2012年秋 中央アジア旅行11日間

中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜旅行記URL一覧

2012年の中央アジア3ヶ国旅行記のリンク集を作成しました。
まずは、旅行直後に短時間で我ながら頑張って一気にアップしたココログ記事一覧。
そして現時点ではフォートラベル旅行記の詳細版はまだ作成中なのですが、ハイライト旅行記は完成したので、それも追加しました。

<立案編>
「今年2012年は9月にウズベキスタンのヒヴァ・リベンジを」
「形が決まってきた、秋の中央アジア旅行」
「楽しみな海外旅行、そろそろいろんな不安と懸念が募り始める!?」
「久しぶりにBooking.comでタシケントのホテルを予約」
「カザフスタンとキルギスへのあこがれの原点」
「次のホテルを予約しようと思ったら……(国内旅行も海外旅行も欲張りな今年の話)」

<中休み>
「中央アジア旅行の前に~宿泊&空路移動込みでは約20年ぶりの国内旅行~甥っ子姪っ子と函館・札幌旅行」

<旅行後の感想>
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───フライトの話」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───トイレと下痢の話

「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───旅先で日本人に会った話とちょっとだけホテルの話」

「2012年中央アジア3カ国旅行の詳細旅程(写真付き)~こうなった経緯」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(1)結果オーライ、平和に終わった旅」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(2)食べ物編(写真で紹介)」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(3)いにしえの遊牧民の浪漫を求めることができた旅(ハイライト写真集)」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(4)3ヶ国で雇ったガイドさんたち」
「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(5)キルギスからカザフスタンへ陸路での国境越え」

「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~撮ってきた写真の分析(写真付き)」

「中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(ウズベキスタン編)ハイライト写真付き」
「中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(キルギス編-前編)ハイライト写真付き」
「中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(キルギス編-後編)ハイライト写真付き」
「中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(カザフスタン編)写真付き」

<フォートラベル版ハイライト旅行記>

─ホテルと朝食編─
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその1:ホテルと朝食編<タシケントのグランド・ラデュス・ホテルとヒヴァのオリエント・スター・ホテル>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその2:ホテルと朝食編<キルギスの首都ビシケクのホテル・アジア・マウンテンズ>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその3:ホテルと朝食編<キルギスのイシククル湖のリゾート施設ラドゥガ>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその4:ホテルと朝食編<アルマトイでは旧ソ連の高級ホテル・オトラルに宿泊>」

─朝食以外の食べ物とレストラン編─
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその5:朝食以外の食べ物とレストラン編<ウズベキスタンのキジルクム沙漠の遊牧民のテント(ユルタ)でのランチ>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその6:朝食以外の食べ物とレストラン編<キルギス編~遊牧民のテントでのランチもあり>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその7:朝食以外の食べ物とレストラン編<カザフスタン編~チャリン・キャニオンのピクニックもあり>」

─その他いろいろテーマ別─
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその8:贅沢にも一人でチャーターした乗り物~楽々エクスカーション>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその9:植物編<ウズベキスタンの綿花畑や沙漠の秋の小さな花など>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその10:動物編<遊牧民の動物と沙漠の動物>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその11:ウズベキスタンのヒヴァの人々~伝統的な絨毯を織る女性たちや伝統舞踊ショー一家や子どもたち」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその12:キルギス人の墓地とカザフ人の墓地」

─ラストにやっぱりお土産編─
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその13:買わずに写真だけ撮ったおみやげ<ヒヴァのウズベキスタン土産とビシケクの国立歴史博物館で撮ったキルギス土産>」
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~ハイライトその14:ビシケクとアルマトイで買ったおみやげ<ハイライト完>」

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中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(カザフスタン編)写真付き

帰国後にだーっとアップした中央アジア3カ国旅行の帰国後感想のラストの記事です。

<第8日目:2012/9/16日 ビシケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路国境越え&アルマトイ市内観光>

この日の最初の「ビッグ・イベント」は陸路での国境越えですが、それについては全体の感想の記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(5)キルギスからカザフスタンへ陸路での国境越え」で詳しく書きました。

アルマトイのホテルにチェックインした後、早速市内観光をしようと思ったのですが、その前に、旅程の中で空白にしておいた翌日のエクスカーションのためにSTANTOURに連絡し、自力で郊外のメデウに出かける予定をとりやめてチャリン・キャニオンに行くことにした経緯は、詳細旅程の記事「2012年中央アジア3カ国旅行の詳細旅程(写真付き)~こうなった経緯」のおわりの方、このような旅程になった経緯のところに書きました。
ほんとはぎりぎりまで、世界遺産のタムガルの岩絵とチャリン・キャニオンとどちらにするか迷っていました。
チャリン・キャニオンはアメリカのグランドキャニオンのミニ版らしいので、グランドキャニオンに行ったことにある私としては満足できないのでは、という懸念がありました。
一方、キルギスのイシククル湖での岩絵野外博物館は思ったより楽しかったから、タムガルの魅力が増しました。
でも、タムガルの岩絵は、ふつうのガイドさんではなく岩絵に詳しいガイドさんではないと、ただ往復するだけで見学は1時間もかからないものになってしまうかもしれない、という情報もあったので、チャリン・キャニオンの方が良さそうだと判断しました。

連絡をとったSTANTOURのデービッドは、とてもせっかちに話す人で、英語での電話に慣れていない私は、余計にドキドキしました。
あとで顔をつきあわせたときでも、デービッドのせっかちな話し方は変わりませんでしたが、生身の方がまだ、こちらのスピードにペースダウンさせることができました。
デービッドは電話口でチャリン・キャニオン行きの場合の値段を提示し、私がそれにOKすると、「すぐにドライバーを確保する。詳しいことはメールで連絡するので、いったんこちらにメールをよこしてくれ」。
私がパソコンを持参していないのでメールは出せない、と言うと、ホテルの名前と部屋番号を聞き、5分もたたないうちに、ドライバーが確保できた、とホテルの部屋に電話してきてくれました。
良いドライバーの空きがあったようです。
本日中に支払いのためにホテルのロビーに来るというのですが、これから市内観光をしたかったので、7時に会う約束をしました。
あっという間に話が決まりました@

さあ、大変です。
これから観光に出かけるのはいいのですが、7時に戻って来なくてなりません。
いまから4時間はありますが、初めての市内歩きです。時間内に戻って来るには余裕をもって行動しなけばなりません。
ましてやアルマトイはバスやトラムを利用しないととても回れない、かなり広い町なのです。

当初は帰国日のあさってにホテルから徒歩圏内の見どころ───28人のパンフィロフ戦士公園、カザフ民族楽器博物館、中央バザールなどを回ろうと思ったのですが、それを本日回って、国立中央博物館にはあさっての火曜日に行くことにしましょうか。
と思ったのですが、念のために中央博物館の休館日をチェックしてみたら火曜日。
あさっては火曜日。あさってじゃダメじゃん。

なので、予定どおりこの日のうちに国立中央博物館を見学しました。
ホテルから歩いていたら日が暮れてしまうので、バスを利用しました。
バスの番号は「地球の歩き方」はあまり参考にならず、Lonely Planetが頼りになりました。
でも、バスに乗った後、「ここに行きますか?」と運転手さんに確認するときに、見どころを現地語で書いてある「地球の歩き方」は役に立ちました。バスの運転手さんが英語が分からず、読むこともできない確率は高いので(カザフスタンもキリル文字の国なので)。

おたおたしつつも、無事にバスで国立中央博物館にアクセスできた私は、欲をかいて、できればこのあと、ロープウェイでコクトベ山に登って、町の眺望の写真も撮ろうと思いました。
写真撮影不可な国立中央博物館ではそんなに時間がかからないだろう、と。
でも逆に私は、あとでゆっくり見れるので、写真を撮る方が見学時間がかからないこともあるんでした。
それに、中央博物館は思った以上に見応えありました。
なので、コクトベ山まで欲をかかなくても、もっとじっくり見学した方がいいのでは、と迷いました。

いまから思えば、最終日は、カザフ民族楽器博物館は修復のため休館中だったせいもあり、ホテルから徒歩圏内の見どころだけだと時間が余ったので、最終日にコクトベに行っても良かったかもしれません。
フライトは23時10分発なで、あくまでも市内のコクトベなら、十分戻って来れないことはありませんでした。

でも、コクトベも回ってしまいました。
コクトベ山の上は、眺望だけを楽しむところでなく、地元の人も気軽に遊べる遊園地みたいなところでした。
山の斜面のコースターは楽しそうでした。
他のアトラクションも、自分が乗らなくても、どんなのあるのか見るのは楽しいです。
奥にも展望ポイントがありました。
小さな民芸品のギフトショップも興味があったし、ミニ動物園だって楽しめそうでした。
そういうところだろうと半ば予想していましたが、いざ行ってみると、ガイドブックやクチコミなどから想像していたよりも楽しめそうなところだと思いました。
去年の夏に旅行したグルジアの首都トビリシのムタツミンダ山のことを思い出すと。

「2011年コーカサス3カ国旅行第8日目(3)トビリシ:眺望を求めてムタツミンダ山に行ってみたら……!」

ただし、約束の時間のことを考えたら、ロープウェイを上って、頂上の公園を、ほんの手前のちょっとしか回れませんでした。
でも、黄昏色に染まった夕方の町の眺望はなかなかなものでしたし、帰りのロープウェイからの景色も見応えがありました。
上りのときにいいな、と思ったので、下りでは写真を撮れるように、しっかり場所を確保しました@

ふもとのロープウェイ駅
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ロープウェイ駅とアルマトイの町
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下りのロープウェイから撮った景色~テレビ塔とアラタウ山脈
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コクトベ山は、ロープウェイ往復2,000テンゲもかけたのにちょっとしか居られなかったのは残念でしたが、ふもとに降りたところで6時半。
30分ではバスをつかまえてホテルまで戻れる自信はありませんでした。
なので、ふもとのロープウェイ駅近くのホテル・カザフスタンの前で、少なくとも頭にタクシーと掲げているタクシーが何台もとまっていたので、1,000テンゲという向こうの提示料金を承諾して、ホテルまでタクシーで戻りました。
往路のバスはたったの80テンゲだったので、価格のあまりの違いにギョッとしますが、それだけ公共交通機関が安いってことです。
ロープウェイは前述のとおり2,000テンゲでした。
80テンゲでは、有料トイレに2~3回入れるくらいで、アルマトイでは喫茶店でコーヒーの1杯も飲めやしません。
(出国日の日の市内観光で時間つぶしで入った喫茶店のコーヒーは165テンゲでした。)
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というわけで、7時ぴったりにやってきたデービッドとロビーで会って、米ドルキャッシュで支払いをすませ、明日の予定が確保できました。
デービッドは、先に半額だけ払い、当日、残金を払うのでもいいと言ったのですが、めんどくさかったので全額払ってしまいました。
いやぁ、でも手際が良かったです、デービッド。仕事ができる人、というかんじがしました。
見かけはバックパッカー風の兄ちゃんでしたけど@


<第9日目:2012/9/17月 チャリン・キャニオンへのエクスカーション>

STANTOURで派遣してくれたドライバー兼ガイドのコスチャのことは、全体の感想記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(4)3ヶ国で雇ったガイドさんたち」に書きました。

アルマトイからチャリン・キャニオンまで、コスチャは途中までは幹線道路でなく、ほぼ併行に走っている脇道(舗装道路)を走りました。
そちらの方が交通量は少ないですし、道幅は少し狭くなりますが、両脇に並木があって、小さな運河も平行して走っていて、コスチャのお気に入りの道路だそうです。
並木の植栽と道路整備は、ソ連時代に軍が行ったものでした。冬、少しでも積雪から守り、道路コンデションを維持するためでした。
本来ならだだっ広い草原だけが延々と続くだけのはずのステップ平原は、途中までは、起伏があったり木々が生えていたり畑となっていて意外に変化に富むんだな、と思っていたのですが、それもほとんどソ連時代の植栽や開拓のよるものだったようです。
コスチャは、カザフスタンはオイルマネーのおかげであくせく働かなくてもお金を得る手段を覚えてしまったので、働き者ではなくなった、と言っていました(苦笑)。
ただ、実際、農地を開拓したりしても、10年くらいたったら国に取り上げられてしまう制度になっているので、誰も熱心にやりたがらないのだとか。

幹線に戻り、コスチャがいう典型的なステップ・マウンテンの渓谷を越えた後は、文字通り真っ平らな土地が彼方まで続きました。

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実は、ここに到着する前に、一度、小さな村で軽食とコーヒーをとって一息ついたのですが、そこで「トイレも行きたい」と言ったら、コスチャに「良いアイデアだ。ステップに出たら、青空トイレも無理だからね」と笑っていました。
まさにそうだと思いました。全然視界を遮るものがないんですもの。
キルギスのチョン・アクスー渓谷でしげみで用を足すということを経験したばかりなので、いざとなったらやむえない、と腹が据わりましたが……こんな真っ平らで遠くから視界が効くところでは、さすがに青空トイレはやりたくないと思いました(笑)。

チャリン・キャニオンは、確かに言われているように、アメリカのグランドキャニオンのミニミニ版というかんじでした。

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でも、ずうっとずうっと昔、初めての海外旅行(ロサンゼルス・ホームスティ)のときに訪れたグランドキャニオンはあまりに巨大すぎて写真のように感じられてしまい、私の中ではとてもとても消化しきれませんでした。
だから、片道3時間もかかるところを1日ですませてしまうエクスカーションとしては、茶リン・キャニオンの方がちょうど良いくらいでした。
とはいえ、上から眺めただけだったら、やっぱり物足りなかったでしょう。
でも、谷底のウォーキングと川辺でのピクニックがとても良かったです。

そのウォーキングのはじめのうちはお腹が痛かったことは、全体の感想記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───トイレと下痢の話」に詳しく書きました。

ピクニックの様子
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途中までお腹がいたくて調子が悪かったせいもあり、あまり食欲がないかと思ったのですが、食べ始めてみたら、ものすごく美味しかったです。
うん、今回の中央アジア旅行で、キルギスのチョン・アクスー渓谷で食べたニジマスのフライの次に美味しかったといえるかも。
きっと、ウォーキングと困難な岩だらけの道をくぐり抜けてここまでやってきたことと、まわりの自然が、極上のソースとなったのでしょう。
また、まだまだ遊牧の国であるカザフスタン、こういったシンプルな食べ物こそ、実は1番美味しいのかも!?

