シリーズ」らしい内容になるかしら。

博物館シリーズその10──クラクフのヴィエリチカ岩塩坑(その1:坑道見学)

押入れの中をいじるのは、冬に限りますね。
いや、もう春なので、「まだ寒いうち」と言い換えましょうか。
なぜなら、ムダに汗をかかないから。

なにせ私の部屋の押入れの場合、押入れの前に本が積んであるので、それをよいこらしょ、とどかさなくてはならないのです。

なぜ押入れの話からし始めたかというと……先月の2月、押入れの中から、なつかしのアルバムを取り出したんです。
1997年度のイタリア・チュニジア旅行のときのもの。20日間で、36枚撮りフィルム10本分。

この旅行は、特にチュニジアは、女1人のイスラム圏の旅行、いまほど旅行情報が得られなかったときに思い切って行っただけあって、失敗談もエピソードの多さも私の旅行歴の中では今でもトップに挙げられます。
ですが、残念ながら、きちんとした旅行記をまとめようと勇むあまり、結局、チュニジア編は頓挫してしまったのです。

去年(2005年)の8月から、このブログの他に、「旅のクチコミサイト4 for Travel」に登録して旅行記を作り始めています。
(そのサイトでの名前も同じく「まみ」です。このブログの脇にもリンクがあります@)
そちらで、ちょっくらこのチュニジア旅行を加えたくなり、押入れからアルバムを取り出したら……しばらく、そちらの旅行記をまとめるのに夢中になってしまいました。

というわけで、こちらのブログ、すっかりご無沙汰してしまいました。
という、言い訳の前ふりでした@

しかし、実はおかげで、1997年の写真で博物館シリーズに入れ損ねていたものがあったことに気づきました。ナポリの国立考古学博物館とチュニスのバルドー博物館です。
それをシリーズに追加するか、先に2005年度の旅行記を終わらせるかは、まだ決めていません。
なにしろ、4 for Travelの方もあるせいか、ブログの方がペースダウンしてしまいましたからね。
2月には一回書いたっきりで、いつのまにやら、もう3月。あらら。

さて、やっと本題。
2005年度ポーランド旅行の写真からの博物館シリーズは、ヴィエリチカ岩塩坑です。
なぜ博物館シリーズでヴィエリチカ岩塩坑か、というと、坑道見学だけでなく、併設の博物館にも行ったからです。
それに博物館は、どちらかというと坑道の一部を博物館セクションにしたというかんじでした。なので、一緒に紹介しようと思いました。
観光用に公開されている坑道自体も、博物館みたいなものですから。

ただし、なっが~くなりそうですので、3回に分けます。

ヴィエリチカへは、クラクフから日帰りしました。足は、直行のミニバスを使いました。
2005年7月はクラクフ駅前が工事中だったため、ミニバス・ステーションはガイドブックや行く前に仕入れた情報とは違う場所に移動されていて、探すのにえらく時間かかってしまいました。

そして、やっと見つけたミニバス・ステーションで、やっと見つけたヴィエリチカ行きのミニバス。
あいにく、そのミニバスは、ヴィエリチカ行きであっても岩塩坑直行ではなかったらしく、入口前まで行ってくれませんでした。

方向音痴の私、途中で人に道を聞きながら、こっちでいいのかなぁと不安になりながら、あたりになにもない田舎の県道のような道を歩きました。
手がかりとして思い出していたのは、「地球の歩き方」のヴィエリチカのページの欄外にあった、「工場か学校のような門が見えたら、それが採掘場だ」というアドバイス。

ところが、覚えていたのは「工場のような」というところまでだったので、最初に見えてきた工場がそうかと思ってしまいました。
「本当に工場みたいだ!」と思いながら(本当に工場だったんですもの、当たり前!)、それらしき看板か入口を探しましたが、見あたらない。ぐすん。

もしかしたらこれは、本当に工場かもしれない、と思い直し、もう少し歩き続けることにしてみたら目の前を横切る高架道路の柵に、でかでかと「Kopalnia Soli “Wieliczka”」という看板が……!

Kopalnia Soli(コパルニア・ソリ)、これがポーランド語で「岩塩坑」です。

実は、私が1番頼りにしていたガイドブックはLonely Planetだったので、英語のSalt Mineで覚えていました。ポーランド語が併記されてはいましたけれどね。
ですが、道を聞くときに英語の話せない現地の人に聞かなくてはいけない可能性を考えて、ポーランド語でも覚えているといいでしょうね。

別に英語の話せない人相手でも、道は聞けます。「プロシェ(=Please)」と「ジェンクイエ(=Thank you.)」さえ覚えていれば、あとは、「コパルニア・ソリ?」って聞けばいいんですから。
でも私は、Salt Mineしか思い出せなかったので、ちょっと苦労しました。
だいたい、ヴィエリチカにいるんですから、「ヴェエリチカ(はどこですか)?」とは聞けません(笑)。

というわけで、ヴィエリチカ最初の写真は、坑道見学のチケット売り場の建物です。

2005-WieliczkaSaltMine_Building

この建物を見て、「まあ、確かに、小さな工場と見えなくもないなぁ」と思い、一度は本物の工場を勘違いしそうになったことを記念!?──して、写真を撮っておきました。

でも、「歩き方」のアドバイスは、あくまで「工場か学校のような門」であって、工場のような建物、とは書いてなかったんですよね。
単なる早とちり、やんなっちゃう。

写真の建物の中は、切符売り場兼ツアー出発待ちの控え室になっていました。
そして、唯一観光用に公開されている「ダニウォビチ立坑(Danilowicz Shaft)」(lはwと発音させるポーランド語独特の文字)への入口があります。

7月のハイシーズンだからか、その部屋は、観光客でぎっしり、むんむんでした。
でもおかげで、外国語ツアー、すなわち英語ツアーは頻繁に出ていました。
これがオフシーズンだと、1日に数回、ってことになってしまいます。タイミング悪いと、辛いかも。

英語ツアーの入場料は、55ズウォティ(約2,200円)でした。ちなみにポーランド語ツアーは確か45ズウォティ(約1,800円)。
(円換算は、2005年7月当時のレートを元に、計算の便宜上と買いレートの低さから、円安めで1ズウォティ=約40円とします。)

写真撮影には追加料金が必要です。

ポーランドに行く前の下調べのときに、ヴィエリチカ岩塩坑の塩の彫像や人形による採掘現場の再現、それから内装が全部塩で出来たキンガ礼拝堂などの写真は、ネットやガイドブックや世界遺産がらみの書籍でよく見ました。
私のフィルムカメラでは、室内、それも照明が十分でなさそうな地下でどれくらいの写真が撮れるかはわかりませんでしたが、でもやっぱり自分で写真を撮りたいものです。迷わず写真代も支払いました。10ズウォティ(約400円)。

