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1998年秋 イスラエル旅行11日間

旅先のおみやげシリーズその12──イスラエルで買ったもの

1994年のトルコ旅行、1997年のチュニジア旅行、そして1998年のイスラエル旅行。
ついでに加えるなら1999年のスペイン旅行のイスラム文化の香り高きアンダルシア地方。

ふりかえると、1990年代の中盤から後半にかけて、私はどちらかというとアラブ圏を中心に旅行してきました。
私の中でアラブ文化への関心が特に高まっていた時期でした。
きっかけは……うーん、特にないですねぇ。覚えていないだけかしら。
しかし、ずっと西欧かぶれだった私も、西欧にないアラブ文化のエキゾチズムには、ずっとあこがれを抱いていました。

1998年の秋。
折しも、前年度のチュニジア旅行でアラブ圏の旅行に味をしめた私。
かつ、日本人の海外旅行ブームが急上昇していく中でも、まだまだ訪れる人の少ないマイナーな国だったチュニジア。
どうせなら次のターゲットも、そんな国に行きたいと思ったため、イスラエルにねらいを定めました。

イスラエル───ヨーロッパ文化の根底をなすキリスト教聖典「聖書」の舞台の地。
同時にコーランの聖地でもあり、岩のドームを筆頭とするアラブ文化も根を下ろした国。
遠い日本にいて、なんであんな狭いところに民族がひしめきあい、争いが絶えないのか、私にとって理解できなかった国。

そんなイスラエルに、西欧かぶれの私もいつかは訪れたいものだ、と心の底でずっと思っていました。
たぶん。
でなければ思いつかないと思うんです、イスラエルへ行こう、って。

というわけで、1998年の旅行をイスラエルに思い定めたきっかけは聖書とコーラン(と、珍しいところへ旅行したよ、と自慢したい気持ち@)でしたが、実際、旅行のための下調べの文化・歴史背景探りでテーマとなったのは、この2つではなく、ユダヤ教と中東史でした。

まあ、考えてみたら当然なテーマですね。

それに、聖書とコーランについての知識はある程度あったからこそ、イスラエルに行こうと思い立ったわけで、いざ行くと決めたら、全く知らなかったことこそ下調べのメインテーマになるのは自然ななりゆきでした。

ユダヤ教も中東史も、どちらもそれまで私が全く関心を抱いたことのない分野でした。
イスラエル旅行がきっかけとなり、これらに関心を持つようになり、自分なりにいろいろ調べたこと───。
これが私にとって、イスラエル旅行で得た大きな収穫の1つといえます。

やっぱりね、関心を持つか、持たないか、これは大きな違いです。もちろん、何事においてもそうですが。
関心を持たなければ、第一歩は踏み出せません。そしてこの第一歩を踏み出すと、見えてくる世界がガラッと変わります。

で、下調べに、実際の旅行、そして帰ってきてからさらに調べたこと、考えたこと、頭の中で整頓したこと、文章にまとめたこと───これが私のイスラエル旅行の非物質的な収穫とすると、では、物質的な収穫は?

というわけで、ここでイスラエルで買ったものの話になります。

イスラエルも、魅力的なお土産にあふれていました。
海外の土産や雑貨が国内でも容易に手にできるようになった今でも、さすがにイスラエル雑貨やユダヤ教がらみのグッズなんて、そう気軽にお目にかかれませんものね。
そしてなんといっても、まだまだ日本人にとっては行く人が珍しい国ですから。

まずは、イスラエルで買ったお土産の勢揃い写真です。

1998_israel_gifts1

全部で8点あります。

こうして見ると、今までの旅行先で買ってきたものに比べて、極端に多いというわけではありませんでした。
まあ、旅行期間は11日間、乗継の関係で正味9日間きりでしたからね。
これにプラスして絵はがきや写真入りのパンフレットを買っているので、十分多いかしら。

ちなみに、このときのイスラエル旅行は、1人から参加できるツアーを利用しました。
もとは9日間(正味6日間)の企画でしたが、エルサレムを延泊にして11日まで延ばしました。

