2009年夏 ウクライナ旅行17日間

2009年ウクライナ旅行記INDEX

2009年夏のウクライナ旅行もその前の2008年のブルガリア旅行と同じく17日間なのに、作成しようと思っていた旅行記の完成までに、またしても11ヶ月かけてしまいました@

その原因はやっぱり、紅葉やイルミネーションや花を求めての撮影散策とその写真をフォートラベル版になるべく早くアップすることを優先させてしまって、ウクライナ旅行記作成の手が時々止まってしまったからです。

ウクライナ旅行に帰ってきた数日後の週末から、開花時期が早まってぎりぎり! という森林公園のヤマユリを見に行きました。
17日間、家をあけていた帰国後の週末くらい、ウクライナ旅行を反芻しながらゆっくりしていればいいのに、と我ながら思ったのですが、花は待ってくれないんですもの。
そして紅葉のあとは花がめっきり少なくなる冬も、気になっていたけど今まで足をのばさなかった新たなイルミネーション・スポットを開拓したり、鬼怒川の念願の東武ワールドスクエアに一泊旅行で出かけたり、年末に訪れた東武動物公園で動物撮影に目覚めてしまったりなど、春の花の盛りの頃と変わらぬ撮影ペースで、その収穫をいちいちフォートラベル版の旅行記でアップしてきました。

なので、ひょっとしたら次の旅行までに間にウクライナ旅行記が完成できないかとひそかにあやぶんでいましたが、6月はあんまりあちこち出かけずに大人しくしていたおかげで(夏風邪もひきました……。3週間目に突入するのにまだ完治していません(泣))、先日、なんとか完成することができました。

最初の方で作成した記事や旅行記などは、もう11ヶ月も前のことなので、ああ、こんなことを書いたっけ、などと、自分でもなつかしくなってしまったりしました@
そんな風に自分の旅行を振り返り、当時何を考えていたか思い出すことができるだけでも、旅行記や記事という形できちんと記録を残しておいてよかったと思っています。

【ニフティ・ココログの立案・準備編の記事】
「次の旅行先を決めた経緯」
「私にとってのウクライナ旅行の難問」
「ウクライナ行きのフライトを決めるまで」
「7月のウクライナ旅行の立案プロセス」
「旅行前そろそろ1ヶ月ちょっとになって」
「ウクライナ旅行の旅程が決まるまで」

【ニフティ・ココログの帰国後の感想編の記事】
「ウクライナ旅行から戻ってきました(旅のスタイルを振り返って)」
「ウクライナ旅行で準備が不足だと痛感したこと」
「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」
「ウクライナ旅行全体の感想もろもろ(ちょっと写真付き)」
「2009年ウクライナ旅行:各日ざっくり感想(前半)」
「2009年ウクライナ旅行:各日ざっくり感想(後半)」
「2009年ウクライナ旅行17日間で、どんな写真を撮ってきたか分析」
「2009年ウクライナ旅行ハイライト写真集その1」
「2009年ウクライナ旅行ハイライト写真集その2」

【フォートラベル版詳細旅行記】
<プロローグとハイライト集>
「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
「2009年ウクライナ・ハイライトその1:ちょっとだけ動物たち」
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」
「2009年ウクライナ・ハイライトその3:ウクライナでも植物に注目(後編)」
「2009年ウクライナ・ハイライトその4:ウクライナの食べ物レポート」
「2009年ウクライナ・ハイライトその5:ウクライナの鉄道移動(前編)」
「2009年ウクライナ・ハイライトその6:ウクライナの鉄道移動(後編)」
「2009年ウクライナ・ハイライトその7:ウクライナのホテル・レポート」
「2009年ウクライナ・ハイライトその8:ウクライナでゲットしたもの」
「2009年ウクライナ・ハイライトその9(おまけ)モスクワでアエロエクスプレスに乗りました(完)」

2009年7月5日(日)成田発モスクワ経由キエフ着
「2009年ウクライナ旅行第1日目(1)いまさらな成田空港でウキウキワクワク@」
「2009年ウクライナ旅行第1日目(2)9年ぶりのアエロフロートとシェレメチェボ空港」

2009年7月6日(月)キエフ観光1日目
「2009年ウクライナ旅行第2日目(1)キエフ:せっかくだから独立広場から」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(3)キエフ:ミュージーアムでの撮影はやっぱり楽しい!───聖ソフィア大聖堂にて」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(4)キエフ:ここもたぶんキエフで最も美しいところ───黄金ドームの聖ミハイル修道院とアンドレイ教会」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(5)キエフ:ウクライナ歴史博物館(1)歴史が分からなくても楽しめる!?」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(6)キエフ:ウクライナ歴史博物館(2)魅惑の民俗的コレクション」
「2009年ウクライナ旅行第2日目(7)キエフ:ウクライナ歴史博物館(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後」

2009年7月7日(火)キエフ観光2日目
「2009年ウクライナ旅行第3日目(1)キエフ:地下鉄に乗ってかつての下町ポディール地区へ」
「2009年ウクライナ旅行第3日目(2)キエフ:チェルノヴィリ博物館」
「2009年ウクライナ旅行第3日目(3)キエフ:かつての下町ポディール地区からアンドレイ坂をめざす」
「2009年ウクライナ旅行第3日目(4)キエフ:おみやげ屋の屋台がずらりのアンドレイ坂と一本道の博物館」
「2009年ウクライナ旅行第3日目(5)キエフ:ウクライナ心の宝博物館が閉館でがっかり───聖ミハイルの黄金ドーム修道院再訪とドニプル川沿い公園」

2009年7月8日(水)キエフ観光3日目
「2009年ウクライナ旅行第4日目(1)キエフ:バスに乗ってペチェールスカ修道院へ」
「2009年ウクライナ旅行第4日目(2)キエフ:晴れた午前と雨上がりの午後のペチェールスカ修道院(上の修道院)」
「2009年ウクライナ旅行第4日目(3)キエフ:洞窟見学しに、ペチェールスカ修道院の下の修道院へ」
「2009年ウクライナ旅行第4日目(4)キエフ:国立ウクライナ民俗装飾美術博物館(1)我ながら飽きない民俗博物館巡り」
「2009年ウクライナ旅行第4日目(5)キエフ:国立ウクライナ民俗装飾美術博物館(2)ピーサンキ、ああピーサンキ!(イースターエッグ・コレクション)」
「2009年ウクライナ旅行第4日目(6)キエフ:国立ウクライナ民俗装飾美術博物館(3)現代と伝統的な陶磁器コレクション」

2009年7月9日(木)クリミア半島1日目(現地英語ガイド&車付)
「2009年ウクライナ旅行第5日目(1)クリミア半島:思わぬ山歩き、チュフート・カレ洞窟都市」
「2009年ウクライナ旅行第5日目(2)クリミア半島:苔むした古いユダヤ人墓地&驚異の岩壁教会」
「2009年ウクライナ旅行第5日目(3)クリミア半島:バレエで知ったバフチサライ宮殿」
「2009年ウクライナ旅行第5日目(4)クリミア半島:ニコライ2世一家も通った、アイ・ペトリ山頂を越えてヤルタへ」

2009年7月10日(金)クリミア半島2日目(現地英語ガイド&車付)
「2009年ウクライナ旅行第6日目(1)ヤルタ:西のアルプカに向かう途中のヤルタ&アルプカ庭園」
「2009年ウクライナ旅行第6日目(2)ヤルタ:イギリス風でイスラム風なアルプカ宮殿」
「2009年ウクライナ旅行第6日目(3)ヤルタ:特別に見学させてもらったオレアンダー・サナトリウムとニコライ2世王室教会」
「2009年ウクライナ旅行第6日目(4)ヤルタ:ヤルタ会談が行われたリヴァーディア宮殿」
「2009年ウクライナ旅行第6日目(5)ヤルタ:花のタイミングは微妙だったニキーツキー植物園」
「2009年ウクライナ旅行第6日目(6)ヤルタ:一人で散策した海岸沿いプロムナード」

2009年7月11日(土)クリミア半島3日目(現地英語ガイド&車付)
「2009年ウクライナ旅行第7日目(1)クリミア半島:船乗りの守護聖人の教会と山と海の景色を満喫した東海岸へのドライブ」
「2009年ウクライナ旅行第7日目(2)クリミア半島:クリミアワインを成功させたガリツィン邸の小さなワイン博物館」
「2009年ウクライナ旅行第7日目(3)クリミア半島:ノーヴィ・スヴェットの絶景海岸」
「2009年ウクライナ旅行第7日目(4)クリミア半島:中世のお城のようなスダックのジェノヴァ要塞跡と夕方のヤルタ」

2009年7月12日(日)クリミア半島4日目(現地英語ガイド&車付)
「2009年ウクライナ旅行第8日目(1)クリミア半島:ガイドのニーナとちょっとだけヤルタ観光」
「2009年ウクライナ旅行第8日目(2)クリミア半島:2日目に豪雨で行きそびれたマサンドラ宮殿へ」
「2009年ウクライナ旅行第8日目(3)クリミア半島:ヤルタを出てフォロス村のロマンチックな教会へ」
「2009年ウクライナ旅行第8日目(4)クリミア半島:クリミア戦争と第二次世界大戦のデスバレーを通って、かつてナイチンゲールが活躍した英軍キャンプがあったバラクラバ湾へ」
「2009年ウクライナ旅行第8日目(5)クリミア半島:大急ぎで回ったセバストポリとヘルソネス遺跡」
「2009年ウクライナ旅行第8日目(6)クリミア半島:シンフェロポリめざしてクリミア最後のドライブ&駅前の市場めぐり」

2009年7月13日(月)オデッサ観光
「2009年ウクライナ旅行第9日目(1)オデッサ:思った以上に美しい街並みに驚いたプリモールスキー並木通り近辺」
「2009年ウクライナ旅行第9日目(2)オデッサ:かの有名なポチョムキンの階段から港ターミナル散策」
「2009年ウクライナ旅行第9日目(3)オデッサ:プリモールスキー並木通りから愛の橋を渡って国立オデッサ美術館へ」
「2009年ウクライナ旅行第9日目(4)オデッサ:観光エリア外の街並み撮影にハマりながら、ソボルナ広場とパッサージュへ」

2009年7月14日(火)リヴィブ観光1日目
「2009年ウクライナ旅行第10日目(1)リヴィブ:ポーランドやハプスブルグ帝国支配時代を偲ばせる華やかな街並み・前編」
「2009年ウクライナ旅行第10日目(2)リヴィブ:ポーランドやハプスブルグ帝国支配時代を偲ばせる華やかな街並み・後編」
「2009年ウクライナ旅行第10日目(3)リヴィブ:常設展は物足りなかったけど特別展が充実していた、スヴォボーディ通りの民俗・美術工芸品博物館」
「2009年ウクライナ旅行第10日目(4)リヴィブ:ウクライナの素朴派絵画に出会えた、リーノック広場の民俗・美術工芸品博物館」

2009年7月15日(水)リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)
「2009年ウクライナ旅行第11日目(1)リヴィブ近郊城めぐり:こぢんまりしてるけどなかなか味があったオレスク城」
「2009年ウクライナ旅行第11日目(2)リヴィブ近郊城めぐり:栄華の跡が偲ばれる、痛々しかったピドゴレツク城」
「2009年ウクライナ旅行第11日目(3)リヴィブ近郊城めぐり:奇妙な日本風?中国風?庭園のあるゾロチフ城」
「2009年ウクライナ旅行第11日目(4)リヴィブ:リヴィブに戻った後、ちょっとだけ街散策とアルメニア教会」

2009年7月16日(木)コロミーヤ観光
「2009年ウクライナ旅行第12日目(1)コロミーヤ:高層ビルがない居心地良い地方都市一人歩き」
「2009年ウクライナ旅行第12日目(2)コロミーヤ:このために日程を組んだ、本命のピーサンキ(イースターエッグ)博物館・前編」
「2009年ウクライナ旅行第12日目(3)コロミーヤ:このために日程を組んだ、本命のピーサンキ(イースターエッグ)博物館・後編」
「2009年ウクライナ旅行第12日目(4)コロミーヤ:象嵌木細工や緑の陶器がすばらしいフツル(ウクライナの山岳民族)民族芸術博物館・前編」
「2009年ウクライナ旅行第12日目(5)コロミーヤ:民族衣装とイコンが素敵なフツル(ウクライナの山岳民族)民族芸術博物館・後編」

2009年7月17日(金)リヴィブ観光2日目
「2009年ウクライナ旅行第13日目(1)リヴィブ:まったり回ったリヴィブ最終日」
「2009年ウクライナ旅行第13日目(2)リヴィブ:ウクライナSF小説の原画が特に面白かった書籍博物館」
「2009年ウクライナ旅行第13日目(3)リヴィブ:東欧でも最も美しい墓地の一つのリチャキフ墓地」

2009年7月18日(土)キエフ観光4日目
「2009年ウクライナ旅行第14日目(1)キエフ:8日ぶり、最終日2日前のキエフの一日」
「2009年ウクライナ旅行第14日目(2)キエフ:豪華絢爛な正教会のウラジーミル聖堂で結婚式を見学しつつ内部の撮影三昧」

2009年7月19日(日)キエフ観光5日目
「2009年ウクライナ旅行第15日目(1)キエフ:最後のハイライト、ピロホヴォ村の野外博物館(前編)」
「2009年ウクライナ旅行第15日目(2)キエフ:最後のハイライト、ピロホヴォ村の野外博物館(後編)」
「2009年ウクライナ旅行第15日目(3)キエフ:旅の終わりを間近に名残を惜しみつつ、アンドレイ坂で買い物&黄金の門をひとめ見る」

2009年7月20日(月)キエフ出国モスクワ経由
「2009年ウクライナ旅行第16日目(1)モスクワ:アエロフロートのトランジットで見学した、9年ぶりの赤の広場」
「2009年ウクライナ旅行第16日目(2)モスクワ:9年前に見学しそこねたワシリー寺院(2009年ウクライナ旅行記・完)」

2009年7月21日(火)成田着

※今回はフォートラベル版でもリンク集を作成しました。
「2009年ウクライナ旅行記(+おまけのモスクワ観光)総集編(URLリンク集)」

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2009年ウクライナ旅行ハイライト写真集その2

1日の撮影枚数に応じて1日2~5枚ずつ選んだハイライト写真集の第二弾では、なるべくその日の観光内容と関係なく、写真として気に入っているものを選びました。
このハイライト写真集を2回やっているので、ピックアップしている写真は1日に4~10枚ずつになるのですが、それでももっとアップしたいお気に入りの写真はまだまだありますね。
なにしろ合計2,700枚以上撮ってきましたもの。
写真付の旅行記の続きは、フォートラベルで作成していこうと思います@

フォートラベル・INDEXのあるプロフィールページ

実は、2008年のブルガリア旅行や2007年のルーマニア旅行のフォートラベル版旅行記は、完了まで1年近くかけてしまいました。
途中でスピードダウンし、次の旅行が近づいてきて慌ててラストスパートをかけたというかんじで。。。
今回は、できればもっと早く完成させたいです。そのためにも、さくさくっと進めるしかないかな。
……が、今年も、国内の花めぐりのプチ旅行(日帰り旅行とか、近所の散歩ともいう)の旅行記(花の写真集ともいう)を並行して作成することになると思うので、さてどうなるやら。

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07/05日 成田発モスクワ経由キエフ着
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「あおによし、寧楽(なら)の都は咲く花の……」
というタイトルでした。見事ですねぇ。
こんなのを見つけたので、旅行開始直後から撮影に張り切ってしまいました。
成田空港第一ターミナルの日本折紙博物館にて。

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07/06月 キエフ観光1日目
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喫茶店の屋根の上の愉快な像と窓辺にかけられた洗濯シーツ。
実は道を見違えてしまい、引き返そうというときに見つけました。
方向音痴って、まっすぐの道を選んだつもりでいて、曲がってしまうんですねぇ。
我ながら不思議。
キエフの独立広場から聖ソフィア大聖堂に向かう途中にて。

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ニコニコ可愛いマスコットは太陽がモチーフ。
これを売っていたおじさんは、私を引きとめたかったのか、「歴史博物館? 今日はやってないよ」と適当なことを言って私を焦らせました。
キエフのアンドレイ坂にて。

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子供が作った粘土細工のよう。
これも貴重な貴重な先史時代の出土品です。
でも可愛い@
キエフのウクライナ国立歴史博物館にて。

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夕日が当たって金色に光ったブドウの葉の模様のフェンス。
ウクライナ国立歴史博物館見学後、くたくたくで近くのベンチで休んでいたときに撮影。

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もう今日の観光は終わり!───と思っても、被写体は見つかります@
夏の日照時間の長さに感謝。
キエフのウラジーミルの丘沿いの通りにて。

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07/07火 キエフ観光2日目
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見慣れてくると、これもアートに見えてきます@
想像以上に美しい街並みだ!───と感嘆したキエフも、ちょっとセントラルから外れると、こんなところはざらに見られました。
あのあたりはかつての下町のポディル地区だったのかしら。
チェルノヴィル博物館に向かう途中、道に迷ってる最中に撮影。

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花を見ると、つい夢中になって撮ってしまいます。
チェルノヴィル博物館からアンドレイ坂に向かう途中に見つけた、聖フロー修道院の花壇にて。

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そこ、涼しそうネ、仔猫ちゃん。
聖フロー修道院の花壇にて。

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ほんわか気分になる笑顔@
アンドレイ坂のおみやげ屋台にて。

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その手に魅せられて。
背景の建物の無粋な排水管を隠すのにも苦労した1枚。
聖ミカエルの黄金ドーム修道院にて。

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07/08水 キエフ観光3日目
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坂道を行く尼僧。
ペチェールスカ修道院にて、ウスペンスキー大聖堂の裏手から洞窟を見に「下の修道院」へ向かう途中。

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緑に映える、黄金の杯!……ではなくて。
ペチェールスカ修道院の鐘楼のそばの東屋にて。

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黄金の装飾にほれぼれします。
ペチェールスカ修道院のウスペンスキー大聖堂。

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苦悩するクマと、応援団のみなさん!?
こういうガラスの動物のコレクションをウクライナの他の民俗博物館でも見かけました。
ペチェールスカ修道院の国立ウクライナ民俗装飾美術博物館にて。

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おもちゃみたいにカラフルな先頭車両。
後ろに続く客車がブルーなんですよ。色の組み合わせとしては、なんとも。
シンフェロポリに向かう寝台車待ちのキエフ中央駅のホームにて。

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07/09木 クリミア半島1日目
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まぶしい緑のブドウ。
背景の絶壁の上にあるチュフート・カレの洞窟都市を訪れました。
ランチには、ブドウの葉を巻いたゴルブツィー(ロールキャベツ)をいただきました。
チュフート・カレ近くのレストランにて。

20090709_5818
去年のブルガリア旅行で私を魅了したビロードモウズイカ。
チュフート・カレ近くの岩壁の被昇天教会近くの修道院の建物の前にて。

去年(2008年)のブルガリア旅行で私を魅了したビロードモウズイカの写真はこちらにあります。
2008年ブルガリア・ハイライトその7:熊手のような黄色い花

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絶壁と青空が絶景です@
岩壁の被昇天教会から。

20090709_6001
あの不思議な形は男子の帽子なんですって。
イスラムの墓地なのに、ユダヤ教やらキリスト教やらのモチーフが墓石に刻まれた珍しい棺おけがごろごろあって、イスラム圏から来た観光客を仰天させたそうです。
そのあたりの感覚はゆるゆるの日本人の私は、そういうことでいちいち仰天しないけれど、確かに興味深い棺おけがたくさんでした@
バフチサライ宮殿にて。

20090709_6027
海と空の境界線が見えない!
夢のような景色。
アイ・ペトリ山頂(1,234m)からヤルタを見下ろして。

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07/10金 クリミア半島2日目
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20090710_6079
片足を突き出した白鳥さん。
白鳥は水面下のあがきは見せないかと思っていたけれど@
ヤルタ近郊のアルプカ庭園にて。

20090710_6084
脱皮する木@
こんなの、実は初めて見ました。
アルプカ庭園にて。

20090710_6215
暗闇から浮かび上がる……。
なんて、露出が光に合ってしまったので、周辺が暗く写ってしまっただけですけどネ。
ベネチアガラスで初めて作られた電気のシャンデリアだそうです。
リバーディア宮殿にて。