それに、期待通り途上の車窓の外の景色が楽しめました。
幹線でない道路を走っていたときに見かけた、川を渡る羊の群れ(写真は「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(3)いにしえの遊牧民の浪漫を求めることができた旅(ハイライト写真集)」にアップしました)。

大平原にぽつんとあった、カザフスタン人の墓地。
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夕日を背景に撮った写真
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こういうのを見たい、写真に撮りたいと思って、アルマトイ市内観光とかメデウをやめて、郊外へドライブすることを選んだわけですから。

ほんとはもっともっと写真を撮りたいところはあったのですが、200km近いロングドライブなので自重しました。
STANTOURのデービッドは、朝9時に出発して、だいたい夕方5時か6時に戻って来るコースになる、と言っていましたが、結局、ホテルに戻って来たのは夜の9時近かったです。
それは、途中でフォトストップしたせいより(そんなに何度もしてないもん!)、谷底ウォーキングのときの私のペースが遅かったからでしょう。デービッドは、歩くとして1時間くらい、と言ってましたもの。
つまり、デービッドの予測の3倍!!
私の歩くペースがのろかっただけでなく、たくさん写真を撮ったせいと、それから……1本道のはずなのに、帰り道で迷ったからです(実際は行きすぎたのです)。
どんだけ私は方向音痴なんだ、って、あのときは、自分でも信じられませんでした(笑)。

こんな風に沙漠の花の写真を撮っていたせいで@
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往路には通らなかったところを歩いていることに、しばらく気づきませんでした(苦笑)。


<第10日目:9/18火 アルマトイ市内観光~夜23時10分アシアナ航空で出国>

カザフ民族楽器博物館が修復中で休みだったのは痛かったです。
それで時間が余ってしまって、つまんないと思ったのは否定できません。
中央バザールが写真撮影可能だったらなぁ。
でも、撮影できなくても、山のように積まれた食糧を眺めるのは、わくわくしました。
陳列の仕方に美しさと命の恵みとエネルギーを感じました。

中央モスクは、歩いて行くにはちょっと遠いかな、と思ったのですが、カザフ民族楽器博物館が休みだったので、行っておいて良かったです。
さすが産油国カザフスタンというべきか、キルギスのビシケクにあった中央モスクよりもずっと豪華に見えて、見応えありました。
ビシケクでは遠慮してしまいましたが、入っても大丈夫かな〜と門の中に入り、正面の扉が開いていて、外からでも内部の写真を撮れそうだったのでカメラをこっそり撮ろうとしたら、いきなりスマフォから着信音が……!
そういえば少し前に日本の留守宅にいる母から着信があったことに気づいて何事かと思い、SMSでメールを送っておいたのですが、そのせいでかかってきたようです。
よりにもよってこんなときにかかってこなくても!
と冷や汗かきました(笑)。
その後で写真は撮れましたけどネ。
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ただ、そこは男性専用の祈りの部屋でした。女性の祈りの部屋は脇の扉から入ったところにありました。
それに、祈りの時間を知らせるアザーンが朗々と流れたのですが、イスラム教徒は個人単位で祈りをしますよね。
祈りの時間もぴったり時間厳守ではなく、だいたいでよいのかもしれません。
だから、アザーンが聞こえてきたからとといって人々が一斉にモスクに集まることもなく、1人2人とぽつぽつやってきて、みんなめいめい個人で祈りを捧げていました。
みんなが集まってミサをするキリスト教の教会の方が見慣れているので、新鮮に感じられました。

28人のパンフィロフ戦士公園を、ゼンコフ正教会の見学も含めてゆっくり散策した後、ランチを抜いていたので(いつものことなんですが@)、早めの夕食をとる前に、まだ職場に配るお菓子のお土産を買っていなかったので、「地球の歩き方」の地図にスーパーの印があったゴーゴリ通りのスーパーに行ってみました。

28人のパンフィロフ戦士公園でリスを見つけたのはラッキー@
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センコフ正教会
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こんな光景を眺めながらゆっくり過ごした公園
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そこはどちらかというと輸入品を扱う、ちょっとデパート風のスーパーでした。
そして、少しばかり高級品を扱う店では、東欧によくありがちですが、警備員さんが何人も目を光らせていました。
万引対策でしょうね、カバンは、一眼レフしか入らない大きさのものであっても、みんな入口のロッカーに入れなくてはなりませんでした。電子ロックの最新式!?
カザフスタン土産になるお菓子を買うには不適切な店を選択したかな、と思いましたが、話のタネになりそうないいのが見つかりました@

くだんのスーパーINTERFOOD
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良いお土産を見つけた@
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今回の旅行は、トラブル知らずで無事終わりそうだと思ったのですが、最後で冷や汗をかきました。
アルマトイで滞在したオトラル・ホテルら空港まで、交通渋滞がなければタクシーで30分ほどで到着する、とレセプションの人に教えてもらいました。
朝のラッシュアワーではないし、私の出国便は深夜23時10分発のアシアナ航空なので、21時にチェックインするべく、20時にホテルを出れば余裕だろうと思いました。

ところが、おそらくサヤハット・バスターミナル付近だと思いますが、そこに至までものすごい渋滞に遭遇してしまいました。
東京のお盆帰りなどの首都高速道路並みの渋滞で、車が全然進まず、歩いている人がさっさと追い越して行ってしまうくらいで、非常にあせりました。
タクシーの運ちゃんも、「ビッグ・トラブル!」とか言っていたので、異常事態だったんだろうと思います。
走ってこその30分。
それが、歩行者がどんどん追い越していくようなのろのろ進行。ほんのちょっと進んだと思ったら、また止まる、といった調子。
ずっとこのままだとしたら、空港まで何時間かかるか知れやしません。
帰国便の乗り遅れは、往路や途中の乗り遅れよりはショックは小さいです。
それでも、乗り遅れたら、帰国後のスケジュールも狂うし、航空券も買い直しとなり、乗れなかったフライトの運賃も回収できないかもしれません。
(帰国便に遅れる可能性は考えていなかったので、買った航空券がこういうときに払戻しができるどうかまではチェックしていませんでした。)
どうにもならないと分かっていても、後部座席で何度もため息をついてしまいました。

渋滞を抜けた後は、空港のごく近くまで一般道路のようで、片方で2車線ずつありましたが、途中でバスが停まったり、信号で停まったり、歩行者優先の横断歩道で停まったりすることもよくあり、タクシーの運ちゃんも渋滞で時間がかかった分をカバーするようにスピードを上げてくれたのですが、すぐに停まるハメになっていました。

結果的には40分くらいで空港に到着したので、十分時間に余裕がありましたが……渋滞の最中は、本当にあせりました。
空港に行くときには余裕をもつ必要があると、つくづく思いました。


<第11日目:9/19水 ソウル仁川経由 朝11時10分成田着>

最近はもっと早朝に成田に着く帰国便だったので、スーツケースの宅配を依頼すると、その日中に配達してもらえました。
ところが、今回は12時を過ぎてしまったので、翌日到着便しか残っていなかったのは誤算でした。
なので、今回は成田空港から身軽になれず、荷物を持って帰宅しました。
いつも、身軽になった後でも、旅の余韻と快適さを求めて、成田空港から日暮里までスカイライナーを利用していましたが、今回は平日昼間で空いていたとはいえ、スカイライナーの利用価値があったといえます。

おわり。

今後はフォートラベルで、写真メインの旅行記を作成していく予定です。
来年の夏に希望している海外旅行が始まるまでに終わらせるつもりで、のんびりと。

<中央アジア旅行、帰国後の感想、完>

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中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(キルギス編-後編)ハイライト写真付き

<第6日目:2012/9/14金 岩絵野外博物館&チョン・アクスー渓谷トレッキング>

前回の記事で紹介した贅沢なリゾート施設のラドゥガには私だけが宿泊し、ガイドのレナとドライバーさんは、別のもっと安い宿に泊まったようです。
ラドゥガのあるチョン・サリオリ村に泊まれるところがあると聞いたことはないため、チョルポン・アタか、タマチかもしれません。
でも、レナは朝食も夕食も一緒にラドゥガのレストランでとってくれました。

本日のチョン・アクスー渓谷トレッキングは、写真撮影チャンスの意味では、実は1番期待していたといっても過言ではありませんでした。
もちろん、去年行き損ねたリベンジのウズベキスタンのヒヴァでの、シルクロード隊商時代にタイムスリップしたような町の撮影散策も期待していました。
でもあちらは、去年のブハラ訪問から、どんな写真が撮れそうか、なんとなく想像がついたものですから。

ところが、私は朝7時に起きたときに雨が降っていることだけは気付いたのですが、レナが言うには、視界が真っ白になるほどのヒョウまで降っていたそうです。うひょー!!
春先の4月ならともかく、9月にヒョウが降るなんて異常だ、とレナも驚いていました。
イシククル湖エリアでは、今年は秋がやって来て寒くなるのが早いようだ、とも言っていました。

ただ、日本と違って、こちらの天気は変わりやすく、朝から雨が降っていたからといって、日中はからっと晴れることもあるはずです。
そう期待していたとおり、この日は確かに、日が射したり曇ったり雨になったり、お天気マークが3つそろいました。

できれば雨は、観光で出歩かない朝だけであって欲しかったのですが、最初の観光ポイントのチョルポン・アタの岩絵野外博物館に到着したときは、土砂降りになってしまいました。
ドライバーさんのアドバイスで、少しは雨の勢いが弱まるまで、10分くらいだったと思いますが、車の中で待ちました。
そして雨の中、見学しました。てるてる坊主のようなレインコートを羽織り、カサをさしながら。

歩き出してすぐに、去年の夏の海外旅行のときのために買ったばかりの、私にしては予算を奮発したウォーキング用の靴底から水がしみてくるのに気付いて、ショックを受けました。
その靴は、去年7月の約2週間と9月の1週間の海外旅行のときにしか履いていないのに、店の前のカゴに積まれた安売りの靴よりも長持ちしないって、どーいうこと!?
靴裏はまださほどすり減っておらず、きれいなものなのに。
ここ数年、海外旅行中に雨に降られたことはほとんどなかったので、安物の靴が早くも水がしみこむ状態になっていたとしても、気付かなかっただけだったということかしら。
かかとから水がしみこんでくるので、雨が降っていた間は、しょーがないから少しつま先立ちして歩きました(苦笑)。
でも、車に戻ったときは暖房でムンムンでしたので、移動中、靴を脱いでいたら、すぐに乾いてくれました。

岩絵野外博物館は、岩ゴロゴロでした。
野外博物館というより、私の目には、火山の噴火の後の荒れ地のように見えてしまい、思っていたのと違っていてちょっとショックを受けました。
岩絵の価値を見いだしたのはソ連の考古学者で、岩に番号がついているのもあったりしたのですが、整理しきれいまま引きあげてしまったようです。
続くソ連崩壊、キルギス独立……というわけで、そのあとは放置同然だったようです。
東欧をはじめとする旧ソ連圏の国々の世界遺産が放置同然というのはよくありますが、それにしても、とはじめは絶句。
地元の子供たちがいたずら書きをしたりして岩が損なわれてしまうために、周りに柵が作られたのも、やっと去年だったか、少なくともつい最近のことだそうです。
岩絵の敵は他にもいました。苔です。

岩ゴロゴロの荒れ地のようだった岩絵野外博物館
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雨が降っていたため、残念ながら背景の雪山は見えなくなってしまいました。

岩絵野外博物館の見学を開始したのは10時過ぎでした。
岩絵を見るのは朝早くか夕方が良いらしく、もし天気が良かったら、昼間の時間帯は非常に見づらいそうです。
その意味では、雨が降って岩がぬれて、岩絵がとてもよく見えるようになっていたのは幸いでした。
あたり一面岩ゴロゴロで、すべての岩に岩絵が残っていたり、確認できるわけではないため、岩絵がある岩を見つけるのはたやすいことではありません。
なので、1番岩絵が見やすく1番大きな岩が入口のすぐそばにあるため、その1個だけを見て満足して帰ってしまう人はよくいるようです。実際そんな風にして、さっさと帰ってしまったグループがありました。
私の本日の予定は、岩絵野外博物館と、車で1時間もかからずにアクセスできるチョン・アクスー渓谷トレッキングだけなので、時間に余裕はたっぷりありました。
なのでレナも、岩絵が確認できるところをあちこち回ってくれました。
岩絵が見つかると、宝探しで宝を見つけたような楽しさもありました。

岩絵に描かれた動物はアイベックが多かったけれど
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珍しくウシも見つかったり
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いや、これもアイベックかな。

狩りをする人間が一緒に描かれているのは比較的レアなケースでした@
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チョン・アクスー渓谷は、距離を限定すれば、トレッキング初心者向きだと思いました。
ほとんど勾配を感じさせない道で、歩きやすかったです。
渓谷を越えてカザフスタンに渡ってしまうような強者向けのコースもあったようですが、私の場合は、私が歩きたいと思うところまでレナとドライバーさんがつきあってくれた、というかんじでした。
車は、歩き疲れたらすぐに車に乗れるように、時々私とレナを追い越しつつ、後ろからついてきていました。
歩き始めた頃はすでにランチ時だったので、1時間ほど歩いて真っ先に目についた遊牧民のテント(ユルタ)のレストランでランチをとりました。
ユルタ・レストランはそのあと何ヶ所も見かけたので、どこでも休むことは可能でした。
ただ、ランチをとったその1時間にまた雨がザーザー降り出し、そしてトレッキングを再開しようってときには止んだので、タイミングは良かったです。

私はデジカメを手にして写真趣味に走るようになるまで、趣味はもっぱらインドアのものばかりで、出歩くことはほとんどしませんでした。
7年前にデジカメを手にしてから、被写体を求めて外に出るようになり(もっぱら花ばかり狙って)、そのためにだんだんと出歩くのが苦にならなくなりました。
そんな私が撮影目的のウォーキングをせっせとしたのは、今年になってからです。
このチョン・アクスー渓谷トレッキングの予行練習にもなると思ったためです。
たとえば、今年の6月に埼玉県越生のあじさい街道往復6kmを、そして7月に山梨県甲府の昇仙峡ハイキング5km(ただし下りのみ)をてくてく歩きました。
ただし、ひっきりなしに写真を撮るために歩みを止めていたため、あじさい街道では往路3kmを歩くのに3時間かけてしまいました。1km進むのに1時間かけたわけです(笑)。
だってあじさい街道はその名のとおり、あじさいだらけだったんですもの。
昇仙峡の5kmは、途中で2つの小さな美術館見学と岩魚塩焼きを食べて合計2時間近くインターバルを入れたとはいえ、合計約6時間もかけました。

というわけで、私が歩きながら好きなだけ写真を撮ると際限なく歩みが遅くなると分かっていたのですが、今回が本番ともいえなくもなかったし、キルギス旅行なんて、今度いつできるか分からないので、やはり好きなだけ撮影しながら歩いてしまいました。
そして、ランチ前に1時間、ランチ後は少し雨が降ってしまったので50分ほど歩きました。
あじさい街道や昇仙峡を歩いた日と違って翌日以降も旅行は続くので、あんまり頑張りすぎなかったのも確かです。
なので、4.5kmを、間に1時間のランチを挟み、2時間近くかけて歩きました。
1時間当たり2km以上進めたことになるのであじさい街道や昇仙峡のときに比べるとペースは速くなったのですが、本番の方がずっとラクなトレッキングとなりました@

今年はイシククル湖エリアに秋が来るのが早かったせいか、チョン・アクスー渓谷もだいぶ人出が少なくなっていたようです。
すれ違ったり追い越されたりしたのは数えるほどでした。
また、歩かずに車で走り抜けてしまう人もいたようです。

渓谷を流れる、アラ・トー山脈を源泉とする川
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何ヶ所かで出会ったハチミツ売り
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ランチをとったユルタ・レストラン
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チョン・アクスー渓谷では人に飼われた鷹もちらほらと
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といっても、今の鷹の飼い主は観光客相手の見世物目的がメインで、鷹狩りはしていないそうです。
ふつう写真を撮るとお金をとられますが、この鷹は、食事をとったユルタ・レストランのオーナーのものだったので、無料で撮らせてくれました。

チョン・アクスー渓谷の植生はもみの木(天山もみの木)がいっぱい@
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Dog Rose(ヨーロッパノイバラ)と呼ばれる白い可憐な野バラ
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たぶんフウロの仲間の薄紫の花
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もうほとんど詰まれてしまった後にちょっとだけ残っていた野いちご
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帰りの途中、時間があったので、何ヶ所かで見かけて気になっていたキルギス人のイスラム墓地に寄ってもらいました。
予定にはなかったものです。

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ただ寄るだけではもちろんなく、レナはキルギス人の葬式やお墓参りに関する話をしてくれました。


<第7日目:2012/9/15土 イシククル湖からビシケクへ戻る&ショッピング>

イシククル湖の向こうに雪の山脈が宙に浮いたように見える景色───これが見られるチャンスは今日で最後だと思い、朝食の前と朝食の後の2度も湖畔に行ってみましたが……ダメでした。
湖の向こうの南岸からは、かすかに雷すら聞こえてきました。
でも、上空を覆っていた群青色の雲が晴れて、日がさーっと射し込んできたとき、まるで今が日の出と言わんばかりのすばらしい景色が見られました。

雲が晴れて湖に日が射し込んできたときの景色
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宿泊施設ラドゥガには11時までゆっくりしていられる予定でしたが、10時には出発することにしました。
というのも、実は私はビシケクの国立歴史博物館で友人たちに出すポストカードを買って、アナログ時代同様に、それをキルギスから出そうと思っていたのです。
もちろん、キルギスの郵便事情から、私の方が先に帰国して、あとから届くのは承知の上です。
でも、切手を買っていなかったので、イシククル湖観光の昨日のうちにどこかで買おうと思ったのですが、そのために寄ってもらったイシククル湖きっての町であるはずのチョルポン・アタの郵便局では、なんと切手が切れていて、入荷待ちでした。

切手がない郵便局だなんて!!