ツアーには、往復の航空券と延泊を除く滞在期間のホテル代のほか、到着日のテルアビブの空港からホテルへの移動、テルアビブから死海までの移動、そして現地ガイドの案内によるエルサレム以外のイスラエル観光2日間が含まれました。
現地ガイドと回ったのは、マサダ要塞、ガリラヤ湖周辺のイエスゆかりの地、ティベリア、ナザレ、チェザーリアなどです。
残りのエルサレム滞在の5日間はフリーでした。
ホテルは、当初は他に安いところに取り直そうかと思ったのですが、結局、同じところで延泊しました。
快適な四ツ星高級ホテルでしたし、旧市街から離れているけれど、レセプションで申し込める魅力的な現地ツアーも多いし、それに博物館めぐりが好きな私にとって、イスラエル博物館が歩いて行ける距離(徒歩15分くらい)にあったのは美味しかったです(なので、市内観光に含まれていたのも勘定すると4回も足を運んでしまいました。夜間も歩いて行きました@)
しかし一番の理由は、ホテル探しの手間と時間が惜しくなったからでした。
イスラエルは物価が高く、決してお安くなかったのですが、連泊したため、ホテル代はちょっとまけてくれましたよ@

ここらで話を戻しましょう。
個々のお土産がよく見えるように、少し分けて撮った写真がありますので、それといっしょに買ったものの説明をしましょう。

1998_israel_gifts2

まずは額絵です。
ワン・ポイント・ジャパニーズも一緒にファインダーに収めました。ワンでなく2匹ですけど。

イスラエルらしいモチーフに溢れた絵です。
真ん中にあるのは七枝の燭台を持つ「メノラー」です。

「メノラー」はユダヤ教の聖具で、「ダビデの星」と並んで、ユダヤ人の象徴的なモチーフの1つではないかと思います。
真ん中には「ダビデの星」があります。
空には竪琴と太陽と白い鳩。なんだか象徴的です。
カラフルに描かれた街は……真ん中に川が流れ、四方が岩山に囲まれています。
うーん、残念ながら、どこの町かよくわかりませーん。

1998_israel_gifts3

壁飾りです。
これはむしろキリスト教のモチーフがたくさんです。

ヘブライ語では、たぶん、何かありがたい言葉が書かれています。
魚は、イエスを象徴しています。

一番下の鶏の頭は……鶏で私が思い浮かべる聖書のエピソードは、ペテロの話です。
イエスがエルサレムで捕らわれて十字架にかけられることになったときに、弟子たちはおそれをなして逃げてしまいますが、その中でペテロはすれちがう人に「あんた、あのイエスの弟子じゃなかった?」と言われて、「イエスなんか知らない!」と、鶏の鳴き声を聞くまでに3度否定したというあれです。
これはまさしく、その前夜にイエスが予言したとおりになってしまったわけなのです。
イエスが予言したとき、ペテロはイエスのために命をも投げ出せると豪語していたのです。
実際には自分も囚われるのが怖くて、イエスの予言どおりに3度も否定してしまいました。
ぺテロがそのことを思い出して非常に後悔して、自分の弱さを知り心を入れ替え、イエスの教えの布教に努めました。
ある意味、ペテロはこの経験により、肉体ではなく心に十字架を背負ってしまったといえましょう。
結局、ペテロも十字架にはり付けられて殉死します。
しかし、イエスの教えをイエス自身よりも広く教え広めて、キリスト教の基礎を打ち立てたのです。
逆説的なようですが、自分の弱さを知った人間、心に十字架を背負った人間の方が強くなれるということでしょう。

1998_israel_gifts4

再びメノラーです。

ユダヤ教の祝日にはユダヤ人の歴史に立脚したものがあります(ただしほとんどが紀元前とか、そのくらい古い出来事)が、メノラーはその1つ、「ハヌーカ」に関わるものです。