20090710_6260
雨上がりのぬれたネムノキ。
ヤルタの海岸沿いのプロムナードにて。

20090710_6308
しなだれかかるネムノキが美しい……。
クリミア半島ではネムノキに夢中になりました。
ヤルタの海岸沿いのプロムナードにて。

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07/11土 クリミア半島3日目
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20090711_6472
ユリカモメを捉えたよ@
ノーヴィ・スヴェット植物保護地区の絶景海岸にて。

20090711_6486
青い海とピスタチオ
ノーヴィ・スヴェット植物保護地区の絶景海岸にて。

20090711_6525
ここはウクライナですので、念のため。
スダックのジェノヴァ要塞跡にて。

20090711_6577
フィルターかかったみたいに撮れたので@
湯気でレンズが曇ったせいでした。
ウクライナ版餃子ともいうべきヴァレニキです。
ロシア料理ならペリメニと呼ばれます。
その違いはわかりません@
ヤルタのレストラン「ロシアン・ブリスキー(パンケーキ)」にて。

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07/12日 クリミア半島4日目
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よく晴れた朝に、またまたネムノキを@
だって一昨日撮ったのは、だいぶ薄暗くなってからだったんですもの。
ヤルタの海岸沿いのプロムナードにて。

20090712_6598
目覚めたばかりの乙女。
現地ガイドはジゼルにたとえましたが、私はオフィーリアのイメージだなと思いました。
改装がすんだばかりのヤルタのホテル・マリーノにて。

20090712_6652
使ったスリッパを回収!
宮殿の床を傷めないように、観光客はみな、靴の上からこのようなスリッパをはかなくてはなりませんでした。
2000年に訪れたロシアではよくありましたが、ウクライナでそういうのに遭遇したのは2ヶ所だけでした。
ヤルタ近郊のマサンドラ宮殿にて。

20090712_6821
コバルト・ブルーの海を眺めながら、乾杯!
ワインがヤルタよりもお得なスダックの店で、昨日、ガイドがたくさんワインを買って帰りました。
その1本を本日持参してきてくれて、乾杯しました。
バラクラバ湾にて。

20090712_6901
道路脇のハチミツ売り。
かろうじてゲットできた写真です、うれしい@
農家の直売みたいなものですね。ルーマニアやブルガリアの田舎でもよく見かけました。
きっと良質でとても安いのでしょうが……持ち帰るのは大変だから手出しできません、残念。
セバストポリからシンフェロポリに向かう車窓から。

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07/13月 オデッサ観光
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20090713_6965
道路が碁盤目のように整然としている、オデッサの美しいセントラル。
オペラ座前の広場にて。

20090713_7044
きれいなお姉さん、ひとりでがんばる!
いまどきのキャスターは、カメラマンも兼任するんですね。
ベンチで休んでいる人たちにインタビューしていました。
今はカメラの調整中。
オデッサのプリモリースキー並木道にて。

20090713_7098
街路を黄色く染める花。
特にナニがあるといわけでもない街中で、はいつくばるようにして撮りました。
旅は恥のかき捨て@@
奥の人影も絶妙なタイミングで入りました。
オデッサのマヤコフスコホ通りにて。

20090713_7123
「私のこと、呼びました?」
胸が豊かだけど腕の筋肉もすごくて、男性像か女性像かちょっと判断に迷う……!?
オデッサのパッサージュ・アーケードにて。

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07/14火 リヴィブ観光1日目
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20090714_7174
ハトと戯れる母子。
リヴィブのオペラ座前広場にて。

20090714_7202
噴水の水滴がキラキラと。
PowerShot SX 200 ISのシャッタースピード優先モード、初挑戦です。
露出は+2までめいいっぱいオーバーにしたのと、とてもよく晴れてていたおかげと、たぶん噴水の水の勢いも緩やかだったおかげでしょうね、ここまで水滴を捉えることができたのは@
苦労して思い通りの写真が撮れただけに、とても思い入れがあります。
さきほどのハトと戯れる母子とこの写真で、30分費やしてしまいました。
観光を始める前になにをやってるんでしょう、と我ながら思いましたが@
リヴィブのオペラ座前広場にて。

20090714_7290
改装中の覆い!───でも、可愛い@
しっぽがタワシになっています。
リヴィブのリーノック広場にて。

20090714_7439
モォーッと真っ赤な顔で文句を。
影が後ろにびよーんと伸びているのもポイントです。
セントラルには興味深い看板がたくさんありました。
リヴィブのリーノック広場前のトラムの走る通りにて。

20090714_7466
気持ちよくお昼寝。
といっても、昼間はとても日向でお昼寝などできないでしょう。
午後7時近くでしたので、日差しはやわらかかったです。
クラシカルな手すりからぶらんと垂れた短い前足がとってもキュート@
リヴィブのリーノック広場近くにて。

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07/15水 リヴィブ近郊城めぐり
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20090715_7598
ダンシング・エンジェル!
バロック彫刻はしぐさが大袈裟なので、2人の天使はまるで踊っているように見えます。
それも、すました顔で@
リヴィブ近郊のオレスク城にて。

20090715_7629
兵どもが夢の跡……。
背景の野っ原は、宮殿の最盛期には、美しい花壇のある庭園でした。
いまはまだ修復中のピドゴレツク城の、もと庭園前にて。

20090715_7652
川を象徴するヌードの美女像の向こうに、朱塗りの鳥居。
このミスマッチが気に入りました!
リヴィブ近郊のゾロチフ城にて。

20090715_7696
枝にボールがたくさん!
面白い!───と思ったら、ガイドいわく、あれは木の養分を吸い取ってしまうから、木にとっては病んだ状態だとのこと。
そうか、あれがヤドリギなのですね。
リヴィブから郊外の城に向かった道路の街路樹に、このようにヤドリギを宿した木をたくさん見ました。
車窓から撮影。

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07/16木 コロミーヤ観光
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20090716_7796
列車の窓の外の、朝焼けの村。
ウクライナの国内移動は鉄道ですが、ほとんど夜間の寝台車利用でしたので、車窓の外の景色を見る機会はあまりありませんでした。
ちょっとはチャレンジしたくなるものです。
コロミーヤに向かう列車の車窓より。

20090716_7804
パステルカラーな市庁舎。
コロミーヤのセントラルはこの市庁舎の塔や教会以外、2~3階以上の高い建物は見当たりませんでした。
軒並み低い家々が並ぶ、電線も走らない街は、どこかレトロで、タイムスリップした気分になりました。
コロミーヤの市庁舎前にて。

20090716_7821
さらし首……!
お気に入りの写真というよりは、ここに載せると面白いだろうなと思って。
本物のブタさんです、うぉー。
でもこれは序の口でした。
あたりは、血を飛び散らせながら肉をさばいている光景だらけ。
新鮮すぎる肉たちに、ちょっと引きました。
コロミーヤの市場にて。

20090716_7840
サクランボのような実に惹かれました。
コロミーヤのシェフチェンコ広場にて。

20090716_7846
巣箱のようなのがある……!
コロミーヤの街角にて。

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07/17金 リヴィブ観光2日目
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20090717_8171
街中のマリア像。
柱の下にはたくさんの花が添えられていて、道行く人も足をとめてお祈りします。
ウクライナも信仰の厚い国でした。
リヴィブのアダム・ミツケヴィッチ像のある広場にて。
※アダム・ミツケヴィッチはポーランドの国民的詩人です。
いかにポーランドの影響が残っているか、ちょっと驚きです@

20090717_8357
できれば民族音楽を演奏してほしかった(苦笑)。
寝台車の時間までたっぷりあるので、デザートを追加注文してのんびり過ごしていたら、午後7時半すぎくらいから、生演奏が開始されました。
でも演奏し始めるまでとっても時間がかかっていたし、ちょっと演奏してはお休みするし、演奏たれたのも、どうも現代の流行のポップ音楽か何かのようだったのが不満。
リヴィブのスバボーディ通りのウクライナ料理のレストランにて。

20090717_8362
リヴィブは花がいっぱい!
シェフチェンコ広場にて。

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07/18土 キエフ観光4日目
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20090718_8378
私にとって、ロシア(特にサンクト・ペテルブルク)を思い出させる、さわやかな色の建物を、逆光の葉と。
思ったより探すのに時間がかかったロシア美術館も、途中で見かけたタラス・シェフチェンコ博物館の建物も、どちらも水色に白い装飾が施された、さわやかなな建物でした。
キエフのゴーリキー通りにて。

20090718_8466
新婚さんを待つ車。
こんなに長くて、新婚さんたちのほかに誰が乗るの?
ウラジミール聖堂前にて。

20090718_8488
週末の独立広場前のフレシャティーク通りは歩行者天国!

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07/19日 キエフ観光5日目
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20090719_0216
縮まらぬ互いの距離。
独立広場の女神とミニチュアのペチェルスキ門の上の聖ミカエル像。
実際には相当距離が離れています。
キエフの独立広場から聖ソフィア大聖堂に向かう途中で見つけたアングル。

20090719_0217
ここにも空色の美しい建物が@
キエフのミハイリフスカヤ通りにて聖ソフィア大聖堂方面に向かう途中。

20090719_0224
見たら撮らずにはいられない、すでに写真を撮ったはずのアンドレイ教会。

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07/20月 キエフ出国モスクワ経由
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20090720_0301
曇りで空が真っ白に写ってしまうから、思い切ってアップで。
クレムリンの時計塔。
モスクワの赤の広場にて。

20090720_0375
予測は甘かった!───乗継8時間半を利用してのモスクワ観光では、この国立歴史博物館の見学まではできませんでした。
でも、きっとロシアは近いうちに再訪すると思います。
その気になっちゃいました@
モスクワの赤の広場にて。

20090720_0376
イコノスタシスってイコンの壁なんですが、このカザンの聖母聖堂のイコノスタシスの聖人のイコン(像)のぎっしりぶりには、圧倒されました。
モスクワの赤の広場にて。

というわけで、ハイライト写真集その2の枚数は65枚となりました。
あれっ、その1は66枚で、枚数を合わせたはずなのに。
計131枚という中途半端な数になってしまいましたが、まあいいや。

このあとは冒頭で書いたとおり、フォートラベルで詳細旅行記を作成していく予定です。
ココログでの2009年ウクライナ旅行記はここで一段落@

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2009年ウクライナ旅行ハイライト写真集その1

2009年ウクライナ旅行ハイライト写真集その1

この記事を作成中の現在、実は、まだ写真の整頓は終わっていないのですが、先にハイライト写真をピックアップしてみました。
1日の撮影枚数に応じて、2~5枚ずつ。
これを2回やろうと思います@
100~200枚の中からたった数枚だけを選ぶ作業は、悩みますが、とても楽しかったです。
1回目は、なるべくその日の観光内容にそった写真を選ぶようにしました。
2回目は、あまりその日の観光と関係ないけど、気に入っている写真を選ぶようにしました。

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07/05日 成田発モスクワ経由キエフ着
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20090705_4699
ホテルの部屋の窓から撮った、キエフの中心ともいえる独立広場。
月夜にぼーっと浮かぶ女神の塔にズームしてみました。
この4月に手にしたばかりのカメラ、PowerShot SX 200 IXの12倍ズームの威力に感嘆@

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07/06月 キエフ観光1日目
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20090706_4768
世界遺産の聖ソフィア大聖堂の教会。でもこれは裏側@
教会内の見学を終え、一休みしているときに、ユリの群生を見つけて、このアングルで撮ることを思いつきました。

20090706_4776
聖ソフィア大聖堂の鐘楼から。
まだ途中ですが、一番てっぺんに上ったときに撮った写真は見下ろすアングルになってしまったので、これが一番お気に入り。
ドラマチックな雲模様は、写真には理想的でしたが、この雲が真上に来るとあたりは曇ってしまい、撮影のために日が出るまで少し待ったり、晴れてから慌てて撮り直したりしたこともあります。

20090706_4779
聖ソフィア大聖堂の鐘楼から、聖ミハイルの黄金ドーム修道院
ウラジミール大通りの突き当たりにあって、ちんたら歩いて5分以上かかった距離なのに、12倍ズームにしたら、こんなに大きく撮れて、大感激です。
この修道院前の広場から見上げたアングルでは、こうは撮れません@

20090706_4805
聖ソフィア大聖堂の鐘楼から、聖ミハイルの黄金ドーム修道院の方を眺めるカップルのシルエットと。
思い通りの写真が得られるまで、いろんな人たちのシルエット姿を撮ってしまいましたが(つい夢中になってしまって)、さりげなく寄り添うカップルのこのシルエットがゲッとできました@

20090706_4858
聖ソフィア大聖堂の鐘楼と、大聖堂前の広場の街灯。
聖ソフィア大聖堂では思ったよりゆっくり過ごしたので、午前中に入場したのに、出たのは午後でした。
午後は逆光なんですよ。鐘楼がちょっと暗くなってしまいましたが、街灯でごまかしました@

20090706_5095
夕日を浴びるアンドレイ教会。
聖ソフィア大聖堂といい、聖ミハイルの黄金ドーム修道院といい、そしてこのアンドレイ教会。
キエフにはこんなにステキな教会があるなんて、行こうと思って下調べするまでは全然知りませんでした@
ちなみに、この教会は、ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館を建てた建築家と同じイタリア人建築家ラストレッリの手によるものです。
どうりで、ってかんじですよね。

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07/07火 キエフ観光2日目
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20090707_5195
チェルノヴィリ博物館で撮ったものです。
気に入っている写真かというと、断言しづらいですが、チェルノヴィリ博物館はこの日の観光ハイライトの1つでしたので。
英語のオーディオガイドも借りたのですが、半分くらいスルーしてしまいました。
借りないよりは、展示の内容の意味がわかってよかったのですが、詳しすぎ。。。

20090707_5266
ピロゴシュキ聖処女就寝教会(Dormition Church of the Blessed Virgin of Pyrogoschchi)。
チェルノヴィリ博物館からアンドレイ坂に向かう途中で見つけました。
アンドレイ坂の下りきったところからそれほど遠くありません。

20090707_5317
アンドレイ坂の一本道の博物館。
アンドレイ坂のみの歴史を扱った博物館でした。著名人も暮らしていたようです。
展示の内容のほとんど意味が分かりませんでしたが、こんな風に、19世紀から20世紀初頭くらいのアンドレイ坂の、いやキエフの人々の市民生活がうかがえる展示でしたので、それなりに面白かったです。

20090707_5424
聖ミハイルの黄金ドーム修道院の教会を、鐘楼から見下ろして撮ったもの。
実はこの日の一番の目当ては、アンドレイ坂にあるウクライナの心の宝博物館たったのですが、改装中なのか入れませんでした(泣)。
代わりに聖ミハイルの黄金ドーム修道院歴史博物館に入りました。それが鐘楼です。
鐘楼からだと、こうやって上から教会全体を見下ろす写真が撮れました。

20090707_5456
ドニエプル川と、それを見下ろすウラジーミル大公の像。
キエフの定番の写真の1つかもしれません@
ウラジーミル大公は、キエフ・ルーシ時代にキリスト教を国教とした人で、そのため聖人に列せられています。
市内にいくつかあるはずのウラジーミル大公の像の中では、この像が一番人気だそうです。
やっぱりこうやってドニプル川とセットにできるのがポイントかな。

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07/08水 キエフ観光3日目
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20090708_5476
世界遺産ペチェールスカ修道院の「上の修道院」の入口である、三位一体教会。
鮮やかな色彩に目を奪われましたが、あいにくこの外側からの向きは逆光なので、白とびする空を木の葉で隠しました。

20090708_5502
ペチェールスカ修道院のメインの教会ともいえるウスペンスキー大聖堂。
これは裏側なのですが、裏側もこんなに豪華です。
表側は逆光なので午後に撮ろうと思ったら……午後は雲ってしまいました。雨にもちょっとだけ降られました。

20090708_5538
ペチェールスカ修道院の「下の修道院」から眺めた、トラペズナ教会。
蛇の目のルドベキア(別名アラゲハンゴンソウ)と一緒に@

20090708_5637
ペチェールスカ修道院では、実は洞窟や教会よりも、2つの博物館の方を楽しみにしていました。
その1つ、国立ウクライナ民俗美術博物館で撮った、ウクライナのピサンキ(イースターエッグ)の写真です。
ガラスのショーケースに私の姿が写り込んでしまって、最初はなかなか思うように写真が撮れなかったのですが、露出をうんとアンダーにして、PowerShot SX 200 ISの12倍ズームを頼りに後ろに下がって、やっとこのような写真が撮れました@
ピサンキそのものも気に入っていますが、こういう雰囲気に撮れたことで、ますますお気に入りの写真となりました。

20090708_5762
午後、正面から撮った、ウスペンスキー大聖堂。
雲ってしまったので空が白とびなのが哀しい……。
左の岩は、第二次大戦中にこの大聖堂が爆破されたときの破片だと思います。
ドイツ・ナチ軍に爆破されたとのことですが、最近の調査ではソ連の赤軍によるものだったという説もあるとか。

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07/09木 クリミア半島1日目
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20090709_5856
チュフート・カレ洞窟都市。
天気がよく、見晴らしもとてもよかったです。
がたがたの岩だらけの道を約3時間、思わぬハイキングになりましたけど@

20090709_5893
チュフート・カレ洞窟都市と見晴らしです。

20090709_5917
これもチュフート・カレ洞窟都市のものですが、見上げて撮ったものです。青空も美しかったので@
この洞窟都市はさまざまな民族が利用していったので、この2つの教会はまったく違う宗教なのにとなり合わせに建っていました。
確かユダヤ教と正教会だったかなぁ。現地ガイドはメモを取らせてくれなかったので、せっかくたくさんしてもらった説明の大半、忘れてしまいました(泣)。

20090709_5929
岩壁の被昇天教会。
洞穴がそのまま教会になっていました。その上にこの教会らしい建物で覆ったというかんじです。
この建物は正確には教会本体ではなく、鐘楼か、ゲートみたいなものでしょうね。
左手に続く白壁の内側を歩いて、教会となっている洞穴に入りました。

20090709_5965
タタール人のクリミア・ハンが残したバフチサライ宮殿。
部屋の中に噴水がある、もっとも贅沢な部屋といえます。
建築には確かイタリア人から建築家を呼び寄せています。天井などを見ると「なるほど」と思えます。

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07/10金 クリミア半島2日目
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20090710_6086
アルプカ宮殿。
アルプカ庭園との間には、大きな岩が壁のようにはだかっていて、その向こうにいきなり、イギリスのお城のような建物が出現します@
イギリス趣味なのは、ロシア帝政時代にこれを建てさせたミハイル・ボロンツォフ伯爵が、父親が大使としてイギリスに赴任していたため、彼自身も幼少時代イギリスで暮らしていたせいもあるようです。

20090710_6134
実はこれもアルプカ宮殿です。
山に面した庭園側はあのようにイギリスのチューダー様式の宮殿なのですが、海岸側はこぉんなイスラム宮殿みたいなのです。
事前に知ってはいたのですが、中を見学していてガイドの話に必死についていこうとしているうちに忘れたらしく、素直に驚き、感動できました@

20090710_6160
写真を撮影するだけでも、と現地旅行代理店の担当者を通じてリクエストしておいた、ヤルタ名物の「ツバメの巣」。
中は現在はイタリア・レストランだっていうので、写真だけでよしとしました。それでも見学者がぞろぞろいるようですね。
現地ガイドお薦めのスポットから撮ったものです。確かにステキなアングルですが、逆光……。

20090710_6203
リバーディア宮殿のヤルタ会談の円卓の会議室。
第二次大戦後の世界の体制を決めた巨頭会議があったところ。
当時のまま残されているそうです。

20090710_6307
ヤルタのレーニン広場。
東欧諸国のほとんどが、かつて街中にたくさんあったレーニン像を取り壊しているのですが、クリミアだけは、ガイドいわく「昔のことは昔のこと」として、そのまま残しているそうです。