でも、いまどきチョルポン・アタから切手を貼る必要があるハガキや封書を出そうと思う人はいないのかもしれません。
Lonely Planetによると、ビシケクの中央郵便局は土曜日でも午後8時までやっているとのことですが、レナいわく、規則ではそうなっていても、土曜日ともなれば早く閉めてしまうこともあるので、確実ではないかもしれない、とのこと。
それでなんとなく、11時までゆっくりしているより、10時に出発することにしました。
もし、少し出発を遅らせたら、湖の向こうに雪山が見られそうであれば、私1人のためのガイドさんと車なので出発を遅らせることもできましたが、あの天候では、1時間そこら待ったからといって、雪山が出現しそうになかったですしね。

友人向けに買ったポストカードはこの2種類
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ほんとはイシククル湖の写真のポストカードが良かったのですが、キルギスの景勝地を紹介するポストカードなのに、案外イシククル湖はありませんでした。
ビシケクのポストカードは、建物がいくらきれいに撮れていても、花にあふれていても、インパクトが弱いと思ったので、私が抱くようになったキルギスのステレオタイプに近いものを選びました。

結果的にビシケクに到着したときに中央郵便局はまだやっていたので、無事に切手を入手し、ポストカードを投函することができました。
さて、私が帰国してから何日後に友人たちに届くやら@

ビシケクには15時頃には着いてしまったので、郵便局のあとは、レナに適当なギフトショップに案内してもらいました。
いまホテルにチェックインしても時間が中途半端に余ってしまうせいもありましたが、なによりも、ビシケク市内観光をした当日に、一人歩きのときに使うかと思って100ドルも換金してしまったのに、使ったのはその日の夕食と中央歴史博物館の入場料とポストカード代と切手代だけで、かなり余ってしまったためです。
カザフスタンのお金に再換金するよりは、カザフスタンでまとめて買うつもりだったお土産を、先に一部でも買ってもいいんじゃないかと気付きました。
重くなくてかさばらないお土産を選べばいいわけですし、だいたいこのあとスーツケースを持ってのフル装備移動は、キルギスからアルマトイまでは車をチャーターしてありますし、アルマトイは最終訪問地で、そこからは後はホテルから空港までタクシーを使うつもりですから、多少、荷物が多くなっても十分対応できます。

レナは、チュイ大通りにある主にフェルトで作られたアート的な商品を扱うギフトショップに案内してくれました。

買ったお土産の一つ
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これは、買ったときは、「わあキルギスの遊牧民一家!」と思ったのですが、よくよく見ると、うまやでイエス・キリストが誕生した場面の人形たちでした。
いわば、イタリアなどでクリスマスツリーと飾るプレゼピオ、ドイツでいうならクリッペン。
呼び方は違いますが、他のカトリック教会の国でもよくある習慣です。
赤ちゃんはイエス・キリスト。マリアと旦那のヨハネがいます。親戚の爺さんかと思った3人組は東方の三賢者。
なにより、キリストの誕生を知らせた天使がいます。
知らされて集まったはずの羊飼いたちまではいなかったですけどネ@

この日のランチは、ビシケクに戻る途中、トクモクの町、いやむしろカザフスタンとの国境のすぐ近くにあるハイウェイ沿いのレストランでとりました。
単体のレストランというよりは、人造の池があったりして、ちょっとした遊園地もどきになっていました。
キルギス人にとっても珍しい施設で、駐車していた車のナンバープレートから、外交官クラスの人たちもランチに来ていることが分かりました。

池に浮かぶこの建物の中でランチをとりたかったのですが。
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この日、この席はパーティー客の予約で埋まっていたので、中央の建物の中でランチをとりました。
そこも、ちょっとしたパーティー会場になりそうなところでした。
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こぉんな動物の模型があったり。
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ラクダがいたり。
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シマウマ風にペイントされてしまったロバがいたり。
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ここは、以前はドゥンガン人(イスラム教徒の中国人)がオーナーだった施設だそうですが、2010年の暴動のときに完全に破壊されてしまったそうです。
暴動のどさくさに紛れてこの土地が欲しかったやからによって破壊されたようです。
いまは完全に復旧していて、運営が再開されていましたが、オーナーが前のドゥンガン人と同じ人か、変わってしまったかどうかまでは、レナには分からないとのことでした。

3日間お世話になったレナとドライバーさんとは、ビシケクのトルコ料理のレストランでフェアウェル・ディナーをして別れました。

でも、翌日、スイス人のグループをガイドするためにアルマトイに行ったレナとは、アルマトイの国立中央博物館と私の滞在ホテルのロビーで2回、ばったり再会することができました。

カザフスタン編へと続く。

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中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(キルギス編-前編)ハイライト写真付き

キルギス編4日分の記事は前後編に分けることにしました。

<第4日目:2012/9/12水 ウズベキスタン航空でキルギスの首都ビシケクへ&ビシケク市内観光>

キルギスの首都ビシケクに着いた後は、ここまで無事にフライトの乗り継ぎができるか、出発直前からやたらと心配していた反動か、市内観光すべく町を歩き出したら、急にテンションが上がってしまいました。

そのフライトの話について詳しくは、帰国報告の記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───フライトの話」にて。

いいことです。
ビシケクは、基本的には、町並みそのものには見どころが少ないのですが、本人のテンションが上がっていれば、なんでもない街角撮影など、非常に楽しく過ごせます。
去年2011年のウズベキスタン旅行で、ヒヴァに行き損ねた代わりとしたタシケント観光のときと同じ。
テンション上げるためにやり始めたら、ひとりでにテンションが上がっていきました。
そのときの写真は「2011年秋ウズベキスタン旅行第2日目(1)タシケント:よくありそうな、どうってことない街並みで」にて。

はじめに気になったのは、ビシケクの銀色の屋根の中央モスクからです。
でも、ユースバ・アブドゥラフマノヴァ通りでマルシュルートカやトラムを狙っていたら、どんどん楽しくなってしまいました。
天気が良かったおかげで、町並みが一段と輝いて見えたせいもあると思います。
どんより天気だと、旧ソ連らしいどんよりした気分が、いや増しますから。
───でも、天気が良かったわりには、楽しみにしていたアラ・トー広場からの山の景色は見えませんでした。
天気が良かったといっても、からっと快晴ではなく、少し雲が出ていて、時々曇りがちだったせいでしょう。山がある方面の空模様はもっとどんよりとしていました。

ビシケク市内を走るマルシュルートカ
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ビシケク市内を走るトラム(市電)
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旧ソ連圏旅行で見慣れているけれど、こんな商店を撮るのも楽しい@
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ビシケク市内観光は、歩いてすませました。
ホテル・アジア・マウンテンズはセントラルにあるとはいえ、鉄道駅近くで、市の中心のアラ・トー広場まで徒歩20分くらいかかるので、あんまり広範囲に歩き回れませんでした。
ホテルの人など地元の人がいう徒歩20分というのは、相当健脚な人の基準であり、のんびり歩きの私の足ではその倍はかかります。
そして今回はなによりも、一眼レフで楽しく楽しく撮影しながら、でしたから。そのたびにいちいちストップして、歩みが遅くなります。
その上、夜中のフライトだったから睡眠時間は3時間しかとっていなくて、体力にあまり自信はありませんでした。

そのせいもあって、ビシケク市内観光では、国立歴史博物館さえじっくり回れれば、もうそれでいいと思っていました。
ビシケクの国立歴史博物館は、別料金の写真代を払えば撮影可能でしたから、それはもうとっても楽しみにしていました。
キルギスについて詳しくなくても、民俗コレクションなどは、見ていればなんとなく分かります。
2階のレーニンがいる社会主義時代の彫刻群も面白かったです。
近・現代のドキュメントや写真中心の展示はさっぱり分かりませんでしたが、このあたりはもう分かろうという努力は放棄して、すーっと通り過ぎました。
代わりに私でも分かる近世くらいまでの歴史展示と民俗コレクションは、写真を撮りまくりながらゆっくり見たわけです。
それに2010年のキルギス騒乱のときの写真は、詳しいわけではなかったのですが、すぐにピンときました。
写真と一緒に展示されていたキルギス語の新聞で、日付だけ確認できたので、そうだろうと推定できました。

レーニンのいる群像彫刻の一つ~レーニンのポーズはもうおなじみ!?
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2010年のキルギス騒動のときの写真
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ガラスに反射してしまう明かりは、クロスフィルターのおかげでキラキラ~@

ちなみに国立歴史博物館ではWIFIが使えたので(でも電波状態は全エリア万全とはいきませんでした)、スマフォを使って海外からのネットアクセスに初めて成功しました。
実は、全エリアでWIFIが使えるとうたわれていたホテルでは、私のスマフォではネットアクセスできなかったんです。
というわけで、ランチもとらずに市内散策と博物館見学をして少し休憩が必要だから、と自分にいいわけして、博物館のロビーのソファに座ってちょこっとネットをやったのですが……海外でネットアクセスできるということは、強い自制心を持っていないとやばいかも、と思いました。

そのあとはまあ、早めの夕食をとろうとレストランに向かいながら、広場めぐりとか町歩きをのんびりしただけです。
トルコ系の大型スーパーの前の歩道にいっぱいたむろしていたハイティーンから20代くらいのキルギス人の女の子を見ながら、うーん、顔は日本人に近いけれど、化粧法と服装が違うから、やっぱり日本人の女の子に見えないなぁと思ったり(長くて真っ黒なストレートのロングの女の子が多かったので、私の乏しい空想と独断的なイメージから、なんとなくベトナム人か韓国人の女の子に見えました@)、みんなのまねをして街頭でシュロを飲んでみたり、アイスクリームを買い食いしたり。

なんでもない街角といいつつも、ロシア帝国時代の雰囲気をなんとなくかんじさせるようなファッショナブルな建物がないわけでもありませんでした。
そういうのも、いいな、と思って一眼レフを構えてパチリとやったら、そばを通りかかった現地の男の子が、おそらく「一体何をそんな大層なカメラで撮ったんだろう」と疑問に思ったんでしょうね、歩きながら私が撮った建物をつらつら眺め……歩道のでっぱったところでつまずきそうになっていました(笑)。

男の子がつまずいたときに撮った写真
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「地球の歩き方」から、伝統料理がリーズナブルな値段で食べられそうだと目をつけたレストラン「ジャララバード」で夕食をとりましたが、注文しすぎて、全部食べ切れませんでした。
無理して食べたので、おなかがパンパンで苦しくなり、こっそりベルトをゆるめて、しばらく休んでしまいました。
食べ物の写真は「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(2)食べ物編(写真で紹介)」にて。

なので、暗くなる前にホテルに戻ろうと思ったのに、気付いたら途中で真っ暗!!
ビシケクはそこそこ安全な町ではあるけれど、それは夜、暗くなってから出歩かないのが大前提。
外務省の海外安全ホームページにあった、日本人が襲われた恐い例を思い浮かべ、内心「やばいやばい」と思いながら、往路と違ってさっさっと歩きました。
大通りでも街灯がほとんどない通りに出てしまったとき、往路で、なにげない旧ソ連らしいマンションや、目に留まった街角撮影をしておいて、ほんとに良かったと思いました。
写真に撮った場所というのは、自分の中にバッチリと印象に残りますから、ほとんど真っ暗でシルエットになりかけていても、見分けることができたんです。
そんな、女一人旅としては冷や冷やことをしてしまいましたが、特にトラブルに遭うことなく、無事にホテルまで戻ることができました。

広場はとってもきれいに整備されていて花にあふれ~アラ・トー広場の国立歴史博物館
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花にあふれたアラ・トー広場
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旧ソ連圏によくある公園大通りにて
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これは公園に見えますが、大通りです。
中央緩衝帯のところがとても広く、このように整備されていて、公園のように見えるんです。

クロスフィルターでこんなにキラキラがゲットできたということは、それだけしっかりライトが灯っていた、ということです。
カメラはプログラムモードで撮影していたため、子供の乗り物はすでにライトがついているくらいあたりは薄暗くても、写真ではこんな風に明るく撮れるわけです。

でも、たそがれ時の公園大通りあたりは、こんな風にベビーカーの赤ちゃんや子連れの親子がわんさかといたので、心細くならなかったのですが。

帰り道ではシルエットしか見えなかった中央モスク
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言うまでもなく、この写真は往路の昼間に撮ったものです。
帰路にこの交差点にたどり着いたときは、もうあたりはほとんど真っ暗でした。
せっかくの中央モスクなんだから、ライトアップしていて欲しかったよ~。
というわけにはいかないのでしょう、経済事情から。
このあとの道は、街灯すらもほとんどなくなってしまい、通りがかる車のライトを当てにするしか有りませんでした。
歩行者はまだちらほらいましたが、歩道と車道の区別のない道路でしたので、私もそうですが、向こうから来た人も、すれ違うときには互いに距離をおいて警戒してしまいました(苦笑)。