「ハヌーカ」は、紀元前にエルサレムの神殿をシリアから奪回したユダヤ教徒の勝利と神殿への再奉納を記念する日だそうです。ユダヤ暦で定められるので、移動祝日です。

ユダヤの家庭では、ハヌーカの日より7日前からこの燭台に右端から順番に毎日1本ずつ火が灯されます。そして全員が毎晩神に祈りを捧げます。
子供たちにとっては、毎晩ちょっとした贈り物がもらえる、嬉しい行事でしょう。
そして祈りの後は、伝統的な歌やゲームを楽しむパーティが開かれたりするそうです。

この模型の置物のメノラーには、ヘブライ語のあいさつの言葉「Shalom(シャローム)」が書かれてあります。
「こんにちは」も「さようなら」も「シャローム」1つでむ便利な言葉ですが、これはもともと「平和」という意味だそうです。

メノラーの手前にある指輪とペンダントは、エルサレムの聖書考古学博物館のギフトショップで買ったものです。

指輪は、考古学博物館の展示物のフェイクでしょう。いかにも古代の指輪チックでしょ@
ヘブライ語で幸福を呼ぶおまじないのようなものが書かれているそうです。

とにかく、ヘブライ語のモチーフというのは魅力的でした。
日本の漢字をプリントされたTシャツなどが海外でウケるのと、ちょっと通じるところがあるかも@

でも、この指輪に書かれているのはちゃんとしたおまじないです。ギフトショップの店員さんのお墨付きですし、その解説のカードも入ってますからね。

ペンダントは、ザクロの形をしています。展示物のフェイクです。
折りしも考古学博物館では、「聖書に出てくる7大作物」という企画展が開催中でした。
その7つとは、小麦、大麦、ブドウ、イチジク、ザクロ、オリーブ、ナツメヤシです。
その展示物の中で、このザクロの彫刻のようなものは特に印象に残ったものの1つでした。
そのフェィクがペンダントとして売られていたのですから、買わずにはいられませんでした。

ただ、このペンダントはご覧のとおりとても大きくて、胸元でごろごろ揺れると、生地の薄い服の上からだとひじょーにくすぐったいです@

1998_israel_gifts5

イスラエルで買ったアクセサリー4つを、日本で買ったガラス細工の中に配置させてみました。

一番右、ガラスの皿の外にあるのは、真珠とオニキスのブレスレット。
私はブレスレットをつける習慣はないのですが、あんまりステキなので買ってしまいました。
これはエルサレムの現地ツアーに参加したときに連れていかれた、ベツレヘムのギフトショップで買いました。

緑のガラスのクジラの前にあるのは、竪琴(たぶん……)をモチーフにしたシルバー・ペンダントヘッド。
これも、幸福のシンボルとかまじないが書かれています。そのはずです@
エルサレムの聖書考古学博物館のギフトショップで買いました。

黄色のガラスのクジラの前にあるのは、先ほどの写真でも紹介した指輪。シルバーです。

青いビー玉の前にあるのは、メノラーをモチーフにした14金のエイラット・ストーンのペンダント・ヘッドです。

エイラットは、紅海に接した先端にあるイスラエルでも有数のリゾート地です。
そこにちなんだ名前がついています。
産地がエイラットに近いからだったと思います。
あるいはこのエイラット・ストーンは、ソロモン・ストーンとも呼ばれています。
聖書に登場するユダヤの偉大なソロモン王の鉱山から採れた石といわれているためです。

海外旅行に行くにあたり、お土産として買って帰ってくるためにその国固有のアクセサリーは必ずチェックする私。
イスラエルではこのエイラット・ストーンに目をつけました。

他には、イスラエルもダイヤモンド集積地なので、その気になればダイヤモンド工房に行っておトクな値段で購入することができたんでしょうけれど、当時の私にはダイヤモンドは高嶺の花、というよりは、食わず嫌いでした@

エイラット・ストーンの正体は、宝石・鉱物への関心が高まって集めた「ジェムストーン百科事典」という本で知りました。
クリソコラ(珪孔雀石)とマラカイト(孔雀石)が不均質に混ざった石だそうです。