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07/11土 クリミア半島3日目
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20090711_6371
マリー・マイアーク村の聖ニコラス教会。
ヤルタからスダックに向かう途中で寄りました。
サンタクロースのモデルくらいしか知らなかった聖ニコラスは実は海運の守護聖人でした。
この教会はまるで灯台のように海が見渡せるところに建っていて、教会のモチーフや内部の壁画に船や碇がたくさん使われていました。
またここは、第二次世界大戦中、ナチス軍が、けが人や女子供しか乗船していなかったアルメニアの船を撃沈させたところだということです。その慰安記念碑もありました。

20090711_6471
ノーヴィ・スヴェット植物保護地区から見られる絶景海岸@
この入り江は、ロシア最後の皇帝ニコライ2世が家族とよく遊びに来たところだそうです。

20090711_6524
スダックのジェノヴァ要塞跡。
旅行前、クリミアの歴史は略史をさらっとひと読みした程度でしたので、クリミアにこんな立派なジェノヴァの要塞が残っているとは思いませんでした。
英文のLonely PlanetにGenoese Fortressとちゃんと書かれていたのに、なんのジェノヴァなんだろう、なんて思ったりして。
クリミア・ハン時代でも、オスマントルコがやってくるまで、ジェノヴァの商人がクリミア半島南岸の貿易の実権をがっちり握っていたようです。

20090711_6556
週末のヤルタのレーニン広場前。
土曜はこのようにフォークダンスが踊られたりするそうです。
女性同士で踊っている人もいるのでちょっと驚いて翌日ガイドにそのことを話したら、戦時中に男性が少なかったので女性同士で踊ることもふつうになったのだと言っていました。

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07/12日 クリミア半島4日目
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20090712_6604
ヤルタの聖アレクサンダー・ネフスキー寺院。
この日は出発前にガイドと2人で少しヤルタを歩きました。
聖パウロ聖ペテロの日ということで、特別なミサが行われていたようです。
しかし、正教会の中では立ってるしかなく、風通しが悪くぎっしりの信者でムンムンと蒸し暑くて、特別なミサ見学は我慢大会のようでした。。

20090712_6651
マサンドラ宮殿。
実は2日目に行く予定だったのに急に降り出した大雨で中止となりましたが、この日に無事に見学できました。
城主というか城の建築や改築の注文主が完成前に次々と亡くなってしまったため、誰もまともに住むことのなかったという宮殿です。
裏の庭園にバラ園があり、かつてここでローズオイルが精製されたようです。

20090712_6751
絶景でしょ@
ヤルタからセバストポリに向かう途中の、フォロス村のイエス復活教会です。
クリミア半島を通っていたシルクロードの一部のそばの断崖の上に建てられていて、そのシルクロード上の昔の町の門のようなところが絶好の展望ポイントとなっていました。

20090712_6788
バラクラバ湾。
海の水がコバルト・ブルーでした。その昔、マルセイユやマルタで見た眩しい地中海のよう。
バラクラバ湾は深い入り江になっていて、第二次大戦中、外海から港を見つけるのは困難だったというのがよく分かりました。

20090712_6878
セバストポリ郊外のヘルソネス遺跡。
とても広くて全部ゆっくり回っている時間はなかったのですが、ざっとでも見学できてよかったです。
いやはや、車付で現地ガイドに案内してもらえるということで、この日もガイドに「クレイジー!」と言われたくらい、もりだくさんのスケジュールでしたから。

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07/13月 オデッサ観光
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20090713_6972
月曜日は閉館だった、考古学博物館とその前のラオコーン像。
オデッサはとても美しい街で、この考古学博物館やおとなりのオペラ座付近はとりわけ美しいエリアでした。

20090713_6999
有名なポチョムキンの階段。
向かいの港ターミナルの上から撮ったら、なんとかサマになりましたが、あの青い工事用のフェンス、どうにかならないかしら。
せめてもう少し保護色にして欲しかったです。

20090713_7026
オデッサ港。
ポチョムキンの階段の上から見たときには、資本主義の弊害……と思ったのですが、実際に港ターミナルに行ってみると、タンカーだのが並んでいる産業港は、見慣れぬ私の目にはなかなかかっこよく見えました。
でも白いボートが並ぶこのあたりが一番写真の撮り甲斐がありました。
折しも順光で、ドラマチックな雲がむくむくで。

20090713_7061
愛の橋にかけられたハート型の錠。
橋自体はどうってことのない鉄橋で、こういう愛の誓いの錠がかけられていたのは一部でしたが、近寄っていくつか眺めてみると、なかなか面白かったです。
いちいち写真に撮りたくなってしまったくらい@

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07/14火 リヴィブ観光1日目
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20090714_7157
オペラ座のあるエリアを走るスバボーディ(自由)通り沿いの美しい建物。
由緒あるというグランドホテルでした。
公園に活けられた花と青空効果で、余計に撮影意欲がそそられました@

20090714_7184
リヴィブのオペラ座の屋根の彫刻を中心に。
PowerShot SX 200 ISの12倍ズームの威力はすばらしいです@
ちなみに、オペラ座の公演プログラムを調べたら、私のリヴィブ滞在日とニアミスで重なりませんでした、残念。

20090714_7296
かつて市場が開かれた町の中心のリーノック広場にて、ネプチューンの像と市庁舎。
歴史上、リヴィブはポーランド領土であった時期が長いのですが、その影響で、このリーノック広場はポーランドのように、広場の真ん中に市庁舎があるドーナツ型でした。

20090714_7312
市庁舎の塔から眺めた大聖堂方面。

20090714_7460
ドミニカン聖堂の屋根の上の彫像の1つ。
なんとなく心惹かれる像でしたので、ズームで撮りました。

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07/15水 リヴィブ近郊城めぐり
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20090715_7524
車窓から撮った、オレスク城。
私は助手席に座っていましたが、走っている車から捉えたにしては……しかも予測してなかったわけですし……上出来でしょ?
ここは、ウィーンでオスマントルコの攻撃を止めた英雄ヤン・ソビエツキ3世(後にポーランド王となる)の生まれた城でもあります。
ちなみに、リヴィブからポーランドの首都ワルシャワまでの距離は、ウクライナの首都キエフまでの距離と同じなんですって。

20090715_7624
かつて栄華を誇ったピドゴレツク城の、現在の哀れな姿。
まだまだ修復中で、中を見学できるほどではありませんでした。
城のまわりはいまや林や野原で、かつて美しいフランス式とイギリス式庭園があったとは思えないほど荒涼ぶりでした。
でも、ウクライナ人の有志による財団が設立されていて、少しずつ修復作業が進められているそうです。

20090715_7684
ゾロチフ城の中国館。
対して本館は、外観はもっとあっさりしたルネサンス様式で、写真映えしにくい建物でした。

20090715_7749
リヴィブ市内のアルメニア教会のアールヌーヴォーな壁画。
「地球の歩き方」いわく、アルメニア教会は通常、中ももっとシンプルらしいのですが、この教会だけは別だとのことです。

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07/16木 コロミーヤ観光
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20090716_7851
建物の形がピサンキ(イースターエッグ)の、ピサンキ博物館。
目立つ建物だろうからすぐに分かると思ったのですが、迷いました。
背後から近付くとエッグが見えず、ぎりぎりまでふつうの建物に見えてしまったせいです。
いや、そもそも方向音痴のせいですが@

20090716_7912
ヒモでぶら下げられるようになったイースターエッグ。
イースターエッグの模様には各国の特徴がありますが、こういうのはウクライナらしいのでは?
と思っているタイプです。

20090716_7916
イースターの扮装の人形たち。
ピサンキ博物館の展示は、ピサンキだけでなく、イースターに関係あるいろんな展示もありました。
この部屋は薄暗かったので、ピント合わせに苦労しました。

20090716_7974
いろんなイースターエッグ。
ピサンキ博物館には20世紀初頭のものという古い作品もありましたが、これは比較的新しく、2004年に作成されたものでしょう。
博物館で買ったパンフレットによると、ウクライナだけでなく世界各国のイースターエッグも展示されているとありました。
ひょっとしたらウクライナのイースターエッグではない可能性はありますが、ステキであれば、なんでもOK@

20090716_8108
フツル(ウクライナの山岳民族)民族芸術博物館の農民の部屋を再現した一角。
テーブルやベッドの装飾がすばらしいです。
ガラスイコンが飾られているのも見えます。

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07/17金 リヴィブ観光2日目
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20090717_8276
アンドレイ教会裏の城壁跡。
赤ちゃんを抱いたお母さんが橋を渡る瞬間を狙いました。
逆光なので空が白とびなのが残念。

20090717_8288
リチャキフ墓地の、「霊廟」と呼ぶしかない、豪華な墓。

20090717_8325
リチャキフ墓地は彫刻公園のよう!
ほかにももっと現代アートっぽい墓石などもありました。

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07/18土 キエフ観光4日目
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20090718_8377
独立広場にあった、バンドゥーラを弾くウクライナ・コサックの像。
ウクライナ・コサックの象徴的な図ですね。
逆光でしたが、光が射し込むところが取り入れられたので、お気に入り写真になりました。

20090718_8452
ウラジーミル聖堂。
写真代を払えば撮影可能でしたので、じゃんじゃん撮らせてもらいました@
イコンの壁のイコノスタシスは低めで、奥の礼拝堂の壁画がこのように一部見えているのがウクライナ正教会(そしてたぶんロシア正教会も)の特徴だろうなと思います。

20090718_8467
週末の独立広場は大賑わい。
滞在ホテルが独立広場のそばなのでなにかと通りかかるのですが、ウクライナ観光初日の月曜日の昼間に比べて、週末のこの賑わいには驚きました。
ほとんどがウクライナ人観光客のようでした。
ウクライナによく来る外国人観光客はポーランド人のようです。

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07/19日 キエフ観光5日目
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20090719_0008
ピロホヴォ村の野外博物館の風車。
ウクライナは、山の中は別として、7月半ばにして大地はこのようにもうすでに黄色く染まり、初秋のようでした。
でも気候は真夏でした。。。

20090719_0045
ピロホヴォ村の野外博物館の農家。
ハンガリーやブルガリアやルーマニアの農家とどう違うの?
といわれても私には明確に言えません。
ただ、ウクライナのこの野外博物館では、屋根の巣箱のような煙突が随分高いなぁと思いました。

20090719_0145
ピロホヴォ村の野外博物館の風車群。
羽が折れているの無造作にあるのが、なんとも@

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07/20月 キエフ出国モスクワ経由
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20090720_0264
去年開通したばかりのアエロエクスプレス。
平日昼間ならそう渋滞しないと思いますし、スーツケースはキエフでチェックインしたときに成田まで預け、手荷物だけでしたから、空港から市内に出るのにマルシュルートカやバスを使ってもよかったんです。
でもまあ、モスクワ市内観光は、シェレメチェヴォ空港で8時間半もの乗り継ぎに耐えられそうにないので気晴らしに旅程に組み込んだので、話のタネにアエロエクスプレスに乗るのもいいなと思いました。

20090720_0306
ワシリー寺院には一室目から圧倒されました@
ちなみに、いまはワシリー寺院ではなくポクロフスキー聖堂と呼ぶ方がメジャーなのでしょうか。

20090720_0366
ワシリー寺院内から見た赤の広場のグム百貨店と、ミーニンとポジャルスキーの像の後姿。

ハイライト写真集その2につづく。

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2009年ウクライナ旅行17日間で、どんな写真を撮ってきたか分析

去年のブルガリア旅行17日間で2,000枚を超えたときに、我ながらよーやる、と思いましたが、今年はさらにグレードアップしてしまいました。
最初の頃は、1日200枚を超えてしまって、この調子だとどうなるだろうと恐ろしくなりました。
SDカードは、去年は514MBを6枚準備し、5枚目まで使いましたが、今年は旅行用に改めて買った2GBを3枚を準備しました。
そして念のために、ふだん使っていた4GBも持参しました。
2GBの3枚目に突入するとは思いませんでした。

ちなみに私の写真のサイズは2592x1944ピクセルを標準にしています。
たまに説明書きなどを撮ったごくごく一部は、一段落画質を落として1600x1200で撮りました。

07/05日 59枚
07/06月 273枚
07/07火 207枚
07/08水 224枚
07/09木 186枚
07/10金 205枚
07/11土 120枚
07/12日 234枚
07/13月 128枚
07/14火 210枚
07/15水 195枚
07/16木 254枚
07/17金 118枚
07/18土 64枚
07/19日 134枚
07/20月 97枚
合計2,708枚

・成田に到着した日(7/21)を除く16日間の平均は、約170枚。
・初日(7/5)とラスト2日間(7/20-21)を除いた14日間の平均は、約182枚。

途中で少し制限したので1日平均は200枚とならず、合計も3,000枚までは行きませんでした。

枚数がグレードアップした理由は、今年の4月に買った新しいカメラPowerShot SX 200 ISのおかげでしょう。
12倍ズームは、いままで豆粒のようになってしまうのであきらめていた離れた被写体もラクラク撮れて、撮影のチャンスがぐんと広がりました。
また、博物館の中など薄暗いところでは、手ぶれ補正が私の知らぬ間に味方をしてくれていたでしょう。
博物館の写真代はちょいと割高なので、モトをとろうとせっせと撮ったせいもあります。
とっても楽しみにしていたピサンキ(イースターエッグ)は、しつこくしつこく撮ってしまいました。カタログでも作らん勢いです。だって素敵な作品ぞろいで我慢できなかったんですもの。
それ、全部フォートラベルの旅行記にアップしたら、やっぱりしつこいかなぁ@

枚数がグレードアップした理由として、天候に恵まれたことも理由でしょう。
雲ひとつないピーカン晴れの日が何日もありました。
とても理想的な、白雲がドラマチックなすばしらい青空の日もありました。
ちょっとだけ雨に降られましたが、一時的でしたので、足しても半日にもなりません。
曇りの日もありましたが、足して1日になるかならいか、というくらいだと思います。
ただ、最終日に1時間半しかチャンスのなかったモスクワで曇っていたのは残念でしたね。
日照時間が長いので、昼間はパッとしない天気でも、夕方からすばらしく晴れた日もありました。

100枚を切ったのは、出国日と帰国日、それから写真撮影不可の美術館ばかりで過ごしていた日(7/18)くらいですね。
それでもそこが新しい街だったら100枚はあっという間に超えたかもしれませんが、4日目のキエフでしたから。

以下は、どんな写真を撮ってきたかの分析です。

(1)07/05日【59枚】成田発モスクワ経由キエフ着

機内と空港だけなのに59枚にもなった理由は、成田空港で日本折紙博物館を見つけたからです。
それから、成田空港ならではの日本土産、そしてモスクワのシェレメチェヴォ空港の免税店の品物など。
初日のウキウキのままに、じゃんじゃん撮ってしまいました。

(2)07/06月【273枚】キエフ観光1日目(3大教会とウクライナ歴史博物館ほか)

写真代を払って撮影させてもらった、ウクライナ歴史博物館での写真が、無料で撮れる建物の写真も含めて、111枚もあります。
そして、独立広場でも聖ソフィア大聖堂でも聖ミカエルの黄金ドーム修道院でも、いろんなアングルで撮りました。
全体を撮ったり、12倍ズームで一部だけ切り取って同じ被写体でもイメージの変わる写真を撮ったり@
ヨーロッパの巨大な建物のてっぺんの彫像のアップの写真までいい感じに撮れるのには驚きました。
そしてこの日の空はとてもドラマチックで、ときどき曇ったのや逆光は困りものでしたが、被写体を最も美しく見せる理想の空模様でした。

(3)07/07火【207枚】キエフ観光2日目(チェルノヴィル博物館やアンドレイ坂ほか)

チェルノヴィル博物館では英語のオーディオガイドを聴きながら見学したのですが、かなりの部分の話が頭からスルーしてしまい、なんとなく気になった写真を撮りまくってきただけになってしまいました。
建物の写真を含めて50枚です。
一本道の博物館では、建物の写真を含めて23枚。
あとはやはり街並みなどいろいろ撮ったからでしょうね。
アンドレイ坂では屋台の民俗品のおみやげも撮ったり、アンドレイ教会もいろんなアングルで撮りました。
また、初の地下鉄利用で、プロセスごとにいちいち写真を撮りました。
地下鉄の改札は、人生ゲームのプラスチックのお金みたいなジェトンを使うんですよ。

おもちゃみたいな地下鉄のジェトン。1.70グリヴナ(1グリヴナ=約14円で換算)。
01_5156jeton

(4)07/08水【224枚】キエフ観光3日目(ペチェールスカ修道院)

写真はほとんどペチェールスカ修道院で撮ったものですが、到着するまでのバス停の写真などや、それから思った以上に豪華で驚いた、キエフ中央駅の写真などもあります。
ペチェールスカ修道院では、建物の写真もいろんなアングルで楽しみましたが、なんといっても民族美術館博物館の110枚が大きいですね。
ピサンキ(イースターエッグ)もたくさん撮りました。
ウクライナの緑が使われた陶器をはじめ、現代アーティストによる陶器の作品もたくさん@

ウクライナの緑が使われた陶器。
これがウクライナのものであるということは、一昨年のルーマニア旅行中に知りました@
02_5734china

(5)07/09木【186枚】クリミア半島1日目(チュフート・カレ洞窟都市やバフチサライ宮殿ほか)

チュフート・カレで77枚、バフチサライで52枚撮っています。
それから、ヤルタに向かう道すがら、車窓の外の景色もすばらしくて、走行中に撮ったものもあれば、ときどき車を停めてもらって撮ったものもあります。
ただ、クリミアのガイドは、どんどん先に歩いていってしまう人で、写真を撮ろうと思っても彼女の後ろ姿が入ってしまって撮れないときがありました(苦笑)。
それでもこの枚数ですけどね。

(6)07/10金【205枚】クリミア半島2日目(アルプカ宮殿、リバーディア宮殿ほか)

宮殿内の写真は撮らせてもらえました。それから庭園の写真も。
アルプカでは、庭園を除き宮殿と庭園だけで57枚、リバーディア宮殿は37枚。
また、ニキーツキー植物園では、ちょうどよい時期の花がなかったので、35枚。ユリがピーク過ぎで少し残念な時期でした。でなければ、もっと枚数が増えたでしょう。
オレアンダー・サナトリウムのニコライ2世の教会では、番をしていた女の子が写真を撮っていいと言ったので、撮らせてもらいました。
教会内部の撮影チャンスは少なかったので夢中でした。それほど大きな教会ではなかったので、15枚でも我ながら随分撮った方です。
それから、夕方のヤルタの海岸沿いのプロムナード1人歩きで25枚。
ヤルタというとシンボリックなツバメの巣の写真はたったの2枚です。
あらかじめ現地旅行会社の担当者を通じて、中には入らなくてもいいけれどツバメの巣の写真を撮りたい、とリクエストしておいたので、ガイドお薦めの撮影ポイントに連れていってくれたのです。
でもアングルを選びようがないところでしたし、しかも逆光だったので(泣)。
もっとも、絶景は他にもたくさんあったおかげで、ツバメの巣の撮影が満足できなくてもたいしたことではなくなったのは確かです。

(7)07/11土【120枚】クリミア半島3日目(ノーヴィ・スヴェット絶景海岸やスダックのジェノヴァ要塞跡)

絶景をたくさん見てきましたが、訪れた場所は少なめだったので、この枚数でおさまりました。
ノーヴィ・スヴェットで41枚、ジェノヴァの要塞で26枚です。
それから、ノーヴィ・スヴェットに行く途中の聖ニコラス教会はとても景観のすばらしいところにありましたので、12枚。
ところで7月上旬のヤルタは、ネムノキがとても美しかったです。
ただ、12倍ズームを駆使して視写界深度を浅くする───ピントが合ってる範囲を狭くして、柔らかい雰囲気で撮りたかったのですが、なかなか理想どおりに撮れず、何度も何度もネムノキでカメラを構えてしまいました。
ガイドに「この花はあなたのお気に入りなのね」と言われました@

ノーヴィ・スヴェットの絶壁を背景に、ネムノキ
03_6499nemunoki

(8)07/12日【234枚】クリミア半島4日目(マサンドラ宮殿、バラクラバ湾、セバストポリとヘルソネス遺跡ほか)