<第5日目:2012/9/13木 途中でブナラの塔へ寄りながら、イシククル湖へ>

朝、ホテルのロビーで、イシククル湖観光の案内をしてくれるガイドさんと会いました。
このときはいつも少し緊張します。ましてや、日帰り観光のガイドさんではなく、3日間ずっと一緒です。
若い女性で気軽に話をしやすく(ノリがよく)、すごく気遣いしてもらえて、ガイドとしてのプロ意識もバツグンのすばらしいガイドさんに恵まれて良かったです。ガイドさんによっても、観光の善し悪しが大きく左右されますから。
それに、あまりマッチョな体育会系の男性のガイドさんだと、翌日のチョン・アクスー渓谷トレッキングのときについていけないかとひそかに心配していたので(もちろん、やせ我慢せずにきついときにはきついと、自分のペースを正直に訴える予定でしたけどネ)、その点でもほっとしました(苦笑)。
ブナラの塔で私が塔の上に上ろうとしたら、逆にガイドさん───レナに、「ほんとに大丈夫?」と心配されてしまったくらいです。
大丈夫大丈夫、私はこれより高いミナレット(塔)に、ヒヴァでは上ったくらいですから。休み休みでしたけど。

ブナラの塔の上からの景色
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これも楽しみにしていた、ブナラの塔のそばの石人たち
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本日は、ビシケクからイシククル湖まで車で5時間くらいかかるとはいえ、途中、ブナラの塔に寄り道するだけしか予定が入っていなかったので、ブナラの塔の見学もランチタイムものんびりとりました。

ビシケクからイシククル湖までの車窓の外の景色は見応えがありました。
途中までは、中国資本で道路が整備されていたので走りやすかったです。その整備がまだ途中で、砂利道では結構揺れました。
深い渓谷を越えてイシククル州に入っていくにつれて、あたりの標高は少しずつ高くなり、足元の大地は海抜1,000m以上となりました。
なので、周りのアラ・トー山脈は、3,000mクラスだと丘にしか見えないくらいでした。

レナはいろんな知識が豊富で、ドライブ中にもたくさんキルギスのこと───歴史、社会、伝統、風習などにまつわることをいろいろ話してくれて、ふった話題は必ず応じてくれて、外されることはありませんでした。ガイドさんの鏡だと思いました。

ただ、彼女の口ぶりでは、ソ連時代を悪く思っているようには思えませんでした。
ソ連時代の方がいろいろインフラも産業も整っていて、ソ連が崩壊しない方が良かったのでは、いっそ独立しない方が暮らしやすかったのではないか、と思えてしまったくらいでした。
ソ連崩壊と独立後、町の工場や企業が立ちゆかなくなり、大勢の人が失業したり、くまなく整っていたバス網はすっかり廃止となり、今では村の子供たちはヒッチハイクしたり、2時間も3時間もかけて歩いて学校に通うことになったり。
キルギスにたくさん眠る豊かな歴史遺産を発掘し、研究し、整備したのは、みなソ連の考古学者ばかりで、独立後は経済的にそれを支えることができないせいもありますが、地元のキルギス人に遺跡に対する関心はなく(東西南北かかわらず地元の反応ってそういうことが多いでしょうけどネ)、イシククル湖北岸のとある町では、ローマ時代の浴場跡のような価値のある遺跡があるのですが、観光誘致には活かせず、いまではゴミ捨て場になっているとか。

でも、よくよく聞くと、その利益はロシア人に吸収されて、もともと暮らしていたキルギス人はやせた土地に追いやられたり、利益を剥奪されたりしたようです。
貴重な考古学的な発掘品も、主なものはみんなモスクワの博物館に持っていかれてしまいました。
若い女性なのにソ連時代をかばうように聞こえたのが不思議に思い、彼女がロシア系だからかな、と思ったのですが───でも、顔立ちにロシア系の血が入っているかもしれませんが、キルギス人としてのアイデンティティがあることは、話のはしばしから感じられました───彼女のソ連時代の方が良かったと聞こえる発言は、キルギスが独立し、キルギス人がキルギスのために働けるいまの環境で、そのときのレベルの社会インフラ・経済環境まで回復することを願っているからではないか、と聞こえてくるようになりました。

それに、歴史の話をすると、イシククル湖の周辺にいまある町は、帝国ロシア時代にロシア軍人に開拓されて起こったところが多く、ソ連時代に産業がさかんだった町が多いので、そういう話になったのだろうと思います。
イシククル州に入ってから通りかかった町や村で、ソ連時代を思わせる無味乾燥な高層アパートはそんなに見かけず……ないわけではなかったです……街道沿いはどちらかというと、平屋で、木の窓枠が水色で装飾的なカーブが入った可愛らしい家が多かったのですが、それはみんなロシア帝国時代に入植したロシア人が建てた家でした。
では、キルギス人は?
と聞いたら、キルギス人はそれまでは遊牧民だから定住生活をしていなかった、との答え。そういえばそうでした。

イシククル湖での宿泊場所は、手配を依頼した現地代理店の担当者さんの選択に任せていました。
イシククル湖畔のメジャーな町はチョルポン・アポですが、ここは完全にリゾート・タウンでした。住民のほとんどは観光業で成り立っていて、ハイシーズンは住民よりも観光客の方が何倍もいるような町です。
そして住民も、シーズンオフには、ビシケクなど都会に移り住んで働いている人たちもいるようです。
行く前に旅行記などをチェックしたとき、イシククル湖に浪漫を求めるにはチョルポン・アタはリゾートリゾートしすぎている、と、比較的不評でした。
なのでひそかにチョルポン・アタでない、静かなところの宿だといいなぁと思っていたのですが、そうはっきりと希望を出さずとも、現地代理店の担当者さんはステキなところを選択してくれていました。

そこは、リゾート客のための施設で、はっきり言って村から完全に浮いている閉鎖区間ではあったのですが……ミーハーな私は満足できました。
ゲートでは警備員さんが目を光らせていて、宿泊カードがないと通してもらえないですし、湖畔は利用客のための完全なプライベート・ビーチだったので、夕方や朝の湖畔散策も安心してできました。
これがハイシーズンだと、この施設「ラドゥガ」もリゾート客で湖畔なども騒がしいようですが、9月で、例年よりも寒くなっていたので、今年はすでにシーズンオフ。静かな散策が楽しめました。
私が宿泊したところは2階建てのアパートのようになっていましたが、庭付きの一戸建ての家がたくさんありました。
どう見ても一時の宿泊客向けにしては贅沢すぎるし、個人的なものが置いてあるなぁと思ったら、それは個人所有のサマーハウスでした。
ただ、やはりこういうところを利用できる人は限られているでしょう。
実際、朝食のレストランや施設の中の散策中にちょこっとだけ見かけた限りでは、利用者は私のような完全な観光客───日本人団体や中国人のグループを見かけました───や、あとはロシア人ばかりでした。

ラドゥガのイシククル湖プライベート・ビーチ
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プライベート・ビーチから見えた北のアラ・トー山脈
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手前の家々は、ラドゥガの中のプライベートなサマーハウスです。

残念ながら湖の対岸である南岸の方は、上空が雲に覆われていたりして、雪山の景色は見られませんでした。
肉眼でなら、かすかに確認できましたが、写真に撮ると、雲と全然区別がつきませんでした。

個人のサマーハウスだった一軒家
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バラにあふれたラドゥガ
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りんごの木がたくさんあ、小さな果樹園のような一角もありました。

キルギス編の後編へとつづく。

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中央アジア3カ国旅行~1日ごとの感想(ウズベキスタン編)ハイライト写真付き

<第1日目:2012/9/09日 成田発~アシアナ航空でソウル仁川経由~タシケント到着>

この日の感想ネタは、詳細版旅行記と私が呼んでいる、写真中心のフォートラベル旅行記を、もう作成して、盛り込んでしまいました。
「2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~第1日目:出発編~成田空港からアシアナ航空でソウルの仁川空港乗り継ぎでタシケント空港へ」

キーワードは、前日までのトラベルブルーが噓のようにテンションが上がってきたことと、空き空き、ってことでしょうか。
それと、その他のネタといえば、映画館にはめったにいかず、レンタルビデオも最近ほとんどしなくなった私にとって、機内映画は思った以上に気に入るラインナップなことが多いのですが、今回もそうだった、というところでしょうか。

機内は、往路は観光のための必要な情報を頭に叩き込んだり最終的な予習する貴重な時間であり、帰路は、旅行をふりかえり、旅の復習として楽しみにしている旅日記の作成のために、ネタのキーワードを列挙したり、ざっくりとドラフトしたりする、これまた貴重な時間です。
でも、いい機内映画があると、その誘惑に負けてしまいます。

今回、往路では、まずは成田とソウル間の1時間ちょいの飛行時間に、95分のディズニーアニメ「Brave(邦題:メリダとおそろしの森)」を見ました。
機内映画は、機長やアテンダントの放送が入ると中断されてしまうので、クライマックスのいいところでソウルに着いてしまいそうになり、あせりました(笑)。
往路のソウルとタシケント間と、帰路のアルマトイとソウル間の約7時間のフライト時間中は、1本ずつだけ見ました。
どちらも白雪姫を題材にした洋画で、往路は「Snow White and the Huntsman(邦題:スノーホワイト)」、帰路は「Mirror, Mirror(邦題:白雪姫と鏡の女王)」。
往路は、日本語吹き替えがあったので、「ながら勉強」するため、日本語で見ていました。
帰路は、分かる言語は英語しかなかったので、これも「ながら」で見ていたのですが、機内映画は実はビデオでしたので、あれっと思ったところは巻き戻すことができました。


<第2日目:2012/9/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光>

ヒヴァ最寄りのウルゲンチ行きのフライトが大幅に遅れたのに空港ではなんの説明もなく、もしかしたら今回もヒヴァに行き損ねるのではないか、とやきもきした話は、帰国報告記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───フライトの話」に書きました。
タシケント空港で声をかけあい、タクシーをシェアした日本人男性の話はこちら。「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~より帰国!───旅先で日本人に会った話とちょっとだけホテルの話」

おかげで、ホテルのチェックインは13時。
時間がもったいないので、13時20分には早速観光を開始しました。
ただ、朝3時起きだったせいと、ヒヴァは暑かったので、体力的に少々きつくて、音を上げたくなるのがしばしばでした。
なので、あまりがつがつと観光せず、ゆったりと観光しました。
でも、そうでなくても、ただ歩いているだけで、シルクロード隊商時代にタイムスリップした気分に浸れるので、それでも十分といえました。
といっても、貧乏性の私は、共通券を買ったので、それで回れるところはできるだけ回りたいと思ってがんばったのも確か。

共通券とは別払いのミナレット(塔)は、ヒヴァで一番高いという、イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットだけは上りました。
ミナレットの階段は、明かり取りの窓が少なくて暗く、段差がすごくあってきつい階段なので、旅行前にネットで旅行記をチェックしていたら、翌日それで筋肉痛になったという人がちらほら。
だから、ミナレットは、一か所はがんばりたかったけれど、あちこち欲張らなくてもいいや、と思ったのです。
でも実は、なにが原因かよくわからないのですが、私の太ももは、ミナレットに上る前から、とっくに筋肉痛でした@
ものすごい段差の階段で、上りよりも下りの方がきつかったです。しかも、大勢の人が上り下りしたせいか、石段は結構つるつるで、すべりそうでした。
なので、下りは、一段一段座って下りました(苦笑)。

イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットに上る
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料金を回収したおばさんが、途中まで真っ暗だから気を付けて、グッドラック、と声をかけてくれました。
私は荷物をできるだけまとめ、手にしたまま歩いていた一眼レフをカメラバッグにしまい、両手を空けてから上り始めました。

というわけで、両手をついて上った急な階段
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疲れて一休み
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上った甲斐があった上からの景色
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下りの方が怖かった(苦笑)
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ジュマ・モスクのミナレットの方は無理して上らず(笑)
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ヒヴァ観光で印象的だったのは、思っていたより観光客も少なく、土産屋も少なく感じられたことです。

去年のウズベキスタン旅行で、第3日目にして早速タイムスリップしたような気分が味わえたブハラの旧市街では、観光客はわんさかいましたし、歴史的な建物の中身はほとんどがお土産屋で、旧市街の町中がお土産屋づくしというかんじでした。
ヒヴァの方がブハラよりももっとタイムスリップしたような気分になれて、観光客に人気の都市だから、同程度かもっとすごいのかと思っていたのですが、全然でした。
ウズベキスタン入りは首都タシケントを経由するのがふつうで、ブハラは距離的にタシケントからまだアクセスしやすいけれど、ヒヴァは遠くて、飛行機を使わないとなかなか行けないです。
だから、ヒヴァの方が人気が高そうに見えても、短い旅程の中で、ブハラとサマルカンドは含めても、ヒヴァは入れないことは意外に多いのかもしれません。
だから、ヒヴァよりブハラの方が観光客がうじゃうじゃなのは当然なのかもしれないですし、あるいはたまたま私がヒヴァに滞在したその日だけの現象だったかもしれません。

最初に入った有料の場所はキョフナ・アルク(古い宮殿)なのですが、観光客なんかだぁれもいないし、キョフナ・アルクに限らずどの建物も、中には行ってしまうと、観光の参考になるような、昔ここは何々だった、というような看板も標識は全くありません。
一人歩きをしていると、ガイドブックの説明をしっかり頭に叩き込まない限り、ポイントに気づかず通り過ぎてしまう可能性が大です。
逆に他の観光客がたむろしていたり、注目していたりすると、見過ごさずにすんだりします。
そういう意味では、はじめあまりにも他の観光客に会わなかったので、かえって心細く、不便にすら感じてしまい、次のムハンマド・ラヒム・メドレセでグループを見つけたときは、逆にほっとしてしまったくらいです。

もっとも、町歩きに慣れてくると、だんだんそんな風に他の観光客の存在の助けはいらなくなります。
あれだけの町ですから、できれば自分だけのオリジナルの町のアングルの写真を撮りたい、と思うようになって、今度はなんでもない街角にロマンを感じるようになりました。

自分だけの写真を求め
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なにげない街角にロマンを感じるようになり
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哀愁こもったシーンも演出してみる@
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ところで、この日は、夕方7時半にいったんホテルの部屋に落ち着いた後、どこか美味しいウズベキスタン料理のレストランで夕食をとり、まだ宵の口に、ライトアップされるであろう夜景撮影散策をすることも楽しみにしていました。

ところが、朝3時半に起きた寝不足のせいで、ホテルでぐうぐう寝てしまい、気づいたら夜中!!
こんな時間にやっているレストランはもうあるわけはなく、夕食も食いっぱぐれてしまいました。

悔しいので、夜中の1時半にもかかわらず、30分ほど、夜の散歩に出かけてしまいました。
ライトアップされている建物は思ったより少なかったですが(宵の口にはライトアップしていても、夜更けにライトを落としてしまった可能性もあります)、町明かりで歩き回れないこともありませんでした。
私以外に他にはだぁれもいない、完全に寝静まった夜でした。
そんな夜の町を一人歩き回るのは、世界に他に誰も存在していないかのようで、すごく不思議な感じがしました。

クロスフィルターのキラキラ効果で楽しくなってしまった、露店のお土産撮影
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このくらいの土産屋屋台があった方が、かえって写真では絵になるかも
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真夜中の散策中に撮った一枚
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<第3日目:2012/9/11火 キジルクム沙漠のカラ回り>