クリソコラは、不透明の青い石です。ガラス光沢か脂肪光沢があります。
マラカイトは、不透明の緑の石です。ガラス光沢か金剛光沢があります。結晶は腎臓状というかブドウ状に成長するため、その切り口はきれいに輪になった縞々模様とになります。
粉にしても緑なままなので、昔は顔料としても利用された石です。

私が買ったエイラット・ストーンは小さいので、この2つの石が混ざった様子はよくわかりませんが、全体的にどことなく青緑です@

最後の写真は、小さいため今までの写真ではやや見づらいアクセサリーを集めて、もっと近寄って撮ってみたものです。

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ちなみに、「旅先のおみやげシリーズその6──チュニジアで買ったもの」で紹介したキーホルダーの中に、イスラエルのものも混ざっていました。

1997_tunisia_gifts3

たとえば、これ。

1997_tunisia_gifts3_zoom1

ちゃぁあんとイスラエルって書いてあります。

これはエルサレム旧市街がモチーフになっています。
壁は、エルサレムの旧市街の中でもユダヤ人にとって聖地の「なげきの壁」で、塔は、「ダビデの塔」と呼ばれている現在歴史博物館となっているユダヤ人の古代都市の遺跡だと思います。

そしてこちら。

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ダビデの星とヘブライ文字ですね。

最後にちょっと宣伝。

私のイスラエル旅行の非精神的収穫物である「旅行記」は、旅行のクチコミサイトフォートラベルの方に写真とあわせて掲載しています。全部で13回です@

↓旅程一覧と初日の旅行記のURL
http://redirect.4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10031437/

旅先のおみやげシリーズその6──チュニジアで買ったもの

チュニジアを旅行したのは、1997年9月。もう9年にもなるんですねぇ。

おみやげシリーズとしては、1997年より前の旅行、たとえばイタリアとかトルコとかマルタとかのものを先にご紹介したかったのですが、かき集められるときに撮っておいた写真で、先にチュニジアのものが集まりましたので、今回はそれをご紹介しようと思います。

先に撮っておいた理由は、いま、9年もたってやっとチュニジア旅行記を書き上げ、それを「旅行のクチコミサイト フォートラベル」に現在、掲載しているせいです。

アドレスはこちら。サイドバーにはリンクがあります。
http://redirect.4travel.jp/traveler/traveler-mami/

そのサイトは写真紹介がメインなのですが、私はすっかり、旅行記のHPのような使い方をしています。
写真のコメントに、旅行記を織り交ぜていってます。

ところが、チュニジア最終日は、サハラ砂漠オアシスの町ドゥーズから首都チュニスへ、10時間のバス移動で終わってしまったため、特に写真を撮っていないのです。

そのサイトの旅行記の特徴上、写真なしで延々と文章だけ、というのもなんなので、それなら買ったおみやげの写真をアップしようと思いつき、それで先にチュニジアのおみやげの写真を撮った、というわけなのです。

撮った写真は次の4枚です。
今回は、随時、ズーム写真を混ぜましょう。

まずは、これ。

1997_tunisia_gifts1

クルミ材の手作り小箱と額縁の絵とガラスの香油入れ。

小箱とガラスの香油入れにズーム!

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これらの小箱と香油入れはチュニスのメディナ(アラビア語で「町」の意味。すなわち、旧市街)のおみやげ屋で、額縁の絵はローマに戻るときのチュニス空港で買いました。

チュニジアでは香油はお買い得なようです。おみやげリストに加えていいと思います。
少なくともチュニスのメディナには、香油がズラッと売られていました。

でもこのときの私は、香水を、出国のときの成田空港、それからチュニスに飛ぶときのローマの空港の免税店で、1瓶ずつ、計2瓶も買っていたので、チュニスで香油に食指が動きませんでした。ううーん、残念!

