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2011年秋 ウズベキスタン旅行1週間

2011年夏のコーカサス旅行と秋のウズベキスタン旅行のフォートラベル版ハイライト旅行記@

海外旅行の合間に、毎週末のように花中心の撮影散策に出かけては、フォートラベルに旅行記をアップしているため、海外旅行のフォートラベル旅行記は、どうしても後手後手に回ってしまいます。

やはり、国内の旅行記は、花中心だけあって、なるべく旬のうちにアップしたいと思うもの。
でも、海外旅行記の場合は、こうやってこちらのブログに先に全体の感想やハイライト写真の記事を載せているので、フォートラベル版の詳細旅行記は、来年行こうと思う人がゆっくり参考にしてくれればいいな~と、のんびりペースで作成しています。

でも、フォートラベル版も、テーマ別のハイライト旅行記はなるべく早くアップするようにしました。
コーカサス旅行版とウズベキスタン旅行版、どちらも完成しています@

「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその1:ホテルと朝食編<アゼルバイジャンのバクー編>」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその2:ホテルと朝食編<グルジア編>」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその3:ホテルと朝食編<アルメニア編>」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその4:国際・国内・市内交通編・前編」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその5:国際・国内・市内交通編・後編」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその6:食べ物編(ホテルの朝食以外)<アゼルバイジャンのバクーとグルジア編>」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその7:食べ物編(ホテルの朝食以外)<アルメニア編>」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその8:動物編──旧市街のイヌ・ネコたち」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその9:動物編──牧畜の国らしいコーカサス」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその10:植物編──野花にあふれたコーカサス」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその11:植物編──コーカサスの教会や街角で」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその12:グルジアとアルメニアの教会のステキなろうそく立て」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその13:グルジアの風情ある(!?)ひなびた街角」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその14:ゲットしたものゲットしたところ」
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその15(完):写真だけ撮ったコーカサスみやげ」

「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその1:ホテルと朝食編<前編:近代西欧的な三つ星ホテルに泊まったタシケントとサマルカンドにて>」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその2:ホテルと朝食編<後編:ブハラにて───旧市街のエキゾチックで可愛らしいホテル・コミル>」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその3:朝食以外の食べ物とレストラン編<前編>」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその4:朝食以外の食べ物とレストラン編<後編>」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその5:ちょっとだけ撮れた動物編」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその6:笑顔を向けてくれたウズベキスタンの人々」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその7:ゲットしたもの───チケット半券もおみやげも」
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその8:写真だけ撮ったウズベキスタンみやげ(完)」

フォートラベル旅行記で、海外旅行の旅行記をこうやってテーマ別のハイライト旅行記と、時系列の本体に分けるようになったのは2008年のブルガリア旅行編からです。
ハイライト旅行記の構成も、だいたいパターンができてきました。

ホテルや交通、食べ物、それからおみやげはどの旅行でも共通テーマです。
おみやげは締めとして最後にもってきています。
でも、最近は買わずに写真だけ撮ったおみやげをラストにしています。海外旅行先でおみやげを見るのも、その写真を撮るのも、いつも楽しみにしていますから。

そして、あとは国によって、違ってきます。
撮ってきた写真全体を見渡して、まとまったハイライト旅行記ができそうな写真をピックアップして決まります。
たいていは、動物編や植物編が来るのですが、そんなにたくさん動物や植物写真を撮らないときもあります。
コーカサス旅行中では、植物や花、そして動物写真もたくさん撮りましたが、ウズベキスタンでは、植物の写真は撮りませんでした。
町中には花壇がきれいに整備されていて9月でも花はあったのですが、あまり撮るチャンスはなかったのです。
ウズベキスタンの動物編の写真も、なんとかかき集めてきたってところです。
旅行形態が、コーカサスでは車をチャーターして田舎を走り抜けて郊外に行くことが多かったけれど、ウズベキスタン旅行は都会中心だったということもありでしょう。る

そして残りは、それぞれの国の場合の特徴的な旅行記です。
世界でキリスト教を国教化したのが1番・2番であり、現在も熱心なキリスト教国であるアルメニアとグルジアでは、教会のろうそく写真を集めました。
2008年にロシアと5日間とはいえ戦争をした爪痕があるせいか、グルジアでは崩れたままの街角なども目につきましたので、それでひとつ「ひなびた街角」というテーマで旅行記を作成してしまいました。

ウズベキスタンの場合は、なんといっても、現地の人々が喜んで、進んで写真を撮らせてくれたのが大きいです。
シャイな私に、あんなにたくさん現地の人の写真を撮る機会があったのは、ウズベキスタンが初めてです。

ウズベキスタン旅行の一日ごとを振り返って(写真付)その4(完)

一日の感想の最後は、エピローグともいうべき最終日と、翌日の成田到着の1日半です。
最終日の感想のメインは、タシケントでのどたばた(!?)です。
成田到着日の感想と写真の方は、直接ウズベキスタン旅行とは関係ない、お・ま・け。

【9/22火 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ(3時間ほど観光)&タシケントから出国】

サマルカンドでの朝、がんばって早起きして、レギスタン広場で日の出を見ておいてよかった~と思った一日でした。
でなれば、この日はこれといって観光内容がなくなるところでした。写真収穫もほとんどなくなるところでした。

実際は、レギスタン広場で日の出は直接見られず、少しずつ夜が明け、あたりがゆっくり明るくなる中、建物の色が桃色に染まっていく姿が見えただけで、期待していたほど劇的な光景ではありませんでした。
日の出が拝めたのは、レギスタン広場の隣の広場でした。高い建物がなかったから、なんとか見られたのです。
昨日の夕方、レギスタン広場の警備員さんたちはしきりに日の出の方を絶賛していましたが(しょぼかったショーの方ではなく)、私の他にだぁれもいないのも納得できました。
団体ツアーのガイドさんも、朝早くに観光客をぞろぞろ引き連れて行くほどではないと知っていたのでしょう、きっと。
警備員さんたちはミナレットに上らないか、と誘ってきました。
でも、一昨日、上ったときの経験からして、また10ドル請求されるだろうと予測できました。
ミナレットの上からなら、もしかしたら日の出が見られたかもしれません。
でも、朝日に背を向けた建物の影に隠れてよく見えず、昨晩のショー同様、10ドルも払うほどのものではないとがっかりする可能性もありました。
第一、ミナレットはものすごく狭くて、上ってしまうと全然身動きがとれなくなります。であれば、地上にいて自由に移動できて撮影アングルをいろいろ試す方がずっと良いです。
無料で眺める分には、損したという気持ちで美しい景色にケチがつかずにすみます。

移動&出国日だから仕方がなかったとはいえ、この日のまともな観光は、レギスタン広場で日の出を見たことだけになってしまいました。
特急列車シャーク号の3時間の鉄道の旅は、通路側の座席だったので、車窓の外の景色はあまり眺めることはできませんでした。
どうせブハラからサマルカンドに移動したときにじっくり眺めたからいいや、とあきらめました。
ふかふかの1等座席は座り心地がよかったので、早起きしたこともあり、大半、居眠りしていました。

特急は定刻にタシケントに到着したので、予定どおり3時間はタシケント観光に当てることができたはずでした。
でも結果的には、うまいシャシリクにありつくために奔走しただけになりました(苦笑)。

おそらく旧市街は別として、あらゆるものが巨大で広大なタシケント。
2日目に歩き回ったときにもつくづく思いましたが、タシケントは湯水のように時間が流れていく都市でした。

実はシャーク号に乗り込むときに、日本人の女の子2人連れ専属の現地ガイドさんにアドバイスをもらい、助けてもらいました。
そのときに、タシケントに荷物預かり所があるかどうか聞いたところ、そのガイドさんはおそらくいつも車移動なのでしょう、荷物預かり所を利用したことがなく、残念ながらよく知らない、と言った上で、日本のようにシステムがきっちりしていないので、預けない方が良い、とアドバイスしてくれました。
ガーン!
スーツケースを持ったままでは、観光どころか身動きもままなりやしません!
彼女らはどうするのか参考に聞いてみたら、車をチャーターしているので、町中のレストランで夕食をとるそうです。
なのでそのガイドさんは私に、どうせなら早めに空港に行って、そこで夕食をとったらどうか、ともアドバイスしてくれました。

でも、私は、タシケント空港にろくなレストランがないこと、時間をつぶすには退屈な場所であるであることを知っています。
なにしろ、初日に国内線に乗り遅れたときにうろうろしましたし、ブハラに飛ぶときにも利用しましたから。
21時のフライトに乗るのに、いくらなんでも15時から空港に向かう気にはなれません。
なので、迷った挙げ句、一応、タシケント駅で荷物預かり所を探し、現地のウズベキスタン人も利用しているようなら、利用しようと思いながら、スーツケースを預けることができた場合とできなかった場合とで、短いタシケント観光のプランを列車の中で幾通りか考えました。
預けることができるなら、まずは駅前から8番トラムに乗って、新市街の目抜き通りを車窓から眺めながら、タシケントにちょっとだけ残る旧市街に行って、そこでメドレセやバザールを回りつつ、夕食をとろうと思いました。

荷物は無事に駅に預けることができました。
現地の人もたくさん利用していて、システム的も私が見たところ、他の東欧の国と同様なかんじで、きちんとしていました。

そこまでは良かったのですが、駅前は広くて広くて!
トラム駅らしきところを見つけたのはいいのですが、待てど待てど、目当ての8番トラムはちっとも来やしません。
これはおそらく目当てのトラムの停留所は別のところにあるに違いない、と悟らざるを得なかったところまでで、すでに30分以上経過。
(私がトラムを待っていた停留所は、駅舎を背に左のバスターミナルの前でした。8番トラムの停留所はいったいどこにあったのでしょう。)

仕方がないので地下鉄を利用することにしましたが、ふと、旧市街に出るよりも───メドレセやバザールなら、もうブハラやサマルカンドでたっぷり楽しんできたから───「地球の歩き方」で内装もすばらしく一見の価値あり、と評されたレストランで、優雅にディナーをとるだけでいいかもしれない、と思い直しました。
それは、アドバイスをくれたガイドさんが連れていた日本人2人連れの女の子たちの予定からヒントを得た思いつきですが、私の行動力では、バカでかいタシケントで、たった3時間で、あれもこれもできやしないと悟ったからです。

ところが、そのレストランの最寄りの地下鉄を下りた後、道を間違えてしまい、30分くらい見当違いのところを歩いてしまいました(泣)。
実ははじめの5分でなにか様子が違うと思ってネを上げそうになったのですが、もう少し、もう少しだけ歩いてみよう……とがんばったのが、あだになりました(泣)。
その後で、正しい道を行き直し、目当てのレストランを見つけることはできたのですが、今度は手持ちのウズベキスタンのお金の残高の桁数を勘違いしてしまい、今の私にはとても手が出せないレストランだと勘違いして、あきらめてしまいました。
そして結局、最寄り駅のすぐそばにあった、カフェ・レストランに入りました。
いざというときに入ろうとはじめそこに目をつけたときに、すぐに入っていれば、しないですんだ1時間半もの時間のロスでした。

でも、そこのシャシリクは激ウマでした@
ウズベキスタンではシャシリクも美味しいと薦められていたのですが、それまで美味しいと感激できたシャシリクに出会っていませんでした。
地下鉄ミノール駅のそばの、ガイドブックにも載っていないような小さなカフェ・レストランで、おそらくどこにでもありそうな店ではないかと思います。
シャシリクは焼きたてでジューシーで、口の中でとろけるような柔らかさで、もう悶絶するほど美味しかったです。
はじめ何本頼めばよかったか分からなかったので、5本と注文したら、お店の人は、まず3本だけ食べてみてからにしたら、と薦めてくれました。5本って多すぎなの?
結局、あと2本、おかわりしてしまいました@

食べ終わった後は、そろそろ空港に向かっても良い時間になってしまいました。
地下鉄を利用して鉄道駅まで荷物を取りに行き、そこからタクシーを使うつもりでしたが、地下鉄は乗り換えが必要なので、駅に戻るまで30分はかかります。
それでも十分間に合うと思ったのですが、食事は思った以上に(というか期待どおりに)安くて、ウズベキスタンのお金がかなり余りそうだったので、店の人に頼んでタクシーを拾ってもらって、駅に戻る方もタクシーを利用しました。
自分でタクシーを捕まえてもよかったのですが、慣れない私が流しのタクシーを見つけるのは手間どりそうでしたし、お店の人に拾ってもらうと、料金をボラれにくいだろうと思っで@
お店の人に、私にはタクシーが必要だ、と片言のロシア語で必死になって頼んでみたところ(タクシー、バジャーるスタ。ナーダ、タクシー!と言っただけ@)、店の人たちは親身になってタクシーを捕まえてくれました。
それにしても、食事の半額もかけてタクシーを拾うほど時間がないのに、おかわりまでした私って……よっぽど食い意地が張った外国人旅行者として、しばらくは彼らの記憶に残ったに違いありません(苦笑)。

駅から空港へのタクシーは自分で捕まえました。
ボラれるとイヤだと思って、タシケントの町中から空港までの相場は調べておきました。
ガイドブックでは3,000スム程度、クチコミでは2,000スム程度が相場、とありました。
なのに私は10,000スムとふっかけられました。
時間は十分にあると分かっていても、空港近辺での渋滞も心配でしたから、急ぎたい気持ちがあり、交渉するのは気が重かったのですが、なんとか6,000スムまで引き下げました。
すると別のおやじがやって来て、空港までなら10,000スムだと言い出しました。
6,000スムと聞いたら、せいぜい8,000スムだろう、と主張しました。
ウズベキスタンのタクシーおやじ、自分の客でもないのに、ぐるになって値をつりあげようとしなくてもいいじゃん!!

実はコレ、ブハラの空港から町へ行くタクシーを拾うときにも、やられました。
だから今度はがんばってみたわけです。あんた関係ないじゃん、って、もう一人のおやじを無視して。

とはいえ、このときは空港に着きさえすれば、もう使い道のないウズベキスタンのお金が、その何倍も余っていました。
半ば、もういいやという気持ちがなくもありませんでした。
ウズベキスタン・スムからドルへの両替は、残念ながら今のウズベキスタンではあまり現実的ではなく、使い切ってしまった方がいいらしいのです。
それに、インフレもすごいようなので、ヒヴァをリベンジするためにまたウズベキスタンに行くんだ!という決意でスムを持ち帰っても、どんどん価値が下がっていく可能性が大。

結局、鉄道駅から空港へのタクシー代は7,000スムとなりました。相場よりもかなり高いです。
でも、残りのスムがちょっきりな金額となり、空港で市中の2倍以上はしたけれど、刺繍のポーチを2つ買って、ウズベキスタン・スムをめでたく使い切りました。

空港には、搭乗時刻より3時間前に到着しました。
1時間余裕をもって到着したわけですが、その時点ではすでにチェックインが始まっていました。
少し早かったおかげか、チェックイン・カウンターも税関も出国手続きもほとんど並ばずに、スムーズに進みました。
待たされずにすんで良かったものの、往路もこうだったら、国内線に乗り損ねないですんだかもしれないのに、と苦い思いもこみ上げてきました。

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レギスタン広場の隣の2頭のライオン像がある広場の朝焼け


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サマルカンドから途中乗車した、タシケント行きの特急シャーク号の一等車両と、私のルーズリーフ・ノート代わりのおNEWの旅日記バッグ@

【9/23金 早朝、成田着】
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)

帰国便のウズベキスタン航空は、往路と違って定刻に出発し、しかも予定の到着時刻よりも20分も早く成田に到着しました。
この便なら、タシケントへの直行便も定刻通りに出発したでしょうし、私と同じようにウズベキスタン航空で国際線から3時間半程度の乗り継ぎ時間で国内線に乗り継ぐプランを立てた人は、きっと無事に乗り継ぎができたでしょう。
そう思うと、往路便の一時間半の遅延のせいで乗り損ねてヒヴァに行き損ねた私としては……その後の旅程がうまくいって楽しく過ごせたことで忘れかけていた哀しみと、それから悔しさが、またこみ上がってきました。

でも、妹らと昼に上野で待ち合わせして、子供たちと上野公園で遊んだり、その失敗談も含めて旅行話を思いっきりしたりしたおかげで、ウズベキスタン旅行は、帰国後一日もたたないうちに、私の中で早々と思い出に変わりました。

ちなみに、この日、妹らは特に甥っ子が上野の国立科学博物館の「恐竜博2011」を楽しみに和歌山から東京にやって来たのですが、ゆっくりランチをとって昼過ぎに博物館に出かけてみたら、入口前は恐ろしい長蛇の列!
一時間半待ちということで、あきらめてしまいました。
いままで甥っ子らは恐竜展を目当てに何度か東京に遊びにきたことがありましたが、会期はじまりでもおわり近くでもないのに、あそこまで入口前に行列ができていたことはありませんでした。
今回に限って、まだ会期半ばなのに、あんなに行列ができるほどだったとは……。
妹らと、きっとテレビで誰か芸能人が紹介したからじゃない? と悔し紛れに話していましたが、シルバーウィーク初日というタイミングが悪すぎたのかしら。
(でも甥っ子らは、大阪で開催されたときに見るチャンスがあるよね!)