ヒヴァを起点にしたエクスカーションとして格好なカラ回り。
ジンギスカンのモンゴル来襲以前に栄えていた古代ホラズム王国の、キジルクム沙漠に残る都城址(カラ)の遺跡めぐりです。
それは、ヒヴァのあるホラズム州の州都ウルゲンチよりさらに東北方面、アムダリア川を越えた、ウズベキスタンの中のカラカルパクスタン共和国の領内にあります。
一応、国境を越えたましたが、その様子はウズベキスタンのあちこちにある、よくわからない検問みたいなところと変わりありませんでした。

帰りに撮ったアムダリア川と去年開通したばかりという新しい橋
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この日1日は、代理店経由で車とガイドをチャーターしていました。
プログラム内容も、あらかじめ連絡を受けていました。
代表的なカラであるトプラク・カラとアヤズ・カラを回り、アヤズ・カラのそばでは遊牧民のテント「ユルタ」でランチをとり、ラクダにも乗れる、と。
丸一日のプログラムとしては少ないんじゃないかな、とチラッと思わなくはなかったのですが、ガイドさんがちゃんと、いろんな説明をしてくれたりして、内容を膨らませてくれました。
カラの遺跡はぐるっとひととおり歩きました。
ゆっくり歩き回り、ガイドさんの詳しい説明を聞きました。

カラは思ったよりすばらしくて、感動的でした。
遺跡を見ても、往時がなかなか想像できず、ロマンを感じにくいと思っていた私ですが、壮大なキジルクム沙漠と大地の中にぽっかりと残る遺跡というシチュエーションのおかけで、非常に感動的でした。

カラでは写真を撮りまくり~トプラク・カラ
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カラでは写真を撮りまくり~アヤズ・カラ
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沙漠の向こうのアヤズ・カラ
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それに、トプラク・カラは、すぐそばまで車でアクセスできましたが、アヤズ・カラのそばは、チュニジアのサハラ砂漠を思わせるような、ラクダの好物の植物がぽつぽつと生えた完全な砂漠でした。場所によっては、全く植物が生えていない、イメージどおりの砂漠そのもののところもありました。
なので車で近くまでアクセスできません。
アヤズ・カラ見学の前に、先にラクダに乗ってそのへんを歩き回っていたので、往路はアヤズ・カラまでラクダに乗ってアクセスしました。

でも帰りは、ラクダに乗っていると、両手をつかってしっかりつかまっていないとならないので、自由に写真撮影ができないため、歩いて車まで戻りました。
ガイドのフーサンは、私が帰りは遠慮したのは、ラクダに乗るのは大変だから、と思ったようです。

実際、ラクダに乗って移動するのは、ラクでもあり、そうでもありませんでした。
歩きにくい砂の上を、ラクダの背に座ったまま移動できるのは、確かにラクでした。
でも、中央アジアのラクダは背中のコブは1つ。そのコブの上に乗るのです。
馬と違って立派な鞍があるわけではなく、コブの上に座布団を乗せて、その座布団をコブの前と後ろで紐でくくってあるだけの座席。
ラクダに乗っている間は、その紐を両手でぐっと握っていなければなりません。
歩いているラクダは揺れます。コブの上は面積が少なくて、油断するとずり落ちそうになりました。
それに、両足を広げてまたがっているのですが、これが結構、かなり大股っ広げになるので、ずっと股開きの柔軟体操しているみたいなんです。
迂回して砂の少ない道を自分の足で歩いた方が、やっぱりずっとラクでした。
でも、ラクダに乗った体験は楽しかったです。

私が乗ったラクダくん
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アヤズ・カラのすぐそばの砂漠砂漠したところ
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沙漠に咲く小さな花
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ガイドのフーサンとドライバーのバハディールの話は、全体の感想記事「中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(4)3ヶ国で雇ったガイドさんたち」にも書きました。
イタリア人の女の子をヒッチハイクさせた話も。

車をチャーターしてのエクスカーションで楽しみなのは、行くまでの途中もそうだったりします。
今回は、ウズベキスタンの主要産業である綿の綿花畑でフォトストップしました。
綿の花を初めてみました。
もう収穫の準備が整った綿は、手で軽く引っ張るだけで、すんなり取れました。
綿はやはり人の手で収穫した方が、不純物が混ざりにくく、高品質の綿になるそうです。
いまは綿畑のオーナーは、人を雇って収穫する人もいるようですが、さしずめぶどう狩りや梨狩りと同じく、採りたい人から一定の料金を徴収し、採り放題にさせることも多いようです。

粉雪が積もり始めたような綿畑
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去年のウズベキスタン旅行中は走っている車窓からしか撮るチャンスがなかったので、こうしてじっくり撮れて感激です。

初めて見た綿の花
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手でひっぱると、するりと抜けた綿
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キルギス編へとつづく。

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中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~撮ってきた写真の分析(写真付き)

デジカメを手にして7年目にして、今年は元旦2日についに一眼レフを手に入れました。
ずっとCannonを使っていたので、操作性になじみがあるため、CannonのEOS X5を購入しました。
というわけで、今年の海外旅行は初めて一眼レフを持参しました。
でも、それまでの愛機PowerShot SX 210 ISも持参し、場面によって使い分けました。

と言いたいところなのですが、PowerShotは2日目にして調子が悪くなり、ズームが全然できなくなってしまいました。
レストランでの食事の写真など悪目立ちしたくないところはPowerShotを頼りにしていたのですが、ズームできないと好みの写真にならないので、一眼レフで撮りました。

でも、まったくズームできなくなった後でも、ホテルの部屋の写真などは、PowerShotで撮り続けました。
もともと光学14倍ズームができ、レンズ焦点距離が35mmフィルム換算で28~336mm という優れもののレンズのPowerShotなのですが、逆に広角側だと歪みが目立ちました。
でもまあ、ホテルの部屋の写真なら、それも面白いかと思って。
それに、レストランでは恥のかき捨てはできましたが、ホテルの朝食の場では、私でも、かき捨てができなかったものでして(笑)。

コンデジをずっと使い続けてきて、液晶画面で確認しながら写真を撮るのに慣れてしまったので、国内の撮影散策では一眼レフでも液晶画面を確認しながら写真を撮るのが多かったのですが、今回の旅行中は、ふつうに一眼レフらしく、ファインダーを覗いて撮影するくせがつきました。

というか、日差しが強くて液晶画面が光ってしまって、液晶画面を確認しながらではかえって撮りづらいことが多かったせいでもありました。

ただ、ファインダー越しで撮影するとき、露出設定に自信が持てないため、暗く撮れすぎたと思ったときは、露出を変えてもう一度同じ写真を撮ったりしました。
ただし、それを頻繁にやったわけではないので、撮影枚数が多くなったのは、やはりシャッターを切る頻度の方が多くなったせいです。

いやぁ、なんか一眼レフを構えて撮影している自分に酔っていたところもあった気がします(笑)。

街中のなんでもないところや、向かう途上の景色をぱちぱちやるのは、少々抵抗があって、これでも控えたのですが、目的地で、外国人であれ現地の人であれ観光客が記念写真を撮ってもおかしくないようなところでは、それこそ撮り放題@
自分でもしつこいと思うくらいシャッターを切ってしまいました。
その度合いは、なんか年々エスカレートしている気がします(苦笑)。

というわけで、今回の中央アジア旅行で撮った写真の枚数をまとめてみました。

9/09日(出発日─ソウルの仁川空港経由でタシケント着)
 PS 54枚/EOSなし
9/10月(ウズベキスタンのヒヴァ)
 PS 10枚/EOS 251枚(うち説明プレート6枚)
 計261枚
9/11火(キジルクム沙漠のカラ回り)
 PS 31枚(うちプレート1枚)
 EOS 199枚(うち夜景22枚、説明プレート1枚)
 計230枚
9/12水(キルギスのビシケク市内観光)
 PS 32枚/EOS 227枚
 計259枚
9/13木(ビシケクからイシククル湖へ)
 PS 13枚/EOS 131枚
 計144枚
9/14金(チョン・アクスー渓谷ほか)
 PSなし/EOS 274枚
9/15土(イシククル湖からビシケクへ戻る)
 PS 5枚/EOS 80枚(うち買った土産の写真7枚)
 計85枚
9/16日(カザフスタンのアルマトイへ移動)
 PS 9枚/EOS 150枚(うち説明写真4枚、車窓から68枚)
 計159枚
9/17月(チャリン・キャニオン)
 PS 23枚/EOS 258枚
 計281枚
9/18日(アルマトイ市内観光&出国)
 PS 15枚/EOS 88枚(うち買った土産の写真7枚)
 計 103枚
9/19月(ソウルの仁川空港経由で成田到着)
 写真なし

PS 合計192枚
EOS 合計1,648枚
総計 1,840枚

帰国日を除く10日間の1日平均枚数184枚
初日と帰国日を除く9日間の1日平均枚数204.44…枚

PowerShotのみ9日間の平均 21.3…枚
EOSのみ9日間の平均183.11…枚

コンデジのPowerShot(=PS)で撮ったのは、出国日を除き、上記のとおり、ホテルの部屋と朝食と朝食をとった部屋やロビーなどの写真です。
昔はホテルの写真は部屋の写真を1枚ぱちりとやったきりだったのですが、最近はやたら念入りになってしまい、部屋の写真でもアングルを変えて4~5枚撮るのはふつう、朝食をとるところも5~6枚撮るのがふつうになってしまいました。
インテリアが可愛かったり、民芸品をたくさん飾っているようなホテルだったりすると、ぱちぱちぱちぱち!!

1日の撮影枚数が100枚を切ったのは9月15日だけですが、この日は約5時間のロングドライブだったので、途中でフォトストップをしてもらったとはいえ、撮影チャンスがあまりなかったからです。
逆に同じく約5時間のドライブ+国境越え40分かかった9月16日は、旅行代理店を通じて車をチャーターしたのはあくまで移動目的だったので、フォトストップが一切なかった代わりに、走っている車窓から遠慮せずにぱちぱち写真にチャレンジできて、枚数が稼げました。

観光目的で車とガイドさんをチャーターしたときは、走っているときにパチリとやると、「言ってくれれば車を停めてあげるよ」とガイドさんが言うんです。だから、逆に、走っている最中にやたらパチパチやれません。
でも、車窓から見て、いいな、と思った景色は、いざ車をストップしてもらうと行きすぎていたり、外に出てしまうと目線が低くなってしまうので、撮りたいと思った景色が違って見えてしまうことって、よくあります。
だから、車をストップだけしてもらって、窓から撮るのがベストということもよくありますね。
やはりその方が、走っている車窓からよりは、ピントが合った、きちんとした写真がゲットできます。

<国別平均>
ウズベキスタン2日間
 PowerShot計41枚/1日平均20.5枚
 EOS計450枚/1日平均225枚
キルギス4日間
 PowerShot計50枚/1日平均12.5枚
 EOS計712枚/1日平均178枚
カザフスタン3日間
 PowerShot計46枚/1日平均15.33…枚
 EOS計496枚/1日平均165.33…枚

旅行の写真数は、テンションが高い旅程最初の方が多く、旅先に慣れてくるにしたがってだんだんと減ってくるものですが、今回は、2番目とキルギスと3番目のカザフスタンが初めての国でしたが、その法則が成り立ったようです。
もっとも、この3か国とも、首都や首都に相当する都市はソ連時代に発展したので、街中散策で写欲がわきにくいのですが、キルギスの首都ビシケクでは、なんでもない街中撮影に意外に萌えましたし、国立歴史博物館で存分に撮影ができました。
それに対してカザフスタンのアルマトイでは、街中撮影のテンションはあまり上がらなかっただけでなく、国立中央博物館も、バザールですら、撮影禁止でした。

次に1日ごとにどんな写真を撮ったか、ざっくりとふりかえり、代表的な写真2枚ずつ挙げてみました。

<9/09日 成田発~アシアナ航空でソウル仁川経由~タシケント到着>
撮影枚数:PS 54枚/EOSなし

成田空港だけで何枚も何枚も写真を撮るのは、2010年に昼の便でウラジオストクに出発したときにやりました。
でも、やはり初日のテンションでしょうね、PowerShotでなんだかんだいいながらこれだけの枚数を撮っていました。
それに仁川空港は初めてでしたから。

成田空港のアシアナ航空エコノミークラスのチェックインデスク
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成田空港でのアシアナ航空のチェックイン・カウンターは、電光掲示板にBとGの両方が載っていたのでどっちかと迷いました。
Bはビジネスクラス以上の場合で、空き空きで暇そうにしていました。
エコノミークラスのGは混んでいました。でもそれは、私が少し早すぎて、前のフライトのためにチェックインする行列がまだ並んでいたせいでした。
行列の進みは速く、比較的手際よく終わったと思います。
セキュリティー・チェックも出国審査も空き空きで、全然並ぶ必要がありませんでした。
タイミング的にちょうど空いていた時間帯だったようです。

日本語表示があって日本語を話す店員さんもいて、海外にいる気がしなかったソウルの仁川空港@
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<9/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光>
撮影枚数:PS 10枚/EOS 251枚(うち説明プレート6枚)
計261枚(実質1日平均約204枚)

なんだかんだいって楽しみにしていたヒヴァです。
シルクロードの時代にタイムスリップしたようなヒヴァです。
有料のところ無料の街角あわせて、絵になるところが多かったし、初日のテンションもあって、撮影枚数は多くなりました。
1日の撮影枚数は、チョン・アクスー渓谷やチャリン・キャニオンに出かけた日の次の3番目です。
ただ、地元の人々の写真をいろいろ撮るチャンスがあったのは、3か国の中でウズベキスタンが断トツでした。
伝統舞踊ショーの最中に撮ったのも含めて、ですが。

スザニセンターで作っているところをじっくり観察@
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あまりにすばらしい手つきで、目が追いつきませんでした。
私が目をぱちくりしながら観察していたので、おばさんがゆっくり実演してみせてくれました。

アラクリ・ハン・メドレセで、ちょうど伝統舞踊ショーが始まるところに出くわし、休憩を兼ねて見学
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ショーをやっていたのは、成人男性2人と女性2人とこの少年。
プロの劇団というよりは一家総出というかんじでしたが(苦笑)、少年が可愛らしくて、カメラではほとんどこの少年ばかり狙ってしまいました@

この他に、東門で遊んでいた女の子たちの写真も撮らせてもらいました。


<9/11火 キジルクム沙漠のカラ回り>
撮影枚数:31枚(うちプレート1枚)/EOS 199枚(うち夜景22枚、説明プレート1枚)
計230枚(実質1日平均約204枚)

この日もたくさん撮影しましたが、メインのカラ遺跡やキジルクム沙漠で撮った写真がほとんどです。
PowerShotで撮った写真の中には、珍しく私自身の写真があります。
私がラクダに乗っているところを現地ガイドさんが撮ってくれた写真です。
でも、これはネットにはアップできないなぁ~。我ながら絵にならないので(苦笑)。
友人相手なら話のタネになると思って削除せずに残しておきましたが@

ヒヴァでの深夜1時30分から2時までの夜の散歩にて、西門の緑のライトアップ
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本当は日が落ちた直後の夕食タイムくらいに夜景散策をしたかったんです。
でも、この日はフライトの都合で朝3時半起きで、ヒヴァに到着してから5時間は日差しがきつくて暑い中を観光したせいか、夕食前にホテルにいったん落ち着いたら、夜中までぐうすか寝てしまいました。
当然夕食抜き。
悔しかったので、深夜1時30分という非常識な時間帯ですが、夜の散歩に出かけてしまいました。