実は、買わなかったけど、見本として少しもらいました。
それをつけるたびに、パルファムやオードトワレとは違う感触や長持ちする匂いに、買ってくればよかったなぁと後悔しました。

写真のガラスの香油入れは、友人に配るおみやげとして買っておいたのですが、ガラスなんて、旅行中に壊れないかと神経を使うので、そんなにいくつも買いませんでした。

2005年に世界万博「愛・地球博」の様子をテレビやネットで覗き、チュニジア・パビリオンのギフトショップでこの香油入れが売られているのを見て、あーっ、どうしてチュニスでもっと買ってこなかったんだろうと後悔しました。

……といっても、いまこの写真に写っている1瓶も、香油が入っているわけでなく、結局はただの飾りと化してるので、いくつもあっもしょーがないといえばしょーがないですねぇ。
一度香油を入れたら匂いが残ってしまうので、買い足せない限り、入れられないっ、と思ってしまったせいです。

次は額絵です。

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これは、チュニス空港内のギフトショップの店頭で見つけました。一目ぼれしてしまいました。

目の覚めるような美しい青一色に、ちょうど二日前まではどっぷり浸かっていたサハラ砂漠(といっても、3日間ですけどね)と、先史時代の遺跡の岩絵か何かをモチーフにしたイラスト。
手にとって眺めて、そのままお別れするのに忍びなく、迷った挙句、買ってしまいました。

この丸と三角の組み合わせで人をかたどっているようなモチーフは、チュニジアでおみやげとして、ちらほら見かけました。
でも、一体、どこから来たのか、何のレプリカなのか、残念ながら未だに分らないままです。

次は、これ。

1997_tunisia_gifts2

ラクダのぬいぐるみです@
これはワン・ポイント・ジャパニーズ入りです。ピカチュウの貯金箱@

ラクダのぬいぐるみは全部で4頭いますが、チュニス(Tunis)のメディナとモナスティール(Monastir)のメディナで2頭ずつ買っています。
左右2頭ずつ、少しテイストが違うの、おわかりでしょうか。

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向かって左がチュニスで買ったもの、右がモナステイールで買ったものです。

チュニスで買ったのが先です。
チュニスで買ったラクダの方が顔がはっきりしてますが、モナスティールで買ったラクダは顔がモコモコしていて、もっと可愛く見えたので、また買いたくなってしまったのです。

当時は、小さな子供がいる友人のお土産にしようと思っていました。だからこそ、後で2頭、買い足したんです。
でも、よく見ると、縫製というか作りが、日本のぬいぐるみよりもちょっと雑ですし、外に陳列されていたりしたので、衛生面も気になり、幼児向けとしては不適切かもしれないと思い、結局、4頭とも自分の手元に残しました。

しかし、チュニスもモナスティールも、チュニジア旅行の途上でした。
この先、スーツケースを持ってのフル装備の移動がまだあったのに、私ってば、こんなかさばるぬいぐるみを買ってるんですよ。
おみやげ屋に並んでから、つい欲しくなったからといって、我ながら物好きというか、物欲が強いというか……。
つぶれてしまいそうなのでスーツケースには詰められず、仕方がないので買ったときにもらったビニール袋に入れたまま、スーツケースの取っ手にくくりつけて移動しました。
ビニール袋からラクダの顔が見えていたのが愛嬌@

ちなみにモナスティールとは、チュニジア共和国初代大統領ハビブ・ブルギバの故郷の都市で、彼の故郷ゆえか、20世紀初頭にメディナを含めて町はきれいに整備されたようです。
地中海に面する町で、チュニジアというアラブの国にいるのを時々忘れそうになるような、ヨーロッパ風のリゾートタウンです。
そうはいっても、アラブ風の街並みやモスクはもちろん、健在ですけどね。

次はこれ。チュニジアで買ったキーホルダー・コレクションです。

1997_tunisia_gifts3

結構、たくさんあるでしょ@
友人へのお土産で配った後も、これだけ手元に残っています。
というか、数個ずつ買って、1個は手元に残るようにしたんです。

キーホルダーのデザインは、ズーム写真と共にご説明しましょう。

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おそらくメディナの城壁とモスクの塔ですね。

どこの町かは不明です。様式化されたものではないかと思います。
それとも、このキーホルダーを買った町、スース(Sousse)がモデルかな。

と思ったら、よっく見たら、「Jerusalem」って書いてますねぇ。ありゃりゃ!