代わりに、上野動物園に行きました。
上野動物園でも、チケットを買う自動販売機の前で少し並びましたし、久しぶりに上野動物園にやって来て人気のパンダの前は長蛇の列でしたし(それでもあの科学博物館の前の行列ほどではありませんでした)、全体的に混んでいましたが、それでも回れないことはありませんでした。
パンダについていえば、甥っ子姪っ子らは和歌山で見た方がずっといいんですもの。
和歌山は、知る人ぞ知るパンダ・ファンにとってのパンダ・メッカで、中国人ですら、パンダのためにわざわざ訪れる人がいるみたいですよ!

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おまけの写真・その1:上野で妹らと待ち合わせるまで時間をつぶしていた喫茶店で


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おまけの写真・その2:妹らと待ち合わせた上野のアメ横丁


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おまけの写真・その3:子供と一緒だから、ゆっくり撮れたのはプレーリードッグくらい@

おわり

ウズベキスタン旅行の一日ごとを振り返って(写真付)その3(サマルカンド編)

実はこの一日ごとの感想の記事は、7日分全部を一つにまとめる予定でした。
一日分の感想を、もっとさくっと短くまとめるつもりでしたから。
でも書き始めると、小さなエピソードをいくつも思い出し、文章が長くなってしまいました。
いつものことですが(苦笑)。
なので全部で4つに分けることにしました。
3回目は、サマルカンド観光の2日間分です。

【9/20日 サマルカンド観光1日目】

この日は、昨日までのブハラの旧市街のコンパクトさと、どこもかしこも旧市街だった町並みをなつかしんでしまった一日でした。
サマルカンドは旧市街でも旧ソ連の香りが残っていて、旧ソ連な町並みの中に歴史建造物が点在している町でしたから。少なくともこの日に私が回ったエリアは。
そして、最初のレギスタン広場の見学だけで、くたくたになってしまいました。
もっともそれは、旅の疲れが早くも蓄積し始めたのと、見学に2時間もかけたせいでもあります。
さらにレギスタン広場は、ソ連時代に修復・整備されただけあって、私にとってはバカでかい、旧ソ連らしい広場でした。
青タイルが美しいメドレセやモスクのエキゾチックさに、ソ連の香りが同居していて、不思議な感じがしました。
レギスタン広場は旧ソ連らしい広々とした広場なので、巨大な建造物を撮影するには都合良いのですが……私が訪れたときは、3つのメドレセが見渡せ、よく写真でも絵画でも有名なあの展望ポイントの前に、なんと仮設の舞台座席のようなものがあって(泣)───せっかくの眺めが台無しでした(泣)。

コレです。ひどいでしょ!
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でもあの展望ポイントからだと、誰が撮っても似たような写真になったでしょう。工夫せざるをえなかったのは、良かったかもしれません。
(前向き志向、前向き志向!)

そして、一日の終わりにホテルで撮った写真を確認していたとき、レギスタン広場で撮れた写真には我ながらご機嫌になりまた。
抜けるような青空ではなく、この日はときどき太陽が雲の影に隠れてしまって、太陽が顔を出すのを待ったこともありました。
レギスタン広場での観光に2時間もかけてしまったのは、そのせいもあるでしょう。
でも、空模様は曇りすぎず、私好みの、ドラマチックな空の下での撮影ができました。

旧市街とはいえソ連な町並みの中に歴史建造物があったのは、本日もう1ヶ所のハイライトのグリ・アミール廟のあたりもそうでした。
なので、1つ1つの建築物はすばらしくてブハラよりずっと豪華でしたが、町の印象としてはブハラの方が気に入りました。
サマルカンドでは、十分徒歩でアクセスできるとはいえ、一つのターゲットから次のターゲットまでそれなりに歩かなくてはならなかったので、疲れて少しテンションが落ちてしまったときもあったせいです。
私が行き損ねたヒヴァが日本人に一番人気だというのも、このあたりでよくわかった気がしました。
次から次へと見どころが目の前にやってくるコンパクトさは、やっぱりラクなんです。それに、タイムスリップした気分に容易になれますしね。

サマルカンドは、ウズベキスタンでタシケントに続いて2番目か3番目に大きな都市だと思いますが、新市街はタシケントほどではないけれど、巨大な町だと感じました。疲れました。
でも、疲れた疲れたと言いながらも、新市街の郷土博物館まで足を伸ばすことができたのは、我ながら自分を褒めたくなりました。
道を聞くときにも、やっと片言のロシア語が口をついて出てくるようになりました。ごくごく片言ですけどネ。
いや、旅行の前にちゃんと旅行会話だけでも復習していれば、もう少し早くに出てくるようになったと思いますけど、そのことを棚に上げてます。
疲れてふらふらになりながら歩いた旧市街から新市街への往路に対して、帰路はバスが利用できて、とてもラクチンでした。

この日はバスが利用できたことでもご機嫌になれた私。
結局、サマルカンド2日間でバスに乗ったのはその1回だけですが、バスが利用できる自信がつくと、町歩きの可能性が広がって、すごく嬉しくなります。
もっともバスの利用は、路線さえ分かっていれば、簡単です。
幸い、新市街の郷土博物館は、レギスタン広場から向かう場合のバス番号が「地球の歩き方」に載っていました。帰りのバスだって同じ路線です。
めざす停留所はレギスタン広場最寄りでいいので、バスに乗る前に念のために確認するのも簡単@
そして乗る前に乗車券をキオスクなどで買う必要はなく、下りるときに運転手に払えばいいのです。おそらく、町ごとにその料金は一律だろうと思います。
そしてサマルカンドのバス停は、私が見た限り、新市街ではあちこちにぽこぽこあって、見つけるのもさほど難しくありませんでした。
ただ、もしかしたら郊外の見どころに行く場合は、バスはあまり本数がなくて、不便に感じるのかもしれません。

ホテルがレギスタン広場に近かったおかげで、レギスタン広場で日の入りを迎えることができました。
期待していたほど劇的な光景ではありませんでしたが、美しい夕日とシルエットをしみじみ味わうことができました。
この日は22時からレギスタン広場で光と音楽のショーがあるとのことでした。
ミナレットに上らないかと誘ってきた自主ガイド(?)が教えてくれましたし、切符売り場の付近でうろうろしていた似たような人もそう言っていました。
ホテルがレギスタン広場に近いという立地を活かして、ぜひ行きたかったのですが、仮寝したあと、いったん22時前に起きることができても、疲れ切っていて外にでる気力まで回復しませんでした。
無理しないのが一番なので、あきらめました。

でも、この日、無理して出かけなくてよかったです。
翌日もショーがあって、そちらは21時からでしたし、翌日の方がもう少し余裕をもって観光していたので、体力が残っていました。
そして肝心のショーは……残念ながら、とってもしょぼかったのです。

それにしてもサマルカンドでは、レギスタン広場に近い新しくできたホテル・アジアに泊まれて本当によかったです!
第一希望のグリ・アミール廟に高いマリカ・プライム・ホテルは、規模が小さいけれどとても人気らしく、とれませんでした。
グリ・アミールの夜景散策を期待していたのに残念!
それにライトアップは、レギスタン広場よりもずっとグリ・アミール廟の方が良かったと思うんです。

代わりに旅行代理店が提案してくれた第二のホテルも第三のホテルも、新市街の方でした。
代理店を経由しないB&Bなら、旧市街にもっとあったかもしれません。
サマルカンドの見どころは、新市街にもありますが、やはり旧市街に集中しています。
ホテルの位置を旧市街にこだわって本当に良かったです。
旧市街から新市街へは徒歩圏内で、実際に歩けたわけですが、遠かったです。片道で疲れました。
あのときの第二、第三のホテルからでは、レギスタン広場まで出てくるのに、バスを利用しなくてはならなかったでしょう。
それだけ観光ポイントにたどり着くのに時間がかかってしまいます。

その点、ホテル・アジアなら、レギスタン広場まで徒歩10分程度でした。
辺りに街灯はほとんどなくて、暗くなってからホテルに戻るのはちょっと怖いかも、というクチコミ情報を見つけて、行く前は気になりましたが…………なんのなんの、ブハラで泊まったホテル・コミルは、もっともっと真っ暗でした@
さらに言えば、ホテル・アジア近辺は、夏の節電時の自宅の最寄り駅から自宅までの一部と大差なかったです。
最近は関東の夜も少し明るくなった気がしますが、なんの、ウズベキスタン旅行から帰国した翌日に近所の温泉に自転車で出かけた帰り、日没時間を勘違いして帰りはすっかり暗くなってしまったのですが、ブハラやサマルカンドの夜より暗いって思ってしまいました(苦笑)。
あちらはまがいなりにも都市、こちらは田んぼばかりのところを走っていたので単純に比べられないかもしれませんが、ごくたまにいた歩行者やイヌの散歩の人は、懐中電灯を持って歩いていましたもんね~。
かといって、ウズベキスタンでの夜歩きをお薦めしているわけではないので、念のため。治安はさほど心配ないにしても、なんといっても事情に疎い海外ですから。

サマルカンドで、旧市街と新市街の移動は、往復ともバスを利用していればラクだったでしょうが、疲れた疲れたと言いながら往路を徒歩にして、結果的には良かったと思っています。
はじめのうちは、よくありがちな旧ソ連の現代の町並みで、それだったらタシケントでもう十分味わったから、もういいのに……とテンションが下がりましたが、「地球の歩き方」にあったとおり、ナヴォイ通りは確かに興味深かったです。
余力があってナヴォイ公園も回れたら、あれもあれでなかなか興味深かったと思います。
少なくとも散策するのに面白そうと思えました、ナヴォイ通りで柵の外からうかがっていた限り。
あくまでソ連やロシアの香りがする町並みでしたが、こぎれいで、ホームスティしてみたいと思える家々(決して住みたいというほどではなかったけど@)や、中庭はどうなっているんだろうと惹かれるふつうの民家もありましたし、昔の貴族か豪商の別荘と思われるようなパステルカラーの可愛らしい建物が散在していました。
後者はほとんどがサマルカンド州の官庁の建物として使われているようでした。

郷土博物館は昔のユダヤ系の豪商の建物を博物館としたもので、1棟目にはサマルカンドの考古学と民俗学的な展示、別棟は当時の豪華な内装とユダヤ教徒関係の展示でした。
前者では、ソグド人の遺品や、ウズベク人の民族芸術に触れられて、とても良かったです。
解説もない上、もともと知識はあまりないジャンルなので、展示の大半は意味が分からずちんぷんかんぷんでしたが、ちんぷんかんぷんであっても、百聞は一見にしかずですし、考古学や歴史の資料と思わずに民族芸術と思うと、興味を覚えるものがたくさんありましたから@
そして別棟のかつての豪華な内装は、確かに一見の価値ありでした。

夕食には、「地球の歩き方」にあった、ウズベク料理を出すという、レストラン・レギスタンに入りました。
昼間はすぐ近くのチャイハナ風のラビ・ゴールに入ったので。
はじめテーブル席を薦められたのですが、奥にチャイハナ(茶店)風の、いやひょっとしたら遊牧民のテント風の座敷席があることに気付いて、料理を待っている間に席を変わらせてもらいました。
座席席では、座るところも壁にも、郷土博物館で見たような美しい布が使われており、クッションも可愛らしくて、天井には天蓋ベッドのようなレースがかかっていて、広々と使えて。
そんなところに座っているだけでVIP気分になれました@
時間がたつにつれて、テーブル席の方がラクかもしれないと思ったけれど、でも、ずっと履きっぱなしの靴をぬいで座敷にあがれるのって、ホント気持ち良かったです。
それに、より中央アジアな気分に浸れます@
もしテーブルが掘りごたつみたいになっていたら、もっと快適でしたねぇ。
でもチャイハナ風の座敷席はすっかり気に入ったので、ブハラでチャイハナ風のレストランにトライしてみて以来、なるべく座敷席に座るようにしたものです。

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二時間も過ごしてしまった、サマルカンドのハイライトのレギスタン広場


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レギスタン広場のウズベク・モスクの可愛いおやじ


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ウズベキスタンで初めて食べた、トマトスープのうどんともいうべきラグマンは、フォークを忘れられてスプーンで食べた(苦笑)(てっきりそういうものかと思ったので~)


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こんな風にプレートもまじめに撮っておいた!───グリ・アミール廟にて

【9/21月 サマルカンド観光2日目】

期待はずれだったり、予定したターゲットを回りきれなかったりしましたが、のんびり無理せず回れたサマルカンド2日目でした。

回りきれなかったところは、アフラシャブ博物館です。
朝の観光開始も決して早くなかったし、ジョブ・バザールで、噂の焼きたてのサマルカンド・ノン(パン)を買ったあと、それでランチとし、いったんホテルに戻ったりしました。
買い物したものを部屋に置いて身軽になりたかったのと、昨日、おそろしく汚い有料トイレにこりごりしたので、ホテルのきれいなトイレで用をすませたかったせいでした。
で、1時間半も昼休みなんかとってしまったから……。
おかげで17時閉館の博物館にまで行く時間がなくなってしまったのです。

なので、この日はホテル・アジアから、ビビハニム・モスクやジョブ・バザール近辺、そしてシャーヒィンダ廟群……と、歩き回った範囲は狭いです。

期待はずれだったのは、1日の取りをとるイベントになるかと期待したレギスタン広場での光と音楽のショーが、大変しょぼかったこと。
しかも10ドルもとられました。
あれはほとんど、ただの賄賂に違いありません。
別に少し離れたところで警備員さんに見つからないように見ていれば、10ドル支払う必要はなかったでしょう。
10ドルも支払ったのでなければ、夜景撮影としては、まあまあでした。
というのも、レギスタン広場のライトアップ自体、しょぼかったのですが、ショーの最中は、多少なりともライトアップがましになったからです。

その2点以を除くと、ビビハニム・モスクとビビハニム廟もシャーヒズィンダ廟群も、どれも美しい青のタイルの世界にたっぷりと浸れました。
昨日はレギスタン広場で2時間過ごしましたが、本日はシャーヒズィンダ廟群で2時間過ごしてしまいました。
入れるすべての廟で、丁寧に写真を撮っていたせいでしょう。
途中で、どうせアフラシャブ博物館には間に合わないと分かったので、回りの一般庶民のソ連らしい墓地も少しだけ散策しました。
ソ連らしい墓地というのは、黒曜石のような黒い墓石に埋葬された人の肖像が線描で彫られているのがそうらしいです。
初めてそういう墓石を目にしたのはアルメニアでのことでしたが、どうも旧ソ連圏では一般的なお墓スタイルだったようです。

旅行人シリーズのガイドブック「シルクロード」(2006年刊)には、シャーヒズィンダ廟群は、編集者が訪れた時点では、ひなびた様子が風情があって良いけれど、どうも修復が進むらしくて、どうなるか心配だ、といったことが書かれてありましたが、私が訪れた2011年9月現在は、修復はひととおり終わっていたんだと思います。
昔の写真も展示されていたので、比較できました。
一部剥げていたり欠けていたタイルはきれいになっていて、ひなびた様子は確かにありませんでしたが、私はとても気に入りました。
ひなびた様子をもともと知らないわけですし、修復されてきれいになったタイルというのは、建物が新しく塗り直されたりした場合に比べると、新しすぎるという違和感を覚えることが少ない気がします。
いや、タイルがぎっしりの建物は日本でも今まで旅行してきた東欧中心の海外旅行先でもあまり見かけないので、単に見慣れていないだけでしょうか。

おかげで、青の世界の死者の街ともいうべきシャーヒズィンダ廟群は今回のウズベキスタン旅行の中で一番気に入ったといえます。

ただ、シャーヒズィンダ廟群を見学しているときに、カメラの調子が少しおかしくなって、心配になりました。
カメラの倍率の調整がきかなくなってしまったのです。
ちょっとでもズームしようとすると、勝手にデジタルズーム最大の56倍になってしまって、調整がきかなくなってしまったのです。
一日に300枚以上撮影していて、撮った写真は液晶画面でズームしてピントがあっているかどうか確認していましたから、かなり酷使していた自覚はあります。
しばらく休ませると、なんとかなりました。
だから、ズームして撮りたいときに苦労しました。すぐに撮れなくて、しばらく待ってみたり、あとでトライし直したりしました。
昨日のレギスタン広場では、時々曇ってしまったので太陽が出るのを待ったりもしたので、どちらも2時間もかけて見学してしまったのは、そのちょこちょことした待ち時間もあったせいともいえます。

また、それまで少しずつ疲労が重なってはいたのですが、この日は太ももの筋肉痛がきつくてたまりませんでした。
筋肉痛なんて久しぶりです。
ミナレットによく上ったりしたからでしょう。
階段を下りるとき、きついこと、きついこと(苦笑)。
この筋肉痛は帰国後まで引きずりましたが、翌日に自宅近くの温泉に行ってマッサージ湯に当たったら、一発で治りました@

お土産はブハラで十分に買い、サマルカンドでは買うまいと思っていたのですが、本日は少し買い物をしてしまいました。
そもそも、職場の所属部署のみんなに配るお菓子を買うことを、ジョブ・バザール内のスーパーマーケットに入るまで、ころっと忘れていました。不義理をしてしまうところでした(苦笑)。
お土産は、ブハラで買ったもので予定は終了していましたが、海外旅行土産をなかなか気に入ってくれない母には、これなら良いかもしれない、というのは、ジョブ・バザールの中の土産屋で見つけました。
というか、ブハラで思いついたときには、他の店では売っていなかったのです。
刺繍の布スリッパです。
ブハラでもサマルカンドでも露店のお土産屋さんはたくさんあって、スザニはどこでもあったけれど、スリッパは意外に見つかりませんでした。
ジョブ・バザールのお土産屋さんにはお土産がひととおりそろっていて、どこにもあって幸いでした。