ヴィエリチカ岩塩坑は、少なくとも700年以上前から採掘されているヨーロッパ最古の岩塩坑です。
世界遺産に登録されています。
と、世界遺産を引き合いにすれば、インパクトもひと塩でしょう。
(一応、洒落のつもり……。)
登録されたのは1978年です。早いです。第一次登録の1つだそうです。

ヴィエリチカ岩塩坑は、その規模と、坑夫たちによる塩の結晶による彫像などの作品群や大規模な礼拝堂で名高いです。

塩の結晶自体は、坑道専任のガイドがsandy saltと言っていたとおり、砂まじりの黒っぽいものです。
岩塩坑見学といえば、2003年ザルツブルグから日帰りしたベルヒテガルテンを思い出しますが、あちらに比べると、ヴィエリチカの岩塩結晶は、質も美しさも劣ります。

ベルヒテガルテン、いやザルツブルグ周辺で採れる岩塩の結晶は、それはも~ぉも~ぉ美しかったです。透明度は高く、ほんのり赤やオレンジに染まり、まるで宝石のようでした。

しかし、規模は、圧倒的にヴィエリチカの方に軍配があがります。
ヴィェリチカの岩塩層はとても頑丈だったため、長い歴史の中で、どんどん掘り進めることができた結果です。
具体的な数字をいうと、迷路のような坑道が300km、9層もあり、深さ327m。
観光用に公開されているのはそのうちの上部3層、地下64m~135mです。全体のほんの3%だとか。

それから、ヴィェリチカの方が、観光客を迎えるエンタテイメント要素は、たっぷりでした。
ただ、ちょっとやらせっぽいなぁと思ったものもありましたし、坑道跡でする必要があるか?──と思ったのもありましたけどね。

塩の彫像は、代表的なものについては坑道ガイドが製作年度を教えてくれたのですが、思ったより古くなく、せいぜい数10年というところでした。

でも、それは仕方がないみたいです。塩の結晶は自然に溶けてしまうので、100年以上もたないみたい。
それを視覚的に示す展示もありました。同じ年代に製作された木の彫像は200年でも全然ぴんぴんしているのに、塩の彫像の方は、使い始めてしばらくたった石鹸みたいに、角がとれてしまって、もとの彫像がどんなだったか、ほとんどわからなくなっていました。

ヴィエリチカで塩がとれることは、先史時代、紀元前5世紀頃から知られていました。
ただし、先史時代の塩の採取方法は確か、湧き出る塩水を蒸発させた程度でした。

穴を掘って岩塩を取り出す、いわゆる採掘は、10世紀頃には始まっていたようです。
ただし、現在発見されている最古部分「ゴリシェフスキ立坑(Goryszowski Shaft)」は、13世紀にできたもの、と坑道内で買った冊子にあります。

最盛期の14世紀は、ポーランド王家の3分の1がヴィエリチカで採れる岩塩でまかなわれていたようです。

14世紀といえば、ポーランドは、輝かしきヤギェウォ朝の黄金時代。
後にヨーロッパ史を埋め尽くす列強が、その頃はまだ、中世の「暗黒の時代」とも呼ばれるにふさわしい、未開で田舎の国だった頃。
ポーランドはリトアニアと連合してドイツ騎士団を追い出して騎士団領を取り込み、版図をバルト海まで広げ、ヨーロッパ屈指の大国となりました。
そんな時代の王朝の予算3分の1ですか。たいしたものですね@

岩塩坑として衰退し始めた時期については、すでに17世紀から、という説もあれば、18世紀の列強3国によるポーランドの分割直前まであいかわらず国家予算の3分の1をまかなっていたという説もありました。ううむ。

そういう場合に最も信憑性があるのは、坑道で買った冊子でしょう。
ですが、残念ながらごくごく簡単なやつしか買わなかったので、そういうのは詳しく載っていませんでした。
買った冊子はB6サイズくらいの小さなもので、全部で22頁。値段は5ズウォティ(約200円)。
あんまり詳しくったって帰国後に読み切れないので、これくらいでちょうどよいと思ったんです。
写真が満載で、それに解説がポーランド語と英語と日本語でついています。
でも、このブログを書くためにひっくり返してみると、あきらかに日本語だけ、訳が足らないところがありました。おや~ぁ。

いずれにしても、諸説出てしまうのは、本格的採掘にせよ、衰退にせよ、生産量やポーランド経済の依存度の変化など、それまでと比較してどのあたりからそう呼ぶか、という解釈の違いでしょうね、きっと。
衰退が始まっていても国家予算の3分の1という数字は変わらなかったかもしれませんし。

この「ポーランドの国家予算の3分の1」については、どれも一致していました。

もっともそれは、当時の塩の価値にも支えられています。
冷蔵庫などない時代、塩は食料保存に欠かせないため、同じ重さの金と同じ価値があったのですから。

採掘は、ヴィエリチカの岩塩坑に限りませんが、とても危険な仕事でした。
相当な重労働の上、浸水や灯りの火による火事もよく発生したでしょう。
ですが、人権が重んじられていない時代にあっては、地下に閉じこめられている坑夫たちの非常時の脱出路が確保されていたとは思えません。
そんな危険を冒してまでも、中世は黄金と同じだけの価値のある塩の採掘に携わっていた坑夫たちは、村の英雄であり、エリートだったそうです。

しかし、英雄はともかく、エリートと言われても……。
1日中、日の射さないところで、体をぼろぼろにするほどの重労働に携わっていて、それでエリートですか。ううむ。
実際、厳しい労働条件の代わりに、村の他の職業よりは実入りがよかったのかもしれません。
でも、なんというか、疑うことを知らない民衆をおだてて働かせて、その成果は横取りする支配階級に踊らされている悲哀のようなものが、かえってひしひしと感じられてしまいました。

岩塩見学は昔から行われていたようです。
なんといっても、15世紀に生きたポーランドの有名人、地動説を唱えたコペルニクス(1473~1543年)が、アカデミー時代の1493年に来訪しているというのですから。

それを記念して、コペルニクスの塩の彫像もありました。
地下64.4mのところ、像の高さは4.5m。1973年ブワデスワフ・ハペク(Wladyslaw Hapek)作。
(lはどちらもwと読ませるポーランド語独特の文字)

2005-WieliczkaSaltMine_Kopernik

いまいち写りの悪い写真で、何が写っているのかわかりづらかったので、試しに白黒にしてみました。

ニコラウス・コペルニクス。ポーランド名はミコワイ・コペルニク。
この写真ではわかりづらいですが、彫像の下にMikolaj Kopernikと書かれてあります(lはwと発音させるポーランド語独特の文字)。
地動説を唱え、太陽を中心とする惑星の動きの構想を初めて発表したことにちなんで、像が手に掲げているのは、たぶん、どこかの惑星だと思います。もしかしたら地球かもしれません。

塩の彫像はたくさんあれど、やっぱりこれの写真は撮っとかなくちゃね!──と思ったのが、キンガ王女の伝説にちなんだ次の写真です。
これも、あんまり写りがよくなくてごめんなさい。白黒にしてみました。