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「ファティマの手」という手の形のお守りの形の中にチュニジア国旗デザイン。
これは大丈夫! チュニジアものです。

ファティマとはイスラム教の始祖マホメッドの娘です。貧しい女性のために力を貸したりなど、慈悲深い女性として慕われていたようです。4代目カリフのアリーの奥さんでもあります。

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砂漠に生息するサソリが使われています。オモチャじゃなくホンモノです。

チュニジア旅行後にはずっとこれに家の鍵などくくりつけて使っていたのですが、まわりのプラスチックが少し取れかけてしまいました。
死骸とはいえ、財布の中にサソリがポロンと落ちたらイヤなので、今は他の使っていないキーホルダーと一緒に小箱にしまっておいてます。

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上はラクダ。下はは三日月とナツメヤシとラクダ。
どちらも、サハラ砂漠をイメージしやすいデザインです。

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星形の中にアラビア文字かな。
でも、アラビア文字にこういうのはなかったはず。私の目にはむしろ、ヘブライ文字に見えてしまいます。
そして星形といえば、「ダビデの星」が思い浮かびます。
でもそんなこと言ったらも、イスラエルのデザインになってしまいますね。

あれ~っ、これも、まさかイスラエルで買ったものかなぁ。
すでに最初のキーホルダーがイスラエルのものと判明してますから、これもそーかもっ!
いや、そーに違いありません。

まあ、いいや@

というわけで、チュニジアで買ったキーホルダー・コレクションなどと言いながら、実は翌年に行ったイスラエルのものが、2個も混ざっていました。
そういう記憶の混同って、よくあるさっ!

最後は、チュニジアで買ったアクセサリー・コレクションです。

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アラブチックなデザインのオニキスのシルバーペンダントと、左右に金メッキと銀メッキのペンダントヘッドです。

ズームします。

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金メッキのペンダントヘッドを、オニキスのシルバーペンダントの一部と一緒に収めてみました。
金メッキのペンダントヘッド。モチーフは「ファティマの手」です。

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銀メッキのペンダントヘッドのモチーフは、いまいち不明。
鳥かごにも見えるし、モスクのドームかもしれません。
でも、チュニジアでおみやげなどのモチーフによく使われていたデザインです。

アクセサリーについては、「チュニジアで買った」というところが特にポイントです。

もちろん、このブログの今回の副題がそうですが、要するにこの時の旅行では、チュニジアの前に回ったイタリアでも、ちゃんとアクセサリーを買っているからです@
それはいずれ「イタリアで買ったもの」として、いずれまとめてご紹介したいと思います。

それにしてもアクセサリーって、いままで撮ってきた小物と違って、撮りづらいですねぇ。写真にすると、なんかパッとしなくなります。
ディスプレイも難しいですわ。

今回のアクセサリーは光の反射がポイントの透明の石のジュエリーはありませんが、光の反射をうまく写真に捉えるのは私の腕ではとっても無理でした。
反射って、光がキラキラ動かないと魅力半減しますからね。
一眼レフカメラだと、夜景用にそういうキラキラを残すフィルターがあるみたいですけど。

実は、このあいだ、試しにダイヤの指輪の写真を撮ろうとしました。
でも、ファインダーにはキラキラの一部しか捉えられず、「キラキラッ」のはずが、「キラ」あるいは、「キ」(ともに「ッ」なしで発音を止めるかんじ)くらいになってしまうので、あきらめました。

アクセサリーもキーホルダーも、どれもチュニジアのスース(Sousse)という町で買いました。
イスラエルで買ったやつは、もちろん違います@

スースはチュニジア第3の都市であり、現在は、ヨーロッパから大勢のリゾート客が訪れる地中海沿岸のリゾートタウンでもあります。
そこの外国人観光客向けの国営のギフトショップで買っています。
だから、値段交渉はしてなくて、価格札にあるとおりで買い物してます。