ただ、商品は同じなのに、同じ値段で売っているところはありませんでした。
でも、4ヶ所の店で値段を聞いた中で、一番安いところで買うことができました。
おそらく、買い損ねたらそれはそれで仕方がないと思っていたから、がつがつしていなかったのが良かったのでしょう。

おかげで、この日は前日にホテルで換金した50ドル分で間に合うかと思ったのですが足らなくなり、ランチにホテルに戻ったときに、さらに50ドル換金しました。
50ドルは、2011年9月現在、公式レートでは約8,700スムほどになりました。
一番高額のお札が1,000スムなので、50ドル札一枚が、80枚もの札束に変わります。
ウズベキスタン旅行では、この札束がふつうのお財布に入らない、ということは事前に情報を仕入れていたのでどうしようかと頭を悩ませて、札束用の小さなショルダーバックを用意していきました。
でも、私はちまちまと50ドルか20ドルごとしか換金しなかったので、100円ショップで買ったA6サイズのジッパー付きのビニール袋で間に合ってしまいました。
多めな時には2袋に分けただけです。
もともと長距離の都市間移動と宿は旅行代理店経由で事前手配し、支払もすませていたので、必要な現地通貨はおこづかい程度でした。
なおさら、札束ショルダーなんか必要ありませんでした(苦笑)。

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確かにサマルカンドのどこからでも見えた、巨大なビビハニム・モスク


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ジョブ・バザールからいったんランチ休憩にホテルに戻った時、きれいに整備されたタシケント通りを避けて旧市街の路地を歩いてみた@


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美しい青タイルと美しい文様に見ほれるばかりだった、シャーヒズィンダ廟群


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行き損ねたアフラシャブの丘(ジンギスカンによって灰燼にされり前の、旧都サマルカンドがあった場所)を、ハズラティ・ヒズル・モスクのミナレットから見渡す

つづく。

ウズベキスタン旅行の一日ごとを振り返って(写真付)その2(ブハラ&シャフリサーブス編)

一日分の感想だけでも長くなりそうでしたので、記事をいくつかに分けることにしました。
その2では、3日目のブハラ観光と、4日目の半日ブハラ&途中シャフリサーブスを寄りながらサマルカンドへ移動した日の2日分です。

【9/18日 朝七時台のフライトでブハラへ飛び、ブハラ観光1日目】

町歩きのせっかくの楽しさが、買い物しすぎた後ろめたさと、土産屋の呼び込みでほっとかれないことでちょっとうんざりしたのと、自主ガイドと夕食で油断してぼったくられたため、少し相殺されてしまった一日でした。
相殺はされたけれど、結果はあくまでプラスで、決してマイナスに転じてはいませんので、念のため。

ぼったくられた件は、自主ガイドの方はレギスタン広場のアルク(城)でのことです。
値段的にも納得したつもりでしたし、最初の5ドルで終わらせることができたら、1人で回っていたら分からなかった城内の建物のかつての用途や様子を説明してもらえて、十分満足できたと思うのですが、彼は私が一番見たがっていた旧市街のパノラマのところで、値を釣り上げました。
自分でなければ案内できないように思わせて、パノラマだけで追加で15ドルも要求したのです。
ま、それが交渉というものですね(苦笑)。
警備員さんに賄賂を払う必要があったのは本当かもしれませんが、米ドルにして2ドル程度でした。
私が払った15ドルの一部をわざわざ私の手で警備員さんに払わせて、残りは自主ガイドのポケットに入ってしまったのです。
その時点で、あ~だまされたと思いましたから、せっかくのパノラマもケチがついてしまいました。
でも、やや割高な勉強料と思って、切り離して考えることができると、ステキな写真というなによりの収穫は得られました。

もう一件のぼったくられた件は、夕食に入ったレストランです。
メニューがなくても、はじめにだいたいいくらかかるか聞いておけば、もしかしたらぼったくられなかったのかもしれません。
そのレストランでは同じ一人旅の日本人の女の子が先に食事をしていて、それで油断してしまいました。
彼女よりも一品少なかったのに、彼女と同じ、米ドルにして22ドルとられました。
日本の外食価格からすれば、東京都心であればそのくらいはあり得る価格ですが、ウズベキスタンでは完全にぼったくりです。今なら分かりますが、同じ量を、高くても5ドル未満で食べられたはずですから。
レストランとしては割高そうな、ブハラの観光地のど真ん中のど真ん中にあったカフェ・レストランで昼間、大差ないメニューを頼んだときですら、5ドルくらいですみました。
それに、実はその女の子と旅行の話で盛り上がってしまったので、何を食べたか、味はほとんど分かりませんでした。とりわけ美味しいと感じたわけではなかったのです。
その上でぼったくられたのだから(怒)!
ま、油断した私が悪いんですけどね。

お土産については、ウズベキスタンで買うとしたら、ブハラが良い、とクチコミ情報を仕入れていました。
ブハラの方が安くて、品揃えが多くて、センスも良いから、間違ってもタシケントで買うな、と。

確かにそうでした。だから友人・知人へのお土産の買い物は、もともとブハラで全部すませてしまおうと思っていたのは確かです。
でも、相場があってないようなイスラム圏。安く買い物をする交渉や手間をとるのが最近めんどくさくなってきた私にとって、残念ながら楽しめるものではありませんでした。
同じ品物が、別の場所でもっと安く売っていたと知る悔しさ。
逆に、その次からは、高いと予想される場所では買わないようにしたので、お得な気分にはなれましたけど。
買うつもりがあったから買ったものと、客引きがすごくて断り切れずに、そのくらい値引きされるなら……と思って買ったものとあわせて、予定以上に買い物をしてしまいました。
欲しいものを買ったからいいのだけど、買いすぎたのでは、という思いと、買っても家の中に置き場所がもうない、という思いから、買った直後にすぐに後悔。

でもホテルの部屋に戻って買ったものをしみじみ眺めれば、買ってよかったと思えてきます。
自分用のお土産も人にあげるお土産も、気に入ったものしか買っていませんから。
モノが増えて困る自宅の事情に目をつぶれば。

買い物ってそんな風に、満足と後悔にしばらく気持ちが揺さぶられずにはいられません。
きっと私は買い物をして自分のものにすることが好きで、そんな自分を恥ずかしく思う気持ちも私の中にあるからかでしょう。

ブハラでの一日目はマイナスの方を詳しく書いてしまいましたが、観光自体はとても満足できました。
旧市街は、地図から予想していたよりずっとこぢんまりしていて、数歩歩くだけで、次から次へと絵になる街角が現れ、観光ポイントもすぐにアクセスできるところばかりで、すごく歩きやすくて、ほっとしました。
行き損ねたヒヴァは、昔のままを保存できた旧市街は博物館都市と言われているくらいですが、ブハラの旧市街の中心部も似たようなものではないでしょうか。どこもかしこもほぼ昔のまま@
ただ、ガイドブックに載っているような見どころのほとんどが、現在はお土産屋さん、というのは、少々興ざめでした。
次から次へとそんなんばかりだったので、しばらくしたら慣れましたけど。
それに、もともとウズベキスタンでは町中の撮影散策を一番楽しみにしていました。
その意味では、お土産屋さんとしてであっても、歴史的建造物がきれいに維持されていたのは、私にとって好都合だったわけです。

ぼったくりレストランで残念な思いをした夕食のあと、夜8時を過ぎていたのですでにあたりは真っ暗でしたから、ホテルに戻りがてら、少しだけ夜景撮影を楽しむことができました。
土曜日の夜だからか、夜が更けてあたりは真っ暗でも、旧市街のあちこちで地元の人が子連れで散策していました。
9月下旬とはいえ、昼間はまだまだ暑かったので、外に出るのは涼しくなってからだからでしょう。
そんな夜、町を歩いていると、地元の人たちから元気よく、こんにちわー(ズドラーストヴィチェ!)と、昼間よりもよく声がかかりました。
すでに店が閉まっている時間帯なので、客引きと関係なく、純粋にあいさつ@
小さな男の子に声をかけられたとき、はじめ私に話しかけられていると気付かなくて返事が遅れたりしましたが、無視することにならなくてよかったです。ああ、可愛かったなぁ、あの男の子@
ズドラーストヴィチェ!というロシア語以外の挨拶では、アッサラーム・アライコムでした。

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チャイハナ(茶店)のお座敷席はとても気に入った!


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旧市街の目抜き通りのフッジャ・ヌラバット通りにて、屋台のお土産屋の帽子


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アーチの向こうにカラーン・モスクのドーム


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緑にライトアップされたナディール・デヴァンベギ・メドレセを背景に、フッジャ・ナスレッディンの像のシルエット

【9/19月 午前中ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車でドライブ(途中シャフリサーブスに寄り道)】

昨日、買い物しすぎた反省もあって、お金をあまり使わないですんだ一日でしたので、昨日、ぼったくられてテンションが下がった分は挽回できました。

本日は移動日で、ブハラとシャフリサーブスという2つの町を見学できたことと、車をチャーターしておいて、冷房付きのきれいな乗り心地よい車での移動だったので、車窓の外の景色も楽しめたおかげで、盛りだくさんの印象がことさら強い一日でもあります。

また、子供の写真がじゃんじゃん撮れたので、さらにほくほくの一日でもありました。
このブログの、撮った写真の分析記事にも書きましたが、ブハラでは、ちょうどお昼時に家に帰る子供たちに、そしてシャフリサーブスでは夕方、学校が終わって家に帰る子供たちにたくさん出会えたので、写真を撮らせて、と気軽に声をかけることができました。
声をかけたというより、言葉は全然分からなかったので、会話のほとんどはジェスチャーでしたけどね。
私が回っていたところは、他に外国人観光客もたくさん来ていたので、子供を撮っている他の観光客に便乗したこともあります。
親子で観光しに来ていた現地の人たちの中には、親が子供たちに向かって、「(私に)写真を撮ってもらいなさい」と促し、子供も親も撮影された方がお礼を言ってきたくらいです。ありがたくて申し訳ないくらいでした。

ちょっと残念だったのは、子供たちはカメラの前ではちょっと緊張していて、笑顔満開ではなかなか撮れなかったこと。
子供の自然な笑顔を撮るにはカメラを意識させないのが一番ですが、でも、あのシチュエーションではそうは言ってられませんでした。外国人は注目されまくり、カメラは意識されまくりでしたから@

また、ボールペンや飴をねだる子供もいました。
そのことは知っていたし、場合によっては、せっかくのささやかな出会いが互いに不快に終わることもあるらしいことを、クチコミ情報で知っていました。
でも、昔、チュニジアを旅行したときの子供たちほど頻繁にちょーだいと言われたわけではなく、もっと控えめでした。
ボールペンの予備は何本か持っていました。でも、パソコンを持参せず、旅先でたくさん物を書く私にとって、ボールペンは必需品です。
それに、一人の子にあげて、他の子にはあげないというわけにはいかないでしょうから、さすがにばらまくほど持参してなくて、もってないと嘘つくしかありませんでした。
だから、飴くらいなら用意しておけばよかったなぁ、とちょっと後悔。
でも、外国人観光客のおひげのおじさんが、子供たちに飴を差し出しているところを見かけましたが、たまたまその子たちはシャイだったのか、なかなか手を伸ばしそうにありませんでした。
しかし、その様子を見ていたら、日本やおそらく大半の先進国では、子供にはふつう「知らない人からモノをもらってはいけません」としつけると思いますが、それと真逆のシーンだなぁ、と可笑しくなりました。

ただ、回っていたところが観光客が集まるところだから、やはりお土産の客引きも多かったです。
今日はもう余分な買い物はしないぞ、と決めていましたから、誘惑には乗らなかったのですが、「安いよ、安いよ」「いらない、いらない」と断りながら歩くにしても、観光と写真撮影のおかげでテンションそのものは下がっていませんでしたから、少々わずらわしくても、他人に不機嫌な顔を向けたくはありませんでした。
でもおかげで、日本人特有の意味不明な笑顔がだんだんと凍り付いて、顔がこわばっていたかも(苦笑)。

ブハラからシャフリサーブスでの車移動では、ドライバーは英語を話せなかったので、会話はほとんどありませんでした。
シャフリサーブスでの滞在は一時間の予定でしたが、見どころがイパク・イユーリ通りに集中していても、一時間ではとても見て回れませんでした。
ドライバーはティムール像のある公園とアク・サライ宮殿跡に一番近いところに車を停めてくれたのですが、そこからアク・サライまでの往復だけで、30分もかかってしまったんですもの。
でも、客が私一人だったおかげもあり、ドライバーの兄ちゃんが融通をきかせてくれました。
もう一つの見どころでも車を停めてくれました。
走っている最中に私がしょっちゅう車窓の外の写真を撮っていたので、私が写真好きなことは分かったからでしょう。

ただし、ドライブ中、検問らしきところでは、ちゃんとカメラをしまいました。
ウズベキスタン人が自国を走っているだけなのに、検問があるなんて、と驚きました。
ブハラで出会って夕食を一緒に食べた日本人の女の子も、事前チャーターした車のドライバーが検問でパスポートを見せていたので、自分の国なのにパスポートがいるのか、と驚いて質問したら、「オフ・コース!」と、さも当たり前に答えたそうです。
検問らしきところは2~3回あって、1度目は、ドライバーがパスポート(要するに身分証明書)を見せただけでは足らず、トランクの中まで調べられました。もちろんそこには、私のスーツケースが入っていました。
さすがにスーツケースを開けろという要求はされませんでしたし、後ろの座席に座っていた私自身には、身分証明書の提示も何も要求されませんでした。
2度目か3度目あたりは、ドライバーさんは検問所に近づいたときに、パスポートをいつでも提示できるように準備していましたが、スルーできました。
検問するもしないも、気まぐれなのかな。

確かにタシケントの地下鉄でも、初日に2回しか利用しなかったのに、噂どおり、2回とも検問に遭うというものものしさでしたが、するしないは気まぐれっぽかったです。
警備員さんも、警備員の顔ではおっかなそうでしたが、道を聞いたときや、どちらのホームにめざす方角の列車が来るか聞いたときなどは、気の良さそうなおじさん、親切なお姉さんに早変わりしました。

ただ、この日はおなかの調子が少々危険でした。
朝からひどい下痢をしていたのですが、昼間は大丈夫でした。
ただ、そのこともあって、この日はホテルで朝食をとった以外は、昼食も夕食も抜きました。
もっとも、昼食を抜いたのは、その分ぎりぎりまで観光していたせいですし、夕食を抜いたのは、サマルカンドのホテルにチェックインした後、疲れて居眠りしてしまって、目が覚めたときには夜の9時頃と遅くなっていたせいでもあります。
ウズベキスタン旅行では下痢に注意と聞いていたので、かかりつけの医師に相談して、抗生剤を処方してもらっていて、それを飲んでいました。
車移動でサマルカンドに近づいてきた頃から、おなかがごろごろ言っていたのですが、なんとか持ちこたえることができました。

約3時間のドライブと2時間近いシャフリサーブス散策中、一度、トイレに行きたくなったのですが、シャフリサーブスで見つけた、汚そうだけど涙をのんで妥協しようと思った公衆トイレは、夕方遅かったからか、鍵が閉まっていて誰もいなくて、入れませんでした。
なのでドライバーの兄ちゃんがガソリンスタンドのトイレを借りてくれたのですが、ふだんみなさんも利用してあるであろうに、この汚さと、物置と化した雑然さはナニゴト!?……と思ったものです。
しかし、トイレ事情といえば、サマルカンドでさらに汚い有料トイレが待ち構えていました(苦笑)。

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ウズベキスタンでは、郊外めぐりばかりしたコーカサスよりロバの遭遇率が少しだけ高かったかも


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ブハラを出てまもなく、車は道行く羊の大群に引き留められて


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シャフリサーブスのバザールにて、私が写真を撮っていると気づくと笑顔を見せてくれたお兄さん


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シャフリサーブスのドルッティロヴァット建築群の敷地内で見つけた子猫ちゃん───正面顔も撮ったけれど、歯が見えるこの横顔の方がキュート@

つづく。

ウズベキスタン旅行の一日ごとを振り返って(写真付)その1(出国日&タシケント編)

まだ記憶が新しいうちに、一日ごとの感想をまとめておこうと思います。
といいつつ、ウズベキスタン旅行が終わってはや一週間。
飛行機に乗り損ねてヒヴァに行き損ねたショックも落ち着いて、苦い教訓と共に、いい思い出となりました。
つまり、旅先で感じた感情は、日常生活にまぎれて、すでに落ち着いてしまいました。
そうなるだろうなと予測していたので、一日のおわりに日記を詳細に書いておきました。
それを読むと、現地での気持ちがまざまざとよみがえってきます。まだ記憶が新鮮な証拠ですね。