2005-WieliczkaSaltMine_Kinga_BalckWhite

地下63.8mのところにあります。1967年ミエチスワフ・クルチェク(Mieczyslaw Kluzek)作。
(lはwと読ませるポーランド語独特の文字)

元のカラー写真と比べてどうでしょうか。

2005-WieliczkaSaltMine_Kinga_collor

うーん、どっちが見やすいかしら。
塩の結晶自体がもともと砂混じりの灰色っぽいものなので、透明さとか色の美しさというのは、実物にもあんまりありませんでした。

でも、これはまだカラー写真の方がいいかもしれませんねぇ。
ただ、白黒だと、記事かなにかの写真のようで、ドキュメンタリー風で気に入りました@

キンガ王女は、ポーランドにお輿入れしたハンガリー王女で、ベーラ4世(在位1235~1270年)の娘です。
ヴィエリチカ岩塩坑はキンガ王女の持参金で、このときにハンガリーのものからポーランドのものになったそうな。

もっとも、伝説では、彼女が岩塩層を見つけたことになっています。
彼女がポーランドにお輿入れする途中でお告げを受けて井戸を掘らせたら、岩塩が採れて、そこに彼女の婚約指輪が埋もれていた、とか、あるいは、道中の泉に自ら婚約指輪を投げて入れて掘らせたら、岩塩層が見つかった、とか。
伝説なので多少のヴァリエーションがあるようです。
(でも、わざわざ指輪を投げ入れる必要があったのかな。ここ掘れ、ワンワン、でいいじゃないですかねぇ@)

この彫像は、坑夫が、見つけた指輪を王女に返す場面です。

ズームしてみましょう。
キンガ王女と付き添いの騎士です。

2005-WieliczkaSaltMine_Kinga_collor_zoom1

騎士の兜は、アールパード王朝時代のハンガリーっぽいかんじがします。ちょっとバイキング・チックなの。
こんなかんじの兜をかぶっている人物が、たとえばハンガリーの首都ブダペストの英雄広場のアールパードら族長たちの像の中にいた気がします。

次に、王女に指輪を捧げる坑夫にズーム。

2005-WieliczkaSaltMine_Kinga_collor_zoom2

当時の坑夫のスタイルがよくわかりますね。頭を保護するために頭巾を被っています。
王女に向かって差し出す手には指輪。でっかい指輪だな~、これホントに指輪?
もしかしたら指輪が入っていた岩塩の固まりと一緒の図なのかもしれませんが……いやいや、普通はちゃんと指輪を取り出してから返しますよねぇ。

背後の坑夫。

2005-WieliczkaSaltMine_Kinga_collor_zoom3

タオルを広げて何をしてるのかなぁと思ったら、これはどうやら、採れた岩塩を持っている図のようです。タオルではなく、きっとそれ用の器でしょう@

ちなみに、キンガ王女の父であるベーラ4世は、ブダペストの観光情報を調べれば、ほぼ間違いなくヒットします。
なにしろ、ブダの丘陵を王宮の丘として整備したのは、この王様なのですから。
また、この王様は、王妃や一族の守りのために、ドナウ川の中でも風光明媚なドナウベントの町ヴィシェグラードに城を造らせました。
そのヴィシェグラード城は今では廃墟しか残っていないようですが、城跡から見下ろす風景は、ドナウベントの観光ハイライトの1つです。

ヴィシェグラードのちょっとステキな写真集を見つけたので、URLをメモしておきます。
http://www.bibl.u-szeged.hu/oseas/visegrad.html

ハンガリー史との関係でいえば、ベーラ4世はモンゴル襲来のときの王様です。モンゴルの軍勢を、ハンガリーで食い止めました。
というか、本当は負けてしまったのですが、モンゴル側の指導者のオゴデイ・ハーンが死亡してしまったので、モンゴル軍が自ら引き上げのです。
でも、おかげで、ドイツ以東の西欧史では、モンゴルの話はほとんど出てきませんね。

さて、次が、坑道見学ハイライトのキンガ礼拝堂です。
キンガ王女は岩塩層を発見した伝説から、彼女はヴィエリチカ岩塩坑の守護聖人とされています。
その彼女を奉った礼拝堂です。

この写真もあんまり写りは良くありませんが、ご容赦くださいませ。

2005-WieliczkaSaltMine_Chapel_color

天井が地下91.6m、床が地下101.4mのところにあります。
幅15~18m×奥行き54m×高さ10~12m。

白黒だと、こうなります。

2005-WieliczkaSaltMine_Chapel_BlackWhite

新聞か雑誌の記事の写真のようで、自分が実際に行ったところではないような、不思議な感じがします。

この礼拝堂は、シャンデリアから祭壇から周りのレリーフや装飾、すべて塩でできています。
塩による内装もそうですが、これだけの空間の土を外に出すのも大変だったでしょう。
礼拝堂としては17世紀末に使われていますが、完成に30年は要したそうです。
すなわち1895~1927年。完成年度は、坑道の歴史からすると、意外に新しいです。
でも、今でもミサに使われる礼拝堂です。500人は収容できるそうです。

礼拝堂の壁のレリーフ(浮彫り)の写真も撮りました。
レオナルド・ダヴィンチによる「最後の晩餐」です。
1936~1945年、アントニ・ビロデク(Antoni Wyrodek)作。

2005-WieliczkaSaltMine_Chapel_Relief_LastSupper

坑道ガイドいわく、図柄は模写かもしれないけれど、全て塩でできているなんてここにしかなくて、その意味ではこれはオリジナルと呼べるでしょう、とのことでした。なるほど。

残念ながらこの写真は、白黒にしないと見れたものではありませんでした。

もう一枚は、やはり新約聖書の場面で、12才の少年イエスが神殿でラビ(ユダヤ教の律法学者)と問答をして、ラビたちをうならせたという場面です。
1928年、これもアントニ・ビロデク作。

2005-WieliczkaSaltMine_Chapel_Relief_12yearJesues

この写真も、白黒にしないと見れたものではありませんでした。というか、白黒にしても、あんまり見れたものではありませんね(泣)。

右手に見えるのが、少年イエスです。左手はラビたち。

このように坑夫アーティストたちは、アマチュアとはいえ、近代の人たちは名前が知られています。
でもやっぱりアマチュアである証拠に、たとえばキンガ礼拝堂のレリーフの1つ「聖母子のエジプトへの逃避」でマリアが乗る馬の足は、解剖学的には正しくないそうです。坑道ガイドいわく。

あ~、その写真、撮っておけばよかったなぁ。
解剖学的にどう正しくないか、あとで調べようがあったかもしれないです。

さて、キンガ礼拝堂が坑道見学のハイライトですが、あくまでハイライトの1つにすぎません。
坑道内にある礼拝堂も、キンガ礼拝堂だけではなく、規模は小さくてもいくつもありました。

キンガ礼拝堂には行程の半分くらいでたどり着きますから、これで終わりと思ったら大間違い。
坑道見学はこの後もまだまだ続きます。
人造の地底湖もあります。塩分濃度の高い塩湖です。2ヶ所は見ました。