翌日のカラ回り~トプラック・カラにて
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遺跡にどの程度ロマンを感じることができるか、正直自信がなかったのですが、カラ回りは、周辺の壮大なキジルクム砂漠の景色と合わせて、とても気に入りました。


<9/12水 ウズベキスタン航空でキルギスの首都ビシケクへ&ビシケク市内観光>
撮影枚数:PS 32枚/EOS 227枚
計259枚(実質1日平均約204枚)

旧ソ連チックのセピア色めいたなつかしさはありつつも、面白みの少ないビシケク市内で、よくぞこれだけテンション上がったものだ、と我ながら思うほど、街中撮影が楽しかったです。
初めての国の第一日目、まだ旅は始まったばかりだったせいもあるでしょう。
そして、国立歴史博物館での撮影にも萌えました。
旧ソ連圏のこういう中央博物館は民俗コレクションの展示も多いですが、レーニンがいる社会主義時代の彫刻群も驚くほどたくさんあって、いちいち撮影するのが楽しかったのです。
翌日の現地ガイドさんの話によると、それらの社会主義時代の群像彫刻は、いずれ撤去されて、キルギスらしい展示に代えられる予定だそうです。
であれば、ある意味、貴重な写真です。せっせと撮っておいてよかった@

なんでもない旧ソ連の家並み撮影に燃えたビシケク散策
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写真代を払って写真を撮りまくった国立歴史博物館
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博物館内のライトはともすれば写真を撮るのに邪魔になるところですが、一眼レフにはクロスフィルターをつけっぱなしにしていたので、適度にキラキラがゲットできて、余計に楽しかったです。


<9/13木 途中でブナラの塔へ寄りながら、イシククル湖へ>
撮影枚数:PS 13枚/EOS 131枚
計144枚(実質1日平均約204枚)

車とガイドさんを一人でチャーターしたので、好きなところでフォトストップしてもいいとは言われていました。
でも、去年のグルジア旅行のときに、それをほんとに思いっ切り好きなだけやって、何度も車をとめたら、移動時間が予定よりもはるかにかかってしまったので、少しは自粛するようになりました。
それに、道路や交通事情などから車をとめられそうにないところでは、わがままは言えません。
なので、撮った写真は主に、途中で寄ったブナラの塔と石人像、それからイシククル湖の宿泊場所での散策中のものです。

ブナラの塔と石人像
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イシククル湖での宿泊場所は、チョン・サリオイ村のリゾート施設「ラドゥガ」。
薔薇をはじめとする花にあふれた、美しい小さな村のようでした@
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イシククル湖きってのリゾートの町であるチョルポン・アタに宿泊するかと思ったけれど、違っていました。
小さな村の中にぽこんとできた宿泊施設でしたが、散策しがいがあり、プライベート・ビーチもあり、そろそろシーズンオフだったこともあって静かに過ごせて、とてもよかったです。


<9/14金 岩絵野外博物館&チョン・アクスー渓谷トレッキング>
撮影枚数:PSなし/EOS 274枚
(実質1日平均約204枚)

2番目に撮影枚数が多かった日です。
トレッキングとして4.5kmは歩きましたが、しょっちゅう写真を撮っていたので、1時間50分もかけてしまいました。
ほかに、岩絵野外博物館でも、雨の中で見学しながらも、傘の下からめげずにぱちぱち。
帰りも少しだけフォトストップしてもらって撮影ができましたし、キルギス人の墓地散策をしたときも、墓地の写真を撮るのは平気な私は、ぱちぱちやりました。

雨の中の岩絵野外博物館見学は、かえって岩絵がよく見えて不幸中の幸い@
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岩絵野外博物館は、これといって管理されていたわけではないため、こんな風に岩ごろごろでした。
すべての岩に岩絵が残っていたわけではないので、岩絵が確認できる岩を探すのは、宝探しみたいでした。
といっても、実際はガイドさんがどこにあるかだいたい知っていたので、答えを教えてもらいながらも同然でしたけどネ。

チョン・アクスー渓谷トレッキングでは、歩くよりも撮影に夢中だった私@
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今回のこの旅行中のトレッキングのために、旅行前には、いつもの週末の撮影散策のときに、今までよりも歩くようにしたつもりでした。
でも、4.5kmを1時間50分もかけて歩き、しかも間に1時間のランチがあるようなペースでしたから、ふだんあまりウォーキングをすることがなかった私にとっても、全然難易度の低いトレッキングとなりました。


<9/15土 イシククル湖からビシケクへ戻る&ショッピング>
撮影枚数:PS 5枚/EOS 80枚(うち買った土産の写真7枚)
計85枚(実質1日平均約204枚)

移動が大半だったので、フォトストップを2度ほどしましたが、おのずと撮影チャンスは減りました。
イシククル湖を去る前に、宿泊施設のプライベート・ビーチに、朝食前と朝食後の2度散策しました。
それから、ビシケクに戻る途中で寄ったレストランが、花壇あり人工の池あり動物の模型ありホンモノの動物もいたりして、少し変わった公園になっていたので、そこでもパチパチ。

滞在中、イシククル湖畔に3回通い、湖の彼方に雪山が浮かんでいる景色はついに見られなかったけれど……。
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ビシケクに戻る約5時間のドライブの途中にて。
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<9/16日 ビシケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路国境越え&アルマトイ市内観光>
撮影枚数:PS 9枚/EOS 150枚(うち説明写真4枚、車窓から68枚)
計159枚(実質1日平均約204枚)

移動が大半の日でしたが、チャーターした車は私を移動させるためだけだったので、逆にフォトストップをとってもらわず、走っている車からじゃんじゃん撮影できました。
アルマトイでは、国立中央博物館の展示品の撮影はできなかったのですが、ホールだけでも、と思い、写真代を払って撮影しました。
ホールに少しだけ展示の模型があったものですから。
もし、展示品の撮影もできていたら、200枚は軽く超えたでしょうね。
アルマトイでは、ビシケクのときほど、街中撮影には萌えませんでした。
枚数を稼げたのは、ロープウェイでコクトベ山に上れたせいです。夕日の下の町の眺望や、町を囲む山の姿がとても美しかったおかげです。

ホールしか撮らせてもらえなかった国立中央博物館にて
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夕方に上がったコクトベからは、黄昏時の町の眺望が美しく
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<9/17月 チャリン・キャニオンへのエクスカーション>
撮影枚数:PS 23枚/EOS 258枚
計281枚(実質1日平均約204枚)

1日の撮影枚数が一番多くなった日です。ただし、似たような写真をたくさん撮った自覚あり。
途上でフォトストップしてもらって撮った写真はありますが、ほとんどが、チャリン・キャニオンで撮りました。
チャリン・キャニオンはアメリカのグランドキャニオンのミニ版といったかんじで、この程度の奇岩はいまどき珍しくないだろうな~と思わなくもありませんでした。
でも、実際に自分の肉眼でそれを眺め、しかも見上げていると、とても壮観で感激的で、ちょっとアングルが変わっただけでも、いちいちカメラに収めたくなってしまってしょうがなくなったのです。
谷底のウォーキング約3時間は、そのまま撮影しっぱなしのタイムでした。

向かう途中の景色の撮影ももちろん期待!
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騎馬で駆け抜けたくなるのがよくわかるような広大な大地にうっとりしました。

チャリン・キャニオンは谷底のウォーキングこそハイライト@
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<9/18火 アルマトイ市内観光~夜23時10分アシアナ航空で出国>
撮影枚数:PS 15枚/EOS 88枚(うち買った土産の写真7枚)
計 103枚(実質1日平均約204枚)

市内観光中に撮った写真です。
ホテルの近くの28人のパンフィロフ戦士公園を中心に徒歩圏内だけ観光することにしていて、もともとそれで時間が余るくらいののんびり日程だったのに、楽しみにしていたカザフ民族楽器博物館は修復中で閉館でした。
といっても、なぜかカザフスタンは、内部撮影が不可なところが多いので、楽器博物館が見学できても、写真撮影はできなかったでしょう。

中央バザールで撮影可能だったらなぁ。とってもとっても撮りたいシーンがいっぱいありました。
でもまあ、がんばって商売している人たちにしてみたら、買い物せずに、ただ写真だけパチパチやられても、あんまりうれしくなかったかもネ。

写真を撮る外国人観光客に対する目は、ウズベキスタンが一番やさしくて、好奇心たっぷりで、自身も撮ってもらいたがっていて、地元の人の撮影ができるチャンスが多くて、私としては万々歳でした。
でも、キルギスとカザフスタンではそうではなかったですから。
キルギスはシャイで撮られるのは好きでない人が散見されました。
カザフスタンでは、写真に撮られることで、何か自分たちの権利が侵害されるか、ただで撮らせたら損、と思っているのでは、というかんじを受けなくもなかったです。
あ、でもゼンコフ正教会の宗教グッズ売り場のおばちゃんは、別にどーぞ、と寛容的でした@

キルギスのビシケクに比べたらずっと豪華だったアルマトイの中央モスク
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楽器博物館が閉館中だったので、ゆっくり過ごすしかなかった28人のパンフィロフ戦士公園にて。
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<9/19水 ソウル仁川経由 朝11時10分成田着>
写真なし。

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中央アジア3カ国旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜全体の感想(5)キルギスからカザフスタンへ陸路での国境越え

今回の中央アジア3ヶ国旅行では、3ヶ国も回るので、当然、中央アジアに入った後も、さらに2度の国境越えが必要でした。

最初にウズベキスタン入りすることにしたのは、去年2011年の同じ頃に、すでにウズベキスタンを一週間旅行しているので、少しは勝手が分かることもあり、その方が早く旅先になじむと思ったからです。
それに、今回の旅のきっかけは、ウズベキスタンのヒヴァ・リベンジです。
何があってもおかしくない旅先。去年、国際線から国内線への乗り継ぎに失敗して行き損ねたヒヴァ。
詳しくは去年の感想記事「とんだアクシデントもあった、ウズベキスタン旅行!───ウズベキスタン旅行全体の感想(写真付)」にて。
なので、ヒヴァに先に行ってしまう方が安心できたせいもあります。

最後の国をカザフスタンに、キルギスを間にはさんだのは、そうすればアシアナ航空でオープンジョーで日本とフライトが組めるからでした。
つまり、ソウルの仁川空港乗り継ぎで、ウズベキスタンのタシケント IN ─ カザフスタンのアルマトイ OUTとすると、希望の曜日のフライトがあるので、大枠のフライト・プランとしてちょうど良かったのです。

ウズベキスタンからキルギス、そしてカザフスタンへの国境越えは、空路が一番適当ではありました。
実際、前者は、ヒヴァの最寄りのウルゲンチから21時発のタシケント行きのフライトで、タシケント乗り継ぎの形とし、深夜1時のフライトでキルギスのビシケクへ飛びました。
ウズベキスタンとキルギス/カザフスタンは1時間の時差があるので、約1時間のフライトで3時10分にビシケクに到着し、現地代理店経由で依頼していた送迎でホテルに着いたのは朝の4時でした。
なので、ビシケク観光を開始するまで、シャワーを浴びてすっきりし、3時間ほど睡眠がとれました。

ところで、国境越えというのは、空路が一番厳密で、厳重で、しっかりしているな、と今回の旅行でつくづく思いました。

キルギスのビシケクからカザフスタンのアルマトイへのフライトは確か朝の3時とか4時。
電車は通っていません。
中央アジアは鉄道網がお粗末で、走っていても車より鈍いので、旅行しづらいところです。
キルギスからカザフスタンへの移動は旅程の終わりの方ですし、そんな早朝のフライトってことは、真夜中すぎに空港に向かわなくてはならなくなるため、体力的につらいかもしれないと思い、代理店経由で車をチャーターして陸路で越えることにしました。
フライトが1時間でも2時間前にはチェックイン、そのためにホテルを1時間前に出て、到着後、入国審査に荷物の受け取りも考えると、ホテルに着くまで1時間はかかるでしょう、と計算すると、陸路だと車で約5時間+出入国手続きの時間、と比べても、かかる時間はおそらくどっこいどっこいです。
空路はさっと飛び抜けてしまいますが、車窓の外の景色を眺めながら陸路を移動するのも悪くありません。
しかも、個人的に車をやとえば、飛行機や列車と違って私を置いていってしまうことはありません(笑)。

というわけで、キルギスからカザフスタンへの国境越えは陸路をとることにしました。
ただし、注意しなければならないことがありました。
陸路に決めた段階では、すっかり忘れていました。
カザフスタンでは、入国カードの記入が必要で、それに二か所、緑色のスタンプが押印されていなければ、入国登録がされたことになりません。
Lonely Planetや外務省の海外安全ホームページをよくよく読んでみたら、陸路では、そのスタンプは一か所しか押印してくれなくて、入国登録が完成しないのです。
その場合、滞在場所の近くの移民局(オヴィール)に行って、登録をすませなければならないのです。
でないと出国のときに非常に問題になり、たとえ出国のフライトが決まっていても、町に戻ってきちんと登録をすませなければ、出国させてくれなかったりするようです。

なんてこと!
短い貴重な旅程で、そんなお役所にわざわざ出向いたりしなくてはならないなんて、冗談じゃありません。

ただ、抜け道はありました。
この手続きの期限は入国当日を含めて5日。
でも私は、3日目にはカザフスタンを出てしまいます。
入国登録が不完全でもオーライなのです。

陸路での国境越えは、空路での手続きが最近簡素化されてきたらしいのに対して、旧ソ連体質を色濃く残していると思いました。
空路での手続き以上に手際が悪いと聞いていたので覚悟はしていました。

結果として、私一人で、いや正確には私とキルギス人のドライバーさんの2人で、40分かかりました。

私が旅行前にネットで旅日記などをチェックしたところでは、キルギス側はスムーズで、カザフスタン側は旧ソ連体質そのものの手際の悪さ、とのこと。
そうでなくても、キルギス側は、日本人なら入国目的・滞在期間にかかわらず、ビザが不要で、滞在登録だの入国カードの記入なども要らない、ありがたい国。
それに対して、カザフスタンは、ビザも要るし、入国カードの記入も必要です。
税関申告は、大量の外貨を持っていない限り不要ですが、パソコンやカメラを含む貴重品は申告してください、とあります。
そして、国境越えをする人がたくさんいれば、当然、混雑しますから、どのくらい時間がかかるか分からない、と覚悟する必要がありました。

結果的に40分ですんだのは、その覚悟からすれば、スムーズだったといえるかもしれません。

ビシケクのホテルを出発したのは朝の8時。
ドライバーさんは、途中の店で水やピーナッツを調達し、あまりスピードを出さずに市外へ出ました。
それでも8時40分には国境に着いたのですから、ビシケクがいかにカザフスタンとの国境近くにあるか分かるというものです。
だからこそ、陸路での国境越えが現実的だったわけです。

同じ時間帯に国境を越える車は少なく、空いていたのは幸いでした。
でも、キルギス側の出国はさっさと終わるかと思ったら、意外に待たされました。
私のパスポートを機械で読み込もうとしてできず、審査官がパスポート番号などの情報を手入力していたためです。
その間、ひまだった私は、じろじろと回りを観察しました。
撮影禁止ですからね。
兵士の胸ポケットに血液型───A、B、O、AB型とRhのプラス・マイナスの刺繍がしてあったのが印象的でした。
それとも、どの国の兵士の制服も同じでしょうか。