【9/16金 成田発 ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り損ねる】

仕事でもプライベートでも海外旅行でも、最近、考えさせられることが多いのがリスク対策です。
特に海外旅行では、プランニングの際に注意しているつもりです。
でも、今回、ウズベキスタン航空については、それが足りませんでした。
飛行機が遅延するリスクはいつでもどのエアラインでもあり得たのに、三時間半の乗り継ぎで国内線に十分間に合うと思ってしまいました。
いや、ウズベキスタン航空以外の、成田で国内線もチェックインできるところなら、国際線の遅延のせいなら、国内線も待っていてくれたのではないでしょうか。
そして乗り継ぎがタシケント空港でなければ、もっと手際のよい空港であれば、一時間半の遅延も、ぎりぎり間に合ったではないでしょうか。
国内線のターミナルは、走れば5分のお隣でした。

それはともあれ、私は自分が土壇場に強くないことを知っています。トラブルの対応能力が高いとは決して思っていません。
今回の立案でのリスク対策は、代理店を通じて手配したことで、緊急連絡先をもらっていて、旅程全体についていざというときに相談できる先を用意しておいたことでした。
ほんとは利用しないですめばそれにこしたことはなかったけれど。
おかげで、国内線にのり損ねたけれど、翌日の観光がヒヴァからタシケントに予定変更になっただけで、ウズベキスタン旅行全体は台無しにならず、挽回できました。

国内線に乗り損ねたという哀しいアクシデントがあったこの出発日ですが、実は乗り損ねるぎりぎりまでは、なんとかなるだろうと、かなりのんきに楽観していました。
成田航空に着いたその場で、ウズベキスタン航空が50分遅れと分かっても、ぎりぎり間に合うのではないかと思っていましたし、今から心配してもしょうがないとも思いました。
フライト中、遅れがだんだんとひどくなり、到着予定時間が一時間半も遅くなると気づいたときには、さすがに心配でたまらなくなりましたが、そのため乗務員に相談したら、「一時間半あるんだから大丈夫」とか「到着したら相談できる係員を教えてあげるから」と言われて、安心してしまいました。
実際には、一時間半あっても全然間に合わなかったんですけどね。なにしろ荷物が出てくるのが遅くて遅くて。
そして相談できる係員をつかまえることができなかったのも痛いです。そこらにいる係員何人かに相談したのですが、結果的には全然当てになりませんでした。「とにかく待て」だけ。

とんだトラブルで終わった初日でしたが、ふりかえってみると、そのトラブルのぎりぎりまでは、なんとかなるだろうと根拠のない安心に浸って、ウズベキスタン旅行のはじまりにわくわくしながら、大半を心やすらかに過ごせた一日でした。やきもき心配したのは、一日のほんとに一部です。
そして、ヒヴァ行きについては、なんとかなりませんでした。
でも、ウズベキスタン旅行全体では、なんとかなりました。

もっともそれも、私は代理店の緊急連絡先に電話1本入れて、あとは待っていただけです。待っている間にちゃっかりと帰国便のリコンファームをしていました。
やきもきしてもなるようにしかならない時はじたばたしてもしょうがない、という考えが私の根底にあるのですが、その楽観思考のおかげでだいぶ救われていた一日だったといえます。
それとも国際線が遅延すると分かった時点で、その気になれば何か対策が練れたのかしら。

旅行なんて、正解や不正解、合格や不合格があるわけでもなく、当人がどう思うか次第で、成功も失敗も塗り変わり、思い出のカラーはがらっと変わるものだと思いますが、そのことをつくづく感じる一日でもありました。

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成田第1ターミナルで見かけた、絢爛豪華な日本の伝統工芸のお店


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ドラマチックな空模様の下のスイス航空

【9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光】

初日の国内線乗り継ぎに失敗し、飛行機に乗り遅れたため、せっかくのヒヴァ観光は駄目になりましたが、代わりに1日タシケントを観光しました。
見るべきものがたいしてないから、1日で十分と言われていたタシケント。
でも、その1日も費やせなくて残念に思っていたところでした。
当初の旅程だと、タシケント観光は、出国日に列車でサマルカンドから到着した後、せいぜい3時間程度、できるかできないかでしたから。
ヒヴァに行けなかったのは本当に残念ですが、代わりにタシケント観光は十分に楽しめました。
ぜひ見学したいと思っていた、首都らしい大規模な博物館を2つ(ティムール博物館と国立歴史博物館)と、オペラ「蝶々夫人」を日本で鑑賞するよりも何分の1もの安い値段で観劇しました。
まさに、首都だからこそできる観光を楽しむことができました。
これでブハラとサマルカンドが予定どおりに観光できれば、ヒヴァを観光できなかった埋め合わせにはなるぞ、と思ったものです(そして実際、なりました)。

タシケントは本当に大きな町でした。旧ソ連らしい、広々とした空間使いの町でした。
2011年9月現在、中央アジアで唯一、地下鉄が走っている都市とのことですが、地下鉄を走らせるだけの広さはあります。
地下鉄があって本当に良かったです。
最終日にトラムにトライしようと思ったのですが、目的の路線の停留所が見つからなくてあきらめてしまいました。
なにしろ通りが広いので、バス停やトラムの駅を探すのが大変!

そして、大きすぎて、逆にテンションが落ちたときもありました。
始めに、タシケントのシンボルともいえそうな、ティムール広場に向かったのですが、きれいに整備された広い公園で、公園を中心にロータリーとなっていた道路も広々としていて、妙に浮いて見えました。
もっと観光客や地元の人で賑わっているかと思ったのですが、地元の何人かがベンチに休んでいただけで、観光客が全くいなかったわけではないけれど、閑散としていました。
あまりに観光客で混雑しているとうんざりしますが、あんなに広々としたところであまりに閑散していると、これまたテンションが下がってしまうものですね。
しかも、ともすれば行き損ねたヒヴァのことを考えそうになる日でしたから。

それに、次の目的地まで、歩くこと歩くこと。
散策できたのは、ティムール広場、日本人抑留兵が建てたナヴォイ劇場と、そこに向かう途中のサマルカンドの目抜き通りのブロードウエイ通りという異名のあるサユリガーフ通り、そして観劇のトゥルキストン劇場へ向かうときと帰りに通った独立広場くらいですが、実をいうともっと回れるかと思っていました。
でも、ホテルを出て、ティムール広場に到着するまで一時間かかってしまいました。

そのタシケント滞在ホテルですが、当初の予定では、2日目に、ヒヴァから帰って来て、翌日、ブハラに飛ぶために一泊するためにとっていました。
当初、タシケントのホテルではほとんど寝るだけの予定だったので、立案の際、代理店の担当者さんは町の中心のティムール広場の前にあるホテル・ウズベキスタンをはじめ推薦してくれたのですが、できるだけ空港に近いもっと安いホテルに変えてもらいました。
空港に近いとはいえ、タシケントのセントラルには変わりなく、中級ホテルがいくつもあるということで、「地球の歩き方」にも周辺地図が載っていたところだったのは幸いでした。
まさかヒヴァに行けずに、代わりにタシケント観光になるとは、立案中に全く考えもしませんでしたから。
当初の2日目に一泊するだけのタシケントでしたが、その前の日もタシケントに泊まることになり、そうするとやはり同じホテルの方が便利なので、2日目に予約していたところに、延泊ではなく、一日前から泊まることになりました。
ただ、ホテル・ウズベキスタンに泊まっていたら、ティムール広場に出るまで10分とかからなかったでしょう。

もっとも、ホテル・ウズベキスタンやティムール広場最寄りの地下鉄駅に出た後は、旧市街までは行かず、新市街観光はすべて徒歩ですんでしまったので、ホテル・ウズベキスタンに泊まっていたら、地下鉄を利用する機会はなかったろうと思います。
タシケントの地下鉄は、旧ソ連圏だけあって、ロシアやウクライナの地下鉄そっくりでした。
ロシアやウクライナに比べると、ホームはさほど地下深く潜らず、そのせいか、エスカレーターのスピードもあれらの国々ほど速くはなかったです。
そういう相違点が分かったりして興味深かったですし、モスクワの地下鉄ほどではないにしても、一見の価値ありの豪華さでした。

オペラ鑑賞は、本当はナヴォイ劇場で鑑賞したかったです。
第二次大戦後にソ連によってタシケントに抑留された日本兵が建てたというナヴォイ劇場は、タシケントを襲った1966年の大地震でもびくともしなかったと評判の劇場です。
内装はとても豪華らしいので、ぜひ見たかったので、劇場前の公演日程の垂れ幕で、本日、上演予定があると知って飛びつきました。
ところがボックス・オフィスでチケットを購入した後になって、窓口の人は、会場はナヴォイでなくトゥルキストンという別の劇場だと言ってきたのです。
一瞬、それだったらいらない! と言いたくなりましたが、ふつう、いったん購入した後はキャンセルできません。
それに私は窓口に人に、オペラを見たいと言ったのであって、ナヴォイ劇場の中を見たいと言ったわけではありません。言っても、ふつうに頼んだのでは見せてもらえっこないと思ったからですが。
ナヴォイで見ようとトゥルキストンで見ようと、オペラはオペラです。

でも、オペラ「蝶々夫人」は、日本で一度だけ新国立劇場版を見たことがありますが、今度は別の劇団のものを、ぜひまた見てみたいと思っていました。
さらに外国人の演出による「蝶々夫人」の日本らしからぬギャップを見るのも楽しみになりました。
それに総じて海外でのオペラの切符は、日本でオペラを見る何分もの一で手に入ります。特に旧ソ連圏はまだまだ恐ろしく安いです!
ここタシケントでも、その例に漏れませんでした。

出演した歌手は、トルコ系の濃い顔立ちの人もいれば、アジア系の日本人にとって親しみのもてるのっぺり顔、それからロシア系の彫りの深い白人・金髪もいました。タシケントは人種のるつぼと言われるだけのことはありました(他国籍からのゲストがいるのであれば別ですが。)。
どちらかというとロシア系の方が多かったです。
オペラに詳しくないけれど、主役たちの歌唱力はすばらしかったです。
と同時に、日本家屋のはずの舞台装置は、思いっきり中国とごちゃまぜで、着物の着付けも着物とは思えないような、長襦袢を着ていないのではないかと思えるずるずるな裾さばきに、にやにや笑いが止まりませんでした@
オペラとしての正当な楽しみ方と、外国人から見た日本像───と、期待どおり両方楽しめました。

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ウズベキスタンでの最初の買い物はミネラルウォーター!───ホテルのすぐそばにあったミニ・マーケットの前で


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きれいに整備されていてかえってテンションが落ちてしまったティムール広場から


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ラマダンが終わって結婚シーズのはずのタシケントでは、ナヴォイ劇場前までやって来てやっと新婚カップルに遭遇@

つづく

ウズベキスタン旅行で撮ってきた写真の分析(写真付)

久しぶりのイスラム圏の威力はすごい!
いや、むしろ、ウズベキスタンの魅力のたまもの!?
今回のウズベキスタン旅行は正味6日間でしたが、一日の撮影枚数は、これまでに比べると大幅な更新となりました。
いや、正味6日間と、旅行期間が短めだったせいもあるかもしれません。
もし旅程がもっと長かったら、ひょっとして後半は撮影テンションが落ちて、平均枚数を下げた可能性もあります。

9/16金(出国日)50枚(うち1枚トリミングの試しあり)
9/17土 293枚 うち展示のラベル30枚
9/18日 361枚 うちラベルなど15枚
9/19月 355枚 うちラベルや建物のプレート18枚
9/20火 396枚 うち建物のプレートや説明など23枚
9/21水 356枚 うち建物のプレートなど22枚
9/22木 60枚
9/23金(早朝に成田着便なので、なし)
【合計:1,871枚】
初日と最終日を除いた合計1,761枚÷5日=平均352.2枚

いままで一日の撮影枚数が最高だったのは、前回の7月のコーカサス旅行の観光実質初日、同じく久しぶりのイスラムな街並みに狂喜したアゼルバイジャンの首都バクー観光の一日でした。
あのときの一日300枚台突入は、それまでの私の一日の撮影枚数を大幅に更新したと思っていました。
今回は、400枚近くにもなった日がありました。
国内線に乗り損ねてヒヴァに行き損ねた代わりのタシケント観光の一日ですら、300枚にあと7枚と迫っていました。

比較のために、7月のコーカサス旅行の撮影枚数一覧を載せます。

〈出国日〉
7/03日 37枚
〈アゼルバイジャンのバクー〉
7/04月 330枚 うち説明7枚
〈グルジア〉
7/05火 245枚
7/06水 244枚 うち説明7枚
7/07木 207枚
7/08金 177枚 うち説明4枚
7/09土 123枚
7/10日 165枚 うち説明9枚
7/11月 200枚 うち説明2枚
〈アルメニア〉
7/12火 117枚
7/13水 168枚
7/14木 275枚 うち説明と地図10枚
7/15金 168枚 うち説明7枚
7/16土 81枚 うち説明1枚&3枚は空港や機内食
【合計2,537枚】
・コーカサス旅行の一日の平均:約181.21枚
・コーカサス旅行の初日と最終日を除いた一日の平均:201.58枚
・アゼルバイジャン:7月4日のバクーだけなので330枚
・グルジア7日間の平均:194.42枚
・アルメニア4.5日間の平均:178.88枚

ちなみに、コーカサス旅行のときもそうですが、これらの撮影枚数の中には、ゲットしたお土産や博物館の半券などの写真、それからホテルの部屋とロビーや廊下などのパブリック・スペースの写真も含まれています。
でも、全体のこの枚数の中での割合でいえば、ごく少数といえます。

次に、一日ごとにだいたいどんな写真を撮ってきたか、振り返ってみたいと思います。

2011/09/16金【50枚】成田発タシケント経由-国内線でウルゲンチに飛ぶはずが国際線の遅延で乗り遅れ

ウズベキスタンでは空港や駅での撮影が禁止ですので、この日の写真はほとんどが成田空港でのものです。
ウズベキスタン航空が1時間近く遅延となっていたのは、成田空港に着いてすぐに電光掲示板で知りました。
でも、国内線の乗り継ぎに3時間半はあるんだから、きっと大丈夫、と根拠のない安心感に浸っていて、のんきでいられたので、こんなに撮影に興じていられたわけです。
年にそう何度も行く機会のあるもんでもない海外旅行では、やはり家を出たときから、あるいはスカイライナーに乗ったあたりから、テンションが上がります。
とはいえ、そういうテンションでスカイライナーとか成田空港の写真とかを、前回の7月のコーカサス旅行でもその前の秋の極東ロシア旅行でも撮りまくっているので、いまさら撮る題材はなさそう……と思いましたが、窓の外にはあまりに美しいドラマチックな、私好みの青空が広がっていたので、それを背景にした写真を撮っていました。
また、タシケント空港では撮れないと分かっていたので、成田に入港してきたウズベキスタン航空の機体の写真も撮っておきました。

前々回の極東ロシア旅行で、出発の成田空港ですらテンション上がりまくりで写真を撮った成果は、こちらのフォートラベル旅行記です。

「2010年秋ふらっと極東ロシアへ4泊3日の旅第1日目(1)移動だけの1日でも楽しまなきゃソン!(前編)」
「2010年秋ふらっと極東ロシアへ4泊3日の旅第1日目(2)移動だけの1日でも楽しまなきゃソン!(中編)」
「2010年秋ふらっと極東ロシアへ4泊3日の旅第1日目(3)移動だけの1日でも楽しまなきゃソン!(後編)」

前回の出国日のフォートラベル旅行記は、どちらかというとロシアのシェレメチェボ空港がメインとなんりました。
新ターミナルDは話題にするのにちょうどよいと思ったため。
「2011年コーカサス3カ国旅行第1日目:モスクワのシェレメチェボ空港で新ターミナルDからターミナルEへ」

そして以下は今回の写真の一部です。

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コンテナが並ぶ様子にある種の美を感じて


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ウズベキスタン航空、待たされた挙げ句、やっと搭乗開始!