1ヶ所目は、かつてはその上をボートで向こう岸に渡れたようです。しかし、20世紀初頭だったか、ボートがひっくり返ってたくさんの死者が出たひどい事故があってから、ボート乗りは廃止されてしまったそうです。
うーん、残念。

でも、いいもーん、坑道の地底湖のボート乗りなら、ベルヒテスガルテンやウィーンの森の観光ハイライトの1つゼーグロッテ(これは岩塩ではなく石膏鉱山)で経験してるもーん。

正直、ヴィエリチカは、岩塩の結晶もそうですが、これらの地底湖も、ベルヒテスガルテンやゼーグロッテには全然及びませんでした。
もっとも、地底湖は、観光客に公開されていない部分にもあるでしょう。
ただ、ヴィエリチカではボート乗りがなかったので、それが私の中の減点ポイント。

もう1ヶ所の地底湖は、それまでにも増してエンタテイメント要素、満載でした。
観光客が湖の周りに集まった後、いったん明かりが落とされて真っ暗になり、それからショパンの音楽と共に光のスペクタクル。
ちょっと、やらせっぽいなぁと思いました。湖の周りの彫像が、ディズニー・チックだったから、ますます……。
でも、そういったあちこちにある塩の彫像と天井が水面に写り、とても幻想的で美しかったことは確かです。

また、後半では、エリアの名称や塩の彫像から、大戦中や社会主義時代などの現代史を彷彿とさせるところもありました。
坑道ガイドいわく、かつてはここにスターリン像があったけれど、取っ払われた、とか。
労働者としての坑夫を象徴しているような彫像もありました。社会主義っぽいですよね。
ただし、写真も記録もとらなかったので、それが実際に社会主義時代に制作されたものかどうか、確認できないですが……。

ピウスツキの名のついた一画もありました。像もあったかな。

ヨゼフ・ピウスツキ(1867~1935年)は、行く前に初めてまともに触れたため記憶もあやふやなポーランド現代史において、二大大戦間に軍部による独裁を強いた人として記憶していました。
なので、わざわざその像が造られていたので、ちょっとびっくり。
つまり、ポーランド人にとって彼は、単なる独裁者として単純にくくられるものでもなかったんですねぇ、と、こんなところで知ったり。

あ、ちなみにこの方のお兄さんのブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)は人類学者で(しかし、象牙の塔の学者ではなく、弟と一緒に、当時まだポーランドがロシア帝国支配下にあった時に皇帝アレクサンドル3世暗殺未遂事件を起こして流刑されたりしています)、アイヌ研究で有名らしいですよ。

掘り起こせば意外に随所にちりばめにられている、日本とポーランドの関係@

というわけで、あちこち脱線したために、ブログとしてはめちゃくちゃ長くなってしまいました。

今回は、ヴィエリチカ岩塩坑の紹介としてよく見かける写真を中心にまとめたつもりです。
よく見かけるがゆえに、写りの悪さが際だってしまった気がしなくもありません(泣)。

次回は、坑道で撮った写真の中でも、ちょっと変わったものをご紹介しましょう。

博物館シリーズその9──プラハの市民会館のカレル・チャバ(Karel Chaba)展

2005年度の旅行は、プラハ再訪から始めました。
そして2004年度には行きそびれた市民会館を見学することができました。
こういうのって、一度、涙を呑んであきらめただけに、嬉しさはひとしおですね。

しかも、2004年度って、市民会館は見学できないところなのかと勘違いしていたんですよ。後でガイドブックをひっくり返したら、そんなことはないと、すぐに勘違いに気づきましたけれど。

その勘違いをした2004年度、その日はカルロヴィ・ヴァリに行く日帰りツアーに参加する予定でした。
でも、ホテルピックアップがかなり早かったので、ツアー開始までそのへんをぶらぶら散歩していました。
そして市民会館までやってきて、外観の写真を撮りました。
どうやら「写真による2004年度旅行記」シリーズでは紹介しそびれてましたので、ここでご紹介します。

2004praha_obecni_dum

プラハのアールヌーボー様式の建物の1つです。それだけでも一見の価値ありですね。
そしてハプスブルグ家統治下にあったチェコにとっては、自分たちの民族の象徴というか、粋を極めた建物です。

もっと全体像が入る写真を撮れればよかったのですが、これがせいいっぱいでした@

ところで、このときの私は、ガイドブックにあった市民会館の説明が、すっぽり頭から抜けていました。
なので、市民会館って、アールヌーヴォ様式で有名なホテルの1つだっけ?と思ってしまいました。
外からみる限り、左手はホテル、右手はカフェ・レストランに見えました。
だから、特段の用のない観光客はあんまり出入りする建物ではないのかと思ってしまいました。

でも、せっかくのプラハのアールヌーヴォーの代表作です。ついでにこの建物の内装も、ちらっとでもよいから見たいと欲をかきたてられました。
入口には、背広を着て身だしなみがよいけれど強面のおっちゃんがなんか見張りをしているようですが、中に入ってもとがめられなかったので入ってみました。
エントランスのところまではうろうろできました。でも先に進もうとしたら、見張りのおっちゃんに引き留められました。
なので、やっぱり用のない人は入ってはいけないところだったのね、と、そのときは思ってしまいました。

でもよく考えたら、その先はチケットがなければ入れない有料エリアだったのですね。
それに早朝で、まだ開館時間ではありませんでした。

ちなみに、市民会館の内装はアルフォンス・ミュシャも手がけている、とガイドブックに説明があったのですが、私はてっきり、この外装のモザイク画がミュシャの絵かと、またそれも勘違いしてましたっけ。

さきほどの写真、ズームします。

2004praha_obecni_dum_zoom1

外壁のモザイクは、実はカレル・シュピラルという方が手がけました。
うーん、残念ながら私の知らないお人。

絵のテーマは寓意画っぽいですね。タイトルは「プラハ賛歌」だそうです。
額のようになっている半円部分の金字は、何かきっと、チェコの民族意識を鼓舞するようなフレーズが書かれているんだと思います。

また、市民会館の中には、プラハの有名な音楽祭「プラハの春」が開催される「スメタナ・ホール」があります。
それも必見だそうですよ。

スメタナ・ホールの方は、2005年度でも見学しそびれてしまいました。
実は、2005年度のプラハ再訪では、プラハ出国日の夕方、ちょうどそのスメタナ・ホールでコンサートがあったんですよ。
行きたかったけれど、夜はフライトでポーランドのクラクフ入りが決まっていました。残念でした。

でも、念願の、ミュッシャが手がけた「市長の部屋」を始めとして、豪華な部屋を見学できる市民会館ツアーには参加することができました。
チェコ民族の誇りをかけて、その象徴として建てられただけあって、内装にもチェコ民族の象徴や願いがたっぷり込められてましたよ。
ガイドツアーでなければ、そういうのには全然気づかなかったでしょう。