クリミアでガイドと車付の観光も最終日です。
ヤルタからバラクラバへ向かう車窓の外はとてもすばらしかったし、見ていて興味深いものもあったので、遠慮せずじゃんじゃん撮りました。61枚です。
そしてこの日はいろんなところをたくさん回りましたから、1ヵ所での枚数が少なくても、かなりの枚数になりました。
たとえば、ガイドとのヤルタ散策で18枚、マサンドラ宮殿で30枚、フォロス(Foros)村の絶景ポイントにある教会で25枚、バラクラバ湾で29枚、セバストポリでヘルソネス遺跡を含めて42枚。

幸運にも車窓からキャッチできた、街頭のはちみつ売り。
04_6901honey

こういうのはルーマニアでもブルガリアでも田舎ではよく見られました。
ほとんどの場合、誰も見張っていなくて、このようにおきっぱなしでした。

(9)07/13月【128枚】オデッサ観光(ポチョムキンの階段、国立オデッサ美術館ほか)

美術館では撮影不可で、街中だけで128枚も撮ったのは上等です。
ちょいとボロいけど、気になるスキテな建物がぼろぼろ見つかりましたので、セントラルに向かって歩きながら道路向こうの建物を12倍ズームで引き寄せて撮りました。
12倍もあるので、どのくらい引き寄せるか、好き放題です。
あとはポチョムキンの階段から見える景色を味気なくしていた港ターミナルですが、その港に行ってしまうと、たくさんの白いボートが並んだ光景はなかなか心惹かれるものがあり、撮った枚数は26枚。

(10)07/14火【210枚】リヴィブ観光1日目(民族博物館、民俗美術工芸品博物館、リーノック広場と市庁舎の塔ほか)

ウクライナを旅行するならぜひと言われているリヴィブ初日なので、再び200枚超えました。
でもフォークロア美術がたくさんの博物館2つで撮影可能だったのが大きいです。
スウァボーディー通りの民俗・美術工芸品博物館では53枚、リーノック広場の民俗・美術工芸品博物館では58枚です。
どちらもナイーヴ派といえるんじゃないかと思われる作品がたくさんあったのです。感激です。
外にそのポスターがあったので、常設展示でなく、特別展示だったかもしれません。
前者では、たぶん作者はドユーク・ナタリアという人だと思うのですが、ピサンキ(イースターエッグ)をモチーフにした作品。
後者は、イヴァン・スコロズドラという人の作品。

ピサンキをモチーフにした作品
05_7261pisankypicture

イウァン・スコロズドラの作品。
ウクライナ・コサック。倒れているのは、たぶんモンゴル兵。
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(11)07/15水【195枚】リヴィブ近郊城めぐり(オレスク城、ピドゴレツク城、ゾロチフ城)

主な写真は3つの城と、それからガイドと別れてリヴィブに戻ったあとで、写真代を払って撮らせてもらったアルメニア教会です。
オレスク城では60枚。
ガイドが1つ1つ丁寧に説明してくれた展示の写真が中心です。ヨーロッパ美術史の復習になりました。
中に入れず外側だけのピドゴレスク城は、26枚。
ガイドが持っていた冊子からも、最盛期のスケッチの写真を撮らせてもらいました。英語版があったら買っていましたけどね。それがさらに11枚。
ゾロチフ城は城内は写真不可ですが、中庭はガイドが写真代を払ってくれて、撮影できました。
バラ園がちょうどいい具合に花を咲かせていたので、おのずと枚数が増えてしまいます。そのせいで40枚。
そしてアルメニア教会は、アールヌーヴォー絵画のような壁画があります。
薄暗い教会でしたが、場所によっては意外に明るかったですし、フラッシュをたいても色がきれいに撮れたものもあったので、26枚。

アルメニア教会のアールヌーヴォー絵画のような壁画
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(12)07/16木【254枚】コロミーヤ観光

なんといってもピサンキ(イースターエッグ)博物館の105枚と、フツル(ウクライナの山岳民族)民族美術博物館の90枚ですねっ。
それぞれ建物の写真も含みます。
ピサンキ博物館は、ピサンキがくっっいた珍しい形をしています。
ただ、裏から見ると、イースターエッグは見えません。
近付けばすぐに博物館が分かると思ったでなかなか見つからなくて首を傾げましたっけ。
もちろん、方向音痴だったせい。。。
展示は、イースターエッグだけでなく、イースターの祭りの最中の人々の人形やら、飾りなど、イースター関連の展示もありました。

(13)07/17金【118枚】リヴィブ観光2日目(リヴィブ美術館、武器博物館、リチャキフ墓地ほか)

リヴィブも2日目となると、街中の写真は減ります。
リヴィブ美術館は写真不可ですし、写真を控えたい気持ちがあったため、武器博物館ででは写真代を払って撮影しませんでした。
総枚数を気にしなければ、写真に撮りたいなと思うくらいの興味深い展示はいくつもありましたけど。
ただ、リヴィブ博物館の裏にあった書籍博物館では、写真代を払って、撮りまくってしまいました。
建物の写真を含めて37枚というのは、小さな博物館にしては多いでしょ。
昔の手書きの聖書などが展示されていた部屋は薄暗かったので数枚ですが、この書籍博物館の後半は1970年代くらいのSF小説の本の挿絵の原画でした。
なかなかドキドキする面白い絵ばかりで、ついじゃんじゃん撮ってしまいました。
それからリチャキフ墓地も、まるで彫刻博物館みたいに興味深い墓石が多くて、34枚。
撮影枚数を制限しようという気持ちがなければ、もっと撮っていたと思います。

書籍博物館コレクションの幻想的なイラスト
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(14)07/18土【64枚】キエフ観光4日目(ロシア美術館、ウラジーミル聖堂、ウクライナ国立美術館ほか)

写真不可であり、コレクション数も多い2大美術館がメインの1日でしたので、枚数は抑えられました。
でも、教会内部を撮影できる数少ないチャンスなので、ウラジーミル聖堂では写真代を払って撮影しました。36枚です。
あとは、ロシア美術館の周辺はとてもアカデミックで巨大で美しい建物が多く、やはりそそられました。
まっかっかのキエフ大学の建物は強烈でした。
ロシア美術館と、それから見学はしなかったのですがシェフチェンコ博物館は、水色の壁色に白い浮彫り装飾がたくさん施された、涼しげな乙女チックな建物でした。
今度来日するタラス・シェフチェンコ・オペラ劇場のそばも通ったはずですが、このときは暑くてふーふーだったのと、思ったより予定が押してしまったので、写真を撮りに寄り道しませんでした。

(15)07/19日【134枚】キエフ観光5日目(ピロホヴォ村の野外博物館(民族建築と生活博物館)ほか)

ハイライトの野外博物館で114枚。大半がこれですね。
あとはアンドレイ坂までの往復は一度は通ったようなところでしたので、それほど写真を採りませんでした。
でも、聖ミカエルの黄金ドーム修道院から黄金の門に向かったときのウラジミール大通りは初めて通りましたから、ちょこちょこと興味深いスポットを見つけて写真を撮りました。
この通りのアンドレイ坂寄りは、週末は絵画市みたいになるんですね。
まさか絵画の写真は撮らせてもらえるとは思えないので、いいなと思う絵があっても我慢しました。
買っても飾るところがありませんし、ポストカードが欲しいなと思う程度でしたから。

ウラジミール大通りの絵画市
09_0228picturemarket

(16)07/20月【97枚】キエフ出国モスクワ経由(モスクワ観光・赤の広場)

さすがに帰りは空港の写真はほとんど撮っていません。ほとんどがモスクワ市内観光での写真です。
写真代を払って内部撮影をしたワシリー寺院は、外観の写真を含めて48枚です。
ただ、赤の広場の写真はねぇ。
どんより曇った空では、あんまり撮る気になれなかったのは残念でしたね。とても残念です。
しかも、空港に戻ったら晴れるんですもの。
でも、空港を出て、去年(2008年)開通したばかりのアエロエクスプレスに乗るまでなど、わりと丁寧に写真を撮ったつもりです。
こういうのも結構、楽しいんですよね@

シェレメチェヴォ空港第二ターミナルからアエロエクスプレスのシェレメチェヴォ駅に向かう途中。
アエロエクスプレス駅はまだまだ工事中だったので、仮説通路でしょう。
10_0261station

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2009年ウクライナ旅行:各日ざっくり感想(後半)

旅先から友人に絵はがきを出すのは、話題は尽きないですし、こんなところに行ってるんだよーん、とちょっぴり自慢したい気持ちもあり、楽しいものです。
家庭をもったためなかなか会えなくなってしまった友人と、その絵はがきをかっかけに久しぶりに会うこともあります。
だいたい10人くらいに送っていますしね。
海外旅行を3週間出かけられたときは、2枚ずつ送ったこともあります。
これがパソコンを持参している場合なら、メールになるのでしょう。

ところが幸か不幸か、最近は、絵はがきを書く時間もなかなか捻出できなくなってしまいました。
なんとか旅のなかばで書き終わらせて投函できたのですが、ウクライナの郵便事情はそんなによくないというので、友人のもとにはがきが届く頃には、私はとっくに帰国しているでしょう。

はがきを書く時間がなかったのは、ネットのおかげで事前に手配がしやすくなり、待ち時間が減ったせいもあると思います。

いや、写真を撮る回数が増えたからかしら。
ヒマができても、回りを見回すと、ほんとにちょっとしたことでも、興味深い被写体が見つかることが多いです。
日常生活でも、ふだんなんとも見過ごしていたものをカメラのファインダーを通してみると違って見えて面白かったりするのに、ましてや見慣れない珍しいものがたくさんある外国ですもの。
ゴミ箱1つ、撮るのが楽しいときがあります@
キエフで初めて地下鉄を使ったときには、入口を見つけ、切符売り場を見つけ、案内を見ながら行き先ホームに出る……といった1つ1つの手順すらも、話のタネに、と写真に撮ったりしました。
また、ウクライナはブルガリア以上に、トルコ式のトイレに遭遇する頻度が高くて、百聞は一見にしかず、と話のネタに撮ろうかと思いましたが……写真を見て臭いまで思い出しそうな気がしたし、早く出たかったので、ヤめました(笑)。

【07/13月 オデッサ観光(1等寝台車泊)】
・ポチョムキンの階段、国立オデッサ美術館ほか

最初のプランでは、オデッサは外してもいいやと思っていました。
考古学博物館は魅力でしたが、その他の見どころというと、ポチョムキンの階段しか思い浮かばなかったのです。
アイゼンシュタインの映画「ポチョムキン」は有名ですし、行く前に一応、見ました。
でも私は別に映画ファンというわけではないで、オデッサに行くなら、一度はあの映画は見ておくのが礼儀でしょう、みたいな気分で見たのです。
ところが、クリミア半島のシンフェロポリからリヴィブまで列車を使うと、24時間以上かかります。
いくら一等車両だからといって、そんなに長い間、列車の中に缶詰になっているのはイヤなので、途中でオデッサで下りることにしました。
月曜日に当たってしまったので考古学博物館は休館でしたが、国立オデッサ美術館に行きました。
そのほかにナニがあるのか、と言われると、これといって挙げにくいのですが、建物はちょっとボロっちいところもあったけれど、セントラルは確かに、モスクワだのウィーンだの、ああいう都市の華やかさを感じさせる建物が多くあり、散策していて楽しいところでした。
ポチョムキンの階段は、あくまで階段ですし、事前に知っていたとはいえ、港方向の景色はわざわざ見たいものでもありませんでした。
階段自体も、片方が工事中か何かなのか、青いフェンスがとても興ざめでした。
でも、港は、ターミナルまで行ってしまえばなかなか面白かったです。
また、ミラノのアーケードと比較したら負けますが、そんなようなパッサージュ・アーケードもあり、そこでショーウィンドウで、木彫りのお人形さんにとても惹かれて買い物をしてしまいました。

お人形さんと、その他オデッサで買ったもの(リヴィブのホテルにて撮影)。
ツリーは、サンタと雪だるまが入ったマトリョーシュカです。
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ところがオデッサではもう少しで大失敗するところでした。
スーツケースは駅の荷物預かり所に預け、駅からセントラルまではトラムで10分くらい。
列車の発車時刻の2時間前にはセントラルから駅に戻るつもりでいれば、余裕で列車に乗れるでしょう、と思っていたのに。
2日ぶりにまともな食事をとるか、とレストランに入って注文した後に、セントラルに戻るのは何時にしたんだっけ?
と予定表を見たら、なんと、すでにその時間が過ぎているではないですか。
もう注文してしまったので、断る勇気はありませんでした。
食事時間に30分。残り1時間半あるから、なんとかなる、と思いながら、ひやひやひやひや。
いくらおなかがすいていても、口の中に詰め込むように料理を運べば、美味しいわけがありません。
しかも、行きはトラムで「地球の歩き方」を参考にしたのに、駅への戻り方は書かれてありません。
朝、下りたトラムの停留所まで戻ってみたら、早朝は車通りが少なくて気付かなかったのですが、そこは一方通行でした!!
トラムの停留所を探して駅に向かうトラムを待つよりは、あの距離なら走った方が早いと思い、必死に走りました。
どのくらい走れば駅に着くかわからず、もし遅刻したら、この後の予定がどんどんずれて大変なことになる、と半べそかきながら。。
全速力で走れる体力は残っていなかったので小走りでしたが、それでも20分くらいで駅に着いたときには発車20分くらい前。でもこれで安心してはいけません。
荷物預かり所は一番端っこのホームの中ほどにあります。
それほど待たされずに荷物を受け取ることができましたが、一等車両はたいてい先頭の方なので、長い長い列車の前までホームを歩かなくてはなりません。
いざとなれば違う車両でも乗り込んでしまえ!と思ってはいましたが、ウクライナの寝台車は車両ごとに車掌がいて、その車両の乗客かどうかきちんと確認するのです。
それに通路が狭い車内を移動するのは大変です。
なんとか間に合ったからよかったものの、このことでひどく後悔しました。
その後はちゃんと、もっと時間に余裕のある行動をしようと心に誓いました。

クリミア半島のシンフェロポリからオデッサ行きの一等寝台車
(オデッサからリヴィブに向かう一等寝台車は、乗り込んだときにすでに同室者がいましたから、写真は撮れませんでした。)
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【07/14火 リヴィブ観光1日目(リヴィブ泊)】
・民族博物館、民俗・美術工芸品博物館、リーノック広場と市庁舎の塔ほか

シャワーもなく個室に洗面台もないウクライナの寝台車に2泊したので、この日は1.5倍の宿泊費を払って、到着したらすぐにチェックインできるように手配しました。
シャワーを浴びて、汗臭い服を着替えて、先に洗濯をすませてから、観光開始です。
ここでも観光地のど真ん中のホテルを取りましたから、一歩外に出れば、もうリヴィブの観光が始まったようなものです。
リヴィブでは街並みを散策しながらときどき教会を散歩するような観光の仕方がお薦めだとどこかで読んだ覚えがありますが、日照時間の長い夏のヨーロッパ、それは夕方遅くからでも十分です。
私がリヴィブで楽しみにしていたのは、やっぱり美術館でした。
とはいえ、美術館に入る前にオペラ座前の広場で写真撮影に凝って30分も費やしてしまいましたけど@
中規模の3つの博物館に入りました。3つとも、フォークロア文化をたっぷり楽しむことができました。
民族博物館では、キエフのウクライナの心の宝博物館で見損ねた、ナイーヴ派の画家マリア・プルマチェンコの特別展をやっていて、彼女の素敵な愛らしい絵をたくさん見ることができました。撮影不可だったのが残念。
ほかに民俗・美術工芸品博物館というのが、オペラ座の横を走っているスバヴォーディ通り沿いと、かつて市場が開かれたリーノック広場沿いに2つあります。
このどちらも、写真代を払えば撮影可能でした@
どちらの博物館にも、とても素敵な素朴で美しい作品がありました。

スバヴォーディ通りの方の博物館で出会った、ピサンキ(イースターエッグ)をモチーフにした作品
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リーノック広場の方の博物館で出会った、イヴァン・スコロズドラという人の作品
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市庁舎の塔も上りました。
4階段まではエスカレーターがあったのに、素直に案内の貼り紙に従って、階段を使ってしまいました。
塔に上るのは、そこからが本番でした。。。
上からの見晴らしはそれで満足したので、郊外の見晴らしの良いという城壁まで行かなくてもいいやと思いした。
ちなみに、リーノック広場はポーランド支配時代の影響が残っていました。
ポーランドの町の中心の市場が開かれる広場には、真ん中に市庁舎あって、ドーナツ構造になっているのですが、リヴィブもそうなのです。

【07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(2等寝台車泊)】
・オレスク城(Olesk)、ピドゴレツク城(Pidgoretsk)、ゾロチフ城(Zolochiv)(現地英語ガイド&車付)

今度の英語ガイドはもっと若くてまじめそうな女性でした。
クリミアのガイドは、よその子供でもどうどうと注意をしたりしますし、ウクライナ人の木にリボンやらなにやら巻きつける習慣(再びこの地に来れることを願って)を、木にとっては迷惑以外の何者でもないと嫌っていて、たまたま通りかかったときにリボンを結ぼうとしていた若いカップルに、「あなたたち、知ってるの? それは木にとってよくないのよ」(たぶんそんなようなことを言っていたと推測)と説教するようなおばちゃまです。
自らをソビエト・ウーマンと呼び、ソ連時代にはこのあたりに広大なバラ園があったのに、畑があったのに、ウクライナ政府がみんなダメにしてしまった、とウクライナ政府に批判的でした。
来ている服は自分で作ったものですし、私をオデッサに送り出した後は休暇が入るので、家で1日ネコを相手にしながら、ジャムを作るんだと言ってました。
そんなヴァイタリティのあるおばちゃまとの4日間もよかったですが、付き合っていてホッとするのは、リヴィブのガイドの方でした。
でも、リヴィブのガイドは、あんまりよそ見しないタイプみたいでした。
たとえば、シャツ1枚でパンツをはいていない赤ちゃんが歩いていたときに、私は可愛いー!と注目してしまったのですが、彼女はスルーしました。

リヴィブ郊外は、Golden Horse Shoe(黄金の馬の足)と呼ばれるエリアにたくさんの城が散在しています。
そのうちの3つを訪れました。
正直言って、そんなに華やかなお城ではないです。
オレスク城は修復が終わったばかりのようです。
中世のお城の外観を残しているので、見た目はシンプル。
内部は、城の歴史を示す展示や、後の方の城主がコレクションしたアンティークで博物館仕様になったかんじです。
ただ、その城の歴史そのもの、そして大きな美術館ならスルーしてしまう小品ひとつひとつのすばらしさをガイドに説明してもらえたので、すごく面白かったです。
ピドゴレツク城は、まだ修復は変わっていなくて、正面の一部だけかつての姿に復元されただけで、何もありませんでした。
しかし、ガイドが自分がもっているパンフレットから、最盛期のスケッチを見せてくれて、非常に胸が締め付けられる思いがしました。
兵どもが夢の跡……。
かつての姿を取り戻そうと、有志による財団が設立されて、作業は少しずつされているようですが、いままで東欧旅行をしてきて、最近再建されたといって喜んで見学してきた城や教会が、いかに苦労して再建されたものなのか、その過程を垣間見れた気がしました。
3つめのゾロチフ城は、離宮の中国式宮殿は修復が終わっていましたが、内部は、かつての城主がコレクションしたり、最近寄贈されたりした、日本を含むオリエント諸国の品々の展示でした。
本館の方は1階だけ見学できました。豪華のホールがいくつもある2階は修復が終わったばかりで、公開されるのはあと数日後だったかしら。
ニアミスでした(泣)。