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2011/09/17土【293枚】ヒヴァ観光の代わりにタシケント観光

国内線に乗り遅れて、ヒヴァに行きそびれた日です。
ヒヴァを思い出すと哀しみがこみ上げてきましたが、それでも海外観光の実質初日となるとテンションが上がりやすくなります。
さらに、自らのテンションを上げるために、目をカメラにして、ホテルからティムール広場に向かうまで「どうってことのない街並み」(だけど旧ソ連な街並みという意味では興味深い@)をテーマに写真を撮りながら歩きました。
それで50枚近く撮ったでしょうか。

もし地下鉄の写真を撮ることができたら、レポーター気分も盛り上がって、もっともっと写真を撮ったでしょう。
同じ旧ソ連の都市だけあって、タシケントの地下鉄も、ロシアやウクライナの地下鉄みたいに、旧ソ連な古めかしくもとても豪華でしたから。
さすがにモスクワには負けますが、アールデコや帝国主義様式を思わせるステキなシャンデリアで、地下構内はさんさんと照らされていました。
シャンデリアは純白な蛍光灯で、まるで氷の彫像を見ているかのようでした……とまで言ったら、ちょっと大げさかな?
ロシアの地下鉄との違いも興味深かったです。
タシケントの地下鉄は、ロシアほど深く潜らなかったです。そしてエスカレーターも、距離が短いせいか、ロシアほど速くなかったです。
乗り換えの構造(例えば、ホーム中程の階段を上がったり下りたりすることが多いこと)や、乗り換え駅が路線ごとに駅名が変わるまぎらわしい点は、ロシアの地下鉄のシステムと同じでした。
改札では、窓口で買ったおもちゃみたいなコインを機械に入れるところは、コーカサス3ヶ国やウクライナの地下鉄を思い出しました。

※タシケントでも、グルジアのトビリシやアルメニアのエレヴァンでも、こんなコインを使いました。色違いなだけです。
キエフの地下鉄のおもちゃみたいなコイン
上のリンク先の写真は、こちらの旅行記の一部です。
「2009年ウクライナ旅行第3日目(1)キエフ:地下鉄に乗ってかつての下町ポディル地区へ」

他に、ティムール博物館では撮影代を払って写真を撮りまくってしまいました。
本当はロビーまでしか撮ってはいけなくて、展示物は対象外らしかったのですが、だって他の館員さんの目の前でカメラを構えていても注意されなかったから、知らなかったんだもん!
国立歴史博物館でも写真を撮りたいものがたくさんあったのですが、残念ながらここは、相当高い撮影代を払っても10枚までと枚数制限されていたので、撮影はあきらめました。

他に撮影枚数を稼いだのは、オペラを鑑賞したトゥルキストン劇場のおかげでしょう。
劇場のロビーとか売店とか、トイレも撮ってしまいました@
日本の劇場と違って、上演中でなければ、客席の写真を撮っても大丈夫です。
また、アンコールでは撮影していいらしいです。
ただし、これがバレエだったら何度もアンコールがあって撮影チャンスがあったのですが、オペラだとアンコールは1~2回しかしないので、アンコールの写真でまともに撮れたのは残念ながら1枚だけでした。

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テンションを上げるために、どうってことのない街並みでも写真を撮りまくり


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ティムール博物館で、中央アジアの歴史を示す展示物に好奇心を刺激される


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ティムール博物館でティムールの顔を覚えたね!


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ナヴォイ劇場ではなかったけど、旧ソ連らしい豪華さが十分にあったトゥルキストン劇場

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2011/09/18日【361枚】ブハラ観光

これぞ久しぶりのイスラム圏の威力!
日干しレンガの土色の街並みと青いタイルが美しい歴史建造物。
そして、お土産を買うならブハラで!と思っていたくらい、たくさんたくさんのお土産屋さんの魅力的な民芸品。
被写体はもう、そこらじゅうに転がっていました@
イスラムの歴史建造物はそのまますっきりとファィンダーの中に収まらないですし、収めてしまったら納めてしまったで、細部の魅力は写真ではわかりにくくなりますから、全体の写真と一部だけ切り取った写真というように、一つの被写体で何度もシャッターを切りました。
また、宿泊ホテルは、旧市街の観光客がよく歩く中心の通りから少しだけ外れていたのですが、そのために通らざるを得なかったなにげない路地の写真にも萌えました。
日没が6時半だったので、その頃から夕食を食べ始めたものだから、帰りすっかり真っ暗になってしまっていたのですが、おかげでちょっとだけ夜景撮影もできました。
そんなにたくさんの夜景写真が撮れたわけではないのですが。
ただ、面白いことに、青タイルの建物を照らすのは緑のライトアップなんですね。
昼間は青くて、夜は緑の旧市街でした。

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昔のメドレセがそのまんま活かされたホテル・コミルのロビー


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お土産を買うのにいいと言われたブハラでは、お土産の写真も撮りまくり@


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マゴキ・マッタリ・モスク内部の絨毯博物館は、お土産屋さんとの区別が難しかった!?


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美しいメドレセはいろんなアングルで撮りまくり@


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細部のタイルにも注目!


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旧ソ連の給水塔の向こうに夕日が沈む

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2011/09/19月【355枚】午前中ブハラ観光後、事前手配の車で午後シャフリサーブス経由サマルカンドへ

この日は写真の対象が大きく3つに分かれます。
午前中のブハラ、それからドライブ中の車窓の外、そして途中で寄ったシャフリサーブス。

前日にブハラの旧市街内はだいたい回ったので、この日の午前中は、旧市街からちょっとはずれたところにある歴史建造物を回りました。
同じように建物の写真を撮ったり、その一部の写真を撮ったり。

ブハラからサマルカンドへのドライブでは、初っ端から車が、道路を渡る羊の大群に遮られて、しばらく立ち往生。面白くなってしまった私は、窓からカメラを構えました。
コーカサスではそういうシーンを期待していましたが、ウズベキスタンでも見られることを、なぜか失念していましたね。
やはり砂漠地帯が多いせいか、道路沿いに見られる家畜の姿は、コーカサスの方が多かったですが、ウズベキスタンでも思ったより見られました。ウシ、ウマ、ヒツジ、ロバ、それからラクダもちょっとだけ。
車窓の外は、砂漠ばかりが続くと思いきや、意外に緑の畑が多かったです。
道路沿いの並木も、思ったより豊かでした。
ウズベキスタンの主要産業である綿花畑も、当然、たくさん見られました。
ちょうど綿がはじけた収穫頃なのか、畑は雪が降り始めたようにぽつぽつと白く染まっていました。かつてイスラエルを旅行したときに目にして感激したことを思い出しました。
あいにく走っている車の中からでは、前景の綿花畑の綿は、白い長円形の塊にしか撮れなかったですけど。

車窓の外の景色では、シャフリサーブスからサマルカンドへの、いかにも私の中のシルクロードのステレオタイプな砂漠と、タフタカラチャ峠のすばらしい眺めと、巨岩ごろごろの山道、これらの写真が撮れなかったのは非常に残念でした。
でも、すでに日が落ちていて暗くなり初めていたので、走っている車からでは手ぶれして撮れませんでしたし、すっかり暗くなる前に峠を越えていないと、のんきな私でもさすがに危険だろうと思ったので、運転はドライバー任せといっても、脳天気にカメラを構えていられませんでした。

その代わり、シャフリサーブスではゆっくり滞在できました。
滞在は一時間の予定でしたが、なにしろ客は私一人ぽっち。
私が撮り終えるまでドライバーが待っていてくれたりしたので、合計2時間くらいは滞在していました。
イバク・イユーリ通りに集中している見どころは、だいたい一通り回れて写真を撮ることができました。

また、この日は子供の写真をたくさん撮ることができました。
ウズベキスタンの人々は大人も子供も喜んで写真を撮らせてくれるのですが、いくらなんでもその気のある人々に出会わなければ撮るチャンスはありません。
ブハラでは、午前の観光を切り上げた昼過ぎは、ちょうど子供たちが、おそらくお昼ご飯を自宅で食べるためか、あちこちで帰宅途中でした。
そしてシャフリサーブスでは夕方だったので、一日の学校を終えて、家に帰る途中や、歴史建造物のそばの公園で遊んでいた子供たちがたくさんいました。
私が歩いていたところは他にも外国人観光客がたくさんいたので、子供の写真を撮っているグループに便乗して撮ったこともあれば、それに勇気を得て、私に興味を示した子供たちに、自分から声をかけたときもありました。

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ホテルで前日に買ったお土産の写真を撮っておく


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ホテル・コミルの朝食レストランの部屋にも大感激!


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美しい細部に注目しまくりなので、撮影枚数がどんどん増える───バラハウズ・モスクにて


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野花を見る機会は少なかったけれど、町中のあちこちで花壇の花がきれいだったウズベキスタン


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小学校はお昼までなのか、ランチは家でとるのか、平日の昼頃でも町中で家に帰る子供たちとたくさん出会えました@


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車をチャーターして悠々座っていられたので、車窓の外の撮影にも当然チャレンジ!


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シャフリサーブスでは当初予定の1時間よりも長く滞在して、見どころを大急ぎでほぼ制覇

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2011/09/20火【396枚】サマルカンド観光1日目

あと4枚で400枚!
全体の感想で、一番気に入ったのはブハラの方だと書きましたが、なんだかんだ言って一番撮影に萌えたのはサマルカンドでした@
同じところでしつこくしつこく撮った自覚はあります。
全体の写真などは、誰が撮っても、カメラのスペックが同じならだいたい似たようなかんじになりそうな気がして(そうでもないことは知っていますけど)、部分を切り取って撮ることこそ、個性が出るかも! と思ってしまったものですから。
同じ場所で広角・望遠とカメラを調整したり、被写体をファインダーで切り取る範囲を少しでも変えれば違う印象の写真になりますから、それが面白くて、おのずと撮影枚数が増えていきます。

ただ、この日は、特にレギスタン広場を見学していた午前中は、時々曇ってしまいました。
ドラマチックな雲が空に展開していたのですが、空を流れる雲が厚い部分では、日差しが遮られたのです。
なので、曇りでもしょうがないと思って撮った写真を、やっぱり晴れている方がいいや、と思って撮り直したりなどもしました。
曇りと晴れの時と両方の写真があってもいいかとも思わなくもなかったのですが……曇天だとブルーがちょっと暗く薄汚れて見えたので。
好みの美しいブルーの方で撮れるのならそれにこしたことはなく、両方の色合いの写真を保存しておく必要は感じなかったから。

また、この日は、サマルカンドが初日でもあり、新市街までと、思ったより広範囲に歩き回ることができたので。
さすがにタシケントで旧ソ連の「どうってことのない街並み」撮影に励んだあとでは、サマルカンドの新市街では撮影テンションは落ちました。
それでも、きれいに整備された公園の建物などは、涼しげなパステルカラーで、旧ソ連よりは帝政ロシア時代を思わせましたから、だんだんとテンションが上がってきましたっけ。

さらに、この日は、郷土博物館でも展示物の撮影がOKでしたので、その分も撮影枚数が増えました。
中央アジアの文化にはあまり詳しくないのですが、あまり詳しくなくてもそのまんま楽しめる民芸品などの展示も多かったので。

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2時間も過ごしたレギスタン広場では、ドラマチックな空模様に狂喜@


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お安くない賄賂を払って2階とモスクに上ったウルグベク・メドレセ


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ティラカリ・メドレセの展示で昔の写真と今を比べる


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アイニーなる文学者の博物館は意外に面白くて充実できた@


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新市街はますますロシアな街並み


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郷土博物館のユダヤ物品の展示にも舌鼓を打つ


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市バスに乗ったら運転手のお隣の絨毯席に座らせてもらえた@


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ホテルがレギスタン広場に近いので日没も見られた@

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2011/09/21水【356枚】サマルカンド観光2日目

サマルカンド2日目ともなれば、ホテルを出てすぐのところから撮影!───なんてことは、さすがになくなります。
前日で思いっきり撮影しまくったレギスタン広場の写真も減ります。ゼロでないところはミソ!?

本当はサマルカンド市の歴史博物館(アフラシャブ博物館)にも行きたかったです。
そうすれば、撮影代を払って展示物の写真も撮って、きっと400枚近くになったに違いありません。
でも、少しゆっくりしすぎたため───朝もさほど早くから観光を開始しなかったし、バザールで焼きたてのサマルカンド・ナンを買ったあと、いったんトイレとランチ休憩にホテルに戻って1時間半くらい休んでしまったりしました───アフラシャブまで行く時間はなくなってしまいました。

でも、シャーヒズィンダ廟群では、入った霊廟の建物一つ一つの正面と内部を撮ったりして、我ながらしつく迫りました@
だからシャーヒズィンダ廟群で2時間も過ごしてしまいました。
修復が進んできれいになったシャーヒズィンダの青タイルの世界の中で私が思い出していたのは、なぜか、ベルリンのペルガモン博物館に復元されている、古代バビロニアの巨大なイシュタル門だったりしました。
あの青タイルを連想したのです。

昼時に散策したバザールでも、思ったより写真を撮りました。
積み上がった農作物の見事だったこと!
特にトマトやスイカなどの色とりどりの野菜果物の迫力といったら!
サマルカンド・ナンを買ってそれを昼食にしようと思ったとき、焼きたてのナンはとても美味しかったけれど、さすがに途中で飽きてしまうかもしれないと思い、バザールの中のスーパーに入って、ハチミツを買い求めました。
そのときに、スーパーに陳列されている商品の写真も撮りました。
いやはや、お店に陳列された商品というものは、同じものが並んでいて、パターンの美がありますから。

サマルカンド2日目は初日に比べて体力が残っていたので、レギスタン広場のライトアップの撮影もトライしました。
残念ながらレギスタン広場のライトアップはだいぶささやかでしたけど。
きっとビビハニム・モスクやグリ・アミールのライトアップの方がずっと見応えあったろうと思います。
さらに、音楽とライトのショーが夜9時にあると知って、レギスタン広場まで滞在ホテルが徒歩10分程度、という好ロケーションを活かして見に行ったのですが……ショーはしょぼかったです。
ライトアップ自体も、かなりしょぼかったです(泣)。
あれで10ドルもとるなんて……(怒)。


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ビビハニム・モスクのドームを横から見たところ


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撮影アングルの工夫の余地がいっぱい!───というか、まともに全部撮れないがゆえの苦肉の策@


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巡礼者の祈りにちょっとだけ参加したビビハニム廟にて


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バザールではこんもり積みあげられた商品にワクワクする


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ホテルに戻る途中の旧市街の路地


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シャーヒズィンダ廟群では、前回のアルメニア旅行に続き、またまた羊を屠る場面に遭遇!

こちらのフォートラベル旅行記に、アルメニア旅行で遭遇した羊を屠る場面の写真があります。
「2011年コーカサス3カ国旅行ハイライトその9:動物編──牧畜の国らしいコーカサス」

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うっとりするような青の、死者の街シャーヒズィンダ廟群


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旅行人シリーズのガイドブック「シルクロード」によると、どうやら以前より修復が進んだらしいシャーヒズィンダ廟群


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眺望を求め、ハズラティ・ヒズル・モスクのさほど高くないミナレットでも上ってみた@


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軽く夕食をとったアート・カフェに展示されていた絵の一枚

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2011/09/22木【60枚】サマルカンドからタシケントへ&出国

この日はまともに写真が撮れたのは、日の出を見に行ったレギスタン広場だけです。
タシケントに移動する特急列車はシャーク号で11時台発車でしたから、朝、散策する余裕がありました。
日の出が6時なので、5時40分くらいから、太陽がすっかり顔を出す6時半くらいまでぶらぶらしました。
残念ながら、レギスタン広場の日の出はさほど劇的ではなかったのですが───どうりで見学者が私しかいなかったわけです! すばらしいご来光が見られるとしたら、もっと人気の日の出スポットになっていたでしょうから───ゆっくりと朝日に染まっていく静かな光景が見られ、写真を撮ることができました。

あとは、鉄道駅でも空港でも、ウズベキスタンでは撮影禁止ですので、鉄道と飛行機での移動の最中は撮影チャンスがありませんでした。
もっとも鉄道の車両自体は撮ってもよいそうです。
一等車両の中の写真も撮りました。

タシケントでは、結果として夕食を食べるために町中に出ただけとなりました。
初日に乗り遅れたことに懲りて、早めに空港に行くつもりでしたが、いくらなんでも21時のフライトに、15時に空港に向かう気にはなりせんでした。
だいたい空港には、楽しめるものがほとんどないことは知っていたので(初日にウルゲンチ行きのフライトに乗り損ねたとき、国内線・国際線のターミナルをともにうろつきましたから)。
タシケントに少しだけ残る旧市街まで、トラムで街を眺めながら行こうと思ったのですが、目当てのトラムは見つかりませんでした。30分の時間のロス。
そして「地球の歩き方」に一見の価値あり、というレストランがあったので、そこに向かったのですが……道を間違えてしまい、30~40分の時間のロス。
鉄道駅からレストランの最寄りに地下鉄で真っすぐ向かっても、30分はかかりました。
というわけで、最終日のタシケント観光は、夕食を食べることしかできませんでした(苦笑)。
ただ、そのときに食べた焼きたてのシャシリクがチョー美味しかったので、町中へ夕食に出た甲斐はありました。

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レギスタン広場……ではなく隣の公園で見られた日の出


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朝日を受けた、レギスタン広場のティラカリ・メドレセのドーム

写真分析おわり。

2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)

2011年のシルバーウィークを利用した9月16日(金)から9月23日(金)のウズベキスタン旅行の詳細旅程───見てきたスポット等───はこうなりました。

2011/09/16金 成田発タシケント経由-国内線でウルゲンチに飛ぶはずが国際線の遅延で乗り遅れ
(空港から、手配をしてくれた日本の代理店の緊急連絡先に連絡し、代わりのホテルと送迎を手配)
【タシケント泊:ホテル・ラデュス JSS(RADUSS JSS)】
※本来の予定なら、ヒヴァで、メドレセを改築した旧市街の内壁内のオリエント・スター・ホテルに泊まるはずでした(泣)。

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雲がドラマチックな晴天の空と、成田空港のライトのシルエット


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飛び立つ飛行機を撮影

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2011/09/17土 ヒヴァ観光の代わりにタシケント観光
~ホテル前からショッタ・ルスタヴェリ通り~シャフリサーブス通り~地下鉄でティムール広場最寄りのユーヌス・ラジャビイ駅へ(タシケントのどうってことない郊外の撮影散策)~
・ティムール広場散策
・ティムール博物館見学
~サユルガーフ通り(タシケントのブロードウエイ通り)~
・ナヴォイ記念オペラ・バレエ劇場前を散策──オペラのチケットを購入&新婚さん2カップルで目の保養!?
・国立歴史博物館見学
・トゥルキスタン(Turkistan)劇場でオペラ「蝶々夫人」鑑賞
・夜の独立広場を散策
【タシケント泊:ラデュス JSS(RADUSS JSS)】