キルギス側で手間取ったのに比べて、覚悟していたカザフスタン側の入国審査は、これまた私とドライバーさんの2人しかいなかったので、時間はかかりませんでした。
入国カードをその場で記入しましたが、名前とパスポート番号以外、書く所はほとんどなく……というか、私はうっかり、「地球の歩き方」からコピーしておいた書き方見本を、車の中に残した手荷物の方に入れていたため、記入説明のロシア語にわからないのがあり、書き方に自信がなかったのです。
滞在期間などを記入すべきと思われたところ、自信がなかったので、何も書かないで提出したら、それでもOKでした。
名前とパスポート番号と自署欄を埋めていれば、ほとんど空欄でもOKだったようです。

審査官は、私が日本人と分かると、やたら「こんにちは」を繰り返して、愛想良かったです。
というか、面白がっていました(苦笑)。
でも、陸路では、案の定、入国カードにスタンプを一か所しか押印してくれませんでした。
ダメもとで、「ここも!」とお願いしてみたのですが、審査官は、「(スタンプは)アジン!(1個)」と繰り返すのみで、駄目でした。
まあいいや、どうせ私は3日でカザフスタンを出ちゃいますもの。

そのあと、税関があったのですが、だぁれもいません。
カメラを持っていたので、念のために申告しておこうと思ったのに、用紙もありません。
用紙を記入しても、それをチェックして押印してくれる税関員がいなければどうにもなりません。

でも、ここ数年、税関申告は、貴重品を申告せよとされている国でも、カメラとかパソコンとかの物品に関しては、あまり厳しくなかったです。
たとえば2010年の秋に出かけた極東ロシアのウラジオストクとハバロフスクや、去年のコーカサス諸国とウズベキスタンでも。
いまどき、カメラやパソコンを持参して旅行るのは珍しくないからかもしれません。
なので、ちょっとびくびくでしたけど、ここでカメラを申告しなかったらかといって、出国時に没収されることはないでしょう、と不安ながらも、自分を納得させるしかありませんでした。
だってだって、税関申告用紙も税関員もいないのが悪いんであって、私のせいではありません!!
という話がお役所に通じるかどうかわかりませんが。
───まあ、出国時、税関は、半ば予想通りスルーできてしまい、別に何にも問題はありませんでした。

荷物検査は、出国するキルギス側でも入国するカザフスタン側でも、もちろんありました。
個人客なので、スーツケースは車のトランクに入れたまま。
エックス線にかけたりするわけでなく、ふつうに兵士にスーツケースを開けさせられて、その中に兵士が少し手を突っ込んで確認しただけです。
機関銃のような大きな武器が隠されていないかチェックしたようです。すごく簡単でした。
陸路では、自前の車で国境越えする分には、空路と違って、ハイジャックの心配がないから、細かいチェックはしないのでしょう。

ただし、何をやっていたかよく分からないけれど、カザフスタン入国審査が終わった後、手荷物検査までの間、少し待たされました。
その間、ドライバーさんも車も見当たらなくなってしまったので、あせってしまいました。
まさか私をおいてさっさと行ってしまいやしないでしょうけど、たいして広くない国境設備の中で見当たらなかったんですもの。
カザフスタンからキルギスへ渡る人はちらほらいて、さっさとすませて先へ進んで行きます。
私たちのようにキルギスからカザフスタンへ渡る人はさらに少なかったけれど、いなかったわけではなく、手続きが終わった人たちがエリアの外へと去っていきます。
一体、ドライバーさんと車はどうしてしまったのかしら、とうろうろしてしまいました。

結果として、よく分からないし、待たされはしたけれど───車とドライバーさんが見えなくなっていた間、何か別に検査とか登録が必要だったのかもしれません───陸路での国境越えは問題なく終わりました。
入国カードにスタンプが1つしかなく、外国人登録が完成していないことは、ホテルにチェックインしたとき、レセプションでも心配されました。
そのときの様子からすると、ホテルで登録手続きの代行をしてくれそうなかんじでした。
さすが四つ星ホテルだからかもしれないですし、ある程度のランクのホテルならやってくれるのかもしれません。確か、ネットでホテル情報をチェックしていたとき、ビザとかレジストレーションの代行をうたっているホテルをちらほら見かけた覚えがあります。

そして最終日、空路での出国は、別に何の問題もなく無事にすみました。

カザフスタンを走っているときに見かけた大地のペインティング
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2030年には何があるのでしょうか。

※とんびさんのコメントから、ハシムさんのHPを参考にできたおかげで判明。
ナザルバエフ大統領が1997年に発表した長期発展計画における目標の年でした。

ちなみに、こういうペインティングは、キルギスで、ビシケクからイシククル湖への移動の途中でも見かけました。
ただ、キルギスで見かけたものは、もっぱら企業の名前でした。
ただの商業宣伝ですね(苦笑)。

平らな大平原が続いたカザフスタン側の車窓の外ですが、キルギスとの国境の山脈は右手にほぼずっと見えていました。
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アルマトイ到着2時間くらい前に寄ったドライブ・インでミニランチとトイレ休憩
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カザフスタンのお金を持っていなかったけれど、キルギスのお金で買えたケバブとお茶@
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食べかけの写真で失礼@

アルマトイ近くで、道路の中央緩衝帯の植物がきれいにカットされていたり、再び美しい山が見えたり@
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中央アジア3カ国旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~全体の感想(4)3ヶ国で雇ったガイドさんたち

<2012年中央アジア3カ国旅行:簡易旅程一覧>
9/09日 成田発~アシアナ航空でソウル仁川経由~タシケント到着
9/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光
9/11火 キジルクム沙漠のカラ回り★
9/12水 ウズベキスタン航空でキルギスの首都ビシケクへ&ビシケク市内観光
9/13木 途中でブナラの塔へ寄りながら、イシククル湖へ★
9/14金 岩絵野外博物館&チョン・アクスー渓谷トレッキング★
9/15土 イシククル湖からビシケクへ戻る&ショッピング★
9/16日 ビシケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路国境越え&アルマトイ市内観光★
9/17月 チャリン・キャニオンへのエクスカーション★
9/18火 アルマトイ市内観光~夜23時10分アシアナ航空で出国
9/19水 ソウル仁川経由 朝11時10分成田着

上記の簡易旅程一覧のうち、★印をつけたのは、車とドライバーとガイド、あるいは車とドライバーを旅行代理店を通じてチャーターした日です。

こうしてみると、ウズベキスタンとキルギスとカザフスタンでそれぞれガイドさん(あるいはドライバー兼ガイドさん)を雇ったことになります。
ガイドさんはみな英語ガイドさんです。

9月11日のカラ回りのときのガイドさんは、フーサン。
ちゃんとプロのガイドらしく、カラ回りのときだけでなく、往路の車中でもウズベキスタンのことを色々話してくれました。
彼の英語は聞き取りにくいときがありましたが、話はだいたい分かりました。
産業の話が一番詳しかったです。

カラ回りは、その気になれば現地のタクシーの運転手だけをやとって回れますし、その方がずっと安くすんだでしょう。
でも、やはりプロのガイドにいろいろ話を聞けたのは有意義だと思いました。

このときのドライバーさんはバハディール。
彼はフーサンと同じくらい英語が話せました。ふだんは、ロシア語の先生をしているそうです。
なので、ドライブ中や食事のときに、バハディールとも話ができました。
専門のガイドさんではないのですが、ふつうにウズベキスタンの習慣などについて、ぽろっと紹介してくれたりしました。
フーサンがすでに説明してくれたものもあれば、そうでないのもありました。

このカラ回りのときは、アヤズ・カラの沙漠でラクダに乗るのがコースに含まれていました。
ラクダに乗っているとき、フーサンにコンデジの方を預けて、写真を撮ってもらいました。
まあホンネをいうと、私は自分の写真は要らないので、断ろうとも思ったのですが、せっかく撮ってくれるというのを固辞するのもなんだったので。
そうしたら、彼は意外に、いろんなアングルでパチパチと写真を撮ってくれました。
正面から、横から、沙漠を背景に、遺跡を背景に~と。
いやはや、写真撮影って、カメラが良いと、結構夢中になってしまうものですよね~。
彼も、ハマってしまったのではないか、と思いました@

バハディールはどこか陽気なおじさんでした。
アヤズ・カラのそばで、遊牧民のテント「ユルタ」でランチをとったのですが、ユルタのそばにいたイタリア人の女の子と早速仲良くなっていました。
彼女はできるだけお金を使わないように旅していたバックパッカーのようでした。
どうやってアヤズ・カラのユルタまで来たのか不思議ですが、ひょっとしたらヒッチハイクしたのかも。
で、ウルゲンチの町に戻りたいけれど、お金がないので、戻れない、とバハディールに話をしたらしく、バハディールは、もし良ければ彼女を同乗させてあげられないか、と私に相談してきました。
その車は私がお金を出して私専用に雇ったものなので、私の許可がなければ、さすがに勝手に乗せられないから、と。

正直、ちょっとずうずうしいな~と思わなくもなかったけれど、後部座席は1つあいているので、別にいいや、とOKしました。
たぶん、バハディールは、私とその子も仲良くできると思ったんでしょうね。
でも、その子はそっけなくて、車に乗ったとき一度私に会釈してくれましたが、フーサンが「どこから来たの?」「なんて町?」とかいろいろ英語で尋ねても、単語1個の回答きり。
で、あとはほとんど車の外を眺めていて、まるで拒絶の雰囲気を感じてしまったため、私自身、あまり社交的ではないので、話をしづらく、車内では互いにほとんど口をききませんでした。
ヒッチハイクをさせてあげた経験はこれが初めてですが、乗せてあげる方って、ある程度は、乗せてあげた人とのおしゃべりなどで、楽しい旅路が少しでも過ごせることを期待するものではないでしょうか。
といっても、私自身、ぼぉっと考え事をしながら車窓の外の景色を見るのが好きなので、あんまりおしゃべりしたい気分ではなかったのも確か。

でも、ウルゲンチにもうすぐ着くってときに、あらかじめアムダリア川の写真を撮りたい、とフーサンとバハディールにお願いしていたので、バハディールは約束通り寄り道してくれました。
そのときに初めて、どこに行くのかとびっくりした彼女が、私が写真を撮りたくてアムダリア川に寄ったのと知り、ほっとしたのか、少し打ち解けて話をしてくれました。
彼女はまだティーンエージャーくらいの学生さんかと思っていたら、精神医学者でした。
今は無職で、次の職場の採用の返事を待っているところだそうです。
そして彼女は、アムダリア川といった自然には興味を示しませんでしたが、途中で検問らしきところで、兵士が車のそばまでやってきたとき、リュックの中からソニーの一眼レフを取り出して、車内からこっそりと兵士の写真を撮っていました。
そのあとは、畑を耕すトラクターに乗っている人を撮っていました。
精神医学者だけあって、自然よりも人間に興味があるんでしょうネ。

契約どおり、バハディールとフーサンは、見学が終わったあと、私をウルゲンチ空港まで送ってくれました。
でも彼女はまだ乗っていました。
きっと彼女を囲んで3人で楽しく夕食をとったことでしょう。

ガイドのフーサンの後ろ姿。ウルゲンチ空港前にて。
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キルギスのイシククル湖を案内してくれたのは、ロシア系の顔立ちをしたキルギス人の若い女性レナでした。
ドライバーさんの名前は聞きそびれました。
愛想のいいおじさんだったのですが、お互いシャイで、通じる言葉がないせいでほとんど話をする機会はなくて。
(ウズベキスタン人だと、私とは片言のロシア語でしか話ができないとわかっても、結構根気強く、話をしようと積極的になる人が多かったですけどネ。)

レナはとっても優秀なガイドさんでした。
知識が豊富で、自分の知ってることはなんでも伝えようとしてくれました。
また、私がちょこっと話題をふっただけで、何倍にもその話を膨らませてくれました。
女性らしき気遣いもたっぷりでした。
プランの中の食事はガイドさんもドライバーさんも一緒にとるのですが、彼女はとても少食で、いつも残していたのでさっさと食事は終わってしまっていたようですが、ゆっくりとお茶を飲んで、食べ終わるタイミングをいつも私と合わせてくれました。
これまでの東欧旅行もあわせて、今まで一人でガイドさんを雇い、べったり一緒に行動したことは何度もありますが、ガイドとしてのプロ意識と熱心さと、女性同士の気安さで、今までの中のガイドで1番良かったです。

イシククル湖観光が終わり、ビシケクでの夕食でさよなら、となりましたが、その前にいったん自宅に戻った彼女は、記念にキルギスの美しい景色の絵ハガキを数枚、私にプレゼントしてくれました。

彼女はその翌日は、私が向かうのと同じアルマトイで、今度はスイス人のグループをガイドする仕事が入っていました。
きっとアルマトイでも会えるかもしれないね、と話をしましたが、実際、国立歴史博物館を見学しているときと、アルマトイの滞在ホテル・オトラルのレセプションと、2度会うことができました。

ガイドのレナの後ろ姿。イシククル湖のチョン・アクスー渓谷にて。
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カザフスタンのチャリン・キャニオンのエクスカーションをガイドしてくれたのは、ガイド兼任のドライバーのコスチャでした。
カザフスタン人というよりは、ロシア系の顔つきをしていました。
コスチャは英語は少しだけ話せました。
私の英語とどっこいどっこいでした(苦笑)。

コスチャは、ネイチャー・ガイドの経験がたくさんあるようでした。
中央アジアの砂漠で1ヶ月くらい過ごすツアーをガイドしたこともあるようです。
そのグループ以外、あとは全然人間がいない環境で1ヶ月。
町に戻って来たとき、自分たち以外の人の姿がたくさんあるのが、とても新鮮に感じられたそうです。
また、コスチャは、ガイドをすることで英語を話す機会があって、練習になって良いと言っていました。
コスチャ自身も写真を撮るのが好きみたいです。

コスチャは、私のレベルからすると厳しいネイチャー・アクティビティに慣れているせいか、チャリン・キャニオンのウォーキングのときに、「ええっ」と絶句したくなるようなところも通りました。
もちろん、それは最初にコスチャが、少しチャレンジになるけれど、トライするか、と私に確認していて、私はイエスと答えたのです。
ものすごい岩ごろごろの道を通ったときには、さすがにびっくりしました。
そのあとの川辺のピクニックでは、カザフスタンの揚げパンとチーズとポークハムと卵とコーヒーという、素朴だけれど、とても美味しいランチをごちそうしてくれました。
困難なルートをヒーヒー言いながらやってきた甲斐はありました。
そして帰りは、さすがにそのルートは私にはきつそうだと判断してくれて、もう少し通りやすいルートをとってくれました。