【07/16木 コロミーヤ観光(リヴィブ泊)】
・ピサンキ(イースターエッグ)博物館とフツル(ウクライナの山岳民族)民族芸術博物館ほか

ホテルにスーツケースを預け、手荷物だけ持参してコロミーヤに1泊旅行しました。
1泊というのは、寝台泊です。到着は朝の7時前。
でも、夕方の列車に乗るために午後3時頃には観光を切り上げなければなりません。今回はオデッサのときのような失敗をするわけにはいきません。
もっとも、目的は2大博物館。それすら見られればOKです。
コロミーヤは「地球の歩き方」には全く記載はなく、Lonely Planetのみです。でもLonely Planetにも、駅からセントラルへのアクセス方法は書かれていませんでした。
地図をよく眺め、博物館からそう遠くないシェフチェンコ公園にまず行くことにしました。
シェフチェンコは、ロシアにとってのプーシキンのような、ウクライナの国民的詩人です。絵も描くし、ウクライナ語の確立にも尽力した人ではなかったかしら。
それくらい名高い人の名前がついた広場なので、駅前のバスで「シェフチェンコ公園に行きますか?」と聞いて、そのそばで下ろしてもらえば大丈夫だろうと思ったのです。
ただ、もしかしたら街の名物のピサンキ博物館でもよかったかもしれません。
たぶん一番分かりすい方法は、駅からバスターミナルを結ぶバスやマルシュルートカ(乗り合いタクシー)はたくさん走っていたので、ちょっと遠いですがいったんバスターミナルまで行ってから戻ることかもしれません。
シェフチェンコ公園のそばで帰りのバス停が見つからなかったらそうしようと思いました。

シェフチェンコ公園に着いたのは朝7時でしたから、周辺の教会や市場をぶらぶらして時間をつぶし、10時ぴったりには博物館に着いていようと思いました。
ところが、Lonely Planetの地図でとても簡単に行けると思ったのに、ここで方向音痴の面目躍如!?
方向違いのところを歩いてしまって道に迷い、シェフチェンコ広場まで戻るということをやってしまいました。
人に聞いてみて、方向違いのところを歩いていたのに気がついて愕然。。。
でも、10時半にはピサンキ博物館に入れました。
1時すぎにはフツル民俗芸術博物館に入れました。
どちらも写真代を払って、100枚近く写真を撮ってしまいました。し・あ・わ・せ@
そのあとに、リヴィブに戻る4時間半の列車が蒸し風呂のようで地獄だったとしても。

ビサンキ博物館で撮った一枚
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【07/17金 リヴィブ観光2日目(1等寝台泊)】
・リヴィブ美術館、武器博物館アルセナール、リチャキフ墓地ほか

リヴィブには、セントラルよりは少し離れたところに、リチャキフ墓地と野外民俗博物館という2つの見どころがあります。
野外博物館は、キエフで行くつもりなので、候補から外しました。
リチャキフ墓地は、東欧のペール・ラ・シューズといわれるような美しい墓地だそうです。
はじめはリヴィブ市内での観光で十分だと思っていたので、行く時間はないだろうと思っていました。
でも、武器博物館を見学した後、あとはのんびり広場に戻るかな、と思って近くのカフェで休んでいたとき。
武器博物館では、3人ほど観光客が英語ガイドを引き連れていました。武器は見るのは面白いけれど、そんなに詳しくない私は、説明が聞ける人たちがうらやましかったです。
私がカフェで休んでいたとき、そのガイドたちが外に出てきて、「次はリチャキフ墓地に行きましょう」と言いながら歩き去って行きました。
とっさに私は、「そうか、今からでもリチャキフ墓地に行けるかもしれない!」と思いつきました。
リヴィブでは幸い、トラムの路線図のある地図をホテルでもらっていたのです。
「地球の歩き方」からでは、リーノック広場に戻ってからの行き方しか分かりませんでしたが、そこまで戻らなくてももっと近くに停留所があることが地図から分かりました。
広場に戻るのもいいけれど、トラムに乗ってちょっと郊外に足を伸ばした方が、たくさん観光をした気分になれるではないですか。
もっとも、墓地散策は、森林浴のような涼しいところを想像していました。ペール・ラ・シューズはどんなところか知らないですが。
門をくぐって、霊廟と呼ぶしかない豪華な墓に感激しましたが、森林浴には決してなりませんでしたネ。
でもところどころ日陰でしたから、散策しやすかったです。
まだ暑かった午後のひととき。

【07/18土 キエフ観光4日目(キエフ泊)】
・ロシア美術館、ウラジーミル聖堂、ウクライナ国立美術館ほか

今回の旅行では、旅の後半になるにつれて、どんどん暑くなりました。
キエフでの最初の3日間は、思ったより涼しくてホッとしたのですが。
残りのキエフでの2日間は、ときどき曇ったけど、日向はオーブンの下にいるような暑さ。並木道の葉っぱを揺らす風が吹いているはずなのに、感じられません。
それに対して日陰は天国のようでした。湿度が低いので蒸し暑さは、風通しが悪い建物の中の方でした。
この日はしっかり美術を堪能しようと思いました。
キエフのロシア美術館は、Lonely Planetいわく、海外ではモスクワやサンクトペテルブルグに次ぐコレクションを誇るところだそうです。
森林の絵を叙情的に描いたシシュキンの大作が何枚もありました。感動的でした。
大型のポスターを買ってしまいました@
ウラジーミル聖堂は可愛らしい教会で、写真代を払えば内部の写真を撮らせてもらえます。
ちょうど結婚式をやっていました。花嫁さんきれいでしたが、花嫁さんのベールのすそを持っている男の子と女の子が可愛らしかったです。
花嫁さんがたくさんの友人たちから祝福を受けている間、男の子はひまそーにベールの裾を持っていました(笑)。
ウクライナ国立美術館もすばらしかったです。
近代絵画ではロシア絵画史上で聞いたことがある画家もいたりしました。
レーピンやゲー、それから海洋画家のアイヴァゾフスキーの絵などもありました。
アイヴァゾフスキーは、生まれはクリミア半島です。
2階の近現代絵画はさらに面白かったです。知らない画家ばかりでしたが、20世紀初頭から現代絵画手前の時代の絵は、とても私の好みなのです。それはどこの国でもはずれがあったこがありません。
2時間は見学しました。
サイズの大きい絵が多かったため、最後の方は、まず真ん中のソファに座ったままじっくり眺めて、それから近付きました。見学者が少なかったのでそれが可能でした。
それにしても昔は私はルーブルだのエルミタージュだのプラドだの、4時間は費やしていたはずです。
全く休みなしではなかったはずですが。
今回は2時間で、ぼろきれのようにくたくたになってしまいました。体力が半減したんですかしらね。

【07/19日 キエフ観光5日目(キエフ泊)】
・ピロホヴォ村の野外博物館(民族建築と生活博物館)ほか

地下鉄とマルシュルートカを乗り継いで、キエフの郊外の野外博物館に行きました。
マルシュルートカがすぐにつかまったおかげか、ホテルを出て1時間で着きました。開館時間の10時ぴったり。
キエフ郊外の社会主義的高層住宅街をまともに見たのはこのときが初めてかもしれません。
野外博物館の野原ぶりには驚きましたが、ピクニックと割り切りました。
高台に行けば、周辺の田園風景が見えました。
家屋は、ブルガリアやルーマニアの農村の家と似てるような似てないような。野外博物館めぐりが好きといっても、詳しいわけではないのです@
3つあった教会はどれもすてきでした。
博物館にあるといっても、中身はちゃんと教会として機能していました。保護のために移設されたので、けっして偽物の教会ではないのです。
そのうちの1つでは、結婚式が行われていました。
周りにやたらと、民族衣装のブラウスやシャツを着た人たちがいるなぁと思ったら、参列者のみなさんでした。
小さな協会には全員はいりきらなかったのでしょう。
花嫁花婿も民族衣装を着ていました。花嫁のドレスは長くなく、スカートでした。
きっと野外博物館で、伝統的な農村の結婚式を挙げたかったのでしょう。
午前中はとてもよく晴れていましたが、午後になって曇ってしまい、せっかくの風車の写真は、空がどんよりと真っ白になり、撮影意欲が減退しました。
前半にいい写真が撮れたから良しとするしかありません。
30分休んで4時間半。全部回りきれなかったけれど、2時半で切り上げました。
でも思ったより早くセントラルに戻れたので、民芸品の屋台が立ち並ぶアンドレイ坂へ買い物をしに行きました。
最終日なので余分なお金を換金したくなかったのですが、手元に余分に残っていたお金では、ちょっとした小物しか買えず、ついついユーロで払ってしまいました@@
レートは悪いでしょうが、複数買ったので、一応、まけてもらったみたいですよ。
私は値切りはヘタですが、お店の人から言ってくれることもあります。
ひょっとして始めから割高だったりするのかしら?
民芸品の相場はチェックしてなくて、アンドレイ坂で買うのが割高かお得かどうか分かりません。
でも、とにかくたくさんのお店があるので、いろいろ選べたり見られるのが楽しいです。

【07/20月 キエフ出国モスクワ経由(機内泊)】
・モスクワ観光・赤の広場

8時間半の乗継時間をシェレメチェヴォ空港で過ごしたくなかったため、モスクワ市内に出ました。
いろいろ心配していたわりには、行きも帰りもかなりすんなりいきました。
ただ、行きは平日のお昼だったので、アエロエクスプレス(Aeroexpress)を使わず、マルシュルートカを使っても渋滞には合わずにすんだかもしれません。
でも、去年(2008年)に開通したばかりのアエロエクスプレスに乗るだけでも、いい話のタネと気晴らしになるだろうと思いました。
アエロエクスプレス公式サイト(英語版)

実際は、赤の広場に着いて、正味1時間半、観光することができました。上等です。
アエロエクスプレスはもちろん、地下鉄に乗っているだけで、いや出入国審査とセキュリティーチェックでどきどきしてるだけでも、あのシェレメチェヴォ空港でじっとしているよりよっぽど気晴らしになります。
モスクワは2000年に旅行したことがありますが、地下鉄の利用方法など、うっすらとなつかしさが沸いてきました。
乗換え駅名が違うところや、路線図の駅名が場所によっては違う駅を指しているように見えてしまう見づらいものであることも、前とちっとも変わっていませんでした@
ほんとは、黄金財宝もあるという国立歴史博物館と、ワシリー寺院に行きたかったです。どちらも2000年に行きそびれました。
ところが、赤の広場の記憶を上回る巨大さにびっくり。
国立歴史博物館とワシリー寺院は赤の広場の端と端にありますが、横切るだけでも大変!
歴史博物館訪問は、今度のロシア再訪のためにとっておきましょう。写真代を払えば展示の写真を撮らせてくれるところなので、時間に余裕が欲しいです。
でも付属のギフトショップで買い物してしまいました@
おかげで、昼食代はなくなりました。
ちなみに、残念ながらこの日のモスクワは雲っていました。空はどんよりと白一色。
赤の広場はだだっ広いので、写真を撮ろうとすると、空を占める部分がたくさんになってしまいます。
その空がどんより白くて、撮影意欲は減退しました。
ところが、アエロエクスプレスに乗って空港に戻ろうってときに、だんだんと晴れて、美しい日差しが延びてきました。
悔しいです。

【07/21火 成田着】
日本はどんなに暑いのかしら、とおののいていたら、成田に下りて、思ったより涼しくてホッとしました。
でも、蒸し暑くてヤになりますでdね。
この湿気がお肌の潤いを守るといっても。。。

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2009年ウクライナ旅行:各日ざっくり感想(前半)

旅先にパソコンを持参しませんでした。
実際、パソコンをやる時間を捻出できたとは思えません。
ホテルに戻ると、時間がなくて時間がなくて。
ただでさえパソコンは時間食い虫なのに夢中になりやすく、先にやらなくてはならないことを後回しにしがちです。
それに、今回の旅行では、ホテルでは、シャワーを浴びたり、洗濯したり、明日の予定を確認したりしている間に、すぐに眠くなってしまって、時間が足らなかったです。
まあ、ホテルでは部屋はエアコン付きで、ちょっと涼んで先にうたた寝してしまったりしたこともありましたけど。
パソコンをやりたければさっさと行動したのかもしれません。

アナログで日記を書くのとパソコンで書くのとだと、どっちが手軽で早いかしら。
やっぱりアナログ世代だなぁと思う私は、いつどこでもささっとメモできる手書きの日記の方がずっと手軽です。

でも、パソコンを持参しなかった最大の理由は、そうでなくても荷物が重いのと、設定がめんどくさいからです。苦手意識も強いので、極力したくない……。

旅先では、1人旅なので、細切れ時間を利用して書くことができます。
観光で疲れて、そのヘンの日陰で座って休んでいるときとか。レストランなどで食事が来るのを待っているときとか。
いまはまだその日記をひも解かなくても記憶が新しいので旅の感想が書けますが、去年や一昨年のフォートラベルの旅行記のように完成まで1年近くかけてしまったときは、後の方は日記を読んで思い出して作成していました。

【07/05日 成田発モスクワ経由キエフ着】
今回も成田空港の第一ターミナルです。第二ターミナルを利用したのは、もう記憶の彼方、いったい何年前かしら。
しかし、いまだに第一ターミナルで思いがけない発見をするんですね。
大人が大の字になって寝っ転がれる、背もたれなしのソファがたくさんあるエリアを見つけました。
あれなら、トランジットで疲れていてもゆっくり休めそう。
それから、折り紙博物館を見つけました。
そこで写真を撮り始めたら調子付いて、成田空港でも思った以上にたくさんの写真を撮ってしまいました。

【07/06月 キエフ観光1日目(キエフ泊)】
・きらきら3大教会とウクライナ歴史博物館ほか

ホテルはキエフの中心地、たとえばオレンジ革命のデモが行われたりした独立広場のすぐそばにあります。
だから観光は独立広場から開始しましたが、独立広場の周辺をやたらうろうろうろ。
なんか妙にそこから進めなくなってしまいそうだったのですが、独立広場の一番高台から聖ソフィア大聖堂の金ぴか玉ネギドームが見えたので、やはり先にキエフの豪華3大教会(聖ソフィア大聖堂、聖ミカエルの黄金ドーム修道院、アンドレイ教会)を制覇しようと思いました。
聖ソフィア大聖堂は午前中が順光で午後が逆光になります。そして黄金ドーム修道院はその反対。
ちょうど順光で写真が撮れるときにそれぞれ訪れることができました。
本日のハイライトはウクライナ歴史博物館のつもりでしたから、アンドレイ坂やアンドレイ教会も回ることができました。
全部徒歩で回れました。
独立広場も聖ソフィア大聖堂も黄金ドーム修道院も平日月曜日だからか、観光客はちらっちらっ、あとは散歩する子連れの主婦などを見かける程度で、初日では、いっそ心細いくらいでした。
でも、アンドレイ坂のときには、安心するほど(!?)、大型の観光バスと観光客でごった返していました。
それほど広くない石畳の坂道でありながら、両サイドに駐車中の車がずらりと並んでいてるせいでとても狭くなった曲がり角を、大型バスが少しずつ少しずつ曲がっていく様は、まるでサーカスみたいでした!?
私がいた30分くらいですら、2台も見かけました。
いくらアンドレイ坂が格好の観光スポットだからとはいえ、あんな大型バスがよくぞ潜り込むものです。

【07/07火 キエフ観光2日目(キエフ泊)】
・チェルノヴィル博物館やアンドレイ坂ほか

いくらホテルの場所が観光に便利なところといっても、ずっと歩いて回るのは辛いし、同じようなルートになってしまうので、地下鉄でポディル地区の方まで行って、そして戻ってくるようなルートをとろうと思いました。
最初の目当てはポディル地区近くのチェルノヴィル博物館とヘットマン(ウクライナ・コサックの首領)博物館です。
初の地下鉄利用も、急いでるわけでもなし、気持ちに余裕があるので、1つ1つが楽しいです。
でも、チェルノヴィル博物館最寄りの地下鉄を出たときに、どっちに向かえばいいか、ものすごく迷いました。
到着まで思ったより時間がかかってしまったので、ヘットマン博物館は割愛しました。
だってこの日のハイライトは、ウクライナの心の宝博物館だったんですもの。
ウクライナ・イコンのコレクションと、それからウクライナのナイーヴ派の画家マリア・プルマチェンコの絵が楽しみでした。
ところが、博物館は開いていたのに、強面のおじさまに「レイモントー!」とか言われて、入れてもらえませんでした(泣)。
そんなことならヘットマン博物館を割愛するんじゃなかったとがっかり。
でも、プルマチェンコの絵は、リヴィブで見ることができました@@

リヴィブの民族博物館のプルマチェコの企画展のポスター
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【07/08水 キエフ観光3日目(1等寝台車泊)】
・ペチェールスカ修道院

今度はバスを利用して、ペチェールスカ修道院に行きました。
ガイドブックや聖ソフィア大聖堂で買った美術館案内の冊子や空港でもらった無料の情報誌「In Your Pocket」に載っているアクセス方法は地下鉄アルセナール駅からバスか徒歩とありましたが、「地球の歩き方」にあったとおり、ドニプロ・ホテルのそばのバス停から直行できました。
ただし、そのため入ったのは有料の「上の修道院」から。
「下の修道院」から入ると、うまくすれば無料なんですよね。
私はきっちり、ちょっと割高な写真代も払って入場しました。
といっても撮っていいのは、建物の外観。写真代を払わなければ、敷地内でカメラを構えることすら、いけないのです。
といっても修道院内では、建物の外では、カメラを構えた人にいちいち注意する人はいませんでしたけどね。
それに撮ってる最中、いきなり、通りかかったおじさんから、「すばらしいだろう?」と自慢げに声をかけられたりしました。
ペチェールスカ修道院で必見は、僧侶の遺体が収められている洞窟です。
私はミイラがそのまんま見られるのかとコワゴワ期待(!?)したのですが、頭まですっぽり、衣装が着せられていました。
ただ、真っ暗な中を、ろうそく1本を頼りに見学するというのは、とても厳かな気持ちになりました。
壁にかかった僧侶の似姿のイコンも、棺おけの中の遺体も、ろうそくを近づけて初めて、ぼぉっと明るくなって見えるのです。
それはとても荘厳な雰囲気でした。
でも実はペチェールスカ修道院での私のハイライトは、民族装飾美術博物館と歴史文化財博物館@
前者ではフォークロア文化をたっぷり楽しみました。かといって東欧のフォークロアを私は区別できるほど詳しいわけではありません。ただただ、素朴で美しいものを見るのが好きなのです。
それから歴史文化財博物館は、念願のスキタイ黄金を始めとする黄金財宝のオンパレード!
ここは入る前のセキュリティーは、少し前の空港のレベル並みにきっちりしていて、胸ポケットから見えてたカメラも、持って入ってはダメだと預けさせられました。
でも、すばらしいコレクションにうっとりでした@@

【07/09木 クリミア半島1日目(ヤルタ泊)】
・チュフート・カレ洞窟都市やバフチサライ宮殿ほか(現地英語ガイド&車付)

朝、寝台車を下りたホームで、これから4日間お世話になる現地ガイドとドライバーと会いました。
現地ガイドは陽気で、もうすぐ60歳というパワフルなおばちゃんで、時々圧倒されましたが、いいなと思いました。
ガイドはそうでしょうがとても博識で、しかも日本文化に関心が高く、ウクライナ語に翻訳された日本文学をとてもよく読んでいました。
私の知らん文学者の名前も出てきて、困っちゃいました。大江健三郎はかろうじて名前を知っていましたが。
そして、清少納言と、それから歌麿の浮世絵が大好きと言っていました。
最初のチュフート・カレ洞窟都市は、私はイタリアのマテーラみたいなのを想像していました。
チュフート・カレの洞窟遺跡は、そんなに高くないものの、山の上にありました。車の通れない細い砂利道なので、ハイキングです。
ガイドいわく、ふつうはここまで観光客は案内しない、という、とても古いユダヤ人墓地も訪れました。イスラエルにすら、ここまで古い墓地はなくて、ユダヤ人がわざわざ参拝しにくるくらいだそうです。
それで4時間くらい、山道や遺跡を歩いたでしょうか。
自分ひとりだったらとても計画しないコースでした。
でも山道沿いの屋台のおみやげ屋で、とても品質のよいエッセンシャルオイルを、おそらくとてもお得な値段で買えたのはすごくラッキーでした。もっとたくさん買っておけばよかった@@
マスカットとシトラス・ヴァーベナです。どちらも初めての香りでした。試しにつけさせてもらった2つとも買ったわけです。
とくにシトラス・ヴァーベナは、現地ガイドに、「あなたは風邪をひいているようだから、これはとてもいいのよ」と言われたやつです。
(実は出発3日ほど前に風邪を引いてしまい、発熱はしなかったものの、このときはまだ、鼻水がずーずーでしたし、ときどき咳をしていました。。)
そして念願のバフチサライ宮殿は、すてきな宮殿でしたが、ちょいと想像していたのと印象が違いました。
私はアルハンブラ宮殿のような宮殿を連想していたようです。
それよりはもっと木の文化を感じました。
現地ガイドは特別サービスだといって、有名なチェーホフの詩が謳われた「愛の泉」の前で、その詩を歌詞に作曲された歌を歌ってくれました。
でもバフチサライの入口の屋台で売られていた現地のお菓子、パリパリのパイ菓子みたいなのはともかく、ナッツをジュースで固めたケッタイなやつは、ガイドに「おいしいよ、おいしいよ」と強力に進められて、食わず嫌いもなんだな、と思って買ったのですが……まずいというわけではないのですが、とても最後まで食べたいと思えませんでした。