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ティムール広場のティムール像と巨大なホテル・ウズベキスタン


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タシケントのブロードウエイ通りであるサユルガーフ通りの路上絵画市


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7月のアゼルバイジャン旅行でそのおいしさに目覚めたバクラバでティータイム


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オペラ鑑賞後の夜の独立広場

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2011/09/18日 ブハラ観光
~朝の国内線でブハラへ~
・タキ・サラフォンを経由してラビハウズへ
・ナディール・ディヴァン・ハナカでスザニ(伝統刺繍)の買い物
・ナディール・ディヴァン・ペギ・メドレセで民芸品の買い物
・クカリダシュ・メドレセで民芸品の買い物
・ラビハウズのレストランでチャイハナ風のテーブルでランチ
~ホテルにチェックイン&休憩~
・ウズベキスタン・ワインのテイスティング(8種類)(有料)
・ブハラ最古のマゴキ・マッタリ・モスク見学(絨毯博物館)(有料)
~タキ・テルパクフルジャンを経由~
・ウルグベク・メドレセ見学(無料)&買い物
・アブドゥールアジス・ハン・メドレセ見学(有料)
~タキ・ザルガロンを経由~
・ミル・アラブ・メドレセ(現役なので窓から中庭を見ただけで中には入れてもらえず)
・カラーン・ミナレット(外観のみ)
・カラーン・モスク見学(有料)
~フッジャ・フラパット通りで露店を見学しながら~
・アルク城(有料)見学と旧市街の見晴らし&レギスタン広場へ
・ラビハウズまでの帰り道で夜のライトアップ見学
【ブハラ泊:ホテル・コミル(Hotel Komil)】

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ナディール・ディヴァン・ハナカのお土産屋さんで見つけたかわいい羊たち


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日干しれんがが落ち着いた色合いの、タキ・テルパクフルジャン
※タキとは、昔の屋根付きのバザールのことです。


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はじめは寄るつもりはなかったけど、せっかくなので試してみた、ウズベキスタン・ワイン・テイスティング


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カラーン・ミナレットとカラーン・モスク


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夕焼けを受けてバラ色に染まった、カラーン・モスクのドーム

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2011/09/19月 午前中ブハラ観光後、事前手配の車で午後シャフリサーブス経由でサマルカンドへ
<ブハラ>
・ミル・アラブ・メドレセをもう一回見学(中庭の手前まで)
~レギスタン広場よりも西へ~
・バラハウズ・モスク見学(団体客がいたおかげか内部も見学)
・アヴドゥラ・ハン・メドレセと屋上を見学(有料)
・モダリ・ハン・メドレセ見学(無料)
・イスチロハット公園
・イスマイール・サーマーニ廟見学(有料)
・チャシマ・アイユブ廟見学(内部は水の博物館で有料)

<シャフリサーブス>
・ティムール像のある公園とアク・サライ宮殿跡
~イバク・イユーリ通り沿いの見どころを散策~
・カバ・キャラバンサライをさっと見学
・チャールスゥ・モスク(外観のみ)
・バザールをさっと見学
・ドルッティロヴァット建築群(有料)
  コク・グムバズ・モスク(外観のみ)
  グンバズィ・サイーダン廟
  シャイスッディン・クラル廟
・ドルッサオダット建築群(無料)
  モスクでは祈りの最中

~タフタカラチャ峠を越えてサマルカンドへ~
【サマルカンド泊:ホテル・アジア】

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美しい柱が特徴的なバラハウズ・モスク


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日干しレンガの組み合わせの壁が美しいイスマイール・サーマーニ廟


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コスモスの向こうのチャシマ・アイユブ廟


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ブハラからサマルカンドへ向かう車窓の外では、雪が積もりかけたような綿花畑


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シャフリサーブスの、とにかく巨大なアク・サライ宮殿跡と、真ん中にちっちゃく写っている、本当は大きなティムール像のシルエット


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ドルッサオダット建築群の中のモスクでは、男たちがメッカの方角に向かって祈りの最中

─────────
2011/09/20火 サマルカンド観光1日目
・コシュハウズ・モスク見学
・レギスタン広場(有料)約2時間
  ウルグベク・メドレセ:ミナレットからの眺望&冬のモスク見学
  ティラカリ・メドレセ:黄金のミフラブと昔の写真など
  シェルドル・メドレセ
・チャイハナ風レストランのラビ・ゴールでランチ
・アイニー博物館(ブハラ生まれのタジク人文学者の家)見学(有料)
・アミール・ティムール廟見学(有料)
・ルハバット廟(有料)&中庭の工房2ヶ所見学
~新市街のウニヴェルスイチェッティ大通り~ナヴォイ通り~
・郷土史博物館(有料)
~バスでレギスタン広場に戻る~
・レストラン・レギスタンで、天蓋テント風の座敷席で夕食
・レギスタン広場の夜景
【サマルカンド泊:ホテル・アジア】

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抜けるような青い空……ではなく、ドラマチックな空模様のレギスタン広場


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金箔の装飾が美しい、ティラカリ・メドレセのモスクのミフラブと説教台


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正面玄関アーチをくぐってシェルドル・メドレセへ


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片言のロシア語と英語まじりのゆっくりした解説のおかげで充実できたアイニー博物館見学
※サドリディン・アイニー。ブハラ生まれのタジク人文学者。


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巨大で美しいアミール・ティムール廟


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新市街まで足を伸ばして、ユダヤ人豪商の家がそのまま保存された郷土史博物館へ

─────────
2011/09/21水 サマルカンド観光2日目
・ビビハニム・モスク見学(有料)
・ビビハニム廟見学(有料)
・ショブ・バザールで買い物
~ホテルで焼き立てサマルカンド・ナンを食べながら休憩~
・シャーヒズィンダ廟群(有料)約2時間
・墓地散策
・ハズラティ・ヒズル・モスク見学&ミナレットからの眺望(有料)
・アート・カフェで夕食
・レギスタン広場の夜景撮影
・かなりしょぼかった、レギスタン広場の音楽とライトのショー見学
【サマルカンド泊:ホテル・アジア】

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あまりに巨大でビビった、ビビハニム・モスク


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地下廟で巡礼の人たちのお祈りに混ざった、ビビハニム廟


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予想以上に盛況だったショブ・バザールで楽しく買い物&撮影散策


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こちらこそ青タイルにどっぷり浸れた死者の世界──シャーヒズィンダ廟群


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旧市街のビビハニム・モスクやバザール近辺を見渡すことができるハズラティ・ヒズル・モスク


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レギスタン広場の、しょぼかったショーの最中のライトアップ

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2011/09/22木 サマルカンドからタシケントへ&出国
・レギスタン広場で日の出を鑑賞
~急行列車シャーク号途中乗車でタシケントへ~

<タシケント>
~地下鉄でアミール駅へ&道に迷って30分以上のロス~カフェ・ミナールでおいしいシャシュリクにありつく

タシケント出国

2011/09/23金 成田着
(おまけ:昼に上野で甥っ子姪っ子らと待ち合わせて上野動物園へ)
※本当の目当ては国立科学博物館の「恐竜博2011」でしたが、入口前の長蛇の列に恐れをなして断念。

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朝焼けの下のレギスタン広場


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タシケントに向かう特急列車シャーク号にブハラから途中乗車


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タシケントで乗ろうと思っていたけど目当ての車両の停留所が見つからなくてあきらめたトラム

詳細旅程おわり。

とんだアクシデントもあった、ウズベキスタン旅行!───ウズベキスタン旅行全体の感想(写真付)

2011年度の2回目の海外旅行の今回のウズベキスタン旅行。
結論でいえば、8割成功したといえます。
失敗だった残りの2割は、私の30回近い海外旅行歴の中で今までにない最大のアクシデントがあったためです。
初日の国内線の乗り継ぎに遅れ、飛行機に乗れなかったのです(号泣)。
そのせいで、ヒヴァに行けませんでした(号泣)。

私の今回のウズベキスタンでの訪問先は、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンド&ちょっとだけシャフリサーブスとタシケントという、ウズベキスタン旅行としては王道コースでした。
タシケントを除き、どれも世界遺産のある町であり、要するにウズベキスタンの世界遺産を網羅していました。
この中で日本人に一番人気があるのは、ヒヴァです。
私は行き損ねてしまいましたが、きっと私もヒヴァが一番気に入ったろうと、今回の旅行を終えて、そう予測がつきました。
その理由は後述します。

今回の私の旅程では、初日の9月16日(金)に、成田発のウズベキスタン航空直行便でタシケントに向かった後、同じウズベキスタン航空の国内線でウルゲンチに飛ぶ予定でした。
ウルゲンチというのが、ヒヴァに一番近い空港がある町です。
ウルゲンチからヒヴァまでは車で1時間はかからないのですが、夜遅く到着するので、日本の代理店を通じて送迎を手配していました。
そして世界遺産である旧市街(イチャン・カラ)の昔のメドレセ(イスラムの神学校)を改築したホテルに泊まり、翌日の夕方にウズベキスタン航空国内線でタシケントに戻るまで、古代のホラズム王国の古都にタイムスリップした気分が味わえるはずでした。
国際線と国内線の乗り継ぎは3時間半ほどありました。

ところが、ウズベキスタン航空は、成田では国内線のチェックインまでできないんです。
タシケントの空港で入国審査と税関を通り、荷物を受け取った後、隣にある国内線の建物へ行き、改めてチェックインするシステムでした。
いや、そのこと自体は知っていました。覚悟していました。
そして空港での手続きがとても手際が悪く、時間がかかることも知っていました。
だから、入国審査や税関でも、行列の後ろになってしまうと、非常に時間がかかるとアドバイスを受けていたので、ダッシュで向かおうと息巻いていました。
とはいえ、行列の後ろになったとしても、長くて1時間くらいらしいので、間に合わないこともなかったのです。
───成田発のフライトが、ちゃんと定刻に出発していれば(涙)。

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写真のとおり、私の16日発のフライトは、私が成田空港に到着した段階で、50分遅れでした。
結果的には、1時間半遅れました。
飛行中に、フライト・アテンダントに相談したら、1時間半あるから十分に間に合うと言われました。
空港に着いたら、係員に助けてもらえば良いと。

でも、空港で何人かの係員に相談しましたが、全く当てになりませんでした。
そして噂どおり、係員の手際は悪くて、入国手続きを終えるまで非常に時間がかかりました。
そもそもフライトが1時間半、遅れた上に、飛行機から空港の建物への送迎バスは、トルコなどへ入国しないで乗り継ぐ客用と入国者用の2台あったのですが、乗客のふりわけに時間がかかりました。
(ふりわけていた係員にウルゲンチに行く予定なんだと訴えたら(だから急いでるのと言いたかった……)、トルコ行きの乗り継ぎ用のバスに案内されたりしたし~(怒))
入国審査のところまで走って行って、一番に並びましたが、ブースから出ていてお休みしていたらしい入国審査官たちは全員、自分でパソコンかアプリケーションを立ち上げることができなかったらしく、別の人を呼んでいました。
もたもたした入国審査が終わった段階で、実は、国内線の出発の45分前になっていました(泣)。
そのあと、荷物が出てくるまで30分以上かかりました。
半分だけ先に出てきましたが、残りがなかなか出てきませんでした。
成田発の直行便なので日本人が多く、待っていた他の日本人の中には、ロスト・バゲージではないかと心配していました。
混むと言われた税関は、荷物を待っている間にすっかり空きました。
やっと出てきた荷物を持ち、比較的手早くやってもらった(ような気がする)税関をすませて国内線のカウンターに駆けつけたときは、予定のフライトの出航時間になっていました。
カウンターは閉まっていましたし、近くの係員に、国際線の便が遅れたせいなんだと抗議しても、eチケットの控えを見て、「どこに遅延の証明がある?」ですもん。
国際線の税関の前で何人かの係員に訴えて、その係員はどこかに電話していましたが、あれはなんだったのか(怒)。

他のエアラインのように、成田で国内線のチェックインもできていたら、国際線の遅れの連絡も届いていて、国内線は待っていてくれたろうと思います。
ウズベキスタン航空は私にとって久しぶりにリコンファームが必要なフライトでしたが、国際線のリコンファームはタシケントの国内線のカウンターではできないと言われたくらいなので、同じウズベキスタン航空でも国内線と国際線は全然連絡がつかないのでしょう。

飛行機に置いていかれたと知ったとき、頭が真っ白になりました。
今までこんな大きなアクシデントに遭ったことはありませんでした。

ただ、幸い、泣きつく先があったので、手配をしてくれた旅行代理店に携帯で電話をして相談しました。
緊急連絡先の人が確認のために折り返して電話してくるのを待っている間に、ふと、明日の早朝にもウルゲンチ行きの国内線があるのを思い出しました。

実は、旅程を立てるにあたって、代理店の担当者さんは、ヒヴァ行きの方法について、2つ案を出してくれました。
もう一案が、初日にウルゲンチまで飛ばず、タシケントに泊まり、タシケントのホテルに荷物を置いたまま、翌朝、ウルゲンチに飛んで夕方の便で帰ってくるというやつでした。
でも私は、空港を2往復するのは合理的でないと思ったし、ヒヴァに泊まり、早朝から古都散策をしたいと思ってしまったんです。
どうやらウズベキスタンでは、そういう合理性を追求してはいけないと、ひしひしと身にしみました。

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帰国便は定刻どころか20分ほど早く成田に到着したウズベキスタン航空。
往路便が成田に到着したのは、ほぼ予定の出発時間でした(涙)。

話を戻すと、この却下した別案のことを思い出したので、国内線のカウンターに戻り、その場で翌朝のウルゲンチ行きのフライトをとろうと思いつきました。
でも残念ながら、ウルゲンチ行きのフライトは2~3日先まで満席と言われてしまいました。
ヒヴァは日本人に限らず、ウズベキスタンを訪れる旅行者には大人気なのでしょう。しかも、猛暑がやっとおさまり、旅行シーズンが始まったばかりといえる9月。
翌々日の朝にブハラに飛ぶために空港に行ったとき、早朝にはウルゲンチ行きが3本もあって、国内線のカウンター前はウルゲンチ行きの団体客がぞろぞろでした。
ブハラで会った日本人一人旅の女の子も、予定を立てるのが少し遅かったため、ウルゲンチ行きのフライトはとれなかったといっていました。

ヒヴァには行けない。どうあっても、今の私には、もう行けない。
なので、自分のために、すぐに頭を切り替えることにしました。
不運をのろっていても、不幸になるだけですから。

幸い、翌日にはタシケントに戻ってくるという旅程だったので、明日の予定だけは大幅に変わってしまうけれど、あさってからのブハラとサマルカンドがダメになったわけではありません。
なので、ヒヴァの代わりにタシケント観光をすることにしました。
代理店の緊急連絡先の人にそう相談し、翌日にヒヴァから戻ってきて泊まるはずだった同じタシケントのホテルに1日前に余分に泊まれるように手配してもらい、空港からホテルまでの送迎もお願いしました。
それを待っている間、国際線のオフィスで帰りの国際線のリコンファームもすませておきました。

その代案のタシケント観光自体は成功したといえます。
実は今回の旅程ではタシケントを観光する時間はほとんどありませんでした。
タシケントは他の都市に比べて見どころはほとんどないと言われていましたが、かといって1日も観光できないのは残念に思っていたところでした。

ヒヴァの代わりのタシケント観光中、さすがに時々、テンションが下がったり、ヒヴァを思って哀しくなったりしたけれど……でも、ぜひ行きたいと思っていた国立歴史博物館、それからティムール博物館を見学できました。
そして、ナヴォイ劇場ではなかったけれど、トゥルキストン劇場でオペラ鑑賞ができました。日本で鑑賞するのに比べると超おどろくお安い価格で。
どれもタシケントという都会でなければできない楽しみを十分に味わうことができました。

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ジンギスカンが中央アジアを破壊しまくった後、サマルカンドをはじめ各地をよみがえらせたティムール帝国を扱ったティムール博物館


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ティムール博物館の一見の価値ありの豪華なロビー


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吹き抜けになっていたロビーの周りの一階と二階が展示スペース


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タシケントでぜひ見学したいと思っていた国立歴史博物館


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博物館の前で、クラスで見学に来ていた子供たち


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ナヴォイ劇場の切符売り場でオペラのチケットを買ったら、会場はこのトゥルキストン劇場でした@


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タシケントで観劇したオペラ「蝶々夫人」は、日本人の目から見たおかしな日本の衣装と舞台装置も楽しかった@

そして、噂に聞くとおり、ウズベキスタン人は、タシケントでもひとなつっこくてびっくりしました。
大人からも子供からも、写真を撮ってとせがまれました。
こちらがお願いしたいくらいだったのに、撮ってくれてありがとうとお礼まで言われてしまい、またびっくりです。
旅先で現地の人々の写真を撮りたくても、シャイでなかなかそういう交流ができない私にとって、向こうからチャンスが舞い込みまくりでした。

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ティムール博物館前で


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ナヴォイ劇場前で記念撮影していた新婚さんたち


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独立公園前で撮ったイケメン兄ちゃんたちは逆光でうまく撮れてなくて残念!