市民会館の見学は英語ツアーでしたので説明は英語でしたが、日本語の説明書も貸してくれました。
ミュッシャの巨大な絵が何枚もあるだけでなく、カーテンのデザインとか、内装のトータルコーディネートをした部屋もありました。それがハイライトといえますね。
チェコ民族の威信をかけての建築であったため、ミュシャは、祖国のため、と、一切無償で引き受けています。その時点ではすでに世界中に名の知れた有名人になっていたにもかかわらず。えらいです。
ミュシャって、パリでデビューしたようなものなので、パリで手がけたポスターが有名ですが、とっても愛国心にあふれている人だったんですよ。
ミュシャの生涯を考えたら、故郷のチェコをモチーフにした作品や、祖国のための活動の方が、日本でよく知られているパリ時代の作品よりも重要だと思います。
かく言う私も、そのことは、2004年度にプラハのミュシャ美術館に行って初めて知りましたっけ。

「市長の部屋」は、建物の真ん中にあり、市長のデスクの背後がテラスになっていました。
外から見ると、このテラスの内側がその部屋ということになります。

2004praha_obecni_dum_zoom2

テラスに表れた市長が、市民会館前に集まった市民を前にして、にっこり手を振っているような図が思い浮かびます。
ううーん、それってどこかの王族が庶民の前に顔を出すときのシーンみたい!?
(実はこの発想の出所は、「ベルバラ」でマリー・アントワネットが初めてパリへ出かけたときのシーンだったりします@)

でもガイドツアーで見学したのは、1フロア分の10室ほどです。
市民会館の中はもっと色々盛りだくさんでした。
1階には確かにカフェ・レストランがありました。地下にもありました。
アールヌーヴォーの内装に惹きつけられ、何も飲み食いせず写真撮影だけする観光客がたくさんいるせいか、「写真撮影のみの入室はお断り」と入口に掲げられているカフェもありました。
地上階はいろんな企画展がありました。
これに加えてスメタナ・ホールがあるわけでしょ。要するに、今やほとんど文化施設ですね。

市民会館の公式HPはこちらです。
プラハの市民会館(Obecni dum)
これはチェコ語のサイトですが、英語サイトもあります。

その企画展の中で特に興味を覚えたのが、表題の「Karel Chaba」展です。
市民会館の階段にポスターが貼られていましたし、チラシもおいてあり、写真になっていた代表作に猛烈に惹かれました。
ものすごーい私の好みの絵でした。

ま、知らないアーチストの美術展に行こうかな、って気になる理由って、たいていチラシですね。チラシに載っている代表作に惹かれます。
ただ、それはあくまで代表作なので、展示作品がみんなそういう、期待したようなのばかりとは限らない、というところがつらいところですが。

しかし、このKarel Chaba展は、わたし的には大当たりでした@
展示作品がどれも、チラシ・ポスターにされていた作品と同じ傾向のものばかりでした。
どれもステキな絵でしたので、ちょうど、展示作品の写真と画家のプロフィールだけが載っている、比較的薄いカタログが市民会館の売店に売られていましたので、飛びつきました@

展示の主題はあくまでプラハ市内が中心でした。
そのことだけでも、プラハで思わず見つけた美術展、ということでポイントが高いです。
必見といわれる観光ポイントや、これはプラハだ!とすぐにわかるようなスポットだけではなく、ガイドブックにいちいち取り上げられることはないけれど、なかなか味のある路地裏や町の一角、みたいなところの絵もありました。

それで絵の傾向も好みといえば、申し分ないです@
言われてみればそうかも……と分かる限度まで、大胆にデフォルメされた絵でした。
そういうのって好みなのです@
色づかいは明るく、ポップで楽しそうなものが多かったです。一方で、しっとりしたのもあり、絵心をかき立てるような、うーん、いいじゃん!っていうかんじのもありました。

具体的にはこんな作品です。

2005_paraha_museum_karel_chaba_karelbridge

これはどこかわかりますかしら。カレル橋ですよ。

実際のカレル橋の写真。

2005_Praha_KarelBridge

7月の観光ハイシーズンは混雑がひどいと言われるカレル橋ですが、このときは、夕方のせいか、あるいは少し前まで雨が降っていたせいか、それほどではありませんでした。

ズームします。

2005_Praha_KarelBridge_zoom

この写真は、旧市街側の橋塔から見下ろして撮った写真です。
この、カレル橋の橋塔からこうやってカレル橋を見下ろす写真を撮る、というのも、2004年にやり残してしまい、2005年にリベンジ(実現)できたものの1つです@

で、比べてみていかがでしょう。

カレル橋の欄干に並ぶ聖人像のデフォルメの仕方が面白いですよね。
対岸に見える王宮と聖ヴィート教会の位置関係も、ぐぐっと橋の方へずらされています。

次は、どこかわかります?

2005_praha__museum_karel_chaba_loretta

答えはロレッタ教会です。
教会の前の、花のような植物のような捻れたモノは、これも聖人像のデフォルメです。
空に裸体が舞っているところなどは……なんだかシャガールの絵を連想してしまいました。

実際のロレッタ教会の写真はこちらです。

2005_Praha_Loretta1

いかにもバロックらしい教会ですが、とっても気に入ったので、接近してもう1枚撮っています。

2005_Praha_Loretta2

これらの写真自体も、私のお気に入りです@

そして、このロレッタ教会もすばらしかったですよ~。
これも、2004年に行きそびれて、2005年にリベンジ(実現)できたものの1つです@

Karel Chabaの簡単なプロフィール。
1925年8月セドレツ生まれ。
セドレツという地名はあちこちにあるようですが、Sedlec u Benesovaというところらしいです。
彼は第二次大戦後まもなくプラハに上京し、プラハで活躍しました。

この市民会館での特別展は、彼の60才の誕生日を記念したものだそうです。

プロフィールは、買って来たパンフレットからも拾えましたが、このようなHPを見つけました。

Karel Chabaのギャラリー(英語版サイト)

http://www.sazka.cz/v_zprava_2003/en/galerie.htm

さきほどご紹介したのと少しバージョンが違うカレル橋の絵もありますね。

こうやって、日本で紹介される西欧美術史ではなかなか取り上げられない国々で、日本であまり知られていないけれど、自分の好みじゃん!という画家を現地で発見するのも、その国を旅する醍醐味であり、期待していました。
前年度の2004年度のチェコ旅行でも、Jan Zrazvyというチェコの近代画家を発見しています@

いまやネット検索すれば、日本語サイトに限定すると無理ですが、英語サイトまで広げれば、なんとかこれら現地で知った画家の情報や作品の写真を探ることができるので、ありがたいです。

それにしても、いやぁ、再訪って、前に訪れたときにたいていすでに必見のところは一通り見た後でしょう。
なので、もう一度みたいところを見に行くにしても、見損ねたところのリベンジを図るにしても、なんだか心の余裕があるんですよ。

どうしても日程ぎちぎちの海外旅行ばかり繰り返しているので、あれもこれも見てやれ、と欲張りがちですが、そうすると、見れなかったらどーしよー、とあせったり、行けば見れるのが当たり前のように思っていた分、見れなかったら損した気分になるので、どうしても気持ちがせかせかしてしまいがちです。
(そうでもないですか?)