アラブ式の値段交渉しながらの買い物って、ちゃんと相場を勉強しなければならないので、そういうのが楽しめない私にとってはちょっと苦痛。
っつーか、旅先では、他のことに時間をかけたいですもの。
というわけで、外国人観光客向けの店なので値段的におトクということはなかったろうと思いますが、まあ、少なくとも極端なボッタクリや値段に見合わない低品質なものをつかまされるという心配はないだろう、と安心して買い物ができました。

実は最初は、このキーホルダーとアクセサリーは一緒にディスプレイして撮ろうと思いましたが、なんかチマチマと煩い写真になりそうだったので、別々に撮りました。

買った品物そのものを紹介するだけが第一目的なら、一個一個アップ写真の方がいいかもしれませんが、ディスプレイの仕方、要するに演出もお見せしてるつもりなので@@

代わりに今回はズーム写真も混ぜてみました。
ブログに載せるにあたって、元のJPEGデータを圧縮させてますからね。うんとトリミングすれば、サイズの減少率は抑えられます。

これらの2枚の写真のワン・ポイント・ジャパニーズは、プレゼント小箱の形をした時計です。
ジュエリー・ツツミで、オマケでもらったやつです。

ごちゃごちゃ並べても煩い写真になるだけ……と思っても、ワン・ポイント・ジャパニーズを入れずにはおれぬ私でした。

動物シリーズその6──ユダヤ砂漠の羊たち

ユダヤ砂漠は、とてもかっこよかったです@

───と、観光客ののんきな感想で、あしからず。

ユダヤ砂漠のはじまりは、突然です。
緑豊かな場所と、砂漠との間には、くっきりと境界線がありました。

エルサレムは、標高800mの高地にあります。
すぐ周辺は緑豊かですが、中腹は、草木のほとんど生えない岩ごろごろ、そしてすそ野は砂漠です。
砂丘の連なる砂漠ではなく、荒野のイメージに近く、「沙漠」という字をあてることもあるようです。
エルサレムの西のふもとから南に広がる沙漠が、ユダヤ砂漠です。

さっきも書いたとおり、エルサレムは標高800m。
一方、エルサレムのすぐ東にある死海は、海面下398m。世界で一番低いところだそうです。

すると、どういうことが起きるか?
死海地方から見たら、エルサレムは1000m以上の高地にあるわけです。
なので、死海の暖かく湿った空気は、エルサレムの高地を上昇し、冷やされて雨を降らせます。
そのまま高地を抜けて反対側に下りていくときには、すっかり乾いた空気になっています。
そのために、雨が降るために緑豊かなところと、降らないために砂漠になったところとの間に、くっきり境界線ができるのだそうです。

また、エルサレム周辺の地層は石灰岩で出来ているため、水を吸いません。
年間通してわずかながらも雨が鉄砲水のように集中的に降る時期があるのですが、水はそのまま地表を削って、死海や低い地方へと流れていってしまいます。
そのときにできるのがWadi と呼ばれる枯れ河床。
地表に複雑な模様を描きます。
そして長い時間の間に、薄いプレート状の地層をギザギザに重ねた断面のような岩壁も形成してきました。

(以上、ユダヤ砂漠の成立については、勘違いもあったので少し書き直しました。)

このWadi と岩壁が、実に実にかっこいいのです@

そして、イエスが荒野での修行のためにさまよった荒野というのは、このような砂漠のことに違いないと思いました。
いや、まさにそうだったかもしれませんね。

1998年秋のイスラエル旅行のときに、エルサレムから参加したユダヤ砂漠サファリ・ツアーでは、四輪駆動ジープは、できるだけ平らなところを走りました。
平らなところは一応、道になっていました。
もちろん、四輪駆動の本領発揮の斜面も走りました。

午前中にガイドさんはコーヒータイムを設け、ベドウィン人のキャンプのそばで一休みしました。
次の写真はそのときに撮りました。

少ない水場を求めて岩場をさまよう羊たち。

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ユダヤ砂漠の様子が少しだけおわかりになります?