2006年にデジカメを手にしてから、私の旅先の最大の楽しみは写真になったといえますが、タシケント観光では、自らのテンションを上げるために、今の私にとってはあまり珍しくなくなった旧ソ連の町並みでも撮りまくったりしました。
おかげで、タシケントでの1日の撮影枚数は293枚!
7月のコーカサス旅行でさえ、空路移動のみの初日と観光は午前のみの最終日を除いた撮影枚数の一日の平均は200枚だったのに。
あのときの初日の、久しぶりのイスラムな町並みに狂喜したバクーで初めて、一日の撮影枚数が300枚を突破したくらいなのに(330枚でした)。

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タシケントのホテルは中心部に行くまで歩いて15分くらいかかる地下鉄駅を利用する必要があったので、そこに行くまでにこういうなんでもない町並み撮影で自らのテンションを上げました。

タシケント観光に振り替えたのが、初日でテンションが上がりやすかった日で、幸いしました。
これが旅の中ばだったら、こうはいかなかったと思います。

そして残りの旅程のブハラ、サマルカンド、そしてブハラからサマルカンドの間で車を手配しておいたおかげで寄ることができたシャフリサーブスは順調に観光できました。
やっぱり行く先々で、特に子供たちが可愛くて、写真を撮らせてもらったし、好奇心いっぱいに声をかけてくれるホスピタリティのあるウズベキスタンの人々に、ヒヴァを観光できなかった分は十分に挽回できました。

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ブハラのラビハウズ前にて

でもやはり、ヒヴァを思うたびに、当分哀しい思いをしそうです。
どこが一番良かった?
とウズベキスタン人にも聞かれたし、きっとウズベキスタンを知る日本人にも聞かれるでしょう。
ヒヴァが一番気に入る日本人が多いのは、容易に想像できるようになりました。
タシケントの楽しみは都会だから、旅行者がウズベキスタンに求めるシルクロードの香りとはほど遠く、むしろロシア的なので外すとして、シャフリサーブスは1時間の寄り道でゆっくりできなかったのでこれも外すとして、残りはブハラとサマルカンドです。
サマルカンドは有名なレギスタン広場もそうですが、超すばらしい歴史建造物は、ソ連的な広々と整備された町中に点在していました。
それに対してブハラでは、旧市街はどこもかしこも昔の雰囲気の町並みのまま。
コンパクトで回りやすいのもいいです。
ただ、歴史建造物であるメドレセのほとんどは、いまはお土産屋と化していて、場所によっては客引きのせいで落ち着けませんでした。
歴史建造物は博物館になっている方が好みです。
お土産屋になっていると、興ざめしてしまいます。土産を買うこと自体は楽しいし、楽しみにしていたんですけどね。

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ブハラでかの有名な(!?)ナディール・ディワン・ペギ・メドレセ
※イスラムのメドレセ(神学校)なのに、正門にイスラム教で禁じられている偶像が描かれているため。


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中はレストランとお土産屋さん

ヒヴァは、7月に旅行したアゼルバイジャンのバクーの旧市街のようなかんじではないかと推測しています。
アゼルバイジャンの旧市街は、土色の落ち着いた町並みで、旧市街全体が博物館みたいなところでした。
ブハラはそうではなかったといわないけれど、見どころは美しい青タイルの建物が多かったです。
ヒヴァは、見どころも含めて、ほとんど土色の町並みらしいです。
日本人の好きな色彩感覚で、私も例にもれないと思います。
それに、ヒヴァには、見応えのある歴史建造物が博物館になっているところが多そうです。
だから、ヒヴァに行けたら、私も一番気に入ったろうと思います。
そのヒヴァに行けなかったので、今回の旅行先で一番良かったところはブハラといえます。

※アゼルバイジャンの旧市街の写真をアップしたフォートラベル旅行記は完成しています。
「2011年コーカサス3カ国旅行第2日目(1)バクー:朝の旧市街散策~久しぶりのイスラムの町にハイテンション!」
「2011年コーカサス3カ国旅行第2日目(2)バクー:午後の旧市街散策~時が止まったようなシルヴァン・シャー宮殿」

その次は、写真は撮れなかったけれど、いや、もしかしたら写真に撮れなかったからこそ、薄れゆくはかない記憶が頼りの場所───シャフリサーブスからサマルカンドへのドライブで見た、タフタカラチャ峠かもしれません。
いやぁ、すばらしかったです。
車窓の外を眺めながら、平山郁夫さんといった画家のサマルカンドやシルクロードをテーマにした絵そのものだと大感激@
この写真でなんとかその雰囲気が伝わるとよいのですが。
ここまではぎりぎり写真を撮れました。
この後は薄暗くなってしまったので、手ぶれしまくりで撮れませんでした。

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さらに、複雑な積み木のように恐ろしいバランスで積み重なっていた巨岩の山道にはびっくりしました。
ちょっとでも地震が起これば、雪崩のような土砂崩れ地獄!?
ウズベキスタンは地震が少ないらしいけれど(といっても歴史に残るような大地震が起きていないわけではないです)、山道を切り開いておきながら、よくぞこんな状態でほっておけるものだと、非常にスリリングでわくわくした(!?)ドライブでした。

中央アジアを旅行するのは初めてです。
ここ数年、東欧ばかり旅行していた私にとって、旧ソ連イコール東欧と思っていたところがあったので、人々の顔つきも町並みも風習も食べ物も服装も、アジアとイスラムの雰囲気がたっぷりなのに旧ソ連が混ざっているのが非常に不思議なかんじがしました。同時に面白かったです。

そして、トイレの汚さ、公務員の仕事の遅さ、列車や空港のシステムや手続きの古めかしくていかめしくてスマートでなくて手際が悪さは噂どおりでした。
でも、考えてみると、直前の7月のコーカサスもどっこいどっこいでした(苦笑)。

いや、町は一部しか見ていないけれど、実を言うと、まだまだ最近の東欧より、ウズベキスタンの方がずっときれいでした。
観光地がきれいに整備されていたのはどちらもそうですが、そういうところを離れると、家々は壁や塀の塗装がはげていたり、ゴミが落ちていたり、張り紙が何度も貼り重ねられてシミのようになった壁などは、東欧の方がずっとたくさん目にしました。
ウズベキスタンでは、思いっきり観光地ばかり訪れましたが、例えばサマルカンドなど、見どころから離れた鉄道駅周辺でも、ずっときれいでした。
アゼルバイジャンのバクーなどは、旧市街と駅周辺とでは、差がありました。

それはもしかしたら2011年のウズベキスタン独立20周年で町をきれいにしようとする動きがあったのと関係があるかもしれません。
あるいは、官僚がえらくて、大統領の独裁色の強い強権の国だからでしょうか。
いや、最近まで紛争が絶えず、いまも油断ならないコーカサスと比べるのが間違っていたのかも。

食べ物は、私にとって、東欧的なもの、トルコ的なもの、中国的なものがまざったかんじでした。
口にした料理の全部が美味しいと素直に感激できたわけではないけれど───できあいのセルフレストランや、ブハラでうっかりひっかかったぼったくりレストランでは美味しいと思えなかったので───ウズベキスタン最後のタシケントのそこらにありそうなお店で食べたシャシリクの、ジューシーで柔らかくて美味しかったこと!

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ウズベキスタンのパンであるナンも、特にバザールで買った焼きたてのあつあつのサマルカンド・ナンの、とても美味しかったこと!

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バザールではあまりにたくさんナン売り場があってどこで買うか迷ったのですが、一番人が群がっていた、このリヤカーでナンを積んできた女性から買いました@

体調の方は、行く前からひいてしまっていた風邪は、2日目までくらいは排気ガスがまだ腫れていた喉にしみてちょっとつらかったけれど、いつのまにか治っていました。
薬の眠くなる副作用のせいで、早起きしなくてはならない朝に起きられないと困ると思ったので、それまで飲んでいた風邪薬を旅先では飲むのをやめたのですが、もう治りかけていたので大丈夫でした。

心配していた下痢は、実は行く前からすでになっていたんですけど(苦笑)、医者の抗生剤がきいたのか、コーヒー狂の私がいっさいコーヒー断ちをしてコクチャイというお茶で我慢したおかげか、たまに食事を抜いたりして用心したおかげか、一進一退で、なんとかもたせることができました。
ひどい下痢をしてしまったけれど、観光中や長距離移動の最中におなかが痛くなったりなどの困る事態にはなりませんでした。

公衆トイレの恐ろしさは噂以上で、やっぱり二度と経験したくないと思いましたが……背に腹は代えられないからしょうがないのですが……半分以上は、観光地のど真ん中にとれたホテルのトイレや、博物館などのまだましなトルコ式トイレを借りることができました。

コーカサス旅行でぶりかえしてしまった腰痛も、通常の用心をしていただけで、全く心配ありませんでした。

旅行しにくいところは確かにあったけれど、人々が目が優しくて、町歩きなどでは居心地が良かったウズベキスタン。
ひとなつっこくて歓迎ムードたっぷりで、西欧人の町を歩いているときのような違和感が少なかったウズベキスタン。
幻となってしまったヒヴァをリベンジするためにも、今回、一人歩きをしたおかげで、旅行するにあたっていろいろ勝手が分かってきたこともあり、またぜひ行きたいです。

今回の旅行ではヒヴァ行きには失敗しましたが、前向きに考えられる点はあります。

まず、タシケント観光は、当初の予定では、最終日に2~3時間あるかないかでした。
タシケントは旧ソ連らしい、道一つとっても広々とした町なので、町歩きにとても時間がかります。
実際にその2~3時間では、道を間違えて時間のロスがあったせいもあるのですが、鉄道駅から町中にでて、美味しいシャシリクを食べることしかできませんでした。それも目当てと違うレストランで。

それから、実は、当初の予定どおりに先に一番人気のヒヴァを見ていたら、そのあとのブハラが少し色あせるのではないかと心配していまた。
でも実際は、タシケントの旧ソ連の町並みを見学した後でブハラ観光だったので、青いタイルのメドレセと土色のイスラムな町並みは、新鮮でわくわくできました。

それに、代わりの手配は代理店の緊急連絡先に連絡して手配してもらえて、私はただ、空港で回答を待っていただけで自分では電話で泣きついた以外に何もしていないのですが、今回のトラブルで、一つ、度胸はついたと思います。
旅先で飛行機に乗り遅れることは、この世の終わりのように思っていたときもあるのですが(苦笑)、それくらい、その気になれば挽回できるんだ、ってネ。
もちろん、乗り遅れたりしないにこしたことはないので、度胸がついたからといって、油断したりはしないつもりです。

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おまけの写真:夜明け前のサマルカンドのレギスタン広場
サマルカンドのホテルはレギスタン広場まで歩いて5分というところだったので、日の出が6時と聞いて、5時40分くらいに行ってみました。
期待していたような劇的な日の出ではなかったのですが、あたりが少しずつ明るくなって建物が太陽に日の光にゆっくりと包まれる様子を見ることができました。

以上、ウズベキスタン旅行の全体の感想でした。
いつものことですが、長文で失礼しました。

もうすぐウズベキスタン旅行!

私の今までの海外旅行にしては、初めての国だというのに、準備期間が短いくせに、気軽な気分で出かけようとしているウズベキスタン旅行ももう数日後に迫りました。
旅行の荷づくりは、出発前の週末にすることに決めているので、すでに九割がた終わっています。

しかし、やはり、出発日が近づくにつれ、そして早めの荷物パッキングがすむと、いろんな不安が頭をもたげてきます。
この時期が一番、楽しみにしていた旅行に対する不安が強まるときのようです。

心配内容は、残念ながら全くの杞憂とはいえません。クチコミなどを調べても実際に遭遇している人たちもいるからです。
むしろ、旅行が近づくにつれてクチコミをもっと熱心に調べるようになり、そういうトラブルもあるんだと知るようになったせいで、不安になったといえます。

もちろん、そういうトラブルが必ず起こるとは限らないし、遭わずにすんだ人もたくさんいると思います。
また、いくつか起こったとしても、すべてが自分にふりかかることはないはずです。
トラブルの可能性や体験談をチェックしていて心配になり、気をつけたおかげで回避できることもあると思います。
自分の努力で回避できないものもあります。だからこそ、余計に心配になるわけですが。

まず出発前の懸念。
台風で成田発のフライトの運行があやうくなる事態は、とりあえずなさそうでほっとしています。
自分自身については、体調。
七月のコーカサス旅行の最終日前夜にぶりかえしたひどい腰痛は、週末ごとの温泉、整体、湿布や軟膏のマッサージ、腰痛対策体操などなど、努力の甲斐があってか、一ヶ月半かけて、完治とは言わないけれど、コーカサス旅行前の状態まで戻りました。

ただ、荷物のパッキングをしていて疲れてしまったら、痛みました。幸い、一晩寝たら治りましたけど。
腰痛が心配だっていうのに、荷物はさほど少なくできませんでした。
前回の二週間のコーカサス旅行の3分の2くらいにはなりましたが、日数が半分でも荷物は半分にできませんでした。

実は一週間前、涼しかった日々に、風邪をひいてしまいました。
これは悪化せずに、微熱と軽い風邪の諸症状ですみ、いまはほとんど治りかけていますが、まだ完治はしていません。
旅行中は体力を使うので万全の体調で望みたかったんですけどね。

旅行後の懸念。
まず、フライトや列車の運行が遅れずにすむかという懸念があります。

特に1日目。
タシケント行きは成田からウズベキスタン航空を使って直行便です。
でもそのまま国内便に乗り継ぎます。
ところが、タシケント空港は、システムが古い上に、係員も少なくて、荷物の受け取りから入国審査まで、とても時間がかかるそうです。
乗り継ぎ時間は二時間45分はあります。
フライトが遅延などしなければ、最大1時間半かかったこともあるという入国審査も、さほど大慌てしなくてすみます。
しかしフライトの遅延ばかりは、自分の努力でどうにもなるわけではない上、ウズベキスタン航空に限らず、よくあることなので、心配してしまいます。

久しぶりの帰国便リコンファームも気になります。
ウズベキスタン航空はリコンファームが要るとは、代理店の最終案内をもらったときに初めて知りました。
リコンファームが要るフライトなんて久しぶりです。
できれば、タシケントに到着した初日に、タシケント空港の国際線カウンターですませてしまいたいのですが、フライトが遅れたりしたら、国内線に乗り継ぐのでせいいっぱいで、それどころではないでしょう。
代理店の案内やガイドブックや公式サイトを見る限り、リコンファームの連絡先はタシケントのみ。
となると、タシケント滞在日数がほとんどない私には、直接オフィスに赴くわけにもいきません。
あー、英語での電話は苦手なんだけどなぁ。
それに私の携帯を使うと、ウズベキスタン国内であっても海外通話になり、ウズベキスタンは基本料金がべらぼうに高いので、携帯は本当に非常事態でしか使いたくないです。
可能性があるのは、ホテルの電話。それもタシケント以外の町から。
もらった電話番号は国番号も含まれた海外からのものなので、市外局番はどこからかな〜とか考えると、そもそもちゃんと電話できるかどうかまで心配になってきました。
まあ、いざとなったら、ホテルのレセプションにSOSすればいいやと思っています。三ツ星以上のホテルなんだから、そのくらいのサービスはウズベキスタンでも当てにしていいよね?