そんなときに、心の余裕をもって観光できるなんて、とっても贅沢!

って思ってしまいました。

とは言いつつ、前夜、あるいは朝、ホテルを出る前に1日の予定を決めた段階で、たとえ再訪であっても、あれも見たい、これも見たいとリキんでるときは、やっぱり気持ちがせかせかとして切羽詰まったような気分になりますけどね。

でも、このプラハ再訪のときは、それでも時々ふっと力が抜けて、心の余裕を取り戻せるときがありました。

博物館シリーズその8──マドリード駅の植物園

植物園だって、博物館の一種さっ!

……これはやっぱり、苦しい言い訳でしょうか。

博物館シリーズの最後を飾るのは、1999年スペイン旅行のときのマドリッド駅の植物園にしようと思いました。

この場合、植物園とはいっても、きちんとそういう施設として独立しているのではなく、マドリッド駅構内の一部に、植物園のようになっているところがあるんです。

博物館シリーズの名にふさわしい写真を、撮っていないことはないんです、実は。
マドリッドが誇る超有名なプラド美術館の展示品。

でも、それじゃ、芸がないかなぁと思って。

もっとも、超有名な作品の写真は撮っていません。
それだったら、「プラド美術館」とあるカラー写真入りの本を買った方がずっとマシだからです。
解説もあるし(私は「薀蓄」が大好き@)。

撮ったのは、自分で面白いなぁと思ったけれど、画集や本で写真が載る確率はきっと低かろう、と思うものです。
いわゆる「だまし絵」効果のもので、テーブルに描かれた絵が、ちらっと見ると本物があるように見えたものでした。
でも、写真ではその驚きをうまく表現することができなかったので、その写真は今回は載せないことにしました。

このあたりは単なる余談。

1999年秋のスペイン旅行は22日間でしたが、スペインの地方を回るにあたり、前半2/3はマドリッドを基点にマドリッド観光に近郊都市や地方旅行を織り交ぜ、後半1/3はバルセロナに移動しました。

マドリッドから近郊や地方への移動には、長距離バスと鉄道の両方を駆使しました。

マドリード駅は、アランフェスへの日帰り旅行(アランフェスは、ロドリゴ作曲のギターのアランフェス協奏曲が有名ですね@)、アンダルシア地方の旅行の最初にセビリアに行くときと、バスでセビリアとグラナダとコルドバを結んだ後、コルドバから再びマドリードに戻るとき、それからマドリードからバルセロナに移動するときに利用しました。

マドリード駅の一角が植物園のようになっている、と知って、それならぜひ見たいと思ったのですが、最初のアランフェス行きに利用したときには、見つけることができませんでした。

変だなぁ、違う駅の話かなぁ。私の勘違いかなぁ。駅が広くて私が方向音痴だから見つけられなかっただけかなぁ。

と頭の中を「?」だらけにしつつ、それほどこだわっていなかったので簡単にあきらめた初回。

アランフェスは、いわゆる近郊列車で行けたために、そのホームが駅の中の植物園のそばを通らなくても行けるところにあったのかもしれません。

でも次にセビリアに行くためにマドリード駅を利用したときには、見つけました。
一回目に見つけられなかったので、余計に、「ああ、これのことか!」と感動しました。

1999_MadridStation-1.JPG

このアングルで私の目の前にドーン!と出現したので、なかなか迫力がありました。
レンガ造りの駅の中にあるというのも、なかなかいい味を出してしませんか?

下に降りて、少し植物園の中を回りました。

旅立ちの駅にふさわしい、こんな彫刻もありました。

1999_MadridStation-2.JPG

そういえば日本で旅程を立てるときに、インターネットを使って現地の交通機関の時刻表を調べたのは、この1999年の旅行が初めてです。
ああ、なつかしい。

博物館シリーズその7──ポツダム広場のベルリンの壁

これだって、オープンエア・ミュージーアムと呼べば、博物館の一種のようなもの。
……とこじつけるのは、少し苦しいものがあるかしら。

博物館シリーズも今回を含めて、残すところあと2回になりました。
というのも、デジタル化した過去の旅行の写真をひっくり返すと、確かに博物館の写真は他にも撮ってはいるのですが、当時の私には面白いと思って撮っても、ここにわざわざ載せて紹介するほど面白味がないかもしれないと思って。

それくらいなら、ちょっと変則的なものを、これもミュージーアムよ、とこじつける方が面白い気がしてきました。
ここのところ、そういうのが続いていましたけど@

ベルリンの壁が1989年に崩壊する以前は、西ベルリン側は落書きがぎっしりでしたね。
落書きとくくるには失礼なくらい、アートなものばかりだったと思います。
壁が崩壊する半年前にベルリンを訪れているので、そんな賑やかな西ベルリン側と、一転して寂れた東ベルリン側と、両方から壁を見ています。
。。。残念ながら、もうだいぶ記憶は薄れてしまいましたけど。

2001年と2002年の秋に、約10余年ぶりにベルリンを再訪しました。

ベルリンに行こうと決めて、ガイドブックや本をあさったとき、「新生ベルリン」「変貌しつつあるベルリン」「ベルリンは、いま……」みたいなキャッチフレーズに、わくわくしました。

そのベルリンの中でも変貌の激しい一つに、やっぱりポツダム広場が挙がるでしょう。

1989年に、ベルリンフィルに隣接の楽器博物館を見に行くために訪れたポツダム広場は、草茫々の空き地が一面に広がっていました。
天下のベルリンフィルが、こんなに寂しい「郊外」にあるのかと(下調べの足らなかった当時はそう感じられました)、びっくりしました。

遠くに、壁も見えました。
いや、距離的にはそんなに遠くなかったのですが、何しろ、なんにもなぁい空き地だったので、心理的に余計に遠くに見えたようです。

2001年、ポツダム広場駅を出てすぐの、ソニーセンターをはじめとする、超高層の現代ビルが立ち並ぶ有様に、写真であらかじめ知ってはいたものの、びっくりしてしまいました。
あの草茫々が、こんなにお洒落な近未来都市になったしまったのか!って(大げさ(笑))