それにしても、どうです、この風景。
アブラハムが神に信仰をしめすために、わが子イサクをいけにえに捧げようとしたとき、神がアブラハムの信仰を認め、イサクの代わりに犠牲の羊を遣わせた───そんな、聖書のシーンを思い浮かべてしまいました。
(人間がいないですけど@)

でも大半の羊たちは、暑くて、暑くて、暑さをしのぐために、こんな風に群がっていました。

1998sheeps2.JPG

みんなお尻を外に向けて、ちょっとおマヌケで、かわいいでしょ?

これは羊たちの知恵なのだそうです。
みんなで集まれば、影ができます。
それで、頭だけでも影の下に突っ込んで、少しでも涼しくなろうとしているのだそうです。

そんな羊たちの群れが、あっちこっち。

1998sheeps3.JPG

しかしなんだか、「頭隠して、尻隠さず」ってかんじじゃありませんか?

動物シリーズその5──イスラエルのラクダの群れ

また、ラクダです。今度は翌年の秋のイスラエル旅行で撮りました。

いまでは、とてもイスラエルは旅行のターゲットにできませんね、残念ながら。
私が1998年の秋にイスラエルに行くことができたのは、とても幸運でした。

中東情勢は難しくて、にわか勉強なのですが、チュニジアのサハラ砂漠まで足を踏み入れた翌年、今度は常々関心を抱いていた聖書の国に行こうと考えて、当時、私なりに必死に中東情勢を探りました。
いまではだいぶ忘れてしまいましたが、1998年の夏は、イラクが経済制裁の解除を狙って、国連の査察を受け入れる、受け入れないという政治的駆け引きをしていたことと、当時クリントン政権のアメリカが中東和平に力を入れていたことを覚えています。
私が旅行から帰った後も、クリントンがパレスチナに行って、パレスチナ人には歓迎ムードだったという記事が出たことを覚えています。
でもその後に一気に情勢が悪化して、本当に谷間のような平穏な時期に、たまたま旅行することができたんだなぁと思いました。

ラクダの写真は、エルサレムからユダヤ砂漠サファリ・ツアーのときに撮りました。

エアコン完備の四輪駆動のジープで、ユダヤ砂漠を横断するツアーです。
参加者は私を含めてたった5人でしたが、ガイドさんはVIPツアーと呼んで、少人数ならではのサービスやアットホームさを味わうことができて幸運でした。
ジープは運転席のガイドを除くと7人で満員になるので、もし参加者が7人以上だったら、幌屋根付きのバスで回るしかなかったそうです。
写真を見せてもらいましたが、もちろん、エアコンはなし。日よけの幌があるだけのオープンカーなので、熱風や砂埃がすごかったろうと思います。
旅行したのは9月の上旬の10日間でしたが、テルアビブに着いた日の前日までは40度を超す真夏日だったそうですし、死海のあたりはものすごい湿気で、ほとんどサウナでした。
エルサレム近辺も、ものすごく暑かったのを覚えています。

では、写真にまいりましょう。
ユダヤ砂漠を回ってるときに、ジープの前を、べドウィン人の男の子が引き連れたラクダの群れが通りかかったので、群れが道路を渡り終わるまで待ってあげました。

近付きつつあるラクダの一群です。

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道路を渡る前に、好物の草を見つけたのでしょうか。道草しています。

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写真好きの日本人の私のために、ガイドさんが男の子にポーズをとってくれるように頼んでくれました@

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まだほんとに少年でした。
ガイドさんの話によると、ラクダ一頭、ものすごい財産なので、ラクダの群れを見張るこの男の子の責任は重大なのだそうです。

ついでに、このラクダはすべてメスだと言っていました。どこで見分けがついたのか、残念ながら私にはさっぱり……。

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