今回のウズベキスタン旅行では、長距離移動のため、国内便を三回、列車を一回使います。
あとの一回は車をチャーターしておきました。
車をチャーターなど贅沢しなくても、ウズベキスタンで長距離バスやマルシュルートカを探すことは可能だろうと思いますが、腰痛という爆弾を抱えていることと、観光に時間をできるだけ費やしたいことで、お金を出して時間と手間を省くことを買いました。
一人旅行の醍醐味には、公共交通機関を利用することで現地の人にまじって、その生活をかいま見ることもあるでしょう。
観光客として表面的なところだけを見るなら、団体ツアー旅行とどう違うか。
でもいいじゃないですか、観光ハイライトを楽しむことを優先させても。
正直言って、いまの私の海外旅行での楽しみは撮影なので、撮影の時間をたくさん取ることを優先したいです。

話を戻すと、ウズベキスタン航空の成田とタシケントの往復便には、もともと国内便が二本まで無料で追加できます。
2本は、ヒヴァ観光のためのウルゲンチ往復に当てました。
往路は初日に成田からタシケントに着いて、その日のうちの乗り継ぎです。
そしていったんタシケントに戻るのですが、帰路はヒヴァ観光をすませた夜です。
夜だから遅れてはいいとはいわないけれど、観光時間には影響を受けません。
ただ、遅れたらホテルに連絡を入れるように言われたので、できればそれはしたくないんですよねぇ。
残りの1本は、タシケントからブハラです。
これは早朝便なのですが、遅延すると、ブハラ観光に響きます。
遅れてほしくないです。私の努力や注意でどうにかなる問題ではないですけど。

列車の遅延も困ります。困らない交通機関の遅延なんて、ないですけどね。
ブハラとサマルカンドは車をチャーターしましたが、サマルカンドからタシケントは列車にしました。
当初は、レギスタン号という特急列車の早朝便を予約するつもりでした。
ところがこのレギスタン号は、なんと、新しくさらにスピードの速い特急便の運行の整備のためとかなんとかで、運休になってしまいました。
代わりに予約したのは、サマルカンド発のシャーク号に途中乗車。
ただ、シャーク号だとレギスタン号よりタシケントに到着するのが六時間も後になってしまいます。
タシケント観光に費やす時間が当初よりも六時間も減ってしまいました。
しかも、この日の夜に、成田に戻る帰国便に乗ります。
早朝すぎない出発は体に楽でいいんですが、やはりタシケント観光が数時間しかなくなってしまったのは残念です。
レギスタン号だと9時間はあったはずなのに、3時間……。
タシケントは、ブハラとかサマルカンドとかヒヴァに比べたら見るべきところが少ないらしいのですが、それでも半日は欲しかったです。
かつてシルクロードの町だったとは思えないようなソ連時代の巨大都市でも、見たかったです。
それが、列車の運行が遅れたら、タシケント観光は全然できなくなってしまうでしょう。
車をチャーターすれば、都合のよい時間に出発することもできるのですが、列車に一度くらい乗ってみたいと思ったんです。

タクシーにぼられたりしないか、という心配もあります。
長距離移動は手配済みですが、駅や空港とホテルとの間でタクシーを使うところがあります。
ウズベキスタンはイスラムの国なので、買い物も含め、タクシーの運賃もなにもかも、交渉が基本だそうです。
適正な値段で乗ることができるか。
そのためには、相場もちゃんと頭に叩き込んでおかないとなりません。
それはこれからです。
というか、数字が苦手な私。情報がごっちゃになっては困るので、具体的な数字を覚えるのは直前になります。

とまあ、いろいろ懸念があるわけですが、いま最大の懸念。
どうもウズベキスタンではひどい下痢にやられる可能性が高いらしいことです。
海外旅行中によくおなかを壊す私ですが、クチコミや旅行体験談をチェックしてみると、はんぱでないようです。
そのために、とある人のアドバイスを受けて、医者に抗生剤入りの下痢止めを処方してもらおうと思ったら……どうも話が通じなかったらしく、処方してもらったのはなんと、ビオフェルミンでした!
……いや、そのときは風邪のついでに頼んだので、風邪の方の抗生剤も出してもらっていて、二種類も抗生剤を出せなかったという理由もあったらしいです。
でも、ウズベキスタンがどこか知らないお医者さんでした。暑い国だと言ったら、えっ、そうなんですか、と驚かれたところをみると、別の国と勘違いした可能性があります。
まだ出発まで少し日があるので、やはり抗生剤の下痢止めを念のために処方してもらおうと思っています。

ただ、下痢をしないように、自分でも努力しなくてはいけません。
いくつかのアドバイスをしっかり頭に叩き込みました。
生水や生野菜は食べない。屋台のようなところは避ける。食べ過ぎない、冷たい水を飲み過ぎない。生ジュースでやられた人もいる。油っこい料理が多いので警戒する。熱いお茶を飲んでから食事をするとよい。冷たい水を飲んだあとに果物をたべない。
ウズベキスタン料理はとってもおいしそうで、おなかを壊した人もひどい下痢に苦しんだ人も、どなたも口をそろえて、ウズベキスタン料理はとってもおいしかったと言っています。
食いしん坊の私にどこまでこれらを守れるか。
もちろん、用心していても、おなかを壊す可能性はありますが、しないよりは当然いいでしょう。

今からしてもしょうがない不安をいろいろするのは、もう海外旅行前の通過儀式みたいなものかもしれません。
心配するからこそ、うまくいったときの喜びが増します。
ある意味、こういう心配をすることも、海外旅行に求めるプチ・カルチャーショックの一部ともいえます。
気に病むのは好きではないけれど、心配しつつも、なんとかなると思っているところもあります。
土壇場になれば、腹をくくることもできるでしょう。

というわけで、どんな旅行が待ち受けているか。
あと4回寝たら、ウズベキスタン旅行です@

今年も2度目の海外旅行を計画中

年に何回も海外旅行に行ける人を、とてもうらやましく思っていた時期がありました。
インターネットのおかげで、見ず知らずのよそさまの海外旅行歴が分かるようになって、そういう人がちまたにはたくさんいることを知ってしまいましたから。
海外に行きたい病(?)に一番かられていたのはもう何年も前ですが、週末程度の短い日程でふらっと日本を出られることに、強烈なあこがれを抱いたことがあります。
あのときはなぜか日本にいることに閉塞感を覚え、かといって長期に脱出したかったわけでもなく、あたかも日常生活の一環みたいに、ちょっとそこらに日帰りしてきました、っていうくらいの気軽さで海外にふらっと行きたい、と思ったものです。

決して「ふらっと」ではなかったけれど、あたかも日常生活の一環みたいに短期で出かける海外旅行というのは、去年の秋の4泊3日の極東ロシア旅行で叶いました。
日本からフライトで1~2時間程度とはいえ、ロシアなのでビザがいるし、ビザをとるにはあいかわらずバウチャー制度のロシアなので、ホテルなどの滞在はあらかじめ決めていったし、連休を利用した週末旅行としゃれ込むには、ウラジオストク航空だけでサーチャージなども含めて8万円ちょいかかったので消してお安くなかったですが。
ただし成田空港からウラジオストクやハバロフスクの直行便があったのは助かりました。そうでなかったら、4泊3日のような短い旅程で行く気になったかどうか。

もっとも、ここ最近、いや数年前くらいから、年に何度も海外旅行に行くのは、私のスタイルではないなぁと思い始めています。
いや、少なくとも今の私の……であり、将来はどう変わるかは分かりません。

ここ数年の私の海外旅行のスタイルは、2000年のロシア旅行、そして飛んで2004年から東欧旅行にハマるようになってから、ほんのささいなきっかけで気になった、それまでよく知らない国をターゲットにして、旅行に行くために下調べしてその国を知ることも楽しみになり、ゆっくりと旅行計画をつめてきました。
東欧は、学生時代に好きだった世界史の中ではほとんど空白で、日本で知ることができるメジャーな世界史の流れに取り残されがちです。
だからこそ、旅行の下調べを通じて新たに知る楽しみこそが、今の私の海外旅行の原動力の一つです。

だけど日常生活の関心事って、24時間休みなく海外旅行のことで占められているわけではありません。
いくつかある楽しみの中の一つとして、海外旅行先のことを調べることが組み込まれただけなので、テンションが下がって飽きてしまう時期もあります。
っていうか、それは単に私が、気分にむらがあって移り気なせいにすぎないですけどネ。

だからここ数年、私の海外旅行は次の旅行先は、早いときには前の旅行が終わってまもなく決まっていて───つまり、約1年前に決まっていて、一人で旅行できる可能性を探りながら、その国の歴史や社会について、ゆっくり休み休みで、外堀を埋めるように調べてから行く、というスタイルになっていました。
で、このやり方だと、それまでほとんど知らなかった国をターゲットに一年に何回も旅行計画を立てるのは難しいと感じているこの頃です。

実は今年2011年は秋のシルバーウィークを利用して、2度目の海外旅行を計画しています。
去年、7月に約2週間半のバルト3国旅行、そして9月に連休を利用して極東ロシア旅行、と2度の海外旅行が実現できたことに気を良くしたせいでもあります。
そして、去年末に今年のカレンダーを見たときに、シルバーウィークは月曜日と金曜日が休みになると気づき、これはぜひ、海外旅行で使わなくきゃもったいない!という気持ちにかられたせいでもあります。

(ちなみに、ゴールデンウィーク前後は残念ながら仕事が一番忙しい時期なのでカレンダーどおりの休みしかとれないのです。でも、海外旅行ピーク時を避けざるをえないことになるので、かえって良いのではないかと開き直っています。シルバーウィークだって海外旅行ピーク時には違いないけれど、ゴールデンウィークほど大型ではなかろうと。)

今年の2度目の海外旅行ターゲットはウズベキスタンです。

実は、ウズベキスタンには数年前から漠然とあこがれがありました。
ネットでよく交流するコミュニティの一人がウズベキスタン旅行に行き、その旅行記を見たときから、中央アジアに対するイメージががらっと変わって驚いたことがあります。
それで、イスラームの香りたっぷりな世界に、いつか行ってみたいと思うようになりました。
でもその気持ちは、いつか行ってみたいと漠然と思いを募らせたたくさんの国の中の一つになっただけでした。
2年前に、今度はmixiとフォートラベルでお気に入りに登録している人がウズベキスタン旅行に出かけました。
その旅行記を見て、何かがぴぴっと私の琴線に触れました。
しかもちょうどそのときに、今度世話になろうと目をつけていた旅行代理店が、お手軽なウズベキスタン短期旅行の個人向けプランを宣伝していたので、急にウズベキスタンが私にとって手の届く国に感じられてしまったのです。

だけど、私がゆっくり海外旅行に行ける時期が7月とあっては、ウズベキスタンは暑くてたまりません。
それで、去年は旅行ターゲットから外しました。

ほんとは去年の秋の旅行、極東ロシアとウズベキスタンとちょっと天秤にかけました。
でも、バルト3国の旅行を計画しながら、全く知らないウズベキスタンの旅行計画や下調べを同時並行でやるのはとても無理なので、一度は行ったことがあり、10年前とはいえ歴史や文化や社会についてしっかり下調べしたことがあるロシアにしたわけです。
それに2009年のウクライナ旅行の帰りにトランジットでモスクワを再訪しましたから、ロシアは10年ぶりとはいえ、だいぶ身近に感じることができましたから。

なので、去年末に今年のカレンダーを見たときに、シルバーウィークをつなげて一週間くらいの日程でウズベキスタン旅行に行けないだろうかという気持ちが急激に高まりました。
7月のターゲットはコーカサスにしようって決めたのも、ほぼ同じ頃でしたけどネ。

コーカサス3カ国もウズベキスタンも、どちらもよく知らなかった国です。
でもやはり旅行期間が長いだけあって、準備などに割く比重は圧倒的にコーカサス寄りでした。
日本の代理店の助けを借りましたが、コーカサスは自分で手配したり───結局自分で現地代理店を探して、あとは代理店にお任せしたに過ぎなかったのですが───歴史や文化などの下調べも、ウズベキスタンはとりあえずほっといて、コーカサスに集中していました。
ウズベキスタンといえば、ステレオタイプですが「シルクロードの国」。
でも私にとって、シルクロードよりは、コーカサスの方が歴史ロマンがかきたてられました。
それに私の小さな頭では、コーカサスの方で許容量がいっぱいだったんです。

とはいえ、今年のシルバーウィークはゴールデンウィークにも増して海外旅行に行こうという人がたくさんいそうなので、日本の代理店を通じて早くにフライトは抑えてもらい、コーカサス旅行とほぼ並行で、現地プランも立ててもらっていました。
というわけで、ウズベキスタン旅行については、実はすっかり日本の代理店にお任せ状態。

そもそものはじめは、その旅行代理店が以前宣伝していたサマルカンドとタシケントだけの短期プランをモデルに考えていました。
でも、シルバーウィークを利用すればもう少し日程がとれるということでブハラを増やしたり、そして国内フライトを利用することも視野に入れたときに、ヒヴァを増やしたりしてきたわけです。
結果的にはウズベキスタン旅行の定番のコース(ヒヴァ-ブハラ-サマルカンド-タシケント)で固めたことになかったのですが、今年の夏の時点ではまだサマルカンドのレギスタン広場すら知らなかった(ウズベキスタンのハイライトは漠然と知っていたけど、それがサマルカンドとは分かっていなかったわけで)私にとって、代理店の示唆は、旅程を決める良いきっかけでした。
あげられた都市名を参考にガイドブックを図書館で借りて読み、これなら行きたい~と追加していったのです。
ホテルなども、自分で絞ることはせず、候補を挙げてもらって、その上で予算とロケーションを中心に自分の条件に合うかどうかチェックしただけでした。
実は、ウズベキスタン方面のそういう情報ピックアップは、コーカサス旅行の下調べと同時に自分でやるには私の許容量を超えるだろうとわかっていたので、日本の代理店さんをひそかに頼りにしていていました。
代理店の担当者さんはそれに期待以上に応えてくれたわけでした。

7月のコーカサス旅行が終わって、帰国直後から急ピッチで書き始めた旅行記事も一段落して(まだ終わっていないけれど)、8月に突入。
そろそろウズベキスタン旅行の計画を立てようと思ったときに、このまま日本の代理店にお任せ状態にするか、自分で手配できるところ、現地で調達するところをもっと増やすか、悩みました。
日本の代理店にお任せしてしまえばラクだし、コーカサスに行く前にすでにほとんどプランは決まっていたけれど、自分で手配したり、現地代理店に直接手配したりするよりは割高になります。
でも自分で手配するか、少なくとも現地代理店に依頼するとしたら、これから一からやらなくてはなりません。
自分で手配するやり方は分かっていたし、実はネットのつてで、良さそうな代理店や現地ガイドさんを紹介してもらっていました。

さんざん悩んだけれど、結局、すでにプランが決まっていて、ちょっと高めだけどその見積もりでいいやと思っていたので、お金を出してラクと安全をとる方、すなわち日本の代理店に事前手配は一括してお任せする方に決めてしまいました。

ただし、しばらくは、妙なうしろめたさを覚えました。
せっかく現地代理店やガイドを紹介してくれた方には申し訳なかったという気持ちもありました。
それと、ちょっと調べてみると、自分でちゃんと手配している人がたくさんいるし、それが十分可能な国だったので、好きなことなのにラクしようする自分がひどく怠け者に思えたせいもあります。

でも、お金を出してプランでラクして、事前手配で安全と確実性をとるのも、海外旅行の一つの方法です。
団体じゃなくて個人旅行だから割高になってしまうってだけで、団体ツアーなら、プランも手配もお任せのはず。

と、あれこれ考えて、たぶん、ひっかかっていたのはそこだと気付きました。
せっかく個人で旅行プランを立てているのに、一括手配をしてラクすることで、個人旅行の醍醐味の一部を手放しているのではないか、といううしろめたさ。

日本の代理店に一括してお願いしたい気持ちが強かった理由には、今回の夏のコーカサスのときに、現地代理店を経由して手配した中で、真夜中3時の駅からホテルまでの送迎と、クタイシでのガイドが、きちんと手配できていなかったこともあります。

結果的には、駅からホテルまではタクシーを拾えました。
夜中の3時ではタクシーなどないと思っていたのですが、列車の到着にあわせてか、あるいはさすがにグルジア第二の都市だからか、駅前でタクシーがちゃんと待っていました。
でも、今までの東欧旅行で夜明け前に列車が到着したときに、タクシーは全然見つからなくて途方に暮れた経験があったから手配しておいたんです。
現地ガイドさんの方は、代理店の担当者に連絡したら、代わりの人を手配してもらえました。
……3時間待ちましたけど。

そういうことがあったので、コーカサスのときみたいにいろいろ分散して手配するのが、ちょっと気にかかってきてしまったのです。
日程にもっと余裕があったら、そういうこともあるだろう、現地でなんとかすればいいや、ともっと開き直れたのでしょうけど。

日程は8日間でも正味6日です。
ヨーロッパの感覚なら一国4都市(ただしタシケントは半日程度)を回るには十分な日数と思ったけれど、ウズベキスタン、広い……!
都市間移動に半日とられる覚悟をしなくてはならないようです。
正味6日で4都市は、きつっきつの日程なんだろうと思います。

一方で、クチコミ情報をチェックしていたとき、私と似たような4都市訪問を、私より2日ほど多い旅程で回った人の感想を見つけましたが、のんびりできたけど2日ほど余った気分がした、とのこと。
つまり、その人は正味6日でも十分だったという感想を抱いたわけです。
それに同感するコメントもあったので、その人だけの感想ではありませんでした。
もっとも逆に、もっとのんびりと回り、一都市に3~4日かけ、さらにさほど時間をあけずに再訪しているくらい、ハマっている人の旅行記も見つけました。

私はどっちになるかな~と思いつつ。
こういうのって旅先での自分の時間の流れ方がどのモードになっているか次第かもしれません。

というわけで、今年2度目の海外旅行プランの事前手配部分はすっかり日本の代理店にお任せし、観光部分だけは一人で回る形で、いま準備を進めています。
日帰りの近郊旅行を組み入れる余裕があれば、現地の公共交通機関を利用するチャンスがもっとあるかもしれませんが、残念ながら現地で利用するのは、あらかじめチケットをとっておく長距離列車と、それからホテルや駅・空港とのタクシー移動くらいしかありません。
あるいタシケントで地下鉄くらいは利用するかもしれませんが……。
これって公共交通機関を利用して現地の人の生活に触れる……とは言えないでしょう。
一人で歩き回ることにしているだけ、個人旅行らしいと言える?
実際、同行者はなく、全く一人で旅行するには変わりませんから、あくまで個人旅行は個人旅行です。
とはいえ、ガイドブックをなぞり、写真を撮りまくる旅行になるでしょう。
それでも、この目で見てみたい、自分の手で写真を撮ってみたいと思わせる魅力があるからこそ、わざわざ出かけるわけです。

というわけで、このブログでは次の旅行の話題に移行です。
コーカサス旅行記の方は、フォートラベルですでに展開しつつあるので、こちらでは前回の記事で打ち切りになりそうです。
一日ごとの感想のドラフトはし始めていたのだけど、それはフォートラベル版の旅行記の表紙にほとんど吸収されてしまい、同じようなことをここでまた書くのもなんだかなぁと思って。
2度目の旅行プランは代理店任せでラクしている分、次の旅行の前に少しでもコーカサス旅行のフォートラベル版旅行記を進めたいと思っています。
次の旅行までに終わる気はとてもしないけど。

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