そのケッタイなお菓子は、この写真の真ん中の赤いソーセージみたいなやつです。
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【07/10金 クリミア半島2日目(現地英語ガイド&車付)】
・アルプカ宮殿、リバーディア宮殿ほか

今日の予定はほんとのことをいうと、いろいろ手配してくれた現地旅行会社の担当者が提案してくれたものをほとんどそのまま使いました。
せいぜい、「ツバメの巣」は写真くらい撮りたい、と加えたくらいです。
現地ガイドは1日でこんなに回るなんて、クレイジー!と言ってました。
ドイツ人観光客ならこの1日のプログラムで1週間かけるよね、と言ってました。
でも、ガイドの誇りにかけて(!?)がんばって回ってくれました。
宮殿めぐりは、豪華さを目で楽しむのもいいのですが、これまでの海外旅行で、すでに豪華な宮殿をたくさん見てきているので、やはりもうちょっと頭を使う見学、歴史とかエピソードとか、ちゃんと聞きたいと思ってしまいます。
とくにヤルタ会談が行われた場所であるリバーディア宮殿のような超重要なところでは!
現地ガイドはヤルタ会談の話をするとき、ヒロシマとナガサキに原爆を落とす必要はなかったんだ、と繰り返しました。
この日は宮殿は3つ回る予定でしたが、3つ目のマサンドラ宮殿の入口に着いたとき、ものすごい豪雨で、宮殿の入口に着くまでにずぶ濡れになりそうでした。私はカサを持っていましたが、ガイドは持っていませんでした。
ここで無理しなくても、4日目のプランは、あんなに早くに鉄道駅に行かなくったった大丈夫だから、4日目に行ける、と言われて、この日はあきらめました。
ガイドは植物がとても好きなようで、それまで植物園の散策にも結構時間をかけたんですよね。
ニキーツキー植物園は、ロシアで最初の植物園であり、ヨーロッパでも最初のガーデナーのために学校が設立されたところだとか。
斜面に3層に渡って展開していて、おどろくほどいろんな気候帯の植物がこの植物園に集まっているとても珍しいところだそうです。
私も植物は好きですが、木よりも断然、花ですねぇ。
花壇もたくさんありました。でも、バラはほとんど実になっていて、花はちょっとしかなく、ユリはピークが過ぎていました。キクはまだまだこれから。
私がこういう植物園を訪れるとしたら、どれかしら目玉となる花の最盛期を狙うのになぁ、と残念に思いました。
ちなみに豪雨は2時間くらいしたらうそのようにカラッと晴れたので、私はヤルタで夕食に出かけがてら、海岸沿いのプロムナードを散策しました。

【07/11土 クリミア半島3日目(ヤルタ泊)】
・ノーヴィ・スヴェット(Novy Svet)絶景海岸やスダック(Sudak)のジェノヴァ要塞跡(現地英語ガイド&車付)

クリミア半島は、おおざっぱにいえば菱形をしていて、宿泊地のヤルタは一番下のポイントのあたりにあります。
本日は南海岸沿いにヤルタの東に行きました。明日は西に行きます。
車窓からの景色はバツグンでした。
すぐ南岸にクリム山脈が横たわっているおかげで、クリミア半島の南岸沿いは温暖な気候が保たれていて、ビーチリゾート続きです。
その山脈をぐるぐるとめぐりながら海沿いの道を車は走りました。
ところが3時間くらいかけてやっとスダックに着いたとたん、またしても豪雨です。
そんな大雨が降ることが想定されていないのか、道路の水はけが悪く、あっと言う間に泥水が歩行者の膝くらいまでたまっていくのに、ぎょっとしました。
局地的豪雨なので、先にノーヴィ・スヴェットに向かいました。戻ってきたときに雨がやんでいるのを期待して。
車で30分もしないところのノーヴィ・スヴェットはとてもカラッと晴れていて、人々も、おとなりのスダックでそんなすごい豪雨があったなんて、全く知らなかったようです。
クリミア半島ではそういうことはよくあるようで、ガイドが友人などにその話をすると、そんな近い距離でそんなに天気が違うなんて信じられない、とよく言われるそうです。
ノーヴィ・スヴェットの植物保護区では、最初、松林の間を、ガイドがいちいち感激しながら歩いていたときは、また木か……と正直うんざりしなくもなかったですが、ハイライトはその先の絶景ポイントでした@@
ロシアの皇帝ニコライ2世がよく家族と遊びにきたビーチもありました。
そう、ほんとにビーチがあちこちにあって、私が水着を持参してこなかったというと、「クレイジー! なにしにクリミアに来たの!?」と驚かれてしまいました(苦笑)。
ガイドが5分だけでいいから泳がせて、というので、OKして、私は海岸の日陰の長椅子で撮った写真をチェックしていたら、まじに5分で出てきました。
肩は真っ赤に焼けていて、足は砂だらけでしたが、とてもうれしそうでした。

ガイドが一人で泳ぎにいったノーヴィ・スヴェットのビーチ
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スダックのジェノヴァ要塞は、とてもかっこよかったです。
ヴェネチア公国と覇を競ったジェノヴァ公国のものです。
すでにイタリアにはあそこまで完全な形で残っている当時の要塞はないそうです。
どうしても現在の国境にしばられがちな私の固い頭は、ウクライナにジェノヴァの要塞がたくさん残っていると聞いて、すごく不思議で面白いと感じてしまいます。
ほんとに陸続きの国々の歴史上の勢力図の変化は、複雑でややこしいけど、非常に興味深いですす。
ただしジェノヴァは海からやって来たと思いますけどね。
学生時代に学んだ、欧米に偏った単純化された世界史が基礎の私にとって、東欧はまだまだ意外性の連続で、とても面白いです。

【07/12日 クリミア半島4日目(1等寝台車泊)】
・マサンドラ宮殿、バラクラバ湾、セバストポリとヘルソネス遺跡ほか(現地英語ガイド&車付)

約束どおりガイドは、バラクラバに出発する前に、マサンドラ宮殿に回ってくれました。
ヤルタでは、チェーホフの家も、中には入らなかったのですが、庭と建物を見学しました。
中に入らなかったのは時間がなかったせいもありまし、もともと予定には入れていなくて、ガイドの判断で加えてもらったところです。
だから、「建物の中には入らなくて庭だけだし、せっかくの日本からのお客さんなんだから」と交渉して無料で入れてもらったみたいです@
この日も歴史事件の由来たっぷりのところばかり訪れました。それも、私が苦手とする近現代史がらみ。
第二次世界大戦のバラクラバやセバストポリの激戦といわれても、ピンと来ないです(泣)。
ただ、港はすばらしかったです。
バラクラバの港は外からは、確かに、とても見つけづらそうな、興味深い地形をしていました。
そして、まるで地中海の海のような、目の覚めるようなサファイア・ブルーの海!
時間がもっとあったら、ナチス・ドイツがバラクラバを占領したときにどうしても見つけることができなかったという、かつてたくさんの潜水艦が隠された水路やトンネルのボートめぐりもできたでしょうね。面白そうでした。

水路を行くボート
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セバストポリでも港を見たあと、郊外のヘルソネス遺跡も見学しました。
思ったより広くて全部見る時間がなかったです。
遺跡もいいけれど、キリスト教を国教としたウラジーミル大公が洗礼したところに建てられた教会は、ロシアのプーチン大統領が興味を示したとかで、大急ぎの2年で再建されたそうですが、これも豪華な教会で、見学できてよかった@
セバストポリには、クリミア戦争の巨大な1枚の絵だけが収められたというパノラマ博物館があります。
ここは建物は見ましたが、中に入る時間はありませんでした。
ぜひ見たかったのですが、ガイドは「再訪の楽しみにとっといて」。
ほんとに盛りだくさんであふれた1日でした。

後半につづく。

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ウクライナ旅行全体の感想もろもろ(ちょっと写真付き)

今回は、どちらかというと都会中心に回りました。
現地ガイドと車を雇ったところでも、去年(2008年)のブルガリア旅行や一昨年(2007年)のルーマニア旅行のように田舎まわりのためではなく、アクセスに時間がかかりそうなだけど見どころが多く、歴史あるところを、効率よく、そしてガイドによる説明を期待したためです。

都市は、思っていた以上にきれいで、かっこよくてファッショナブルでびっくりしました。
といっても、ここで私が言ってるかっこよいとは、スターリン様式のちょっと古めかしい、ドバーン、バーンな巨大高層ビルのことで、ファッショナブルとは、ウィーンやブダペスト、すなわちハプスブルグ帝国を思い出させる街並みです。

そして、玉ネギ型ドームの白亜のお城のような教会群!
その玉ネギ型の屋根も、金ぴかなところが多かったです。

それら教会の多くは、第二次大戦やソ連時代に破壊され、1991年にウクライナが独立してから再建されたものでした。
だから形状はともかく、由緒ある歴史の古い教会だけど、ヨーロッパの教会にしては真新しいところばかりでした。
内部の正教会らしい壁一面のフレスコ画も、修復や洗浄作業が終わったばかりのように色鮮やかです。
そのカラフルさに感嘆しつつも、時にはルーマニアやブルガリアで見た、ろうそくですすけて黒ずんだ、いかにも古そうな教会がなつかしくなったくらいだったりして。
逆に、黒ずんでいるのばかり見てると、もっときれいに洗浄して色あざやかなのが見たいなと思ってしまうくせにね。

ただ、今回は田舎めぐりをあまりしなかったうえ、ホテルは観光地のど真ん中にとり、国内の長距離移動のほとんどは寝台車で寝てました。
都市周辺のソ連時代の無骨な高層マンションや工場地帯はちょっとしか目にしていなかったことをお断りしておきます。

でも、修復された建物や宮殿や教会は、東や南ウクライナやクリミア半島は、もともとロシアのロマノフ王朝時代のものが多く、そして西ウクライナ……といっても、今回はウクライナ第二の都市のリヴィブと地方都市のコロミーヤくらいしか訪れていませんが、もとポーランドやハプスブルグ帝国の一部だったところのものでしょうから、建物の豪華さには、背景の帝国の財源の威力を感じました。

というのも、去年のブルガリアでは、ブルガリア正教だけでなくロシア正教の教会もよく見学しました。
ブルガリアはクリミア戦争でロシア軍によってオスマントルコ支配から脱した歴史がありますから、そのクリミア戦争のロシア兵への慰霊などで、ロシア正教会が建てられたりしたものです。
ブルガリアの正教会のものがこじまんりと、つつましげなのが多かったのに対して、ロシアが財源のロシア正教は、とにかく金から豪華でした。
リラの僧院はブルガリア正教会の総本山ですが、そこにある宝物博物館の収蔵品の中でとりわけ金きら豪華なものは、ロシアからの贈り物だったりして、現地ガイドが「ロシアはお金もちだったから」と言っていたのが今でも印象に残っています。
そのせいで、帝国の財源力を、ウクライナの教会でより感じたのだと思います。

【補足】
ただし、キエフに行って、観光客が見逃すはずがないといえる聖ソフィア大聖堂や聖ミカエルの黄金ドーム修道院の金きらな教会は、ロシア帝国よりもっとずっと昔、11世紀に最も繁栄したキエフ・ルーシ公国時代のものです。
ウクライナはソ連から独立した後、ナショナル・アイデンティティもあって、ソ連時代に破壊されたこれらの歴史ある教会を、経済的に苦しくても真っ先に再建したようです。
私がごちゃごちゃにして書いてしまいましたが、ロシア帝国の財源力をもっとも感じたのは、ヤルタやオデッサの方ですね。
【補足おわり】

首都キエフの博物館がとても充実していたのは嬉しかったです。
博物館めぐりが好きな私。
初っ端に訪れた聖ソフィア大聖堂のギフトショップで、今年出版されたばかりの英語によるキエフの博物館案内(全頁カラー)の冊子を買っておいて、とてもよかったと思いました。
ウクライナはロシアの付録でしかなかった「地球の歩き方」はもとより、Lonely Planetにも載っていない博物館の情報が満載なのです。
カラー写真付きで紹介されていますから、ますますそそられます。
意外な博物館の存在も知りました。
たとえば、根付博物館なんてあるんですよ。
巾着・煙草入・印籠などを帯に挟んで下げる時、落ちないようにその紐の端につける、あの根付(ねつけ)です。
そんな日本の根付がコレクションの中心とした博物館らしいです。
時間があったらぜひ行きたかったですね。

また、私は民俗野外博物館めぐりが大好きです。これは東欧旅行をし出してからハマりました。
キエフでは、Lonely Planetや「地球の歩き方」でもお勧めの郊外のピロホヴォ村の野外博物館をとても楽しみにしていましたが、その冊子には、ピロホヴォ博物館の地図もあって助かりました。
もっとも、その絵地図はとても凝縮されたものでした。
まだ何もない空き地は省略されていたのです。
私はいままで、いくつも野外民俗博物館を訪れてきました。

参考までに、フォートラベルにアップした旅行記一覧。
「2005年夏のプラハ・ポーランド旅行20日間 その16 ルブリン」(後半が野外博物館)
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第7日目(6):センテンドレの野外博物館(1)大平原(Alfold)+農場」
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第7日目(7):センテンドレの野外博物館(2)西部低地+南・西ドナウ川地域」
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第7日目(8):センテンドレの野外博物館(3)バラトン湖高地地方」
「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第18日目(3):ブランの紅葉と城のふもとの野外博物館」
「2007年ルーマニア旅行第2日目(5)ブカレスト:ルーマニアのフォークロアの宝庫・農村博物館・その1」
「2007年ルーマニア旅行第2日目(6)ブカレスト:後半も魅力たっぷりな農村博物館・その2」
「2007年ルーマニア旅行第2日目(7):まだ未整備の(?)もう一つの農村博物館」
「2007年ルーマニア旅行第8日目(1)バイア・マーレ:花盛りの野外民俗博物館・その1」
「2007年ルーマニア旅行第8日目(2)バイア・マーレ:マラムレシュ地方の田舎の生活を垣間みて・野外民俗博物館・その2」
「2007年ルーマニア旅行第12日目(4)シゲット・マルマッツィエイ:やっぱりここでも、野外博物館@」
「2008年ブルガリア旅行第8日目(4):エタル野外民俗博物館・前編」
「2008年ブルガリア旅行第8日目(5):エタル野外民俗博物館・後編」

それにしても、キエフのピロホヴォ博物館のような、あんなだだっ広い空き地に点在している野外博物館は初めてです。
規模と空き地の広さからいうとセンテンドレの野外博物館も負けていないかもしれませんが、あちらでは入場券を買えば、地図をもらえましたし、そこには空き地にはどこの地方の建物が移築される予定かも書かれてありました。
それに家と家の間はきれいな芝生だったりちゃんと道になっていました。
家と家の間が獣道だったのは、ルーマニアのバイア・マーレの野外博物館がそうでしたが、あそこはそれほど規模は大きくありませんでした。

キエフのピロホヴォ野外博物館は、野外博物館めぐりというより、まさにピクニックのようでした。
入ってすぐに2台の風車があった他は、目の前にでーんと、黄色く枯れたイネ科の草が膝丈くらいまで生い茂る空き地があって、「ええーっ!」と思いました。
そして、風車がたくさんあるのがこの博物館のウリだと思うのですが、中には羽根が折れて、下に落ちているのもありました。
あぶないじゃん!
と思ったら、一応、近寄り過ぎないようにロープが張られていましたけどね。
そして野外博物館に中には、民芸品や絵画売り場が何ヶ所かあって、とても誘惑されました。
最終日だったので換金は制限していたのですが、ユーロで払っちゃいましたよ@

ピロホヴォ野外博物館の野原っぷり
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ウクライナでは民芸品のおみやげも魅力でした。
私が東欧旅行にハマっている理由に、民芸品がありますからネ。
ただ、いままでの国以上に、ロシアの民芸品との違いが分かりにくくなりました。
よく見かけたおみやげ(というか、たぶん私がつい目を奪われたおみやげ)として、マトリョーシュカ、白樺の小箱、パレフの小箱、ショール、イースターエッグ、飾り皿などの陶器の製品、刺繍の布や民族衣装など。

そりゃぁ、帰りの乗継時間を利用して観光したモスクワや空港免税店の品物をよくよく思い出して比較すると、違いはでてきました。
民族衣装などの刺繍は、ウクライナらしさはあるのでしょう。
なんとなく民俗博物館に展示されていたものに似ていた気がします。
陶器の製品の模様もウクライナ民族の伝統模様なのでしょう。
また、有名なロシアの土産の一つ、グジェリの陶器は、ウクライナでは見かけませんでした。
イースターエッグの柄の違いは明らかにありました。完全に見分けられる自信はないものの、なんとなくウクライナっぽいという柄はうっすら分かります。
シャープカ(帽子)も見かけませんでしたね。

私がイメージするウクライナっぽいイースターエッグってこういうのです。
これはコロミーヤのピサンキ(イースターエッグ)博物館のギフトショップで買ってきたやつです@
一緒に写っているのは、ピサンキ博物館の英語パンフレットと旅のお供のヒヨコちゃんです。
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それから、チェブラーシュカ!
モスクワの赤の広場近くの屋台では、チェブラーシュカの人形がたくさんあったんですよ。
チェブラーシュカ公式サイト
さすがにロシア人形アニメの主人公のチェブラーシュカは、ウクライナでは見かけませんでした@

モスクワの屋台のチェブラーシュカ
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逆にキエフではあちこちで見かけたけど、短いモスクワ観光のみやげ屋で見かけなかったものとして、キャビアのオープンサンドやヴァレニキ(ロシアでいうならペリメニ)の磁石付きの模型というか見本みたいなのがあります。
ちょっと面白いおみやげだったので、買えばよかったですね。
ただあのときは、あまり見栄えがしないと思ったから。
キャビア!───というと、セレブにでもなった気分になる珍味ですが、初めてロシア旅行した2000年、オープンサンドで出されたキャビアを見て、ちょっと拍子抜けしたことがありました。
もっと重々しく高価そうに調理されるものかと思っていたのです。なにも知らなかった私の偏ったイメージです。
そしてヴァレニキは……見た目は餃子ですから@

磁石付きの模型のキャビアのオープンサンドがいっぱい
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磁石付きの模型のヴァレニキがいっぱい
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ちなみに、ウクライナでは久しぶりにキャビアを食べました。
クリミアのガイドが推薦してくれたレストランの名前が、訳すとロシアン・パンケーキだったのです。
スープとメインのシャシュリク(串焼き)を食べても足らなかったので、追加でキャビア入りのパンケーキを頼みました。
パンケーキといっても、クレープみたいなかんじでした。
中からぽろぽろと溢れ出てきたキャビアは、まさしく小さな真珠のようでした。
うっすら酸味があって、クレープ生地にとても合っていました。

ウクライナの食べ物は、ロシアの食べ物に似ています。
というか、陸つづきの東欧は、どこか似たような料理ですけどね。
ボルシチが実はウクライナ起源の食べ物だ、ということは、ウクライナ旅行の下調べをしているとすぐにそのことを知ります。
ボルシチは赤ですが、緑のボルシチもあります。
でも、緑のボルシチを食べたのは最初の夕食でしたから、赤のボルシチの足との違いは、舌の鈍い私にはよく分かりませんでした(苦笑)。

ヴァレニキ(ロシア料理でいうならペリメニ)は何度か食べる機会がありました。
サワークリームをかけていただきます。
ロシアでもそうでしたっけ?
ただ、お肉のヴァレニキにサワークリームは、申し訳ないですが、「オエッ!」でした。
あわててフォークでクリームを取り除いてしまいました。
でも、イチゴジャムのヴァレニキには、サワークリームはよく合いました@