ドライバー兼ガイドのコスチャの後ろ姿。チャリン・キャニオンにて。
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コスチャは平然と通ったけど、私は絶句した、岩ごろごろの道
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ピクニックの準備をするコスチャ
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でも、私はどうしても歩くスピードがコスチャよりも遅く、谷底を歩いていたとき、一本道で迷うことはないと思ったのか、コスチャはどんどん先に進んでしまいまい、見えなくなってしまいました。
往路は、何度も写真を撮るためにストップしていたせいですが、姿が見えないと逆に写真を撮るのに遠慮はなくなりました(笑)。
帰路は、少し上り坂だったので、追いつこうと同じスピードで歩くと息切れてしてしまうので、やっぱり自分のペースで歩きました。
途中で今度は植物や砂漠のネズミの写真などを撮ることで、ちょっと一息つくことができました。
で、ふと気づいたら、往路には通った覚えのない道を歩いていて、非常にあせりました。
一本道なのに、どうして私は道に迷ったのでしょう。
それは、崖の途中で谷底に降りたはずなのに、その降り口のある看板を見損ねて、どんどん先に行ってしまったせいでした。
かなり先まで行ってしまったのですが、でも、もう一度来た道を戻って、今度こそその看板を見過ごすことなく、無事にコスチャと車に合流できました。

谷底に降りたときの降り口
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ちなみに、9月16日のキルギスからカザフスタンの国境越えのときは、全く移動だけでした。
ドライバーさんは英語を話せませんでしたし、ドライバーさんの役目は私をビシケクからアルマトイに送り届けるだけ。
車窓からの写真を撮りたくてもいちいちストップするわけではないです。でも逆に気軽にせっせと撮れました。
国境越えのときは、彼がちょこっとフォローしてくれました。
彼も一緒にキルギス出国とカザフスタン入国の手続きが必要ですから、窓口に案内してくれたり、荷物チェックでは私の代わりにちょこっとだけ話をしたり、促してくれたりしました。
兵士が荷物検査をしたとき、「武器はないか?」とロシア語で尋ねたらしいのですが、「彼女はロシア語は分からないよ」と言って(ドライバーさんのその台詞は聞き取れました)、私に荷物の中に機関銃のようなものはあるか、と機関銃を打つジェスチャーをしながら、笑いながら聞いてくれました。

私は外向的な性格をしているわけではないので、海外旅行中に現地の人とふれあう機会は、ホテルの人とか、道を聞いたりちょっと手助けしてくれたりした人とちょこっとあるかないか、程度です。
旅の思い出に現地の人と少しはふれあいたいと思っても、哀しいことにそこにつけこむ悪い人はいます。
そういうトラブル例も、調べてたくさん知っているので、安易に現地の人たちとやたら親しくなるわけにはいきません。
向こうから近づいてくる人は、こちらをカモにしている可能性を疑うくらいの用心は必要です。
だけど、ガイドさんなら、安心して接することができます。
外国人をガイドしなれているプロのガイドさんは、現地の一般の人とは違いますが、それでもガイドさんと過ごした時間は、一人で計画どおりにコツコツとこなすような私の旅行に、彩りを添えてくれます。一人だけの旅行にはない思い出や思い出話をくれます。
訪れたところは、行く前に念入りに調べ、帰ってきたあとも旅行記などの作成のために復習しても、記憶がごっちゃになったり、詳細を忘れたりしてしまうことがよくあります。
でも、ガイドさんの記憶は、どこの国でどこを回ったときだったかという点も含めて、ごっちゃになったりせず、いつまでも鮮やかに私の中に残っているような気がします。

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中央アジア3カ国旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜全体の感想(3)いにしえの遊牧民の浪漫を求めることができた旅(ハイライト写真集)

今回の旅行は、ウズベキスタンのヒヴァ・リベンジと、行く前の記事「カザフスタンとキルギスへのあこがれの原点」で書いたとおり、 キルギスとカザフスタンで自然を楽しむ旅行になると思いました。

ふたを開けてみれば、自然も楽しみましたが、いにしえの遊牧民をしのぶ旅になったと思います。
いや、今でも、ウズベキスタンもそうだと思いますが、キルギスにもカザフスタンにも遊牧民の生活は残っています。
私が接したのは、観光客が求めるままにそれらを演出しているところと、現代にも残る遊牧民の姿の両方だったと思います。

それは、車をチャーターして、都会以外に出かけることができたおかげです。
そのため、今回は都市と大自然の中の遊牧民の生活をしのぶのと、交互の日程になりました。
都市には、シルクロード時代にタイムスリップしたような都市ヒヴァと、セピア色の写真わ思わせるようなソ連時代の都市であるビシケクとアルマトイの両方です。
遊牧民の生活をしのぶ機会が持てたのは、ウズベキスタンのキジルクム沙漠に残る古代ホラズム帝国の都市跡であるカラ回りのときと、キルギスのイシククル湖とチョン・アクスー渓谷トレッキング、それからカザフスタンのチャリン・キャニオン1日エクスカーション途上です。

そうそう、キルギスの首都ビシケクの国立歴史博物館やカザフスタンのアルマトイの国立中央博物館でも、いにしえの遊牧民の生活をしのぶことができたといえば、そうですね。

なので、行く前には、「カザフスタンとキルギスへのあこがれの原点」に書いたような自然の写真が撮れることを楽しみにしていましたが、今回の旅行でとってもお気に入りの写真となったのは、そんないにしえの遊牧民の浪漫を思わせる写真です。
たった一人で車とガイドをチャーターしたのは、いくら人件費が先進国より安い国とはいえ、割高でかなり贅沢でしたが、それをした甲斐があったというものです。
でなければ、そういう出会いがある郊外へのエクスカーションは、自力ではとても行けなかったと思いますし、プライベートにチャーターした車だったからこそ、写真を撮りたい場所でフォトストップを頼むことができたわけですから。

そんなお気に入りの写真を紹介したいと思います。

9月11日、ウズベキスタンのキジルクム沙漠のカラ回りにて

アヤズ・カラのそばの遊牧民のテント<ユルタ>のレストラン
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ユルタの内部の様子~天井の十字は太陽のシンボル
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意外に広かったユルタの内部
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実際には、この空間は3つか4つに区切って使用されるそうです。

沙漠の砂嵐
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体中砂だらけ、口の中がじょりじょりになりました。

9月12日、キルギスの首都ビシケクの国立歴史博物館にて

最上階の3階に展示されていたユルタと馬
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博物館に展示されていた遊牧民の写真
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博物館併設のギフトショップのフェルト商品から
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9月14日、イシククル湖のチョン・アクスー渓谷トレッキング中にて

大量の羊の群れに出会う
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羊の背中のペインティングは持ち主を示すもの
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羊飼いに促され
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コンテナ風の橋を渡る羊たち
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ロバさんもいます@
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河を渡り終わった羊たちの、ふわふわのお尻が可愛い@
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観光客向けのレストランと分かっていても、絵になるユルタのある景色
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騎馬の人たち
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美しいチョン・アクスー渓谷のユルタのある景色
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チョン・アクスー渓谷から滞在先のチョン・サリオリ村に戻る途中
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イシククル湖北岸のクンゲイ・アラ・トー山脈が美しい@
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9月15日、イシククル湖からビシケクへ戻る途中でランチをとったところにて

そのランチをとったところは、周辺は変わった公園でした。
池があったり、いろんな動物の模型があったり。
こんな風にシマウマみたいにペインディングされたロバもいました。
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ガイドさんいわく、観光客への見せ物と、あとは持ち主自身がおもしろがって、こういうペインティングをよくするそうです。

9月16日、車をチャーターしてキルギスのビシケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路で国境越えした途中の車窓の景色

キルギス側、国境近くにて
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カザフスタン側にて
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9月17日、チャリン・キャニオンへのドライブ途中でまたまた見かけた大量の羊の群れの河を渡る姿

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私が写真を撮っているのを見て、にっこりと手をふってくれました@
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ううーん、羊の群れのもこもこが、とっても可愛かったです@
チャリン・キャニオン途上で撮れたこの羊の群れの写真が一番お気に入りかも。
いやいや、キジルクム沙漠の青空に映えたユルタも気に入っていますし、コンテナを渡る羊の群れも気に入っています。
キルギスの国立歴史博物館のギフトショップの可愛らしいフェルトのユルタや遊牧民人形もお気に入りです。
ああ、甲乙付け難し@

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中央アジア3カ国旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜全体の感想(2)食べ物編(写真で紹介)

旅先で食べ物の写真をぱちぱちやるのは、日本人くらいだそうですね。
私の外見は、どう見たって日本人以外には見えないだろうと思いますが、外見的に日本人によく似たモンゴロイドが大多数の国である中央アジア~ウズベキスタン、キルギス、カザフスタンを旅行しても、その行為のせいで、絶対に日本人であることを見誤られることはなかったろうと思います(苦笑)。

特に、今回の旅行では、レストランで食事の写真を撮るときくらいは、コンデジで目立たず撮るつもりでした。
でも、セカンド機とはいえ愛機のコンデジ PowerShot SX 210 ISは旅行2日目にしてズームが全然できなくなってしまったので(泣)、食事の写真は、恥のかきすて、と割り切り、一眼レフで撮りました。

一眼レフは、50mm~270mmのズームレンズしか持参していなくて、食卓の写真を撮るにはズームしてピント合わせするのは厳しいかと思っていたのですが……ちょっとイスを下げると、意外に撮れることが判明しました。
コンデジよりも雰囲気のある写真が撮れたのではないかな、と思ったりして。

旅先で食事の写真をいちいちぱちぱちやるのは、私でもさすがに恥ずかしかったです。
特に、ガイドさんと一緒の食事が半分くらい占めていましたから。
でも、人に見せる写真のうち、食事の写真が一番ウケるんですよね。
私の旅行先にあまり関心がなくても、食事の話題では盛り上がります。
と思うと、やっぱり熱心に撮りたくなってしまいます。
特に、中央アジアの食べ物は、日本人の口に合うと言われます。
実際そうだと思いました。

なので、全体の感想記事の1つとして、食事の写真を取り上げてみました。

9月11日の車とガイドをチャーターしてのウズベキスタンのキジルクム砂漠のカラ回りにて。
この日のランチはアヤズ・カラのすぐ近くの遊牧民テント(ユルタ)のレストランでとりました。

発酵させない、ぺっちゃんこのパン
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これをサラダと呼ぶ、ウズベキスタン料理!
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茄子と人参を脂で炒めたものですが、冷たい料理だったので、やはりサラダ扱いなのかしら。

中央アジア版のチャーハンというべき、プロフ
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プロフの本来の食べ方は、手でつまむそうです。

9月12日のビシケクにて、チャイハナ風テーブルで伝統料理が食べられるジャララバードで夕食をとりました。
まずはスープとパンとサラダ。
スープはボルシチです。
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野菜たっぷりのボルシチ
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馬肉のサラダ
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馬肉を食べる機会があった、と翌日ガイドさんに話をしたら、珍しい体験が出来たね、と言ってくれました。
ただ、馬乳クムスを飲む機会はなかったです。

ここですでにおなかいっぱいでしたが、私は串刺し肉のシャシリクまで頼んでいました(苦笑)。
牛肉のシャシリク
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9月13日、ビシケクからイシククル湖へ向かう途中、トクモクという町でランチをとりました。
トマトとレタスとチーズとオリーブとキュウリのサラダ
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中央アジア版のうどんというべき、ラグマン。
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ラグマンはこのとおり、うどんと違って汁は少なく、野菜がたっぷりなものを言うそうです。

9月13日、イシククル湖一泊目のディナー
イシククル湖でのディナーは宿泊施設のラドゥガのレストランで取りました。
ここの食事はロシア風のオリジナルでした。

サラダ2種類
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激うまだった、ピロシキ
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ラグマンのようであってラグマンとは違うとガイドさんが言っていた、ラドゥガ・オリジナルのヌードル料理
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手作りのヌードルだったようで、とっても美味しかったです。

9月14日、チョン・アクスー渓谷トレッキング中に遊牧民のテント「ユルタ」でランチをとりました。
内陸の中央アジアでは肉料理が中心なのですが、イシククル湖は湖や湖を囲むアラ・トー山脈の渓流でとれるマス料理が楽しめます。
それが激うまで、感激しました。

激うまだった、ニジマスのフライ@
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あ、これは一人分でなく、3人で食べましたよ。
ニジマスは4匹あったので、私は2匹いただいてしまいましたけど@

パンにつけると激うまだったクリーム
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パンにつけると激うまだったハチミツ
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イシククル湖は養蜂がさかんで、キルギス中で一番美味しいハチミツの産地だそうです。
あ、パンの写真を撮り忘れました。

9月14日、宿泊施設のラドゥガのレストランでのディナー

サラダ2種類
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これもかなり美味しかったクロワッサン
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肉料理とライスの主菜
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9月15日、イシククル湖から約5時間かけてビシケクに戻ってきた途中でとったランチ
トマトやキュウリやタマネギの野菜サラダ
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マッシュルーム・スープ
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9月15日、ビシケクに戻ってきた日のディナーは、ガイドさんがおすすめのトルコ料理店に連れていってくれました。

激うまのナンのようなパン
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茄子とジャガイモのサラダ
サラダといっても、油で炒めたもの。
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羊のひき肉の串刺し肉のシャシリク
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9月16日、カザフスタンのアルマトイでは、2晩続けて、ホテルのすぐそばにあったドゥンガン(回族)料理の店シー・ボン・ハーでディナーをとりました。

羊肉のスープ
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ドゥンガン風のラグマン
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何がどうドゥンガン風なのか、よくわからなかったですけどね。

9月17日のディナーも、シー・ボン・ハーでとりました。
ホテルのすぐ裏というロケーションがちょうど良かったのです、夜遅くに夕食に出かけるなら。

ミックススープ。ちょっと辛かったです。
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コーカサス風シャシリク。というのは牛肉のシャシリクでした。
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シャシリクには生タマネギがつきものですが、これはめっちゃくちゃ辛くて、全部食べられませんでした(苦笑)。

9月18日、旅行最終日のディナーは、あまり換金したくなくて、安上がりにしようと、中央バザールのセルフレストランでとりました。

ケバブっぽい肉料理とポテト
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出来合いのものをチンで温めた料理ですが、結構美味しかったです。

去年2011年のウズベキスタン旅行の最終日のタシケントで、やっと激うまのシャシリクに出会えて感激しました。
なので、今回の中央アジア旅行の食生活では、あのシャシリクを求めて何度か注文したのですが……結論で言えば、去年のあの激うまシャシリクを越えるものには出会えませんでした。
あのタシケントの店のシャシリクはレバ肉だったのかな、かなり柔らかかったです。
今回食べたシャシリクは、牛肉とか羊肉のひき肉とかでしたが、固まりの牛肉は食べて慣れていない私にとって、ちょっと固かったです。
どれも、美味しかったことは美味しかったんですけどね。

去年の激うまのタシケントのシャシリクの写真とレストランの写真のある旅行記はこちら。
2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその3:朝食以外の食べ物とレストラン編<前編>

どちらかというと、ヌードルのラグマンが気に入りました。
去年も、ラグマンは結構良かった覚えがあります。

それと、旅行中は肉料理ばかりで魚料理にはそうそうありつけないかと思っていましたが、イシククル湖のチョン・アクスー渓谷で食べたニジマスのフライは本当においしくて感激的でした。
なので、今回、一番気に入った料理は、そのニジマスのフライです。

珍しいものとしては馬肉でしょう。
結構さっぱりとしていて、美味しかったです。
でも、馬乳のクムスを飲む機会がなかったのは残念です。

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