よっくみたら、当時もまだまだ、工事中のところや、開発途上の空き地がありましたけどね@

これから紹介するベルリンの壁の写真は、その翌年の2002年に撮影したものです。

壁がなくなってちょっと残念に思ったのは、あのアート空間がなくなってしまったのか、ということでした。

といっても、多少は残っていると知っても、敢えてそれを目的として探しに行くまでではありませんでした。
だってベルリンには他にたくさん誘惑があったんですもの@

なので、ポツダム広場駅にほど近いところに、こんな風にベルリンの壁の絵が残っているところを、それと知らずに見つけて、嬉しくなってしまいました。

鉄格子に阻まれてはいたのですが、写真を撮りました。

2002_BerlinWall-1.JPG

真ん中の可愛らしい絵は、平和の象徴のハトと……赤いイヌかな。
赤いイヌって何の象徴かしら。
イヌが手にしているのはボールかと思ったのですが、地球ですね。

その手前の二枚。

2002_BerlinWall-2.JPG

鉄格子に阻まれているので、ちょっとアングルがきついですが。

鉄格子の手前にコンクリートのかけらがあったので、その上に乗り、少しでも高い位置から撮って見ました。

2002_BerlinWall-3.JPG

2002年度は、チェックポイントチャーリーにも行きました。
閉館が20時と遅くまでやっていたので、ふらっと入ったというのが正直なところ。

チェックポイントチャーリーは既にベルリンの壁博物館となっていました。
既に、と感じたのは、壁のあった1989年当時は、まだちゃんと検問所だったはずなので。
(というか、検問所と博物館は、もうすでに建物は別でしたね。)

といっても、1989年の春の当時の検問も、東ベルリン観光のバスに乗っていたせいか、すでにそういう世情になっていたのか、やけに愛想のよい検問官が「みんな、元気か!」みたいな明るいノリで(いや、実際にはそんなことは言わなかったですけど)、「問題ある? ないよね?」みたいな確認程度でした。
(ガイドとはちゃんと話をして、メンバーを確認していたと思いますけどね。)

現在のチェックポイントチャーリーは、ベルリンの壁を超えようと人々の努力と悲劇と壁の歴史を紹介する博物館となっています。

パネルの説明には英語も併記されていたので、じっくりと1時間はかけて見学しました(それでも全部は読み切れませんでした)。

博物館シリーズ6──フンデルトヴァッサーのクンストハウス・ウィーン

コーヒー好きの私は、マグカップに愛着があります。

今年の夏の旅行でウィーンに行ったとき、フンデルトヴァッサーの美術館「クンストハウス」のミュージーアム・ショップで、フンデルトヴァッサーのマグカップを買ってしまいました!

早速、職場でこれを使うことにしました。

「ステキなカップね!」と言われて気を良くした私。
「そうでしょ、フンデルトヴァッサーのデザインなの!」
と嬉しげに自慢したら、
「何それ?」

……ガクッ。

とはいえ、私も去年の2003年にオーストリアを旅行しようと思い立つまでフンデルトヴァッサーを知らなかったのですから、人のことは言えません。

とりあえず「建築家でね、ウィーンのガウディっていわれる人」
と答えておきました。
これが一番、話が早かったから。

興味のなかった人でも彼の建築をひと目見れば、きっと気に入ってしまうと思います。
人間は自然と共生すべきだ、という持論のもと、直線が一切使われない彼の建築。
カラフルでとても可愛いです。

ウィーンはセセッシオン、カールプラッツ駅、マジョリカハウスなど世紀末建築の宝庫ではありますが、それらと合わせて、フンデルトヴァッサーの建築も、ぜひ見に行こうと思いました。

その彼の手がけた建築の一つが、そのまま彼の美術館「クンストハウス」となっているときけば、美術館好きの私には一石二鳥!

もっとも去年の2003年は、19時まで開館というので油断をし、思ったより行くのに時間がかかって、着いたのは閉館30分を切ってしまいました。
えーえー、もう、ほんの2〜3分だったと思いますよ。
でも、無情にもチケット売り場の窓口は固く閉じられ、入ることはできませんでした。

哀しいけれど、とりあえず来たからには、ということで、ショップを見てまわり、併設のカフェ・レストランでひと休みをし、トイレを見てきました。
というのも、「地球の歩き方」に、カフェ・レストランとトイレも必見、とあったからです。

というわけで、写真は、カフェ・レストラン側から見たクンストハウスの建物の壁面です。

2003-kunsthause-cafe.jpg

次は、必見のトイレ。

2003-kunsthause-wc.jpg

たしかになかなかステキなデザインですよね。
トイレとはいえ、あなどれません!

去年はクンストハウスに入り損ねたまま、泣く泣くウィーンを去りました。

そして今年、ウィーンを再訪したとき、去年見損ねたからこそ、絶対行くリストに入れました。

彼の常設展はワン・フロア分でしたが、いやはや、期待どおりのすばらしい美術館でした。

ちなみに展示されていたのは絵です。
彼は絵も描くんです。
それから建築の模型もありました。
美術館の展示品の写真は撮れませんでした。
なので今回は、美術館の建物とトイレの写真で、博物館シリーズに強引にまぜました。

ちなみにこのときもギフトショップに寄って、美術館に今度こそ入れたことに気を大きくし(?)、マグカップを買ってしまいました。

フンデルトヴァッサーのカップといえば、ちょうど去年、ザルツブルグのショーウィンドウでたまたま見つけて、写真を撮っていました。
写真のは紅茶カップですが、私が買ったマグカップはこれと同じデザインです。

2003-hundertwasser-cups.jpg

手前にあるのが、ちょっとマグカップっぽいです。

実はこのとき、ウィーンのあとはまだ2週間、チェコ旅行を控えていました。
途中、バスを使った地方めぐりもあったのに、マグカップなんて、余計な荷物になるよなぁ、とは思ったのですが、買いたい誘惑に負けました。

そして帰国後の現在、愛用しています。

博物館シリーズその5──ウィーンとグラーツの自然科学系の博物館

趣味や好みというのは、年齢を経るにつれて変化するものなのですね。

あるいは、連鎖的にジャンルがずれていっただけで、大枠でいうと似ているに変わらないのか、それとも新しい分野だと思っていても、根っこのどこかに、あるいは昔は好きだったけどしばらく興味を失っていたものを、ちょっと新たな視点でまた見直して再び好きになっただけかしら。

ミュージーアムが好き、というところは変わっていないので。

何の話かといいますと、海外旅行を始めたばかりの大学生の頃には、たぶん見向きもしなかったあるジャンルのミュージーアムに、ここ数年前からほとんど必ず、あれば必ず行くようになったからです。
海外旅行を始めたばかりの頃の私であれば、必ずトップにリストアップしていたと思われるところの優先順位を下げても。

そのころは、西欧絵画に一番夢中でした。
まだまだカラー写真入りの本の方が稀少で、挿絵が白黒で我慢せざるをえなかった頃。
その実物を旅行先で見て、こんな色をしていたんだ、こういう絵だったんだ、という衝撃は、現地に行かなくても情報がたくさん拾えるようになった今よりも、もっともっとすごかったです。
ま、それは別に絵画に限らず、ですけどね。

数年前から、アクセサリー好き・宝石好きから、鉱物に興味を抱くようになりました。
写真でしか見ることのできなかった宝石や鉱物の結晶の実物を目の当たりにして衝撃を受けたのは、よく覚えています、2001年のドイツ旅行で、ミュンヘン市内のやや中心部を外れたところにあるニンフェンベルク城内の博物館なのです。