ロシアではアイスクリームのおいしさは評判で、実際、2000年にロシア旅行したとき、そのへんの屋台のアイスクリームでも絶品だったのに絶句しました。
ウクライナはどうでしょう?
と思って屋台のアイスクリームを2度ほど食べましたが。
うーん、まあそんな感激するほどでもありませんでした。
レストランのデザートでいただいたアイスクリームはおいしかったですけどね。

というわけで、全体の感想と言いつつ、次々テーマが見つかってきりがなくなりそうなので、このへんで切り上げましょう。

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2009年ウクライナ旅行の詳細旅程

7月5日から7月21日までの17日間、正味14日間のウクライナ旅行の実際の詳細日程をリストにしました。
ウクライナは鉄道のスピードがとても遅いので(時速50kmくらい)、国内の長距離移動は寝台車のみです。
おかげで合計5泊も寝台車利用となりました。
寝ている間に移動できたので時間の節約になりましたが、一等車(2人用)は三ツ星のホテル並みの値段でしたので、安上がりというわけにはいきませんでした。
1度だけ夕方から夜にかけての列車を利用しましたが、たとえ昼間走る列車であっても、長距離列車の車両は寝台車です。そしてその路線には一等車はありませんでした。
一等車ならエアコンがきいていたろうと思いますが、二等車(4人用)にはありません。しかも、日中は暑いのに、窓がほとんど開かないのです。
これはかなり辛かったです。はっきり言って地獄でした。
ベッドは座りにくくて、腰が痛くなっちゃうので気晴らしに車窓の外を見ることすらできず。。。

以下のリストの中の★印は、撮影代を払って内部の写真の写真も撮ったところです。
ただ、ガイドに案内してもらったクリミア半島とリヴィブ近郊の城は、★印はつけなかったのですが、写真撮影のために別料金が要求されていたかもしれません。
でも、入場料はあらかじめ現地代理店を通じて払ってあって、入場券の半券はガイドが持っていったため確認できません。なので、★印は入れませんでした。

写真代は入場料に比べるととても高く感じられるところが多かったです。
でも、旅行先では、博物館を含めて写真撮影をとても楽しみにしていたため、有料でも撮らせてもらえるところなら、興味あるところは惜しみなく払いました。
それに2009年7月現在、1グリヴニャ=約14円と考えると、そうバカ高いとは思えなくなりました。
他の物価が低いので高く感じるわけで。
でも、しっかりモトを取ろうと、せっせと意気込んで撮影したのも事実@

また、今回、ウクライナではぜひコサック・ダンスショーのようなものを見たかったのですが、その情報は残念ながら得られませんでした。
オペラ座もシーズンオフ。
キエフでも第二の都市リヴィブでも、オペラ座の公演日程は私の滞在日程から微妙に外れていました。
というわけで、今年もナイトライフは恵まれませんでした。

でも、ヨーロッパの夏の日照時間の長さのおかげで午後9時近くまで昼間のように明るく、ウクライナも例外ではありませんでした。
写真好きの私にとって、暑さも和らぐ夕方から夜暗くなるまでにかけての時間帯ですらも、街並みの撮影散策の格好のチャンスでした。

2009/07/05日 成田発モスクワ経由キエフ着
・日本折紙博物館(成田空港第一ターミナル)
【キエフ泊:ホテル・フレシャティーク(Khreschatic)】

2009/07/06月 キエフ観光1日目
・独立広場
・聖ソフィア大聖堂(教会、鐘楼、パン焼き場を利用した企画展、琥珀博物館)
・黄金ドームの聖ミハイル修道院の教会
アンドレイ坂を少しだけ見学した後
・ウクライナ歴史博物館(★)
・そばの小さな教会のミサを見学
・アンドレイ教会
【キエフ泊:ホテル・フレシャティーク(Khreschatic)】

2009/07/07火 キエフ観光2日目
・ウクライナ・エキスポセンター内のインフォメーションに寄ってみる
・ミコラ・プルチュスコ(Mykola Prytysko)教会(道を間違えた途中で見つけた教会)
・チェルノヴィル博物館(★)
コントラクトヴァ広場を経由して
・ピロゴシュキ聖処女就寝教会(Dormition Church of the Blessed Virgin of Pyrogoschchi)
・聖フロー修道院(St. Flor’s Monastery)
・一本道の博物館(★)
・アンドレイ坂で民俗土産物屋台とアートギャラリー2つ見学
ウクライナの心の宝博物館は修復中なのか見学できず(泣)
・聖ミハイルの黄金ドーム修道院鐘楼内の歴史博物館&教会
・ドニエプル川沿いの公園とウラジミール聖公像
【キエフ泊:ホテル・フレシャティーク(Khreschatic)】

2009/07/08水 キエフ3日目
<ペチェールスカ修道院>
上の修道院から入場
・トラペズナ教会でミサ見学
・ウスペンスキー大聖堂、修復中で入れず(泣)
下の修道院へ
・「近い洞窟」
上の修道院に戻り
・ウスペンスキー大聖堂宝物展示
・国立ウクライナ民俗装飾術館博物館(★)
・ミクロミニアチュール博物館
・ウクライナ歴史文化財博物館(スキタイの黄金文化@)
【一等寝台泊:キエフからクリミア半島のシンフェロポリまで】

2009/07/09木 クリミア半島1日目(現地英語ガイド&車付)
シンフェロポリからヤルタへ向かう途中
・チュフート・カレ洞窟都市とユダヤ墓地
・岩壁の被昇天教会
・バフチサライ宮殿
・アイ・ペトリ山頂展望台(1,234m)
【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル】

2009/07/10金 クリミア半島2日目(現地英語ガイド&車付)
ヤルタ近郊めぐり
・聖ミハイル教会(アルプカに向かう途中)
・アルプカ宮殿&庭園
・ツバメの巣の写真を撮る
・オレアンダー・サナトリウムの巨大なプラタナスとニコライ2世教会
・リバーディア宮殿
・ニキーツキー植物園
(マサンドラ宮殿は大雨で断念)
ホテルに戻った後
・ヤルタの海岸沿いのプロムナードを一人で散策
【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル】

2009/07/11土 クリミア半島3日目(現地英語ガイド&車付)
・マリー・マイアーク村(Malyi Maiak)の聖ニコラス教会
・ノーヴィ・スヴェット(Novy Svet)植物保護地区&絶景海岸
・スダック(Sudak)のジェノヴァ要塞跡
【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル】

2009/07/12日 クリミア半島4日目(現地英語ガイド&車付)
・改装が終わったばかりのヤルタのホテル・マリーノ内を見せてもらう
・ヤルタの聖アレクサンダー・ネフスキー寺院にてミサを見学(聖パウロ聖ペテロの日)
・ヤルタのチェーホフの家(外観と庭のみ)
・マサンドラ宮殿
・フォロス村(Foros)のイエス復活教会
・デスバレーのクリミア戦争と第一次大戦の戦争記念碑
・バラクラバ湾
・セバストポリのナヒモフ広場と港
・ヘルソネス遺跡
・シンフェロポリ駅の市場めぐり
【一等寝台泊:クリミア半島のシンフェロポリからオデッサまで】

2009/07/13月 オデッサ観光
・オペラ座前広場
・プリモールスキー並木通り
・ポチョムキンの階段
・港ターミナル
・再びプリモールスキー並木通り
・愛の橋
・国立オデッサ美術館
・福音主義教会
・ソボルナ広場とプレオブラジェンスキー大聖堂
・パサージュ・アーケード見学&ショッピング
【一等寝台泊:オデッサからリヴィブまで】

2009/07/14火 リヴィブ観光1日目
・オペラ座前広場
・民族博物館(スヴォボーディ通り)
・民俗・美術工芸品博物館(スヴォボーディ通り)(★)
・大聖堂
・リーノック広場と市庁舎の塔
・民俗・美術工芸品博物館(リーノック広場10番地)(★)
・市内観光バス(英語解説テープ付)
・聖ミカエル教会(坂の階段の上)
・ドミニカン聖堂
アルメニア教会はこのとき入口を見つけられず(泣)
【リヴィブ泊:ホテル・ウィーン】

2009/07/15水 リヴィブ近郊城めぐり(現地英語ガイド&車付)
・オレスク城(Olesk)(★)
・ピドゴレツク城(Pidgoretsk)(まだ復元中)と付属教会(※)
・ゾロチフ城(Zolochiv)
リヴィブに戻ってガイドと別れた後
・アルメニア教会
【二等寝台泊:リヴィブからコロミーヤまで】

※ピドゴレツクはたぶんロシア語読み。現地旅行会社の担当者によるスペルです。
調べてみたところウクライナ語ではPidhirtsi(ピドヒルツィ)で、ポーランド語ではPodhorce(ポドホルス)とありました。

2009/07/16木 コロミーヤ観光
・シェフチェンコ公園
・フルシェフショホ通りの教会2つ
・市場散策
・ピサンキ(イースターエッグ)博物館(★)
・レジ・ウクラインスキー通りの教会
・フツル(ウクライナの山岳民族)民族芸術博物館(★)
夕方二等列車でリヴィブに戻る(窓の開かない車両で蒸し暑くて地獄の4時間半)
【リヴィブ泊:ホテル・ウィーン】

2009/07/17金 リヴィブ観光2日目
・リヴィブ美術館
・書籍博物館(★)
・武器博物館アルセナール
・リチャキフ墓地
【一等寝台泊:リヴィブからキエフまで】

2009/07/18土 キエフ観光4日目
・ロシア美術館
・ウラジミール聖堂(★)
・ウクライナ国立美術館
・週末の独立広場
【キエフ泊:ホテル・フレシャティーク(Khreschatic)】

2009/07/19日 キエフ観光5日目
・ピロホヴォ村の野外博物館(民族建築と生活博物館)(★)
・アンドレイ坂で買い物
・黄金の門
・週末の独立広場

2009/07/20月 キエフ出国モスクワ経由
<モスクワ観光・赤の広場にて>
・ワシリー寺院(ポクロフスキー聖堂)(★)
・カザンの聖母聖堂

2009/07/21火 成田着

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ウクライナ旅行で準備が不足だと痛感したこと

行きの私のスーツケースの重量は16kgありました。
布製のソフトスーツケースでこの重量です。
機内に持ち込める手荷物バックは、以前、5kgあったことがありました。
2006年のプラハ・ウィーン・ハンガリー旅行では、ネットからたくさんの資料をプリントアウトできましたので、そのせいで重くなったのです。
さすがに今回はそこまで資料がなかったので、手荷物はそんなに重くなかったはず。
そして私は実は、腰痛になりやすいのです。
すでに安い旅行ができるスタイルではありません。

手荷物のリストは、学生時代の初めての海外旅行から作成してきたものを、年々改訂していきました。
おのずと、足らなくて困ったものは念入りに入れるようになりました。
逆に、なくても良かったものは、なかなかリストから外せませんでした。
帰国して、荷物をひも解きながら、今回も結局不要だったものがあるなぁと思いました。

でも、不要だったのはあくまで結果論、というのも、もちろんあります。
雨に降られずにすんだので、テフロンの防水ジャケットとズボンとか。
いくら朝晩寒いといわれるヨーロッパでもやはり暑かったので、薄いカーディガン1枚で十分で、セーターは要らなかったとか。
薬は念入りに持参したので、大きめの巾着がパンパンでしたが、そのまま持ち帰ったものばかりでした。
でも実は、出発3日前に風邪を引きかけてしまい、前半、鼻水ずーずーだったので、風薬は足らなかったです。
ティッシュは、トイレに紙がないことを用心して多めに持参したつもりですが、鼻水に使ってしまったので、トイレットペーパーを持参していなかったら危ないところでした。
って、現地のスーパーで買えばいいのかもしれないけれど、ウクライナで遭遇した大半のトイレットペーパーは、わら半紙みたいでした。あれは一番の安物でしょうけどね。
それに比べて、我が家から持参したトイレットペーパーは、まるでシルクのように柔らかく、なめらかだったこと(笑)。

ちなみに風邪は、旅行中に治してしまいました。
ただ、風邪でのどが弱っていたところへ、都市では車の排気ガスがきついのと、喫煙人口が日本よりずっと多いので、のどスプレーは一本使いきってしまいました。

そしてここからが本題@

ウクライナ旅行で準備不足を痛感したことは、ヨーロッパ近代史の知識と、ウクライナ語です。

ウクライナって何があるの?
と聞かれて、「首都キエフでしょ、クリミア半島があって、ヤルタ会談のヤルタがあるし、オデッサもあるよ。聞き覚えのある地名が多いでしょ」
と答えると、みんな「ああ、なるほど」と言ってくれました。
ここのところ東欧ばかり旅行している私も、次はどこの国にしようかな、とターゲットを定めたとき、いままでたいてい、首都くらいしか名前を知りませんでした。
2008年のブルガリアも、2007年のルーマニアも、2006年のハンガリーも、2005年のポーランドも、2004年のチェコも。
旅行するつもりで下調べをして初めて、首都以外の地名を知ったようなところばかりです。
それに比べてウクライナは、えーっ!と思うほど有名な場所や、ヨーロッパ近代史に登場する地名が、ちゃんと調べる前からぞくぞく出てきました。

でも私は実は世界史の中で好きなのは中世から近代くらいまでで、近現代史は苦手なのです。
だってその頃になると、政治色ばかりが強くなり、細かい事件や戦争の羅列でしょ。
それまでの独断偏見的なイメージが覆される意外性の楽しさや、想像を膨らませるような要素が少なくなり、面白みが減ります。少なくとも私にとっては。
細かすぎてドキュメンタリーっぽくなると、その手の事実関係を追うだけで手いっぱいってかんじ?

だから、ヤルタのこと、オデッサとポチョムキンの階段のこと、クリミア戦争のこと、セバストバリーやデスバレーなどの激戦地のこと、知っていてもとても教科書的な知識でした。
いわば、枠ですね。
ウクライナの独立を阻んだソ連とのウクライナ内線のことはちっとも知らなかったですし、これでも旅行前に簡単なウクライナ史をさらったのですが、ちっとも頭に入っていなかったようです。
最近でいうと「オレンジ革命」も、名前くらいは知っていましたが、「だからそれが何?」って程度でした。
もっとも、オレンジ革命は、観光にあんまり関係ないですけどね。

クリミア半島4日間は現地の英語ガイドと一緒に回りましたが、最初にガイドがひととおりクリミア半島について説明をはじめるときに、「きっとあなたはクリミアについてたくさんの本を読んで、調べてきたでしょうけど」と前置きしました。
「いいえ」とは言えませんでした@

そもそも私がウクライナに興味をもったきっかけが、よく来日公演が行われるキエフ・バレエやキエフ・オペラですもの。
それと「バフチサライの泉」の舞台のバフチサライ宮殿がある国として。
ただし、それもプーシキンの詩ではなく、バレエの演目です。
バレエ「バフチサライの泉」は全幕ものを見たことがありますが、プーシキンの詩の方は邦訳でも読んだことはありません。
さらには、スキタイの黄金文明。
それから、ソフィア・ローレン主演の映画「ひまわり」のロケ地として、広大なひまわりのある国なんだなと関心をもったのがきっかけです。
それから、2007年にルーマニアのマラムレシュ地方を旅行したとき、川向こうで隣国のウクライナを目にしました。
といっても川沿いなので、ただの林です。
そのとき、マラムレシュ地方をめぐっての、ルーマニアのライバルとしてウクライナを意識しました。

旅行のきっかけなんて人それぞれでなんでもいいとは思いますけど、これって、ウクライナに行きたいなと思うきっかけとしては、あんまりメジャーではなさそうですよね。

でもガイドの説明から出てくる名前の中には、私になじみある人たちもたくさんいましたました。
なにしろクリミア半島やオデッサは、今の都市はかのエカテリーナ2世が造らせた町がベースですもの。
そしてクリミア半島の初代の総督が彼女の愛人の一人のポチョムキンです。
ああ、彼等のことならよく知ってる!───と思った私の頭に中にあったイメージは、実は、池田理代子さんによってコミック化された、アンリ・トロワイヤ原作の「女帝エカテリーナ」、だったりします@
そしてヤルタは、晩年のロマノフ王朝の夏の離宮というかんじだったのですね。
ニコライ2世を含む晩年の皇帝たちが家族とよくお出かけし、その後を追うように貴族たちもヤルタで過ごし、当時のペテルスブルグやモスクワと同レベルの宮廷文化を誇ったとか。
バラクラバでは、クリミア戦争のときにナイチンゲールが働いていた病院のあった丘を目にしました。今は何もありませんけどね。

というわけで、コミックや映画のおかげで、エカテリーナ2世やニコライ2世については想像を膨らませやすく、ここが彼等が滞在したところだ、とか説明されると「おおーっ!」と感激できました。
でも、悔しかったのが、それが近現代史や第一次・第二次世界大戦の激戦地のこと、そしてウクライナ独立を阻んだソ連とのウクライナ内乱のことなどになると、「ふうーん」になってしまうことでした。
別にそれはウクライナに限ったことではないのですが、今回のウクライナ旅行では、名前だけは知ってるんだけど、ピンとこない、という地名だの事件だのが、今まで以上に多かった気がします。
超有名なだけに、「ここが、その場所か!」という感動があまりできなかったのが残念でした。

しかし、今後、教科書的な無味乾燥だったそれらの知識をやっと、血肉をもったものとして捉えることができそうです。
もっとも、それこそが旅行の楽しい副産物です。
そして、西欧マニアだった私が東欧旅行にハマってしまう理由の一つでもあります。
日本で紹介されているヨーロッパのさまざまな要素がいかに西欧中心で、東欧側から見るとがらっと印象が変わるか、それが楽しくてたまりません。
ウクライナ旅行ではそのことを今まで以上に痛感しました。
今回は特に、歴史の中で実はロシア史のものと思われていたのが今のウクライナのことだったと分かるのは大変楽しいです。
ウクライナという国が独立したのが1991年からであり、それまで半分ロシアで半分はポーランドやハプスブルグ帝国の一部だったので仕方がないというか、ある意味当然なのですが、なにしろ私が西欧マニアだったときから知っていた有名なものがあまりに多いので。
「実は!」というのが次から次へとぽろぽろ出てくるのが面白いです。
それはこれから旅行を振り返って旅行記を作成している最中にもどんどん出てくるでしょう。

もう一つの準備不足は、ウクライナ語です。
旅行に出かける前の2009年7月現在、あのいろんな国の言葉の会話集を出している「旅の指さし会話帳」のシリーズに、残念ながらウクライナ語はありませんでした。
でも幸い、CD付きのウクライナ語のテキストを見つけました。
またごく基本会話の音声付きのサイトも見つけました。
これらでちょっとだけウクライナ語を勉強して出かけました。

でも、実はウクライナ語学習の方に手を出したのは、出発一か月前になって尻に火がついてからでした。
しかも一日5〜10分程度。
だからもちろん、これで基本会話がマスターできたなんて思ったわけはありません。
でも、ごくごく基本のあいさつと、最低限のサバイバル会話、、、いやいや単語の羅列くらいができれば良いと思ったのです。

結果は、うーん、旅行中、とっさに出てきたのはロシア語でした。
ウクライナ語はたしかにロシア語によく似ていますから、ロシア語からの連想で覚えやすいところがありました。
反対に、ロシア語にとても似ているので混乱もしやすかったです。
私のロシア語が、そんな風に簡単に混乱しやすいレベルだからです。

それと、最初のキエフでの一人旅3日間、観光地でウクライナ人の旅行者と思われる人の口から、ロシア語がよく聞かれた気がするのです。
キャッチできたのは、もちろん、ごくごく一部です。
逆に全然分からなかった言葉はウクライナ語だったのかもしれません。
でも、国籍は違っても同じ旅行者ということで、私も聞きたいと思うことが話されていたりすると、不意打ちのようにキャッチできることがあります。
そして、ああ、あのフレーズを私も使うかも、と思うから、忘れにくいんですね。特に旅行中は必死ですから。
それがロシア語ばかりだったというわけで。

それにホテルでは、分からなくてもテレビをつけっぱなしにして言葉に耳を傾けるのですが、ウクライナではロシア語放送も多かったです。
出演者がロシア語を話している場合もありましたし、アメリカ映画にロシア語で吹き替えがされていて、ウクライナ語の字幕があったりね。