ガラスケースの向こうの展示品のすばらしさに、「ひぇー」「ほぇー」「うそーっ」といった独り言の奇声を抑えきれず(さすがにボリュームは抑えてましたし、ほとんど人がいなかったから、ですけどね)、気がついたら係員がこっちを見ていました。

去年のオーストリア旅行で訪れたウィーンとグラーツでは、すばらしい鉱物コレクションがあるという自然科学博物館は、外せませんでした。
海外旅行を覚えたての頃は、よっぽど時間が余るのでない限り、見向きもしなかった博物館だなぁと、自分で行く先リストを作りながら、感慨にふけってしまいそうになりました。

次の写真は、ウィーンの自然史博物館とグラーツのヨハンネウム博物館の鉱物コレクションの展示室からです。

まずはウィーンの自然史博物館。

展示されている一つ一つの結晶がどんなのか、というのはよくわからないですが、こんな風に展示されていた、という様子を写したくて撮った写真です。

2003-Naturhistorisches-1.jpg

こういうアンティークな展示ガラスケースも私にとって珍しかったです。
温かみがあって、とてもいいなぁって思いました。

もう一枚。ちょっと暗めの写真ですけど。

2003-Naturhistorisches-2.jpg

中央に写っている黄色いもじゃもじゃしたのは、金塊です。欲しいなぁ、こんなの。垂涎もの。唾が口の中でジュルジュル。

次にグラーツのヨハンネウム州立博物館。

2003-Joanneum-1.jpg

上の方の一番目立つオレンジの結晶は、岩塩です。

この博物館は、ハプスブルグ家の一員でグラーツの繁栄に尽力した、庶民派のヨハン大公が設立したもので、近代博物館の機能を備えた、オーストリア最古の博物館だそうです。
鉱物コレクションは、世界各国からの結晶はもちろんですが、やはり郷土からとれる鉱物が特徴的です。

その中でも、岩塩の結晶はとてもステキでした。
氷やクリスタルの結晶になんとなく似てるんですね。案外、カラフルで、でもやや曇り加減が、親しみあって。
見てて、舐めたいなぁって思いました。岩塩だって思うからでしょう。

もう一枚。今度はガーネットの結晶が撮りたくて撮った写真です。

ちなみに私の誕生石はガーネットなので、ガーネットには思いいれあり@

2003-Joanneum-2.jpg

結晶の大きさを対比させるために、私の旅のお供のマスコットを隣に手前においてみました。
手のひらにすっぽり入る大きさのミニ・ヒヨコですが、7~8 cmはあります。

宝石の本で、サイコロ大のガーネットが母岩にこんな風に埋め込まれている写真を初めて見たとき、気持ち悪い!って思ってしまいました。

と同時に、ガーネットの原石がこんな風に採取されるのか、と、自分の持っているアクセサリーのガーネットを思い出して、びっくりしました。

ガーネットは宝石種の中ではよく採れる鉱物の一つですが、このサイコロの一つでも手に入ったら、大きなアクセサリーができるなぁ、いったいいくらになるんだろう、と、美しさにうっとりしながらも、口の中は唾じゅるじゅる。

ちなみにオーストリアで、宝石をたっぷり使ったすばらしい宝飾品に出会えるのは、やはりウィーンの新王宮にある宝物館です。

あいにくここは写真を撮ることができませんでしたが、去年の2003年のオーストリア旅行のときに行っただけでは飽きたらず、1年後の今年の中欧旅行でもウィーンに立ち寄ったときに、再訪しました。

博物館シリーズその4──ブダイ・ヴィガドーのハンガリー民族衣装

(※写真を一枚追加)

今回の写真は、「博物館シリーズ」と言い切るには無理があるのですが、強引にまぜてしまいました。
だってブダイ・ヴィガドーって劇場ですもの。

ここ数年、旅先でのナイトライフに凝り出した私。
バレエやコンサートのチケットが日本よりもずっと安く手に入るとなけば、行かない手はありません。

それでも数年前までは、女一人旅なので、夜遅くまで一人でであるくことになるのは極力させていました。
しかし、その魅力にとりつかれてしまってから……もう、止まりません!

今年の中欧旅行では、20日間の旅行で11回も、劇場に足を運んでしまいました。
バレエありコンサートありオペラありミュージカルありマリオネットありブラックライト・シアターあり、何でもござれ!
ああ、言葉の障害があるので、演劇には行ってないんですけどね。

夏のヨーロッパは、いくら劇場通いをしたいと言っても、国立オペラ座のような有数な劇場は、7~8月はお休みのことが多いです。
(代わりにとてもいい公演が来日したりしていますね。)
なので、旅行が夏になってしまったとき、あんまりあてにしていなかったんです。

しかし、天は我を見捨てず! (なんちゃって)
サマーフェスティバルってやつが、あったんですね。
そして、観光客向けの興行は、夏か稼ぎどころ、というか、夏でも定期的に開催されていました。

私がブダペストのブダイ・ヴィガドーで見たハンガリー民族舞踊コンサートもその一つ。

ブダペストは、ブダ地区とペスト地区、あわせてブダペストというのです。
ブダイ・ヴィガドーはブダ地区にあります。
ペスト地区にもあって、そちらはペスティ・ヴィガドーといいます。

どうやらペスティ・ヴィガドーの方が、襟を正さねばならぬような催しものが多いようで。
ブダイ・ヴィガドーの方はもう少し気楽に入れるようです。たぶん。

そう、昼間の観光でよれよれになった姿で、時間ぎりぎりに飛び込んでも、座席を埋めるのは私と同じような観光客ばかりなので、あんまり気にならないような……(気にしろよっ、って自分でつっこむ)。

あ、チケットは予約しておきましたよ。誤解のないように付け加えておきましょう。
逃したくなければ、当然ですね。

で、次に紹介する写真は、ブダイ・ヴィガドーに展示されていた、ハンガリー民族衣装からです。
すばらしい刺繍のステキな衣装ばかりで、結局、展示してあるのを全て写真に収めてしまいました。

そのうちの3枚を。

2004_BudaiVigado-1.JPG

この模様は、ご存知、ハンガリーみやげの筆頭にあがるカロチャ刺繍の図柄によくあるやつですね。
いやぁ、私も買いましたよ、ちゃんとね。ここまですごいのではなく、テーブルクロスとかコースターとか、小物ばかりですけど。

ちなみにドレスの上にある赤いのは髪飾りです。

そして、もう一枚。

2004_BudaiVigado-2.JPG

これもステキです。右側の青いのは男性の衣装です。

男性の衣装といえば、こちらも。
ベストとブーツがつきものです。

2004_BudaiVigado-3.JPG

あちらの方々は、男の人でも花柄の衣装が似合ったりしますよね。
年配の人も!
さすが民族衣装。老若男女、一生、着れます。

あ、コンサートで歌ったり踊ったりしていたのは、若い男女が多かったですけど。

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