そしてキエフの次のクリミア半島では、現地ガイドいわく、人口の8割がロシア語を話す人々だそうです。
実際ガイドも、英語が話せないドライバーとはロシア語で話をしていました。

なのでだんだんと旅行中、ロシア語でいいやという気になってしまいました。
といっても、何か現地の人に話をする必要があるときって、英語も話せる人がいることが多いです。
鉄道やバスなどの国内移動関係は期待できませんが、もし私が困ってたりすると、すぐに近くの人が、英語で助けてくれたりしました。

言葉については、私は仕事で一部翻訳もやりますし、ものを書くこと、文法などの言葉には関心が高いです。
が、オーラルは苦手です。ヒアリングも、勘はなかなか働きません。
ま、言葉なんて、オーラル・コミュニケーションなんて、使わなければ鈍るものですけどね。
私はたぶん発音はへたくそです。たぶん、って言ったのは、どこか認めたくない悔しい気分があるから@
だから現地の言葉を勉強していくとき、ごく簡単なあいさつはなんとかなるのですが、地名は口で言わない方がいいのです。自分ではちゃんと言ってるつもりでも、通じないことが幾度あったことか。
そのたびにめげます。

でも中途半端な外国語だとしょうがないですよね。

成田に帰国するときのアエロフロートでは、日本人スタッフがいませんでした。
モスクワ発成田行きなので機内放送はロシア語、英語、そして日本語でした。
おそらくロシア人のアテンダントががんばって日本語を話していましたが、発音がおぼつかなくて、悪いですが、笑えました@
「ありがとうございます」が「ありがとうごぜぇます」に聞こえるのはまだまし。
機内放送なんてワンパターンなので内容は察することができると思ったのですが、日本語なのに何を言ってるのかさっぱり分からないときもありました。

ウクライナ旅行中、トラムやバスで行き先を確認するために私が一生懸命地名を言ったとき、運転手さんに「ああーっ?」って何度も聞き返されてめげました。
もちろん、すぐにガイドブックや現地でゲットした地図を見せました。だって私がもたもたしているせいで出発を遅らせるわけにはいかないですからね。
でも、アエロフロートのあの機内放送を聞いたときに、運転手さんたちが「ああーっ?」と言いたくなった気持ちが分かった気がします@
そしてどの運転手さんも、私が降りるところが分からないだろうと気にしてくれました。

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ウクライナ旅行から戻ってきました(旅のスタイルを振り返って)

本日7月21日、アエロフロートのモスクワ経由でウクライナ旅行17日間から戻ってきました。

復路では、モスクワのシェレメチェヴォ空港で8時間半の乗り継ぎを利用して、たった正味1時間半でしたが、モスクワ観光も楽しんできました。
このモスクワ観光が今回のウクライナでの最後の関門(大げさ!?)でした。
でも、時間制限のある中、ロシアの出入国と9年ぶりのモスクワ移動がスムーズにいくかという不安がありましたから。
だから、いよいよウクライナを去るってときの機内で、いつものように離陸のときに、これで旅は終わったのか、という感慨は、まだ訪れませんでした。
モスクワを離陸して成田に向かったときは、ひたすらおなかがすいていて、かつ、とても眠かったです。
キエフ出国便は8時20分でしたが、現地旅行会社を通じて依頼した迎えはホテルに5時には来たため、4時起きでしたから。
おなかがすいていたのは、ジュース1本で1日我慢したせいです。
余計な換金をしたくなかったのに、多めに換金した分は買い物に使ってしまったので@
モスクワ観光中、おなかがぐうぐう鳴っていましたが、手もとに100ルーブルちょいしか残っていなくて、物価のたっかーい空港のカフェでは、コーヒーすら飲めませんでした。
アエロフロートの機内食はそんなに悪くありませんでしたが、帰国便は空腹という極上のソースつきでした。
そして日本に戻り、片づけなどひととおり落ち着いた後、天丼とおそばで夕食です。
というわけで、感慨にふける余裕もないまま、慌ただしく日常生活に戻りつつあります。
しかし、これからこうやって記事を書いたり、写真を振り返ったりしながら、旅行の日々を思い出すことでしょう。

これまでの記事でも書きましたが、今回のウクライナ旅行でも、現地旅行会社に一部アレンジしてもらいました。
ウクライナは、その気になれば、旅の予算はとても安くすむでしょう。
ロシア語ができて、日程に余裕があるなら、鉄道の予約も自分でやれて、ホテルを利用せずにたくさんのプライベートハウスやら、たしかアパートの短期滞在なども利用できたと思います。
バスや鉄道駅では、プライベートハウスを貸りる旅行者を待ち受けている人たちを見かけました。
面白いことに、後ろの窓ガラスに、空き部屋あり、という紙を貼付けた車を道路脇でも何台も見かけました。主にクリミア半島のヤルタ近郊で、です。
あれで交渉が成立したら、車でそのまま宿に連れていくのでしょう。
でも交渉はウクライナ語かロシア語になるでしょうね。そういう人たちが英語が話せる確率はとても低いと思いました。
たぶん英語が話せると、もっと有利な職場が見つかりそうな気がしますし、あとは子供たちが大きくなったので家を出てしまい、部屋に余分がある、ある程度の年配の方ではないかと思うので(あくまで推測)。

鉄道の切符は、言葉が分からなくても、窓口の人が愛想悪くても、あらかじめ利用したい列車が決まっていれば、筆談とジェスチャーで買えないこともないです。
そうやって私はこれまでの東欧旅行をやってきました。
ただウクライナの場合で問題なのは、夏のハイシーズンは予約が早くに埋まってしまうらしいことです。
特に南岸はずっとリゾート海岸になってるクリミア半島行きは。
そのため、私は現地旅行会社に鉄道の切符の手配を依頼しました。
ただ、クリミア半島については、現地ガイドは今年は観光客が非常に減ったと言っていました。
たぶん経済状況が悪化したせいでしょう、とも。
……そうか、あれで少なかったのね。

ちなみに、ウクライナの鉄道の切符は名前が記名されるため、外国人が窓口で買う場合はパスポートなどの身分証明書を提示しなくてはなりません。
だから代理店に予約を依頼したときパスポートのコピーでも要求されるのかなと思ったら、そうでもありませんでした。
実際の切符を見てみたら、旅行代理店の名前が書いてありました。
切符はキエフのホテルに届いていました。
当然、キリル文字のウクライナ語で書かれてありますが、必要事項が英語で書かれた付箋が一枚一枚に貼られていた上、メールで一覧表を送ってくれただけでなく、改めてきちんと鉄道スケジュールをタイプした手紙が同封されていました。
私がもしその代理店の担当者なら、そのくらいの仕事はすべきだと思うし、後輩もそう教育すると思いますが、そのビジネス感覚が相手にどこまで期待できるかは、今回ウクライナにコンタクトをとるのは初めてだったので若干の不安はありました。
それに代理店はネットで検索して決めたわけですし、担当者とはメールでしかコンタクトをとっていなかったのですから。
でも、途中のやりとりもとても的確な回答や提案がなされたから、きちんと仕事のできる人だなぁと思いながらコンタクトしていたのは確かです。
切符の入った封筒を見て、うん、こうでなくちゃね、と満足できました。
もちろん、その他に手配したサービスも全て、きちんと滞りなく受けることができました。

また、アクセスの不便なところは、あらかじめ車と英語ガイドを手配していきました。
ついでにホテルも予約してもらいました。旅行会社が薦めるのは当然三ツ星以上であり、東欧もホテルとなると予算は欧米水準とそう変わらずけ、だいたい一泊50から60ユーロとなりました。一応シングル値段のはず。
ちなみにロケーションも優先させたので、泊まったホテルは3か所ですが、観光地のど真ん中ばかりです。

というわけで、私のウクライナ旅行スタイルは決してお安くないです。
安さより、快適さと安全のためにお金をかけました。
クリミア半島の4日間とリビブ近郊の城めぐり1日に、車とドライバーと英語ガイドをたった1人で雇いました。
これでも2〜3人のグループならまだ、そう贅沢でもなかったでしょう。
しかし、おかげで1人でなら約2週間ではとても回りきれない中身の濃い旅行になりました。
クリミア半島での4日間は、自力で公共交通機関を使って回っていたら、倍以上かかったでしょう。
現地ガイドは、ドイツ人旅行者なら、私の立てた日程一日分だけで一週間かけるだろうと笑っていました。まあそれは極端な比較でしょうけどね。

また、スーツケースを持ったフル装備のときは、空港や駅とホテルとの送迎もついでに現地旅行代理店に依頼してしまいました。
どうせ現地ではタクシーを使うしかありません。
なにしろどうしても私は荷物を軽くできませんでしたから。
ただ、ウクライナはほとんど白タクと聞いていたので(実際には登録タクシーも走っていましたが、白人率の高いウクライナではボラれる確率もほかの東欧より高いと判断したので)、最初からきっちり予約してしまえ、と思いました。
おかげで、そこもずいぶんラクできました。
予約していた送迎のドライバーは、レセプションで待ち合わせをし、列車に乗り込むまでつきあってくれましたから、自業自得の重い荷物を自分で持つのは、行きの成田空港に向かうまでと、それから2日連続して寝台車を利用した途中のオデッサで下りたときの、列車と荷物預かり所の往復くらいです。
過去に一度だけ利用した団体ツアーのときと同じラクチンさ@

でも団体行動がいやな贅沢な私は、適度に自力でがんばる機会も残しました。
キエフ、リビブ、オデッサなどの都市は一人で十分回れます。
キエフではバスを利用して郊外の野外博物館に、リビブでもトラム利用で東欧のベール・ラ・シューズ墓地とまでいわれているらしいリチャキフ墓地にも行きました。
オデッサでは宿泊せずに続けて寝台車に乗ったため、送迎を頼まず、列車の乗り降りは自分でやりました。

このオデッサではもう少しで大失敗をするところでした。

観光を切り上げて駅に戻ろうと思っていた時間に、うっかりレストランに入ってしまったのです。
しかも、行きはセントラルまでトラムを利用しましたが、その下りた停留所のある通りが早朝の車が少ないときには一方通行のところとは気付かず、帰りも利用しようと戻ったときに、停留所が見つからなくて愕然!
うろうろしているより走って駅に向かった方が早い!と、トラム利用なら10分くらいのところを、20分くらいかけて走りました。
ヨーロッパの都市の中央駅は巨大ですらね。
荷物預かり所から列車の自分の車両に乗り込むだけでも、まともにてくてく歩いていたら15分くらいかかるでしょう。
駅に着いたときに電光掲示板がとっさに見つからず、自分のホームが分からなかったので、インフォメーションかよく分からない空いた窓口に「ホームはどこ?」と切符を見せて必死の形相で聞いたりして。
あのときは自分の読みの浅さをひどく後悔したので、その後は、モスクワでの乗り継ぎを利用した観光も含め、時間に余裕をもって行動するようにしました。

また、列車は2人用の一等車を予約しました。
ウクライナの長距離列車は寝台車のみです。たとえ昼間走るのであっても。
今回はそのため、寝台車で5泊しました。
列車は、二等は代理店経由で予約しても確かに安いと思ったのですが、ホテル代と移動時間が浮くのだから、と思い、一等車にしました。
利用する便によっては、三ツ星ホテルより高かったです。

でも、一等車にしてよかったです。
長距離列車は計6回使ったのですが、そのうちリビブからコロミーヤとの往復は一等車がないとのことで、二等車を予約しました。
往路は深夜で、4人乗りに私を含め、あとはもうウクライナ人の女性一人でした。
夜なので涼しいですし、2人しかいないので、一等利用とそう大差ないと思いました。
タオルが一枚しかなかったり、枕が一人一個しかなかったり、シーツは自分で敷かなくてはいけなかったり、とか多少差はあっても、頭上に余分に2つベッドがある以外は、部屋やベッドが一等車より狭いわけでもないし、車掌に頼めばコーヒーや水のサービス(有料)はしてもらえました。
クーラーはきかなかったですが(一等寝台はエアコン付)、深夜発の早朝到着でしたから、外も車内もクーラーをかけたくらい涼しかったです。
ところが、復路は夕方から夜にかけての列車で、私を含め4人いました。満室です。
そしてウクライナの列車の窓って、ちゃんと開かないんですねぇぇぇぇぇぇ。
ちょっとは開いてたものの、あの暑い夏に4時間ほぼ密室。
しかもベッドしかないから、座り心地があまり良くないんです。
サウナ状態で寝るしかありませんでした。地獄でした。
車窓の外の風景を楽しむこともできず、横になってひたすら到着を待ちました。
あの蒸し暑い中、旅の疲れのおかげでうとうとと寝てはいましたが。
同室はウクライナ人の夫婦一組ともう一人ウクライナ人のおばちゃんでした。
おじさんは半ズボンいっちょでしたから、目を開けると、薄い金髪の胸毛がおなかまでぎっしり生えたビール腹が飛び込んできます。
あまり見ていたい景色ではありません(笑)。
でも3人の中では唯一英語が話せて、気のいい親切なおじさんでしたけどね@

その他は一等車でしたが、キエフからシンフェロボリ(クリミア半島)、シンフェロポリからオデッサ、オデッサからリビブ、そしてリビブからキエフまでの列車のうち、リビブからキエフまでの列車が一番きれいで快適でした。
しかも、ほんとは同室が英語が話せるウクライナ人のビジネスマンっぽかったのですが、週末だったせいか、結構空いていたので、車掌に頼んで開いている部屋に移動したようです。
だから一人で占領@
といっても、たとえ一等車でもベッドは狭くて寝返りを打つと自分はなんとか大丈夫なのですが、シーツはずり落ちてしまうし、なにより車内で洗面台がないのは辛いです。
それにシャワーもありません。ルーマニアの寝台車にはあったんですけどね。
夏場に汗臭いまま寝台車に乗り、翌日は早朝到着のためホテルにすぐにチェックインできません。
自分がどんな匂いを発散させてるかと思うと恐ろしくて、デオドラントを盛大に噴射しました。
そして、寝台利用が二日続きのときは、ホテル代1.5倍を払い、早朝にチェックインできるようにしてもらいました。
その1.5倍には朝食代も含まれていました。
そのホテルはリビブのホテル・ウィーンです。
そして朝食は、オーストリアのハプスブルグ帝国支配時代から残っているという由緒正しい階下のカフェでいただきました@

ちなみにウクライナの列車はスピードが遅いと聞いていましたが、本当に遅かったです。
車窓の外を流れる景色を見て、時速せいぜい50から60kmくらいではないかと思いました。
だからあんなに寝台車が使えるのです。
車の方がよっぽど速く、その半分以下の時間で行けるとリビブのガイドが言っていました。
乗り心地はルーマニアやハンガリーで利用したときと大差ありませんでしたが、キーキーと騒音がすごかったですね。
それでも私は眠れてしまうのですが、夜中、目が覚めたときに、キーキー騒音をたてたあと、長いこと止まってしまったので、故障ではないかと心配してしまいました。
だって一駅の停車時間があんなに長いなんて思わなかったですもの。
コロミーヤに行ったときの経験では、昼間の列車の途中駅ですが、10分停車していました。
スピードが遅くて停車時間が長い。どおりであんなに時間がかかるわけですね@

食事は、朝はホテルの朝食で、昼はたいてい抜きました。
代わりに夕食はレストランでゆっくりとりました。
去年(2008年)のブルガリア旅行中は、現地ガイドと行動していたときは、三食たっぷりついて、大食いの私でも持て余しました。
現地ガイドは、ガイドとドライバーと私の3人では絶対に食べきれっこない、って量を注文するのです。
この旅行のときは食事代も先払いしていたので現地で追加の食事代はとられないからいいとはいえ、絶対残すと思うと、もったいなくて仕方がありませんでした。
しかも、ガイドもドライバーも私よりずっと小食なんですよ。
食べるものがたくさんあるから食事時間もそれなりにかかります。
それもちょこっと不満でしたが……ガイドにも昼食という休憩時間は必要だろうと我慢しました。
今回のガイドはクリミアとリビブで2人でしたが、2人とも食事より観光を優先させたので、昼食抜きでした。
それは私のスタイルに合っていたので満足でした。
クリミアのガイドはもうすぐ60歳の、自らをソビエト・ウーマンとよぶちゃっかりしたおばさまで、最終日に一緒にホテルで食事をしたのですが、「あなたの夕食に」と、クロワッサンや果物を余分に鞄の中に忍ばせていました@
クリミアのガイドが紹介してくれたレストランは一品一品が少なくて、私にとっては腹八分どころか六分くらいでした。
おかげでその後、レストランでの一皿の量を読み間違えて、次の都市オデッサでは一皿余分に注文したために食べきれずに、ついに残してしまいました。
リビブのガイドは私より若い女性で、リビブ近郊の城めぐり(3か所)に朝の9時からから4時まで昼食抜きで案内してくれました。
ドライバーはたぶん、私たちがお城を訪問している間、一人で昼食をとっていたでしょう。
リビブのセントラルはカフェばかりでレストランが少ないため、彼女にお薦めのレストランを教えてもらったら、またもやハプスブルグ時代からある伝統的なところに案内してもらいました。レストランとカフェが併設のアマデウスです。
とってもすてきな内装で、高そうと思いましたが、メニューを開けてみて「うっ」。
それでも工夫次第では自分の予算内で食事ができたのでしょうが、私はスープはぜひ飲みたいのです。
予算の1.5倍くらいかかったかな。
お勧めのレストランとしか注文しなかったからいけないんですね。旅の思い出にはいいレストランでしょうけど。
ただ、カフェでもそれなりに食事ができたはずなので、そっちの方が安くすんだかもしれません。

キエフにはプザタ・ハタというウクライナ料理のセルフ・レストランがあります。
キエフ旅行者はたいてい利用するのではないかしら。
夕食くらいはある程度ゆったりと豪華にしたいと思った私なのでセルフ・レストランはあまり気が進まなかったのですが、早朝にキエフに到着したとき、朝食のために利用しました。
そしてその安さにハマりました@
料理ももちろん、おいしいです。それに、黙っててもウクライナ料理なんでしょ?
東欧は外食産業が西欧並みというわけではないので、その国の料理のレストランはその都市に数えるほどしかなかったりします。なかなか探しにくいのです。
プザタ・ハタは店内も広くてきれいで、入ってすぐに洗面台があるので手を洗うことができますし、トイレもとてもきれいでした。
併設のカフェもあります。
なのでその後、夕食とおやつを含めて、続けて4回も利用してしまいました。
ただ、セルフ・レストランで不満なのは、スープが熱々でなく、ぬるいことです。
でも、美味しい冷スープがありました。スペインのガスパッチョみたいなかんじかしら。ブルガリアのタラトールよりは酸味がきいていました。

というわけで、繰り返すようですが、私の旅は若者向けの安い旅行ではないです。
しかし、海外旅行はだいたい一年に一回、これを楽しみにストレス・フルな中間管理職もどきの仕事に耐えているようなものなので、多めの散財は自分へのご褒美ということで@
それに、観光地情報はたいていの人にとっても参考になるでしょう。
写真は百聞に一見にしかずの有益な資料になるでしょう。
それになにより、まだ日本人個人旅行者が、バックパックスタイル以外でウクライナに旅行する人は少ないと思うので、そんなウクライナ旅行を紹介できるのは、私自身も楽しいです@

余談ですが、白人率が高いというウクライナで、確かにほぼ白人しか見てきませんでした。
今回は日本人に全く出会いませんでした。
いないことはないはずですけど、17日間で観光地しか回ってないですからね。
東洋人を見たのは、町中では中国人を2人連れを2回ほどと、市場で韓国料理の屋台の売り子のおばさんたちくらいでした。
そして噂どおり美人が多かったですね、確かに。
まあ、ぽっちゃり体型の人も多かったですが、人のことは言えません(笑)。
子供は宗教絵画の天使のモデルそのものの子供たちばかりでした。
可愛くてついつい注目してしまうと(子供はじっとまともに眺めてても、あまり無遠慮になりませんからね@)、むこうも東洋人が珍しいのか、びっくりした顔でじっとこちらを注目する子が多かったです。
……単に、見知らぬおばちゃんに凝視されて驚いただけだからかな?

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